♯影冤の人〜僕は過去で未来のキミと、二度出逢う〜
傀儡女編 タイムリミット
機械等の科学技術が発達する以前の空の青さは、心なしか現代よりも濃く青い。
照りつける日差しを遮り、山に住む生き物たちを守るかの様に茂る木々が影を落とす山の中腹に、この時代には似つかわしくない無機質な建物が見える。
『時の交差する部屋』……旅の始まりの地であるこの場所に再び舞い戻ってきたヒロキは、大汗をかきながら部屋の入り口をくぐり抜けると、丸く高い天井を見上げながら怪しい父親に話しかける。
「親父、聞こえているかい? 」
しばらく経つと、抑揚のない声が部屋の壁全体から響いて来る。
「おや……ヒロキかい? この位の時間の間隔であれば……そちらでは一年が経ったというところかね」
「ああ、丁度一年だよ。
ミキの……様子はどうなんだ? 」
ヒロキは心配そうな表情で額から流れ落ちる汗を拭きながら、病に伏せた幼馴染の容態を尋ねる。
「君が出発した頃より、気持ち薄くなってきたかな? と言うところだろう」
その言葉を聴いたヒロキは、青ざめた表情で聞き返す。
「進んでいるのか? 大丈夫なんだろうな……」
心配そうなヒロキの声に対して、ドクターウーマは気持ち明るい声で話しかける。
「なに……こちらでは二十分くらいしか経過していないからね。まだ心配する程ではないよ」
「……そうか……」
青ざめた表情ながらヒロキはホッとした様に薄く微笑み、直垂の上衣を脱ぎ出すと努めて明るく振る舞うような声を上げる。
「この部屋、涼しいなぁ……こっちに来てからエアコンのありがたさが身に染みるね。夏は何とかなるけど、冬場の寒いこと……」
そう言って持参した手ぬぐいで、未だに噴き出して来る汗を拭くヒロキ。
「……それにこの時代だと、誰も風呂入らないのな。これだけは、慣れそうに無いや」
「……その口調だと、色々な経験を積んだ様だね。
今後の方針を決めるためにも、どんな事があったのか聞かせておくれ」
ドクターウーマの言葉にヒロキは上半身裸のまま座り込み、この一年の出来事を報告する。
「……では、まだミキさんの先祖は見つからないのかい? 」
「ああ……鍛冶師として仕事をしているかたわら、作刀依頼に来たお客さんの様子を見たり、妖魔退治で都の中を走り回ったりしてるけど……それらしい人は、まだ見つからないな」
ヒロキは話しているうちに元気が無くなってきたのか、徐々に視線が下がって行く。
「平安京は、日本の全ての街道が集まる交易の中心地だ。当時の日本では、一番人の集まる場所と言えるだろうがね……」
ドクターウーマは抑揚のない声で、含みのある言い方をする。
「……当時の日本の総人口は五〜六百万人と言われているけれど、もちろん全ての人達が平安京を訪れるわけではないからね」
「……最悪の場合、全国を周らなきゃいけないって言うのか? 冗談じゃないぞ……」
ますますげんなりとした表情を見せるヒロキ。
「まぁ、平安京で暮らす人の数は十二万人とも言われているから、今の場所よりもう少し範囲を広げて探した方がいいかもしれないねぇ……例えば、更に偉い貴族と接触してみるとか……」
「内裏に? 俺の今の身分では、中々入れないんじゃないか? 」
ヒロキの言葉に、ドクターウーマは不思議そうな声をかける。
「……なに言ってるんだい? 天下五剣の一つ、『三日月宗近』の作者である三条宗近であれば、貴族からも作刀依頼はあるだろう? 献上品の納品の時にでも、入るだけなら余裕で出来るだろうに……」
「あっ……そうか」
すっとんきょうな声を上げるヒロキに、ドクターウーマは訝しむような声で話しかける。
「それを見越して弟子になったのではないのかい? まさか……偶然……」
「……な、なに言ってんだよ……計算通りだって……それより、位の高い貴族に会ってどうするんだ? 」
ヒロキは焦った様な表情で答えると、追求を逃れるかの様に話題を変える。
「……まぁ、結果オーライとしようかね……貴族の娘ともなると顔を隠し、家族以外に見せる事はほとんど無いと言われていたからね。ミキさんそっくりの女性が、もしかすると居るかもしれない」
ドクターウーマのその言葉にヒロキはアゴに手を当てて考え始め、ポツリとつぶやく。
「……顔を隠してる……? まさか……な」
「どうした? ヒロキ。心当たりでもあるのかい? 」
静かになってしまったヒロキにドクターウーマは尋ねる。
「いや……ちなみに、ミキの先祖と思われる人が見つかったら、どうしたらいいんだ? 」
「……ふむ……『時空病』は言い換えるなら、ワザとタイムパラドックスを起こす事によって、対象となる人物をこの世から消してしまう事だ」
「……タイム、パラドックス? 」
ヒロキは眉を寄せて聞き返す。
「原因があるから結果があるという事は、君にもわかるだろう? 逆に言えば結果が存在していれば、原因も存在していなければならない。時間軸上でそこに矛盾が生じてしまう事を、タイムパラドックスという」
「……それが、どう繋がるんだ? 」
「今回の事件の場合、結果としてミキさんという子孫が存在しているなら、先祖にあたる人物は子孫を残す行為をしている……はずなんだ」
ドクターウーマの言わんとしている事に気がついたのか、ヒロキはわずかに顔を赤らめる。
「しかし、何者かがその場所で何らかの介入をする事で、原因として存在する事が出来なくなった。その矛盾を正そうとする力が働いたが故に、ミキさんは消えざるを得なくなった」
「何者かの……介入……。
子孫を残すことが出来ないって……病気とかで子供を産む事が出来ない身体になるってことか? 」
「心や身体の病気かもしれないし、パートナーが離れてしまう事も考えられる……最悪の場合……」
「いい、言わなくて。悪い方向に考えだしたら、キリないし滅入るだけだ」
ヒロキは手を振りながらドクターウーマの言葉を遮る。
「じゃあ、ミキの先祖を見つけたら、まずは身の安全を確保する。出来ればパートナーも。
もし、パートナーが居なくなってしまったら、恋人候補を探す処まで世話してあげたほうがいいのかな? 」
ヒロキの言葉にドクターウーマは声のトーンを下げ、ため息混じりに話し始める。
「……君も、まどろっこしい事が好きだねぇ……もっと手っ取り早い方法があるというのに……まあ、そこまで考えが至らないところが君らしいが……」
「なんだよ、その言い方。手っ取り早い方法があるなら、言ってくれよ」
ヒロキはムッとした様な表情で聞き返す。
「……こんな事を言うのもなんだが……心や身体の病気では無いという事を前提にした話だけれど……今のところ、先祖の性別はわからないのだから……」
回りくどい言い方をしながら、言いにくそうにドクターウーマは言葉を続ける。
「……君とコハルが、その候補になってしまえば、一番手っ取り早いと思うがね……」
ドクターウーマの提案を聴いたヒロキは、一瞬言葉に詰まる。その後、引きつった笑みを浮かべながら口を開く。
「……はぁ? なに、言ってんだよ。コハルの気持ちってものがあるだろうに。それに、おれには……その……」
「ミキさんとは恋仲というわけではないのだろう? いくら過去の世界でまぐわおうとも、浮気にはならないよ」
ヒロキは、顔を真っ赤にしながら言い返そうとする。
「まぐわっ……て、そんな、相手の気持ちを無視する様な事、俺には……」
「現代的な考えが抜けないねぇ。
君の今いる時代は一夫多妻制であり、夜這い文化の最盛期だ。男性側からアクションを起こす事が当たり前の世界だ」
「よ……夜這い……」
「それに、コハルの顔立ちは現代では美人と言えなくもないが、当時は醜女と言われていたような顔立ちだ。髪の長さも美人の判断基準とされているから、一部の人間にはモテるかもしれないがね」
その言葉に、ヒロキは頭を抱えてうつむいてしまう。
「……それじゃあ、ミキを救う為には……最悪の場合……俺か、コハルが……」
「……勿論、君の言うように相手を探してあげるのも良いだろうけれど、時間はあるようで無い事を肝に命じておいた方がいい」
ドクターウーマは、一段と声のトーンを低くした為、反響する部屋の構造も相まって不気味にこだまする。
「ミキさんが手の施しようが無い状態になるまで、もって百分……君のいる時代で換算すれば……五年以内、というところだろう」
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