もしも一つだけ願いが適うなら【下】

モブタツ

11

  8月に入っても、薮田先輩は退院することはなかった。先輩によると「最初に『一週間』と言われていたのに、先に先にと延ばされちゃった」とのこと。
  先輩が入院してから三週間が経とうとしていたある日。朝、先輩からメールが届いた。
  今日のおつかいの内容にしては、メールが届くのが早すぎると疑問に思う。…よほど暇なのだろうか、テレビでも見ればいいのに。そんなことを考えながらスマホのスリープ状態をオフにすると、先輩からのメールが画面に表示された。
『おはよう。急にごめんね!(土下座)(汗)今日、午後に妹がお見舞いに来ちゃうから、朝来てもらえないかな??』
  確か、今日のサークル活動は昼からだったはず。それなら、別に問題はないが、そんなことより、先輩に妹がいたことに驚いた。先輩は結構天然なので、さぞ妹さんは苦労していることだろう。
『おはようございます。構いませんよ。今日のおつかいは、どうしますか?』
  返事が遅い!と文句を言われる気がしたので、早めに文字を打ち、すぐに送信ボタンを押した。
  先輩の返事を待っている間に出かける準備をする。
  部屋着からいつもの外出用の服に着替えて、荷物をまとめ靴を履く…ところで財布を忘れていることに気がつき、机に取りに戻る。
  財布を手に持ち、玄関に戻ると先輩からの返信が来ていた。
『甘いものならなんでも!今日は忍君のセンスに任せるよ!一人で寂しいから早く来てね〜!』
  あ、おつかいはしないといけないんだ。と思いながら家を出る。
  鍵を閉めている間に『返事!』というメールが来ていたが、俺はあえて無視することにした。

  病院に向かう途中にコンビニに寄り『new!!』というシールが貼られている、新発売のスイーツを買った。ここ数日、先輩の分だけ買って持って行くと「はい!忍君の分!」と言って半分分けてもらっていたので、今回は俺と先輩の分、あと、後で妹さんと食べてもらえるように別のスイーツを2つ購入した。
  我ながら良い気遣いができたと思っていたのだが、どうやらメールを無視したのがマイナスポイントだったらしく、病室で先輩に渡した時「…プラマイゼロ」と言われてしまった。
「もう…メール無視したくらいでそんなに怒らないでくださいよ…」
  ふくれっ面の先輩は、目を合わせてくれない。
「くらいで!?く、ら、い、で!?」
  …元気そうで何よりだ。
「あのねぇ忍君!私だって、いつもならそんなことは言わないよ。でも、病室に一人でいるとすごい寂しいの!本当に!すごい暇!」
  暇なのか寂しいのか、結局どっちなのかはよく分からないが、要するに返事をしてほしいということだろう。
「…分かりましたって…。今度からは返事しますよ」
「分かってくれたなら…いいや…。でも、ありがとうね。妹の分まで買って来てくれて。本当はすごく嬉しいよ」
  俺は何となく分かっていた。ふくれっ面をする時は、本気では怒っていない。まぁ、そもそも先輩が怒っているところを見たことはないのだが。
「妹さん、名前なんて言うんですか?」
「なに、狙ってんの?あげないよ?私の大好きな、可愛い妹は誰にもあげません!」
「狙ってませんよ!しかも『あげない』って…物じゃないんですから…」
  いつものように、他愛のない話を繰り返し、時が過ぎる。先輩と一緒に食べる甘いものは、いつもよりも美味しく感じ、先輩と一緒にいる時間は、いつもの何倍も楽しく感じた。

  あっという間に時は過ぎ、俺はサークル活動に向かうことになった。病室を出て、早歩きで向かう。
「…妹、か…どこまで…彼女に似ているんだろう」
  薮田先輩は、本当に彼女に似ていた。
  結局俺は、父さんが亡くなったあの日から遺書を読んだことは一度もない。中になにが書いてあるのか、全く見当もつかないが「今すぐには読まなくていい。心の準備ができて、どんな現実でも受け止められるようになった時に読んだ方がいいよ」と薮田先輩に言われてから、俺は心の準備ができずに、ずっと読めずにいた。
  いつでも読めるように、いつも肌身離さず持っていたが、結局、読めずじまいだ。
「おっす〜、し〜のぶ〜」
  学校に着くと、先に絵を描き始めていた友達から声をかけられた。
「おはよう。早いね」
「まぁね。あ、そうだ。先生が、薮田先輩の机、整理しておいてほしいってさ。流石にずっとあのままだと、あまり良くないみたいで…」
「…なんで俺がやらなきゃいけないんだろう…」
「あー、先生は『あの二人は仲がいいから』って言ってたよ?」
  そして、俺の肩をポンポンと軽く叩きながら「お幸せに」と一言捨て台詞を吐きながら絵の続きを描き始めた。
  …もしかして、何か勘違いされているのではないだろうか。
「はぁ…」
  ため息をつきながら、薮田先輩の机に向かうと、少し散らかった道具の下に、描き終わった絵が隠されていた。
「ん…?」
  隠されていた…?描き終わった作品は、普通は先生に渡すはず。
  なんでこんなところに…?
「…あれ…?三枚も…?」
  道具の下から引っ張り出してみると、絵は一枚ではなく、三枚も隠してあったことが分かった。そして、俺は自然とその絵を見てしまった。
「…………っ」
  俺は自分の目を疑った。きっと偶然だ。そう思いながらも、俺は友人に断り、今日はサークル活動を休むことにした。
  そして、三枚の絵をカバンにしまい、病院に走り出す。

  今日の天気はとても良い。それはそれは、父さんを亡くした時のように。8月に入ったのに、いや、入ったばかりだからだろうか、まだまだ蝉は元気に鳴き、日差しは容赦なく俺の体を照らす。前から吹いてくる風も暖かい風ばかりで、俺の体温を下げることはないようだ。
  それでも、すぐに向かって確かめたいことがあった。
  今すぐだ。今すぐそこに行って、確かめる義務が俺にはある。
  
…どういうことなんですか…薮田先輩…?

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