BLIZZARD!

青色魚

第二章65『試行錯誤』

「……っ!」
 
「うおっ!? 急にどうしたんですか、フィーリニさん」
 
 前を走るフィーリニが突如足を止めたことで、そのすぐ後を走っていたキラは思わずバランスを崩した。そのことに対する疑問をキラは口にしたが、フィーリニはそれに答える様子がない。否、彼女は今キラの存在自体・・・・気に留めていないようであった。彼女の眼はどこか遠くを見つめており、その顔色はどこか悪い。見たところフィーリニの身体に異常がないことから、その顔色の悪さは何かを案じているからなのだとキラは察する。
 
「……もしかして、カケル先輩のことですか?」
 
 そのキラの問いかけにも、フィーリニは答える様子がない。しかしその不安そうな面持ちから、それが彼女にとって第一優先事項である翔に関する不安であることは間違いないだろう。
 
「……でも、カケル先輩のことならそんなに気にしなくてもいいと思いますけどね。あの人あれで結構しぶといですし。『時間跳躍』の力なしでもきっと俺達が行くまでは持ちこたえますよ」
 
 なおもどこか翔の安否が気がかりな様子を見せるフィーリニを、キラはそう安心させようとする。キラは翔の頼もしさをその身で感じたことのある者の一人だった。その時は今より幼かったため翔の実力を過信しすぎていたところは否めないが、それでもキラには翔がそうそう外の獣に負けることなどないという妙な確信があった。
 
 ただ一匹の獣を除いては。
 
「……まぁ、あの『新種』相手ならどうなるかわかりませんけどね」
 
 その言葉を聞いているかもしれないフィーリニを不安にさせないよう、キラはその言葉の先を必死に濁す。
 
 ──カケル先輩が並大抵の獣に負けるとは思えない。でも、あの『新種』だけは別格だ。新種あいつは、代理遠征隊おれらでも・・一度も・・・倒した・・・ことの・・・ない・・獣。いくらカケル先輩でも、あの獣を相手取って生き残れるかはわからない。
 
 と、そこまで考えてから、ふと思い出したように呟く。
 
「……あ、それでもカケル先輩にはあの雪女コハルが付いてんのか。ならきっとお大丈夫っすよ、本当に」
 
 キラはそれまでの懸念を吹き飛ばすようにフィーリニにそう言った。その呼び名からもわかる通り、キラは決してコハルのことが好きではなかった。しかし少なくとも共に戦った三年間でその実力だけは認めていた。翔とコハル、それぞれ一人ずつならば『新種』の相手など出来るはずもないが、二人が力を合わせればそれも可能のように思えた。
 
「だからあんまり心配しなくていいと思いますよ、フィーリニさ……
 
 ……って、えええ!? ちょっ、何を!?」
 
 そうして必死にフィーリニを安心させようとするキラの言葉は途中で途切れる。その言葉の途中に、フィーリニがその両手でキラを持ち上げた・・・・・からであった。
 
「……えーと、フィーリニさん、まさか……」
 
 その次にフィーリニが何をやるのかが不幸にも予想ができたキラは、必死にその予想が外れていることを願い彼女にそう問いかける。しかし、やはりフィーリニはそれに答えないまま、キラを担いで全速力で走りだした。
 
「待っ……、ちょっ……、ああああああああああ!」
 
 その急加速にキラは思わず断末魔をあげて気を失った。しかし、それだけの急加速もあってか、結果として二人の進行速度は別々に走っていた時よりも格段に上がった。置いていかれ気味であったキラをコハルが背負っているのだからそれはとても合理的で、そして最速な移動手段であった。キラの意識が途絶えることさえ気にしなければ、それは最高な移動手段だと言えるだろう。
 
「………………」
 
 そうしてキラを担いだまま全力疾走するフィーリニは、先ほどまで聞こえていたキラの断末魔になど注意を払わず、ただ一心にその鼻が示す翔の居場所を見据えていた。
 
「……カケル……」
 
 彼女がとても小さな声でそう呟いたのを聞いた者は、その雪原に一人としていなかったのだった。
 
 
 
 
 
 
「……っ! うおおおおおお!」
 
 雄叫おたけびとともに翔は『新種』に対して特攻を仕掛けた。雪兎シュネーハーゼを用いたその急加速は常人の全力疾走など優に上回る速度となっており、その手に握られたスタン警棒は最大出力で電撃を放っていた。
 
 つまりは、その特攻は翔にとって最初の攻撃であるのと同時に最大の攻撃であった。その速さあしも、その武器も、翔の持ちうる最大限を発揮したものであったのだった。
 
「……コハルを、放せ!」
 
 そうして最速で最大出力で繰り出された翔の攻撃を、『新種』は難なくかわした。
 
「……っ!」
 
 渾身の一撃がくうを切った結果、翔の身体のバランスは大きく崩れた。その隙を見逃さず、『新種』は瞬時にその長い腕でよろけた翔の身体を薙ぎ払った。
 
「がっ……!」
 
 その重い一撃に、翔の肋骨がきしむ音がする。勢いのまま薙ぎ払われた翔の身体は、そのまま猛スピードで雪原を転がり、少ししてから静止した。
 
「……クソ、ったれ……」
 
 食らった一撃の重さに、翔は思わず罵倒を吐きながらその場にうずくまる。その身体に負った痛みもなかなかのものであったが、先の渾身の一撃を『新種』に難なく対処いなされたことに対する動揺の方が大きかった。
 
 ──クソ、あれが通じないんだったら、本当に俺に勝ち目なんかないじゃねぇか……!
 
 全力の一撃が『新種』に通用しなかったこと。それは、悲しいほど簡潔に彼我の実力差を現していた。これ以降、翔がどんな攻撃を仕掛けたところで、それは高確率で『新種』には通用しない。仮に運よくその攻撃が何発か通ったところで、恐らくその頃には翔の体力は限界を迎えているだろう。
 
 その実力差を感じて、翔は改めて目の前の『新種』と対峙する。
 
 ──これが、『新種』。遠征隊おれらが三年前、総出で戦っても勝てなかった獣。
 
 そうして『新種』と改めて向き合った翔は、少し呼吸を整えてから、突如雪兎シュネーハーゼを使わず『新種』の周りを走り出した。
 
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
 
 息を切らしながらも、翔は走るのを辞めない。その翔の姿を、『新種』は微動だにせずただ目で追っていた。
 
 ──恐らく、『新種』は高い学習能力を持っている。
 
 走り回るのを辞めないまま、翔はそう思考を巡らせる。
 
 ──さっきの動きが有効打にならなかったのも、『新種』の反射神経が俺の速度を上回っていたからってのもあるだろうが、『新種あいつ』がスタン・・・警棒・・の効果・・・知って・・・いた・・ってのもあるだろう。
 
 翔はそう考えながら、その『新種』の姿を観察する。
 
 ──学習能力なんてつまるところどんな生物でも持ってるもんだが、新種こいつはそれが並外れて高いんだろうな。それこそ、人間・・みたいに・・・・
 
 そう分析してから、翔は改めてその獣の強さを再認識する。『新種』は決して牙象マンモスのように大きな身体を持つわけでも、剣歯虎サーベルタイガーのような鋭い牙を持っているわけでもなかった。しかし、翔にはその『新種』の獣が、ほかの二つの獣よりも格段に恐ろしいものに感じられた。
 
 敵の行動を、武器を、弱点を観察・分析し、仕留める。その戦闘パターンは、まるで人間カケルのそれであったからだった。
 
「……それでも、俺はあきらめねぇよ」
 
 しかし、そんな圧倒的な『新種』の力を前にしても、翔は諦めていなかった。翔と『新種』の間に圧倒的な実力差があるのは明白であるし、それに加えて翔には今回の遠征で『時間跳躍』に関する力を使うことを禁じられていた。客観的に見れば翔に万に一つも勝ち目はない。しかし、翔はその場から逃げ出そうとはしなかった。
 
「んーっ! んーっ!!」
 
 翔と対峙する『新種』の右腕は、その全体でコハルの全身の自由を奪い、その指先でコハルの口を塞いでいる。平たく言えば、コハルは今『新種』に捕らわれている。翔が『新種』から逃げるということはつまり、『新種』に捕らわれたコハルを見逃すということに他ならなかった。
 
 ──何で『新種』がコハルを捕まえたのか。『新種』がコハルに何をするつもりなのか。俺には全くわからない。けど……
 
 翔には『新種』の意図は一切わからなかった。しかし、それでも三年前『新種』と対峙した経験から、一つだけわかっていることがあった。
 
 三年前、『新種』と遭遇する前に遠征隊が見つけた、捕食・・された剣歯虎サーベルタイガーの跡。つまり、『新種・・肉食・・である・・・
 
「……置いていくわけには、いかない」
 
 そうして決意を新たにした翔は、『新種』の周りを駆け回る足を速くする。その加速に『新種』が適応するより前に、翔は勝負を仕掛けた。
 
 ──見たところ、『新種』の学習能力は高い。そのことを考えれば、一度『新種』に使った技をもう一度『新種』に仕掛けることは自殺行為だ。
 
 翔は冷静にその状況を分析していた。『新種』のその高い学習能力を前に、同じことをし続けていても勝機は訪れない。しかし、先ほど翔はその全力の一撃を『新種』に防がれていた。
 
 ──だから、今度はちょっと趣向を・・・凝らして・・・・やってみるか。
 
 翔はそう考えてからニヤリと笑い、その足に力を入れた。
 
雪兎シュネーハーゼ!」
 
 それまで『新種』の周りを駆け回っていただけの翔の身体が、その靴により急加速を始める。その翔の動きに『新種』は反応するが、翔はそれをかわして低い姿勢で『新種』の下をくぐり抜ける。
 
「うおおおおおお!」
 
 低い姿勢で『新種』の下をくぐり抜けるその一瞬の間に、翔は足元の雪を左手で一掴みする。そして、『新種』の身体を通り抜けたまさにその瞬間、その掴んだ雪を『新種』の眼を目掛けて投げた。
 
「……んでもってもう一回、雪兎シュネーハーゼ!」
 
 投げたその雪は決して正確に『新種』の眼へと向かっているわけではなかった。その実、翔は走る・飛ぶなどの基本的な動きに関しては最高といえるほどの技能を持っていたが、正確な投擲ピッチングなどは苦手としていた。『新種』の眼を狙ってその雪を投げたとしても、その雪が『新種』の眼に当たる確証はなかった。
 
 ──けど、目的は直接的・・・な妨害じゃねぇ。
 
 しかし、翔はその雪を『新種』の眼に当てるために投げた訳ではなかった。勿論、その雪を『新種』の眼に当てることができたとしたら、『新種』の視界を奪うことができて翔は優位に立つことができるだろう。しかし、翔は自らの投球精度コントロールを過信してはいなかった。そのため、翔は狙いを変えたのだった。
 
 ──なまじ学習能力ちのうがある分、『新種』は知っている・・・・・はずだ。視界は、重要なものだってことは。
 
 翔の投球精度コントロールは決して良くはない。しかし、それは『新種』には知る由もない事実ことであった。そのため、視覚が大事なことを知っている『新種』はその雪を振り払おうとする。今や『新種』の右腕はコハルの身体を拘束しており、残る・・左腕でその雪を振り払った場合……
 
「……『新種おまえ』に俺の攻撃を防ぐ手段はない!」
 
 そう叫びながら、翔はその雪を投げると同時に自らも雪兎シュネーハーゼで特攻を仕掛ける。翔の作戦が成功したならば、『新種』にその攻撃を防ぐ手段はなかった。その翔の作戦は、一見理に適っているように見えたからであった。
 
 しかし、『新種』は翔の予想を大きく上回る行動をした。空いているその左腕を地面に置き、それに自重のバランスを託し、両足を向かってくる翔と雪玉目掛けて水平に振り、翔の身体を蹴り・・飛ばした・・・・のだった。
 
「がっ……!」
 
 その『新種』の予想外の攻撃に、翔は成す術もなく蹴り飛ばされる。翔の身体が再び猛スピードで雪の上を回転し、その視界が二転三転する。
 
 ──クッソが、見誤ってた・・・・・か……。
 
 受けたダメージの大きさに意識を朦朧とさせながら、翔は心の中でそう悪態をついた。翔の作戦は確かに理論上正しかった。翔が見誤っていたのは、『新種』のその知能・・であった。
 
「……こっちの作戦には乗るつもりはないってことか。それにしても、その身軽さ曲芸師アクロバットかなんかかよ……」
 
『新種』は翔のその作戦を、足を使い翔と雪を諸共蹴り飛ばすという芸当で突破した。つまり、蹴り飛ばしたその瞬間には、『新種』の身体は左腕しか地面に接していなかったのだ。片腕にその全体重と平衡感覚を乗せ、その足で前方を薙ぎ払うように蹴るなどという芸当、多少運動能力に自信のある翔にも出来るかどうか分からなかった。
 
 ──やっぱり、『新種』は手強い。これまで戦ってきた何よりも。それでも……。
 
 翔は改めて『新種』のその戦闘能力の高さを実感する。翔が今のところ失敗続きでも攻め続けていられるのは、『新種』の片腕がコハルを捉えることに使われているからに過ぎない。つまりは『新種』は今ハンデを負っているようなものだった。それでも、翔は『新種』に傷一つ付けられていない。
 
「くっ……そ……!」
 
 翔は折れそうになった心を、『新種』に捕らわれたその少女、コハルを見ることで何とか繋ぎ止める。『新種』に捕らわれたコハルは今も苦しそうにしており、その口は何かを翔に言おうとしている。その内容は翔には分からなかったが、恐らく彼女は翔に助けを求めているのだろうと翔は推測した。
 
 ──コハルが助けを求めている。だったら、諦めてる暇なんてない。
 
 そう決意を新たにして、翔は再びその頭を回し、『新種』への突破口を考える。
 
 ──そうだ。まだ、たった・・・二つ・・の作戦が失敗しただけだろ。作戦が失敗したら次の手を講じればいいだけだ。そして、この身体が動き続ける間、それを片っ端から試すしかないだろ。
 
 翔の闘志は未だ萎えてはいなかった。そして、『新種』に対する攻撃手段を考えるその姿勢は理知的であったが、それでもその作戦のすべてを試そうとするその姿勢はあまりにも短絡的のうきんであった。しかし、そんなことなど気にもせず、冰崎翔は思考を続ける。目の前のその獣を倒すため。そして、その獣に捕らわれた少女を救い出すため。
 
 そうして考え込む翔の思考が一つの声によって途切れることとなったのは、それからすぐのことだった。
 
「……ぷはっ……、はぁ……、はぁ……」
 
 思考の渦に飲み込まれていた翔の耳に、その苦しそうな呼吸音が届いた。驚いて翔が『新種』の方を見上げると、『新種』の指先がコハルの口元から外れ、結果としてコハルの口元は自由になっていた。
 
「……っ! コハル! 大丈夫か!」
 
 ようやくその口が自由となったコハルに、翔はそう声をかける。『新種』のコハルの口に対する拘束が弱まったのは、先の翔の攻撃が原因であると翔は予想した。先の攻撃で、『新種』は無理やりな体勢で翔の攻撃を弾いた。その結果、コハルの拘束が多少緩んでもおかしくはなかった。
 
 ──それとも、『新種』はもうコハルの口を塞ぐ意味がないと考えた、のか……? 今更大声を出されても、もう仲間おれには気付かれてる訳だし。
 
 翔がそう考えだしたその時、コハルが息も絶え絶えに叫んだ。
 
「……っ! 何をやってるんですか!」
 
 そのコハルの叫びに、翔はハッとして正気を取り戻す。
 
「……ああ、すまなかったコハル。今、助け出すからな」
 
 翔は一瞬でもその少女のことを忘れ、現状必要のない『新種』の分析をしてしまったことを恥じ、少女にそう声をかけた。しかし、その翔の言葉に、コハルはその顔に明らかな苛立ち・・・を浮かべて叫んだ。
 
「何言ってんですか! 早く・・逃げて・・・くださいよ・・・・!」
 
「……え……?」
 
 そのコハルの予想外の言葉に、翔は思わず呆然とした。

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