よみがえりの一族

真白 悟

8話 初出勤

 ニヒルと約束した時間よりもかなり早くリビングに到着してしまったようだ。壁に掛けられた時計を見るとまだ9時30分だった。
 約束の時間までまだ30分もある。

 別段したいこともないし、ひらがなの書き取りでもやっておくか……

 それから10分もしない内にニヒルはやってきた。 
「あれ? 約束の時間まで、まだ20分もありますけど……?」
 僕が時間よりも早く来ていたことが意外なのだろう。こんなセリフは、自分でも少しキザかとも思ったがつい言ってしまう。
「女性を待たせるやつは男じゃないからね」
「イグニスさんは騎士なんですね」
 彼女はおそらく、紳士であることを表したかったのだろうが騎士である意味はわからない。
「どうして騎士なんだい?」
「私の国では、紳士の代表的なのが騎士様なんですよ。」
 なるほど、この世界においても騎士と名のつく存在は紳士であるようだ。

 そんな会話も相まり、ニヒルとのおしゃべりはとても充実したものだった。

「そういえば、僕の仕事ってなんなの?」
 一番気になることであったが、なぜだか一番聴きにくい質問でもあった。
「……そうですねぇ、言葉にすると安っぽく感じてしまいがちですが、なんでも屋と言ったところですかね?」

 なんでも屋? 

 僕の頭をよぎるのは、暗殺・諜報などの軍事的はスパイ的な活動だ。あの国でなんでもするといったら、あったのはそんな血なまぐさい戦争に関するものばかりだった。この国におけるなんでも屋とはいえ、やはりその点は変わらないのではないだろうか…………

 そんな、僕の考えは彼女の言葉によって、いい意味で裏切られることとなった。

「なんでも屋とは、基本的になんでもするのですが、主な仕事は人に対する害悪を取り除くことでしょうか? もちろん犯罪を犯すことはありませんよ!」 
 彼女は天使の微笑みで冗談を言った。

 まあ、ここまで平和で豊かな日本という国では、人を殺すことも、戦争に参加することも必要ないだろう。
 それに僕自身が、血みどろの日常に戻ることなど御免こうむる。あんな苦しい思いは二度としたくないからな。

 僕は永遠にとれることがない血に染まった自身の手を見つめ、自身の心を強く戒めた。

「どうかしたんですか?」
 突然にも、ニヒルの顔が目の前に現れたため、僕は動揺する。
 ていうか、近すぎ!
「いや、何でもない。ただ人に対する害悪がいったい何なのか考えていただけだよ」
 僕はできるだけ平然を装い、戸惑いがバレないようにしなければならなかった。
 もちろん、バレてしまっては色々まずい。ひとつ屋根の下に暮らす僕たちにとって、恋愛感情など邪魔にしかならないだろう。
 それに、僕はもう二度と人を愛する資格などない。
 『彼女』を殺してしまった僕には、愛を感じることすらおこがましいだろう。
 しかし、目の前の彼女、ニヒルはそんなことはつゆ知らない。何事もなかったかのように、僕の適当に考えた疑問について語ってくれるその様は、まるで聖女のようにも感じられた。

「害悪といっても、ほとんどは魔物の事ですけどね……」
「――――ちょっと待ってくれ……魔物といったか?」
 魔物と言えば、僕の国でも悪さをしていた存在だ。わずかながらではあるが、繋がった!
「私にもよく分かりませんが、何年か前に突然現れたらしいです」
「突然?」
 魔物はずっといたはずだ……どういうことだ?

 疑問も残りはしたが、わからないことを考えていても仕方がない。彼女との会話もほどほどに、会社へと向かうことになった。S

「会社はすぐそこなんですよ」
 家を出たところで彼女がそう言った。
 昨日は暗くてよく見えなかった、僕らが暮らしているアパートは『アバンス神戸』というらしい。意味はよくわからないが、名前などどうでもよさそうだが……
 アパートの近くに商店街があるようで、とても人通りが多い。立地はとてもよさそうだが、昨日火山が提案していた家賃5万円は安いのだろうか? まあどうせ、一文無しも僕だから足元を見られたところで、搾り取られるものなどほとんどないがな……
 そんなことを考えていると、近寄ってくる影が大量にある。
――――警戒して、神経を研ぎ澄ませながら、それでいて気がつかれないように構える。

「―――――よう、ニヒルちゃん! 今日もお仕事かい? ……彼氏?」
「――――ニヒルちゃんおはよう! あれ、彼氏かい?」
「―――ニヒルちゃんよかったら今晩もうちの魚買ってくれよ! まさかの恋人登場?」
「――新鮮な野菜が入ってるよ! ニヒル! ってもしかしてそっちの人彼氏かい?」

 驚くことにさっきから入れ代わり立ち代わり声をかけて来るのは、ニヒルの知り合いのようで、ニヒルはみなと仲良く話している。
 会社への道のりはたったの300メートル、時間にして10分もかからない道だ。
 しかし、彼女の人望はかなり厚いようで、おじいさんにおばあさんから、幼い子供にまで話枯れられる始末だ……
 会社まで1時間もかかってしまった。

 逆にここまでくれば、恐ろしいな……

「ごめんなさい! いつもはここまで時間はかからないんです!」
 彼女は申し訳なさそうにしているが、さっき話しかけられていた内容の半分は僕に関わるものだ。反対に僕が申し訳ない。
「慕われるのはいいことじゃないか!」
 僕の言葉に嬉しそうにするニヒルは、年相応な幼さを残す少女だ。
 こんな女の子が会社の長だとは到底思えない。
 だけど、建物をみれば現実味は湧いてくる。

「…………っえ!? これが会社かい?」
 僕の眼前にある建物は、僕たちが暮らしているアパートよりもはるかに小さく、僕が神戸に来てから見たビルの数々とは明らかに違う。
 
 これでは、まるで……あれだ……そうあれ……
……なんだっけ?

 考えがうまくまとまらない。それほど僕は驚いていた。
 だって、倉庫だもの!

「申し訳ないんですが、これを見て頂けたらわかるかと思いますが、現状大した利益は出せていません。」
 僕の考えを読み、彼女は情けない顔した。
「もしかして、社員を雇えないとか……、はっ! まさかそれで仕事さえ貰えたらいい僕を!?」
 それに関しては違っていたようで、彼女はすぐさま否定した。
「違います! 社員の1人や2人ぐらい雇えるくらいの利益は出てます!」
「じゃあ、なんで僕を?」
 たぶん、彼女にとってその理由とはさも重要なことなのだろう。言葉をどうしても濁したくないようで、真剣に考えている。

「……さっきのあれは嫌でしたか?」

 突然の言葉に僕は意味を理解出来ない。彼女はなにが言いたいのだろう?
「さっきのって?」
「さっきみたいに、いろんな人から話しかけられることです」
 なんだ、それのことか……
「いや、僕はああいう状況は嫌いじゃない」

 彼女はない胸を張り自身満々に言い放った。
「そういうことです!」
「は? なにが?」
「イグニスさんは我が社にマッチする数少ない人材なのです! 残念なことですが今の日本では、若い人は過度のコミュニケーションを嫌がる傾向にあります。得に知らない人とは全く話しません! 地域社会の衰退といってもいいでしょう……。それだけに、地域を盛り上げることは重要な課題です! ならば、魔物にも負けず、人と人のつながりを大切にするべきなのです! それが我社のモットーです。はい。」
 僕は物凄い力説に圧倒される。

 コミュニケーションだとか、地域社会だとか、僕には訳のわからない単語ばかりだったが、これだけはわかった。
 コイツは非常に意識が高いな……高い系とかじゃなく、実行してるわけだから意識が高いといっても相違ない……

「それで、なんでも屋か?」 

「はい!」
 彼女の返事は、この上なく元気がよい。というか、元気が良すぎてうるさかった。
 まあ、元気があるというのはいいことだ。

「まあ、早く中にはいろうぜ……」
 僕は生気のない声でそう提案した。
 何よりも、ここで会社の方針を大声で叫ばれるのは恥ずかしいし、近くを通っていたニヒルの知り合いからの歓声も気まずかった。
「……はい、そうですね」
 どうやら彼女も気がついたようだ。めちゃめちゃ恥ずかしそうにドアを開けて、すぐさま中へと入っていった。

 中は外から見るよりも質素で、あるのは『ぱそこん』なる家電と、『電話』という遠隔から声を運ぶなぞのマシーンとそれが載せてある机と椅子、あとは来客ようのソファーくらいのものだ。
 ただ、奥になにか文字の書かれた扉があったから、そっちになにかあるのかもしれないが……それにしても何もない。
 
 ニヒルに誘導されるがまま、ソファーへと座り込んだ。
「――――イグニスさんは、日本語の読み書きが出来ないんですよね?」
 突然の核心を突く質問で、何故だか自分のことが情けなくなった。
「……うん、よめな……ぃょ……」
 あまりにも恥ずかしく声が小さくなってしまった。
 
「ですから、私が一日一つおとぎ話をお教えします。それを読んだり書いたりすることで勉強していってもらおうと思います。」
「なんでおとぎ話?」
 読み書きを覚えるのにおとぎばなしとはおかしなものだ。
「おとぎ話といってもイグニスさんが興味をもちそうなものです。それに、子供向けのお話ならわかりやすいだろうと堺さんがおっしゃってました。」
 少し疑問に思うところもあるけど、読み書きが出来ないと仕事にならないだろう。それは以前やっていた仕事でも同じだった。
「よくわからないけど、甘えさせてもらうよ」

 それはそうと、一番に疑問に感じたことがある。机もパソコンも5つ並んでいるのになぜ誰も老いないのだろうか。

「他に社員はいないの?」 
「もちろんいますよ!」
 馬鹿にしないでというようにプンプンと頬を膨らませるニヒルだが、それならなぜ誰もいないのだろう。 

「ここに、誰も来てないのは店舗の方にいったりしているからです」
「店舗?」
 なんでも屋なのに分かれてやる必要などあるのか?
「まあ、言ってしまえば酒場なんですけどね……」
 ますますわけが分からない。どうしてなんでも屋が酒場を開く必要性があるのだ?
 だが、進んで虎の尾を踏むバカもいないだろうし、黙って続きを聞こう。
「その人とイグニスさんを含めて、社員は計6人です」
「結構大きな会社だったんだな……。でも3人の内1人は堺だとして――――」
――――あと2人はなぜ来ていないんだ?
 そんな疑問を口にするよりも早く、ニヒルが答える。
「あとの2人は外回りにいっていて顔を出さない日が続いていますね。でも、基本的には事務なんでそのうち会えるとおもいますよ。」

 思ったよりもしっかりとした会社で、期待できそうだな。


「さてと、それではおとぎ話で勉強でもするとしましょうか?」
 そう言ってどこから取り出したのか、彼女は僕に7つの冊子を手渡した。
「……これは?」
 日本語がひらがなくらいしか読めない僕にとって、流石に難しいぞ……
「これは私の故郷ステルラ帝国に伝わるおとぎ話です。そして――――」
 彼女の説明を分断するように、ドアが開く音がうるさかった。

 僕は他の社員の方ではないかと急いで立ち上がった。

 確かに他の社員ではあるようだが、そこに立っていた人物は見覚えのある男だった。
 「堺さんがここに来るなんてどういったご用ですか?」
 ニクスは不思議そうに聞いた。
 「いや、なんかイグニスの初出勤やから顔だしたろおもてな。気にせず続けや。」
 堺がそういうと、気を取り直したようにニクスは話し始めた。

「では、説明させていただきますね」

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