異世界転移者はお尋ね者

ひとつめ帽子

闇の終わり

 闇に飲み込まれている。
もう、何も考えたくは無い。
考えれば負の塊しか湧いてこない。


 どうして俺はこの世界に飛ばされた?
こんなにも多くの人から憎悪を向けられる為に飛ばされたのか?
そこに何の意味がある?
否定され、拒絶され、それでもこの世界に生きる意味は?
死ねば、もしかしたら元の世界に戻れるのだろうか?

 だが、死ぬのも怖い。
誰かに嫌われるのも、拒絶されるのも、否定されるのも怖い。
あそこまで人から悪意と憎悪を向けられた事などない。
そして、彼らは…俺を甚振り続けて最後に笑っていたのだ。
傷つく俺の姿を見て。
あの大司教も笑っていた。
俺が壊れるのを見て。

 どうなってんだ、この世界は…。
狂っている。
だが、その狂った世界が正常だというのなら、俺が異常なのか?
異常な俺は正常になるべきなのか?
わからない。
あんな風にはなりたくない。
誰かを平気で傷つけ、楽しみ、そしてそれを肯定するような人になど。
俺はなりたくない。
そんな風に思う俺は…この世界にはいるべきじゃないんじゃないのか?
死ぬのは怖いが、存在が否定されれば死んだも同じ。
ましてや、あんな悪魔に利用されるくらいなら、死んだ方がいい。


 誰も、俺の事など…。



「あなたの事だけは…諦められない…っ」



 その言葉が、俺の耳に届く。
誰かが俺の事を言っている。
あそこまで強く、あれほど熱く、俺の事を想ってくれた言葉はあっただろうか?
そして、それを言ってくれたのは…。

 俺はゆっくりと顔をを上げる。
そこにはアーシェがいた。
なんだか凄く身体が輝いているが、魔法でも使ってるのか?
そして対峙しているのはキリエスとかいうイケメンだ。
なんだ…?何が起きてる?

「もはや手加減など出来ない。
全力でいくぞ、アーシェッ!」

 キリエスが叫ぶ。
そしてキリエスの青い瞳が深紅に染まる。

「メルカルト、いくぞっ」

 何かに伝えるように声を上げるキリエス。
その瞬間、キリエスの身体が五つに分身する。
本体以外は深紅の影のような容姿だが、形はキリエスと瓜二つ。
その影が一斉に動き出し、アーシェに襲いかかる。
アーシェは動かない。
やばいっ。
俺は慌てて立ち上がろうとする。
だが、キリエスの動きが速すぎて気付いた時にはアーシェに刃が迫っていた。
しかし、アーシェはその刃を悉く剣と短剣で受け流す。
キリエスのその一つ一つの影から繰り出される剣戟は俺の未来視を持ってしても、軌道が読めた瞬間に刃がその軌道を切り裂くほどの太刀筋。
それほど高速で振るわれる剣戟が五体。
全方向から襲いかかってきているのに、片手に剣、片手に短剣を持って全てに対応している。
いや、違う。
これは…アーシェなのか?

「メーティス、いるか?」

視界が一気にクリアになる。
叡眼をもってその姿を確認する。

『はい、マスター。随分待たされました』

 メーティスは小言を言ってくる。
待ってたのか、お前は。
それより、目の前のこの光景を説明してくれるか?

 そう、叡眼をもってアーシェをみてみれば、姿がアーシェだけでは無かった。
アーシェの身体に何かが憑りついているような…薄っすらとその身体に重なって動いている。

『覇眼ヴァルキュリアの力です。
神人の力を降ろし、その身に宿す事が出来る能力を持ちます』

 な、なんだそりゃ!?
アーシェはそんな力が使えたのか?

『覇眼は複数の神を従える珍しい天眼です。
言っておきますが、私も神なのですよ?マスター』

 メーティスは「わかっていますか?」と問いただしてくる。
ん、メーティスちょっと不機嫌?

『マスターが私も呼ばずに無茶ばかりして、危うく廃人になりかけていたからです。
ようやくあの縄から解放されたので、私は全力でマスターの精神回復に努めたのですよ?
それなのにトドメはアーシェ様の言葉で復活するなんてっ』

 あ、あぁ…そうだったのか、ありがとう。
てか、お前まで性格変わってんじゃねぇか。
それに縄はいつ外されたんだ?

『アーシェ様が牢獄から出してくださった時に外してくれましたよ。
まったく、二度とあんなものに拘束されないで下さい。
次はマスターの意識を乗っ取りますから』

 怖っ!?
お前そんなことできるのかよ!
めっちゃヤバイもんを俺は身体に宿していたわ。
メーティスは『そうならないよう、ちゃんと助けは求めて下さい』と続ける。

『しかし、大分元気になったようで何よりです。
アーシェ様は心配無用でしょう。
相手は稟眼メルカルトなら、覇眼の相手ではありません。
それより、マスターの相手はもう一人の方では?』

 なんだ?
正直そんなのいなくていいんだが…。
そして視線を走らせればそこにはメイド服の少女の髪を掴み、引きずりながらやってくる大司教がいた。
大司教はメイド少女を荒っぽく放り投げる。
メイド少女は二転三転転がって、中庭に蹲る。

「お遊びは終わりだ。
とっととやれ。終わりにしろ」

 大司教の顔は怒りに歪み、その声は激発する感情を押し殺すように震えていた。

「この私を…陥れようとするとは…。
貴様には終わってからまた地獄を味わってもらう。
だが、ひとまず先にこの反逆者どもを静かにさせろ」

 大司教はメイド少女…シェリーに向かってそう言い放つ。
シェリーは「は…ぃ…」と小さく返事をして、立ち上がる。
所々、メイド服は破れて、血が滲んでいる。

 このクソ野郎は俺の神経逆撫でするのが本当に得意だよな。
解放されたし、一発殴らないと。
だが、その前に…。

「アーシェ…俺を助けてくれたんだな」

 すると、アーシェはようやく俺の存在に気付いたのか、俺を見ると軽く微笑む。

「起きたのね、アキト。
良かった…。
今、片を付けるから」

 アーシェの瞳は虹色に輝いていた。
しかも、瞳孔の形が少し違っている。
なんだ?まるで瞳孔が魔法陣のようになっているような…。
これが覇眼か。
アーシェは紅い影を全て切り伏せるが、切った端からまた影は復活していく。
そう簡単に決着はつかないかもしれない。

「アーシェ、そっちは任せていいか?
俺はこのメイドっ娘に話がある」

「ええ、任せて」

 アーシェは短く答える。
そして、もう一言付け足した。

「アキト、あなたが生きてて…本当に良かった…」

 そう言って、アーシェは微笑み、またキリエスへ立ち向かう。
俺は思わず綻ぶ涙をグっとこらえて、シェリーへと向き直る。
顔を引き締め、真っ直ぐに見つめる。

「メイドっ娘。
もう一度聞くが、お前はそれでいいのか?そんな生き方でいいのかよ?」

「あなたがそれを問うのですか…?救いの手を差し伸べられた、あながっ!それをっ!!」

 シェリーは涙を流しながら叫ぶ。
そして、その薄茶色の瞳の色が灰色に変わる。

『魔眼です、マスター。
天眼でない種類の神眼は私の情報にはありません。
解析が終えるまでは無茶をしないで下さい」

 メーティスがまた良くわからない単語を並べ立てて言ってくる。
無茶するな、と言われても、何をどうすりゃいいのやら。
すると、シェリーが口を開く。小さく、冷たく。

「潰れろ」

 その瞬間、俺の身体が地面に叩きつけられる。
これはっ!?牢獄から脱出しようとした時と同じヤツだっ。
叩きつけられた身体を持ち上げようと手足に力を入れるが、身体が重すぎる。
その強力な力によって地面にも亀裂が走る。

「潰れろ、潰れろっ!」

 シェリーは灰色の目を見開き、そう叫ぶ。
俺の身体はさっきよりも更に重くなり、呼吸もし難い状態になる。
骨も軋みはじめ、まるで上から巨大なプレスに押しつぶされそうな感覚になる。
このままだと本当に潰れるっ。

『魔力変換を行います。すぐにそこを離脱して下さい』

 メーティスの指示が飛ぶ。
その直後、力が急激に湧いてくる。
ゆっくりと重い身体を立ち上がらせる。
それを見たシェリーは驚愕の顔を浮かべる。

「…これでもまだ立てますか。
では、これならどうですか?」

 シェリーは手を上に掲げ、そこにサッカーボールほどの水の玉を作り、それを俺の向ける。

「‟アクア・パイロブラム”」

 シェリーが唱えると、その水が弾け、複数の水滴が高速で襲ってくる。

『マスターッ避けて!』

 メーティスが慌てて声を上げる。
俺も瞬時に反応し、足に力を込め、その場から離脱する。
その場を離れた途端、身体がフッと軽くなり、俺のいた場所に水滴が襲い掛かる。
その水滴は普通は地面を濡らすだけなのだが、水滴全ての落下地点には穴が開いていた。
1メートルほどの範囲でボロボロになった地面は崩れ始める。
 なんだ…今のは?

『重力操作の能力と断定。
水魔法と併用する事で水滴一粒づつが凶器となっているようです。
次も来ますっ』

「潰れろ」

 シェリーがギロリッと俺を睨むと冷たい声を上げ、俺の身体はまた地面に押し付けられる。
だが、さっきほどじゃない。
踏ん張れば何とか、倒れずにいられそうだ。
その光景を見てシェリーが信じられない、という顔をする。

「どこまでも規格外…。
それならば」

 シェリーは片手を前にかざす。
狙いは俺。
大人しく見てるつもりはない、と俺は走り出し、距離を一気に詰める。

『‟アクア・フラゲルム”』

 唱えた直後、シェリーの片手から水の鞭が伸びる。
その鞭は地面を切り裂きながら、俺に放たれる。
鞭は急激に太くなり、地面をゴッソリ抉り取る。
紙一重で躱した俺を、さらに追撃してくる。
 触れたらそのまま肉も骨も持ってかれるっ。
未来視によって軌道を予測し、その鞭を避ける。
その姿を灰色の瞳が捉える。

「潰れろ」

 また急激な重さが襲ってきてその場によろめくが、もう大分軽くなっている。
どういう事だ?力が弱まっている?

『解析すると言ったでしょう、マスター』

 お前かっ、メーティス!
そして、今はもう重さすら感じなくなる。

『解析完了。重力属性無効を会得しました』

 メーティス、最高の相棒だぞ、お前はっ!
俺はそう心の中で絶賛し、地を駆ける。
超重力による拘束が叶わない事に驚くシェリー。
しかし、水の鞭は絶え間なく俺を襲う。
そして、シェリーはもう片手で水の玉を作り、それを宙に放つ。

『上から来ます!盾を!』

 メーティスから知識が流れ込む。
その通りに、俺は詠唱する。

「武具召喚、‟ダイテイト・アイギス”」

 その手には漆黒の大盾。
それを上空に掲げると、水滴が盾を強烈な勢いで打ち続ける。
盾の周りの地面には穴が開いていき、この盾の頑丈さが強調される。
 そこに水の鞭の薙ぎが一閃。
すると大盾は形を変え、その水の鞭をも防ぐ。
その盾を構えたまま、一気に地面を蹴り上げる。

「ちょっと痛ぇかもしれないが、我慢してくれよ」

 シェリーへと真っ直ぐ突進し、その華奢な身体を盾にぶち当て吹っ飛ばす。
宙を舞うシェリーを追い、その胸倉を掴んで引き寄せる。

「お前は、それでいいのかよっ!」

 額を突き合わせ、俺はそう強く言う。
シェリーはキッと睨み返し、俺を蹴り飛ばして着地する。
俺は吹っ飛ばされたが、体勢を立て直して地面に足を付ける。

「…けない…」

 ボソリッとシェリーが呟く。
その顔は俯いて見えない。

「良い訳…ない…」

 ゆっくりと顔を上げる。
その目から、大粒の涙を零して。

「いいわけ、ないじゃないですか…っ」

 シェリーは自分の襟を引きちぎり、その首輪を露わにする。
そして、その首輪を強く握り、悲痛な面持ちで俺を見る。

「これが私が選択した証です。
自分で選んでしまった…。もう後には戻れないんです!」

 彼女はそう言い放つ。
俺は、そんな彼女を真っ直ぐ見つめていた。
 

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