BLIZZARD!

青色魚

第二章58『学習しない男』

 ──さて、と。後輩の実力に驚いたあとはちゃんと隊長として仕事しないとな。

 穏やかな吹雪が吹き荒れる雪原にたちながら、元二は遠くで倒れた剣歯虎サーベルタイガーの身体を眺めながらそう考える。宣言通り代理遠征隊の二人が剣歯虎サーベルタイガーを仕留めた以上、その処分やその後の指揮は隊長である元二がやるのが道理というものだろう。そう考え、元二が全員に通信を繋げようとしたその時その頭にひとつの疑問が浮かんだ。

 ──それにしても、キラのあの『凍らせて砕く』戦闘スタイル、キラの身体は大丈夫なのか?

 元二の心の中にふと浮かんだその疑問は、彼がかつてキラと似たような力を持っていたからこそのものであり、だからこそ容易にかき消すことの出来ないものだった。

 ──キラのあの膨大な凍気フリーガスがあっても、あれは……。

 と、そこまで思考を巡らせたその時、元二の耳に翔からの通信が届いた。

「隊長、ひとまず全員を集合させませんか? 剣歯虎サーベルタイガーがきちんと息絶えてるかどうかもまだ確認できてませんし」

「あ、ああ。そうだな。……そうだったな」

 その翔の提言により、元二は我に返った。元二の頭に浮かんだその疑問を解決するよりも、今は遠征隊隊長としての責務を果たす方が優先だと思ったからであった。

「よし、遠征隊全員ひとまず集合しよう。剣歯虎サーベルタイガーの絶命を確認し次第、次の標的を狩りに行く」

 そうして通信された元二のその指示に、翔はひと安心する。先程の自らの提言がアンリの言う『余計なこと』になっていなかったという事実と、その指示により翔がその場を離れ遠征隊の傍に居られるようになるということからであった。

 ──さっきから、誰かに見られてる気がする。

 翔が一刻も早くその場を離れ、遠征隊と合流したかったのはその視線のせいであった。代理遠征隊の戦闘の途中から感じられたそれは、少なくとも遠征隊の誰のものでもなかった。その視線の元は、誰もいない猛吹雪の大地だったのだから。

「こんな吹雪の世界に遠征隊オレら以外の人なんているわけないのに。……気味が悪いな」

 翔は防寒服により外気の冷たさが隔絶されているにも関わらず、思わず身震いをした。そしてその視線の元を一瞥してから、足早にその場を後にした。

 その翔の選択は正しかった。その視線の主の正体が知りたくても、それでも早急にその場を後にする、その選択は確かに正しかった。翔はアンリから貰った忠言アドバイスの、『余計なことをするな』をまさに守っていた。その判断自体は、極めて冷静であった。

 しかし、翔は思い至ってはいなかった。翔以外の遠征隊も、その視線の主の存在に気づく可能性に。





「…………?」

 ひと戦闘を終えたコハルは、隊長ゲンジの指示に従い遠征隊に合流しようとしたその時奇妙な視線に気づく。

 ──なんだろう、この視線の感情。怒り……? いや、それよりも、憎悪……?

 コハルはその視線の持つ負のエネルギーに、そう身震いする。その視線が向けられているのはコハルでは無いため、その視線の主の感情を正確に図りとることは出来ない。しかしその視線の主が視線を向けている相手に対して相当悪辣的な感情を持っていることは確かであった。

 ──それにしても、何故……? 遠征隊に恨みを抱く人間なんて……。そもそも一体誰が……。

 そこまで思考を巡らせてから、コハルはようやく気が付いた。

 その視線の主は、遠征隊でもないのに何故この吹雪の大地・・・・・に居られるのか、と。

「……キラキラ君みたいなガスが効かないタイプ? それとも、基地とは関係ないマスク持ち?」

 コハルの頭に浮かんだそのふたつの仮説は、どちらも最もらしいもののように思われた。しかしそのどちらが正しいのか、はたまたどちらも正しくないのか。そもそもその視線の主がなぜそれほど苛烈な視線を遠征隊に向けているのかも、やはりコハルには明確には分からなかった。

「……だったら、確かめるしかない」

 その決断と共に、コハルはその視線の主に向けて歩み出した。その彼女の独断的な行動に即座に気付くことのできた者はいなかった。遠征隊はその時剣歯虎サーベルタイガーとの戦闘を終えたばかりであり、元二の再集合の指示もしっかりと伝達されていた。

 そのため遠征隊の全員が油断をしていた。勝手な行動スタンドプレーの多い翔が鳴りを潜めていることで、遠征隊の誰も危険な行動をしないと思い込んでいた。そして同時に、剣歯虎サーベルタイガーという脅威を斥けたことで、もうしばらくは安全であるという幻想を抱いていた。

 言葉にすればそれだけの油断。しかしそれこそが、その直後の事故を引き起こした。

「……ダメだ。まだ顔は見えない……けど、見た感じマスクはしてない、のかな……?」

 コハルは首を傾げそう呟きながらも尚も視線の主との距離を詰める。その足取りに迷いはなかった。それはコハルが翔のように無鉄砲であったからではなく、その視線の主の正体がどんな人間であろうと自分が負けることは無いと、万一勝てないとしてもそれはそれで自らの実力なら安全且つ確実に遠征隊へ逃げ帰ることが出来ると踏んでのことであった。

 事実、その目算は正しかった。コハルは決して自らを過大評価はしておらず、相手が視線の主ならその見込み通り難なく勝利、あるいは逃亡することが出来たであろう。

 そう、相手が視線の主だけならば。

 その視線の主まで十メートルほどのところまで近づいた時であろうか。コハルは吹雪の中その視線の主の顔を遠目に収め、同時に息を呑んだ。

「……まさか、あの人は……」

 その疑念が、無意識にコハルの歩みを早めた。それまで注意していた周囲への警戒を意図的ではないにしろ緩め、一刻も早くその視線の主の顔をきちんと拝もうとしたのだった。

「コハル……?」

 その早まった歩調にいよいよ違和感を覚える者が出始めた。そのコハルの挙動に、翔は訝しげになって通信を隊長ゲンジに繋げる。

「……隊長、コハルの様子が変です。少し全体から離れることになりますが、後をけて呼び戻してきます」

「なんだと? ……了解した。くれぐれも気をつけろよ」

 その翔の申し出に、元二はそう返す。その指示に無言で頷いてから、翔は足早にコハルへ向かって歩き出す。

 ──流石にこれくらいは、アンリの言う『余計なこと』にならないよな……?

 翔は改めて自らにそう言い聞かせながらも、先程の元二の言葉に苦笑いした。

 ──くれぐれも気をつけろよ、か。それこそアンリの言うように、『余計なことはするなよ』ってのが実際の意味か。

 元二の指示の言葉の裏、そのような意図が隠れていることに翔は気付き苦笑する。アンリの忠告通り、やはり遠征隊は翔が余計なことスタンドプレーをするのを恐れているようだった。

 ──言われるまでもねぇよ。申し出通り、俺はコハルの様子を見て連れ戻すだけだ。指示されてない余計なことは絶対にしない。

 そう改めて自分に暗示をかけてから、翔はコハルとの距離を更につめ、残り数メートルの所まで近付いてから通信を繋げる。

「おーいコハル、どうした? 集合の指示通ってるだろ?」

 その通信にコハルは翔の方を振り返る。

 その刹那、地面が揺れた。

「…………っ!?」

「なん……だ!? これは……っ!」

 その事態に理解が追いつくより前に、コハルを正面に捉えていた翔の視界の右側に、突如白く巨大なものが現れる。

「……あれは……っ!」

 体格に見合わない敏腕な動きに、並外れて長いその腕。三年の月日を経ても翔はその獣の正体をその一目で察することが出来た。

 翔達遠征隊が三年前に遭遇し、事実敗走した『新種』の獣であった。

「……っ! コハル! 逃げろ!」

「……言われなくても、分かってますよ!」

 翔のその叫びよりも前に、コハルは咄嗟に地を蹴り、その場から飛び離れんとした。そうして自らの身体が宙へと放り出されたコハルは、『新種』から一刻も早く距離を取らんと着地の準備をする。

 だが、その着地の時は訪れなかった。コハルは異様な程続くその浮遊感に、思わず着地点を振り返る。

「……っ!」

 その時コハルが視野に入れたのは、これまで死角となっていて見えていなかった、僅かな大地の割れ目クレバスであった。

「……ぁ……」

 しまった、とコハルが思った時には既に遅すぎた。もう既にコハルの身体はその割れ目に向けて放り出されている。その落下を、防ぐ手段はない。

「……コハル!」

 翔もほぼ同時にその事実に気付き、コハルに駆け寄らんとする。が、その瞬間翔の足を何かが縛った。

『……余計なことをしないことですよ』

『なんだと? ……了解した。くれぐれも気をつけろよ』

 翔の足を止めたのは、翔自身が欲したアンリの助言であった。

 ──そうだ、俺にはまだコハルを助けろって指示は出てない。第一、もう今から雪兎シュネーハーゼを使って超加速しても、コハルがあの割れ目クレバスに落ちるのから助けるのなんて出来ない。

 コハルに駆け寄らんと上げられた翔のその踵が、ゆっくりと下がる。

 ──そうだ、今からコハルの方に急加速しても、せいぜいコハルと一緒にあの割れ目クレバスに落ちる羽目になるだけだ。そうなったとして何が出来る? 俺一人で、コハルを守れるとでも言うのか?

 咄嗟にコハルの方に伸ばした手が、力なく下がっていく。

 ──そうだ、ここで俺が飛び込んでも遭難者が一人増えるだけだ。『余計なこと』はしないんだろ、俺。

 そうして翔は力無く項垂れて、次の手を講じるために助けるのを諦めたコハルから目を逸らさんとする。

 その刹那、まさに一秒にも満たない間、翔の視線がコハルのそれと交差する。

「……ぁ……」

「…………」

 その瞬間、コハルの口が何か短い言葉を発した。その口の動きからその内容を察知する──より前に、翔の足は踏み出していた。

「……っ!」

「おおおおおおおおおお!」

 叫びと共に、翔の身体は急加速を始めた。『新種』の登場によりその場に駆けてきた遠征隊も、並外れた攻撃範囲リーチを持つその『新種』をも振り切って、翔の身体は一直線にコハルに向かっていく。

 ──あーあ、畜生。またやっちまった・・・・・・な。

 急加速の間、翔はそう自らの行動に苦笑する。しかしそれはもう今更どうにもならないことであった。コハルが『新種』から逃げるために地面を蹴ったあの瞬間から落下が決まっていたのと同様に、翔もその踏み切りによってその未来が決まった。

「……っ! カケル!?」

 その翔の行動に、元二の顔に驚愕が浮かぶ。その元二に咄嗟に通信を繋げて、翔は言った。

「隊長! 俺も・・コハルと・・・・一緒に・・・落ちます・・・・

 絶対に、後で合流しましょう!」

「なっ……!」

 その通信に元二が何かを発するより前に、翔は元二の視界から消えた。否、翔とコハルの二人が、僅かな地面の割れ目に落下して行ったのだった。

「……さぁ、こりゃまたどうなるのかな」

 落下の刹那、底が見えないほどのその割れ目を目の当たりにして、翔は小さな声で呟いた。

 そうして学習しないヒーローはまた、戦いの場所に落ちていったのだった。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品