癒しの花園を君に

サカエ

2.見習い画家と白衣の王子②

                
   それから三年後。

 リアネは極彩色のオウムにいらだっていた。許されるなら焼き鳥にしてやりたい。
 王の公妾ミュアンナ様の肖像画を描くにあたって、オウムを背景に描き入れる手筈なのだが、モデルのオウムが五秒もじっとしていてくれない。これでは師匠の「明日までに小物のスケッチを終わらせておいて」という言いつけを守ることができないではないか。
「じっとしてろって言ってるでしょっ!」
 リアネは金色の鳥籠に顔を寄せ、南国からやってきたバカ鳥をにらみつけた。
 オウムというのは人語を話すという話だが、この鳥は「ぎゃぎゃぎゃぎゃ」と耳触りな声で鳴くばかりで、暴れてエサをまきちらしている。同じく肖像画に描き入れるためのローズウッドの小机は、鳥籠からとんできた羽毛と粟粒と糞尿で色つやが台無しになってしまった。

 リアネはためいきをついて立ち上がり、吊ってあった重い鳥籠を手にした。今日は今まで以上に暴れっぷりが激しい。肖像画に描き入れる予定の家具や小物をこれ以上汚しては大変なので、バカ鳥はとりあえず離れた場所に置くとしよう。

「わぷ! 暴れないでってば」
 さっきの「焼き鳥にしてやりたい」という思念が伝わってしまったのか、リアネが抱えた鳥籠の中でオウムは無駄にはばたいている。粟粒だの得体の知れない水滴だのが飛び散って顔にかかる。
 リアネはがくがくゆれる鳥籠をアトリエの隅に置くと、這這の体でオウムから離れ、絵の具で汚れたスモックの袖でぐいっと顔をぬぐった。

 毎日こんなだ。もうイヤ。
(こいつ、わたしの手におえない〜)
 リアネの師匠エステルは、宮廷に集う高貴な女性たちから絶大な支持を得る女流画家。リアネは齢十四にして写実の腕を買われ、みごと彼女に弟子入りすることに成功した。
 以来三年間、師匠が描く御夫人・御令嬢の絵姿をひきたてるために、東洋趣味のティー・キャディ、枝つきの飾り燭台、バンシュット製の妖精レース、猫足のピアノフォルテ、スペルン種の子犬、朝露を帯びた古種の薔薇……などなどなど、ありとあらゆる麗しい小物を描いてきた。今では「背景はぜひリアネに」と注文してくれる依頼主もいるほどだ。
 人物はまだまだエステル師匠の足元にもおよばないが、背景や小物を描く技術には誇りを持っている。なのに……。なのに……。

「もー! このバカ鳥バカ鳥バカ鳥」
 リアネは鳥類相手に悪態をついた。情けないが自分にあのオウムを描くのは無理だ。
ほかのものに変えてもらいたいけれど、ミュアンナ様が王妃様からいただいた鳥で、義理があるため仕方ないそうだ。こうなったらもう、師匠か姉弟子にお願いするしかない。
 リアネはとぼとぼ屋根裏のアトリエを出た。

 ああ屈辱……。

 宮殿西棟から、城館方面へ向かう。この広大なカランジェラ宮には、王族のみならず側近の高位貴族も大勢暮らしている。彼らの生活を支える召使いや職人の数も半端ではない。使用人棟である西棟には、女中や庭師や宮殿を補修するための大工や、果ては王の大餐の残りもののハムやパテを売る者までいて、まるごと活気あるひとつの街だった。

 ――国庫が空になりかけているといううわさもあるけれど。

 政治や行政にうといリアネの耳にも、国の財政状態がまずいらしいという話は入ってきていた。
 けれど実際、宮殿では晩餐会や舞踏会など宮廷人たちの浪費につぐ浪費がおさまる気配はなく、この国が貧しくなりつつあるというのが信じられなかった。エステル師匠の肖像画も、次の次の次まで予約が入っている。宮廷画家の画料は決して安くはないというのに、美しい自分を後世に残したいという宮廷婦人はあとを断たない。

 貴族の御婦人を画家の住処に呼びつけるわけにはいかないため、師匠のアトリエは高位の方々が住まう中央の城館にあった。
 リアネの住まい兼アトリエであるみすぼらしい屋根裏部屋とは違い、壁に絹地を張り床にふかふかの絨毯を敷きつめた、大理石の暖炉のある豪奢な部屋である。
 師匠はきらびやかな部屋でゆったりと語らいながら依頼主をデッサンする。弟子は石壁むきだしの狭い部屋にぎゅうぎゅうに押し込んだ小物類をデッサンする。下絵の段階でいったん師匠がまとめあげ、構図が決まったら師匠のアトリエに集合してそれぞれの担当部分を描く。宮廷画家は効率のいい分業制だ。

(城館はさすがに人の服装がちがうなあ。今シーズンの流行はこうなのね。ふんふん)
 宮殿の中心部に集う人々は、仕立てのよいベルベットの長上着やブロケードのサックドレス。リアネは大廊下を行き交う人々の装いを職業的な目で眺めながら、師匠のアトリエへ向かった。

「きゃっ!」

よそ見しすぎて、走ってくる従者にぶつかってしりもちをついてしまったが、観察中のリアネにとってはよくあることだ。
 気を取り直して、質素なドレスをぱたぱたはたく。

 師匠のアトリエに顔を出すと、エステルはミュアンナ様ではなく恋人である官僚の男性となにやら深刻な顔で話しこんでいた。
 どうやらお取り込み中らしい。「オウムが描けない」なんて泣きごとで割りこめる雰囲気ではない。

 しかたない、自分のアトリエにもどろうときびすを返したリアネは、今さらながら城館に不穏な空気が漂っていることに気づいた。
 美しい服装の人々が、いつものおだやかな笑顔ではなく、みんな不安そうに眉間にしわを寄せているのだ。


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