♯影冤の人〜僕は過去で未来のキミと、二度出逢う〜

道楽もん

傀儡女編 コモチの闇


 地面に描かれた丸い図形の中央に立つ、首の無い牛に向かい近づいて行くコモチ。

「時刻もちょうど良いですわね……それでは、始めましょうか」

 コモチのその言葉にイザヨイは辺りを見渡す。周りの木々を覆う陰は濃さを増し、見上げた空は血の様なあかに染まっている。

逢魔おうまとき……いつの間に……」

 そうつぶやいたイザヨイの額には、うっすらと汗が浮かんでいる。コモチは二つのかがり火の間に立ち、両手を組み合わせて何事かつぶやき始める。

「……何をするつもりじゃ、コモチ」

 恐る恐る問いかけたイザヨイを無視し、額にうっすらと汗を浮かべながら、コモチの祈り声は徐々に声量を上げていく。すると、彼女の声に呼応するかの様に、かがり火が一際高く燃え上がると同時に、それまでわずかに聴こえていた鳥のさえずりや虫の声が急に途絶えてしまう。

「なんじゃ……この、禍々しい気配は……」

 後にコモチの祈る声も止み、焚き木の弾ける音が聴こえるのみの、不気味な静けさが辺りを支配する。
 すると突然、首の無い牛の身体がボコボコと隆起し始める。

「……来たっ」

 コモチは嬉しそうに叫び、イザヨイの側まで下がるように距離を取る。尚も牛の身体は隆起を続けて膨れ上がり、異形の肉塊へと変化してゆく。

「さあ、この恨み持つ牛の胴体を依代よりしろとし、顕現けんげんされたもう……」

「う……うぁぁっ……」

 イザヨイはその光景にすくみ上がり、座り込んだまま身動きが取れずにいる。
 やがて肉塊には蜘蛛の様な八本の脚が生え、鬼の様な形相をした頭が生えてくる。約三丈(九メートル)程まで大きくなった肉塊は、巨大な両眼でギロリと周りを見渡すと、耳をつんざく様な叫び声を一つあげる。

「この様な物の怪もののけを呼び出して、何をするつもりじゃ、コモチ」

 物の怪の叫び声に耳を塞いでいたイザヨイは、叫び声が止むとすぐに大声で話しかけるも、コモチはその声を無視して両手を広げる。

「さあ『牛鬼ぎゅうき』よ……京の都で、思う存分暴れると良いですわ」

「……なんじゃと……? 」

 コモチは、自らが『牛鬼』と呼ぶ物の怪に向かって命令する。しかし、『牛鬼』は巨大なあごからヨダレを滴らせ、コモチとイザヨイに向き合うとゆっくりと近づいてくる。

「……コモチ、この様な物の怪が言う事を聞くはずがあるまい。どうするつもりじゃ」

「……うろたえないで下さいな、これしきの事は想定内ですわ」

 コモチは小さく舌打ちしてから、手を組み合わせて呪文を唱え始める。すると、コモチとイザヨイの周りに光り輝く四枚の札が現れ、二人を守る様に結界を張り巡らせる。

「グオォォォッ」

 『牛鬼』は二人を丸呑みにしようと首を伸ばしたが、結界に阻まれ近づく事が出来ないでいる。

「腹が減っているのでしょう? 私達などを喰らうよりも、あちらの方角に向かえば腹一杯食べる事が出来ますわよ」

 結界に守られたコモチは余裕のある表情で、平安京の方角を指差す。
 『牛鬼』は余程腹が減っているのか、身体の皮膚が裂けるのも構わず、執拗に結界に向けて体をぶつけていたが、やがて諦めコモチの指し示す方角に向かって歩き始める。

「ふぅ……ようやく、諦めましたか。なんて執念深いんでしょう」

 去り行く『牛鬼』の後ろ姿を見ながら、コモチは一息ついた様に息を吐く。その後ろでイザヨイはヨロヨロと立ち上がると、コモチの胸ぐらに掴みかかる。

「お主……まさかとは思うが、ここ数年でにわかに数を増やした魑魅魍魎が湧き出した原因は……」

 そのイザヨイの態度をうっとうしがるかの様に、コモチは彼女の手を振り払う。

「ご明察ですわ。まぁ、目の前で見せられれば子供でも分かりますわね」

「何故、この様な事を……自分自身や人形に神を降ろし、人々に啓示を与えたり魑魅魍魎を鎮める事が、我ら傀儡子に課せられた使命。先祖の行いを無にする気か」

 コモチはイザヨイの言葉を鼻で笑うと、淡々と話し始める。

「元々魑魅魍魎は、自然界に点在するよどみに一定の邪気が満ちる事で顕現する為、数は少ない。ですが、私が偶然発見した方法で邪気を増幅させれば、いつでも大量に量産する事ができます」

 得意そうな表情で語り続けるコモチ。

「これを上手く使えれば、傀儡子の新たな生業とする事ができます。そればかりか、我らの需要が高まれば、帝にも召し抱えられるやもしれぬ……そうなれば、皆の生活も楽になりましょう……」

「その様な事、傀儡子一族の誰も望んではおらぬ……理由は、他にあるのではないのか? 」

 いぶかしむイザヨイの態度に、コモチは細い目を更に細める。

「理由……と申すならば、それは貴女にも関係があるのですよ」

「……何? 」

「貴女も私も傀儡子の女として、幼き頃よりあらゆる学問を習得して参りました。そこいらの農民では生涯目にする事もない様な文学や国の起こり、それに神の代行者としての技や振る舞いなども」

 話しながら『牛鬼』の姿が見えなくなった事を確認したコモチは、結界を解く。

「我らは定住せず、各地を転々としながら神楽かぐらを舞い、その日の糧を稼ぐ毎日……そんな中で、北の地で運命の出逢いを果たしたのです。あの方……クサナギ様と……」

 コモチはうっとりする様に空を見上げる。

「私は容姿も含め、その全てにおいて貴女よりも優秀でした……しかし、クサナギ様はそんな私ではなく、貴女を……醜女しこめの貴女を選んだ」

 コモチは沸々と怒りが湧いて来たのか、冷静な態度のイザヨイに向い、矢継ぎ早に言葉を浴びせる。

「その間、私はみそぎと称して地方の権力者や都の貴族共を相手に、傀儡子の生業として枕元に赴き、如何いかがわしい行為をする羽目に……私が学んだ知識は断じて、下劣な殿方を喜ばせる為ではない……っ」

「わからぬではない、妾も同様だからな。だが、傀儡子の女として生まれて来た以上……」

「……諦めろとでも? 私は嫌ですわ」

 自分の気持ちを訴えかける様に胸に手を当て、引きつった笑みを浮かべるコモチ。

「男性中心の社会である今の世では、女が選り好みしてしまえば、夫婦になることは難しい。ですが、私は少しでも気に入った男性と添い遂げたいと思っています」

 コモチは能面の様に冷ややかに笑う。

「クサナギ様の様な方と……一時は貴女に取られ、大層怨みましたが……貴女の様な醜女では満足できなかったのでしょう、すぐに私の下に来てくださいましたわ」

 コモチの言葉に、イザヨイは苦しそうに胸を抑え、荒い息を吐く。

「コモチ……自らのつまらぬ欲の為に、大勢の人々を犠牲にするとは……この様な事、そう長く続くものではないぞ。そなたの目論見はすぐに白日の下にさらされ、裁きを受ける事になろう……」

「真相さえ知らなければ、皆が幸せになるのです。貴女の暮らしも良くなったでしょう? 」

 そう言ってコモチは、暗くなりかけた空を見上げる。

「……さあ、そろそろ都へと向かいましょうか。『牛鬼』によって貴族共が死に絶えてしまっては、仕掛けた甲斐が無いというもの」

 その言葉に、イザヨイは思い出した様に平安京の方角を向く。『牛鬼』の足音が殆ど聞こえなくなっている事に気がつくと、コモチを一瞥いちべつした後に慌てた様に木箱を担ぎ上げ、山を下りて行く。

 不気味に口を開ける鬼堂を背に、乾いた笑い声をあげながらコモチは一人ごちる。

「まぁ……自分で考えることもせず、目の前の出来事に右往左往するだけの貴女に、私の計画を止める事が出来るとは思いませんけれど……フフフッ」


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