癒しの花園を君に

サカエ

14.ふたりで癒しの花園を①


「絵の具を持ってきてっていうから、持ってきたけど」
 テオドールが入ってきたとき、リアネは窓辺に立っていた。ふりかえると、開いたドアから見える廊下の床に、大斧が刺さっているのが見えた。セロが研究室の扉を破ろうと構えていた、あの大斧のような気がする。

 まさか王妃様に向かって振りおろしたのだろうか……。セロの過激な一面を知り、頬がひきつる。

「リアネ、寝てないとだめだよ」
「ずっとここに立ってるわけじゃないですよ。たまにです」
「なんでそんなところに立つ必要があるの」
「ふふふ……外の兵士がおびえるからです」
 ここに悪魔の病の人がいますよとアピールすれば、兵士が踏みこんでこないからだ。

「……元気が出てきたみたいでよかったけど、絵はまだ描かないで」
 テオドールはわざと絵具箱を寝台から遠い位置に置いた。おなじ場所に、若草色の画帳も置いてある。
「こっち持ってきてくださいよー。描くのは絵じゃないです。五分で済みます」
「なにを描くんだ」
「これ」
 リアネは自分の手に浮いた、赤黒い発疹を指さした。テオドールはわけがわからないといった顔をしている。

 リアネはそんな彼を手招きした。
「テオドール様の顔にこの発疹を描きます」
「は?」
「そうすれば、捕まらないじゃないですか。こわがられて。わたし、テオドール様は絶対絶対逃げ延びてほしいんです」
「リアネ、僕は……」
「座ってください」
 彼はなにかいいたげだったが、リアネと並んで素直に寝台に座った。

 リアネはパレットを広げた。なじみのある絵の具のにおい。赤と黒を混ぜて、イタチの毛の筆に含ませる。王子様の白い綺麗な頬に、ちょんちょんと筆先を置く。

 テオドールはリアネに顔をまかせて瞳を閉じた。
 うっすらと血管の浮いた、なめらかな瞼。

(ちゅっ、ってしたくなっちゃうなあ)

 とか考えた途端、リアネは筆を取り落とした。
 動悸がする。ものすごく。

「ほら。やっぱりまだおとなしく寝てなきゃだめだよ」

 パレットを取り上げられ、首の後ろを支えられてそのまま寝台に横たえられた。
 テオドールの触れている部分が熱い。発熱のせいだけではない気がする。彼の顔を見ていられなくなって目を閉じると、彼はいつものように額をやさしくなでてくれた。

「君の気持ちはすごくうれしいけど……僕は、この先どうなるかわからない。反乱軍は逃げても追ってくるよ」
「まだ黄金王が負けるって決まったわけじゃないでしょう?」
「王は負ける。正規軍なんて、もうほとんど反乱軍に吸収されたそうだよ。王族は皆殺しかな……わからないね。でも僕の場合、殺されるより始末が悪そうだ」
「どういうことですか」
「ゼルダス将軍はクーデターに成功しても、王制までやめるのはまだ早いと判断してる。民の多くは、王の血というのは特別だと思ってるから……。だから、新しい王に、旧王家の血を引っ張り出す気でいるらしい。旧王家は世継ぎが絶えて現王家にとって代わられたけど、隣国に嫁いだ姫の子孫が残ってた。僕の母は旧王家の血を引いていた。黄金王が母に興味を持ったのもその血筋のせいだし、王妃様が母を妬んだのもその血筋のせいだ」

「え……」
「僕はゼルダス将軍には殺されない。でも反乱軍の中には、もう王制を望まない声だってある。旧王家の血を引いていても、黄金王の子供であることにだって大いに問題がある。僕が新しい火種になる可能性は高い。そうなる前に死のうと……」

「だめっ!」

 今度こそリアネは飛び起きた。
「だめです! だってテオドール様は……」
「薬なら、僕でなくともつくれるよ。配合の研究記録は残してあるし、薬草の記録だってリアネが手伝ってくれて……」
「ちがいます! そうじゃない!」
「そうじゃないって……」

「テオドール様はわたしの愛する人だからです! だから死んじゃいやなんです!」

 ほっぺたに赤黒い絵の具をつけて、テオドールはぽかんとまぬけな顔になった。
 なにを言われたのかまるで理解できていないらしい。

 言ったらいけないことを、つい勢いで言ってしまった。しかもおそろしく醜い顔なのに。
 リアネはこのまま死にたくなった。

 熱もまたあがったようで、もうなにも考えられなくなった。あとはただただ、上掛けを引っかぶって、なにがなんだかわからなくなるまでわんわん泣いた。


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