元勇者の吸血鬼、教師となる

妄想少年

023

 予想外な事に、私はあっさりと抜け出すことが出来た。監視のためのホムンクルスやゴーレムは鎮座していたが、両親から教わっていた隠蔽の魔術と身体強化の魔術でどうにかなった。恐らく、男は私の心が壊れていると思っていたのだろう。
 私は兄の異能--名こそは知らないが、異能の力により痛みの全てを兄が引き受けていた。そのことを知らない男は、私がとっくに立ち直れない心になっていると想定していたのだろう。そうでなければ、外出に誰かをおいていかない筈が無い。
 当然、自殺の機会を狙っていた私はそのために力を尽くしていた。
 虚ろな目に見えるように演技し、成功させた。何時でも脱出出来るようにこの家の仕組みを覚えた。死角がどこにあるのか必死に探した。
 
 『--ククク』
 
 どんなことをしていても、あの吐き気をもたらす笑いが頭から離れなかった。その度に兄の姿も思い出され、死にたいのに死にたくないという矛盾した思考に頭を痛めた。
 出来ることなら兄とともに生きていたい。でも、逃げたとしても、いずれ男の仲間が私を見つけ出すだろう。逃げ出さなければ何も変わらないだろう。
 ……私にもう少し学があれば、情報があれば、もっと良い策を考えられたかもしれなかった。少なくとも既に逃げていられたかもしれない。
 男は私たちに何も与えなかった。厳密に言えば生きるのに必要最低限のものはある。食べ物や眠る場所があるだけでも奴隷のような扱いでは無いといえるだろう。知っているのは簡単な計算や漢字、それぐらいで、此処がどこかも知らない。
 
 「……はぁ、ようやく……死ねる」
 
 だからといってはなんだが、家を脱出した私はとりあえず高いところを目指した。その時……今の私は、髪は長くて汚い、服装はところどころ汚れがついている、傷だらけ、周りにいた人からすればさど不気味で、滑稽な姿だっただろう。
 ……違う。見えていないのだ。私の発動している魔術は自分を見えなくするもので、そうとうな魔力量か、違和感を持つぐらいの魔術師にしか分からない。だからか知らないが、数名を除き私は見られなかった。
 別に見られたところでどうでもよかった。死んだらこの姿は知られるわけだし、そのことにより誰かに知られることになるだろう。
 それが、ささやかな復讐になればいいと思う。
 
 「院長先生……優しい人だったなぁ」
 
 鍵を勝手に開け、屋上についたらまず院長先生のことを思い出した。
 たった二年間の間だったけれども、私たち兄妹の為に親となってくれた。両親がいなくなって傷心した私たちを放り出さず、優しく接してくれた。
 他の孤児達のことも少しは覚えている。彼らも魔物の出現で親戚を全て亡くし、あの制服の男達に預けられた子供たちだった。情けないことに、彼らとの傷の舐め合いで自分の心が立ち直っていった……気がする。
 ……結局はボロクソになっていたが。
 
 「……あの人たち、なんだったんだろ」
 
 院長先生達を……孤児院での生活を思い出したら、あの二人の男を思い出した。制服姿ってことは、多分学生だったのだと思う。あの時抱きしめられた暖かさはなんだったのだろうか。なぜ、学生なのに戦っていたのだろうか。
 微かに覚えている記憶では、私が気絶する前に爆発音が聞こえていた。もう一人の男のほうがあの悪魔を殺していたのかもしれない。
 だとしたら、両親の仇を討ってくれてありがとうと言いたい。まぁ、これから死ぬ私は誰にも会うことはないのだろうけど。
 
 「お父さん……お母さん……」
 
 十年間を育ててくれた両親。あの悪魔を目にしながらも私たちを護ろうとした両親。毎日厳しかったけど、その分優しかった両親。
 ……死んでしまった、両親。
 悲しいことに、私は両親の顔をあまり覚えていない。五年間一度も顔を見ることが出来ずにいたし、十歳の頃の記憶なんてものはたかがしれていたのだ。
 姿はあまり憶えていない。顔はあまり覚えていない。どんな物が好物だったのか、どんなところに連れて行ってくれたのか、そんなことも覚えていない。
 --でも、両親が私たち兄妹を大切に育てていたというのは覚えている。厳しくも優しかったということは覚えている。
 一時期、まだ男の家に連れて行かれてから一年ぐらいまでは、両親の代わりにこの生を楽しもう、そんなことを考えていたこともあった。亡くなってしまった者は蘇らないのだから、幸せに生きていることが供養になるのだと、そう考えていたこともあった。
 そんな夢のような希望は、当たり前だが砕け散った。今の自分の姿を見て、これからどうにかなるなんて考えられない。仮に生き延びたとしても気味悪がられ、指を指され、のけ者にされ孤独が待っているだろう。
 それでも……せめて、兄がいたら違っていたのかも知れない。
 
 「……時雨兄さん」
 
 私をどんなことからも守ってくれていた唯一の存在、時雨兄さん。あの人がいたら私は生きる理由を持ち続けていただろう。あの人がいたら希望があっただろう。
 そう、私は兄に助けられておきながら、依存し、自分は何もしないという、価値の無いゴミ屑のようなことを平然と行っていた。我ながらさっさと死ぬべき存在だと思っているが、ようやくこれで終われるのだ。
 ……心残りは、私が死んだと知った兄だ。
 あの人は強いから数十日もしたら大丈夫だろう。強がっていたのは知っていたが、強がれる精神力があったのだから。精神的なショックを受けている間に、兄は私の後を追おうとするかもしれない。それでは意味が無いのだ。
 とは言っても、十分にあり得ることなのである。
 兄は私がいなくなれば天涯孤独の身だ。学園に通っていると聞いたから、学園内で死のうとする事はないだろう。少なくとも、自分に痛みが来なくなれば私のことを心配する。
 それが嫌だ。恐らく、兄はまともに生活出来ていない。授業を受けるであろう時間は痛みによって邪魔され、まともなことを考えられないだろう。外傷は無くとも痛みはあるから、どうしようもない。
 そんなことで、兄の将来を潰されてほしくない。成績は悪いだろうが、兄はまだ高校生二年生。中学初期程度の知識しかないが、まだ巻き返せるだろう。それなのに、痛みなんかで将来を捨てて欲しくない。
 兄は天才では無いが、努力すれば伸びる秀才だと院長先生から聞いた。きっと、こんな世の中でも生きていける力を秘めているのだろう。
 ……私のような《無能》とは違って、いい将来を勝ち取れるのだ。
 
 「あ、はは……未練ばかり……」
 
 --嗚呼、私の人生、未練だらけではないか。
 院長先生のところに挨拶にいって、増えたであろう後輩を見たい。あの時助けてくれた二人の男に会って礼を言いたい。両親の墓を作って、まだ生きていることを報告して、祈りたい。供養をしたい。兄と一緒に暮らしたい。外に出られたのだから見てみたい。学校に通ってみたい。友達を作って放課後に遊びたい。勉強をしてみたい。先生に褒められたり、怒られたりしてみたい。髪を綺麗にカットしたい。体にある傷を治したい。服を選んでみたい。食べ歩いてみたい。面白いことを見つけて熱中したい。知らないところに行って、ちょっと高いホテルに泊まってみたい。将来のことで悩んだりしたい。同僚と居酒屋に行ってお酒を呑んだりしたい。恋人を作ってみたい。結婚してみたい。家を買ってみたい。子供を産んでみたい。家族で旅行みたいなものをしてみたい。学生の頃のクラスメートと再会して、あんなことあったねと笑いたい。孫も欲しい。無条件に可愛がってだらしなく頬を緩めたい。老後を夫とゆったりと送りたい。
 まだまだ……まだまだ死にたくない。幸せに、ずっとじゃなくてもいい。限りあるこの生を、楽しんで、苦労して、悲しんで、誰かを助けて、助けられて……普通に、どこにでもある人生を、普通の人として生きていたい。
 
 「……死にたく……無い……なぁ」
 
 そう思えば、涙がポロポロと落ちてきた。私という存在の中で、唯一曇らなくて、唯一普通である涙。昔に枯れきった筈なのに、まだまだ出てくるらしい。
 止まらない。涙は溢れ続け、拭っても拭っても止まらない。汚い服は濡れ、地面にポタポタ落ちてきてもとめどなく溢れてくる。
 でも、これが私の決めた最期だ。死にたくなくても、私がいないほうが世の中の為……そして何より、兄のためになる。
 元から決めていたではないか。この価値の無い、もはや酸素の無駄とも言える存在が消えることで、ようやく兄が自由になれるのだと、あの忌まわしき家から解放されるのだと。
 一歩一歩、柵のある方向へと歩いてゆく。
 
 「……」
 
 柵を超え、下を見下ろす。それだけで足が震え、本能が止めたいと叫ぶ。やっぱり止めよう。そんな気持ちが心の底から湧き上がる。
 だが先ほど、全てを捨てる覚悟は出来た。これからあるかもしれない幸せも出逢いも、何もかも捨て去って、目先の救いを得ようとする覚悟は出来た。
 厳密には違うのだろう。これは覚悟といった大層なものではない。
 分かっている。自分の行いが兄を救うためのことではなく、自分が痛みも無い程度の苦しみから逃げようとしていることぐらい。
 大好きな兄すらも、自分が逃げるための口実にしているのだ。それでも生きようとする心意気がでないあたり、私はどうしようもない屑なのだ。
 
 「……ごめん……なさ……い……」
 
 そして、私は……誰もいない地面に向かって飛び降りる。
 願わくば、兄に幸せが訪れますように。両親が供養できますように。
 今まで命を紡いできてくれた生物に……心からの感謝を。
 ……命を投げ捨てることに対する……上っ面の謝罪を。
 もしも神様がいるのならば、来世では--
 
 「--ふざけるな。僕の友が助けた命ッ、無駄にさせるわけがないだろうッ!」
 
 --嗚呼、お父さん。お母さん。時雨兄さん。私はまだ、死ぬことを許されていないようです。……生きていることに、安堵してしまっているようです。
 私は、怒りの表情を浮かべる青年の声を聞きながら静かに目を閉じた。
 

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