BLIZZARD!
第二章55『松つん』
──あの頃の俺は、毎朝目が覚めたら願っていた。俺のこの体を縛る『鎖』が無くなってないだろうか、と。
──俺はあの時『鎖』のことを『周囲の人が俺にかけた期待という名の重圧』だと思っていた。
──今思えば、それは違う。いや、その仮説自体は合っていたけれど、鎖を作った存在を間違えて考えてた。
──あの『鎖』を作ったのは、それで俺を縛ったのは、俺自身だ。
──周囲の人の期待という名の重圧。そんなものが一人の人間の行動を制限するほど強いものなら、俺以外の人間は?
──俺以外の人間はどうやってそんな鎖の重圧に耐えてるんだ?
──答えは単純だった。そもそもそんなものは存在しない。周りからちやほやされて、自分のことを英雄なんて名乗って。
──あの『鎖』はそんな調子に乗った俺が勝手に自分にかけた、期待という呪いだったんだ。
「……そもそも俺は、この世界に来てから俺自身の力で何も為してない」
翔は虚ろな目でそう零した。それは自らを英雄と名乗った青年の、心に溜まった本音の一部であった。
「真騒動の時は、『時間跳躍』と遠征隊の皆に頼って。キラを助けた時も、アンリに貰った雪兎と『先輩』の威厳に頼って。
この世界に来たのだって、なんで俺に与えられたのかもわからない『時間跳躍』の力のおかげだ。俺がこの世界に来てから成功した時、それは俺じゃない誰かの力を借りてたんだよ」
静かに語る翔を、『松つん』は黙って見つめる。
「……もう、分かるだろ? 俺は皆が持て囃すほど強くも賢くもないんだ」
「……翔、お前は……」
「……それなのに!」
翔の言葉にそう割って入ろうとした『松つん』を押しのけるように翔は語気を荒らげる。
「……皆は俺を英雄と読んだ、読んでくれた! 最初は嬉しかったさ。期待に応えようともした。それでも……」
そこまで語ってから翔は、先程まで荒らげていたその語調を和らげ、赤子のように情けない声になって続けた。
「……苦しかったんだよ」
その一言を発した瞬間、翔の中の何かが弾けた。
そして堰が切れたかのようにその目から涙が溢れ、その口から言葉が漏れ出始めた。
「……苦しかったんだ、怖かったんだ! 皆の期待する英雄で居られてるのかって! いつか俺が失敗した時、皆が俺をどう思うかって! ずっと! ずっと!」
それは翔が英雄と呼ばれたその時から、翔がこの世界に来たその時から、ずっと心の中に溜まっていた本音であった。それらは長年翔の中で蠢いていた。しかし翔はそれを抑えていた。
抑圧されていたものが解き放たれた時、それが暴走を伴って顕現することは言うまでもない。
「こんな臆病者が! 少し前まで英雄なんて呼ばれてたなんて笑えるよな! 俺はそんな大した人間じゃない、大したことなんてしてない!
俺の本性は、周りに頼り切って成功しただけなのに、周りの期待を振り切る勇気すら持たなかった、ただの臆病物なんだよ!」
「…………」
そこまで暴れてから、翔は真っ赤になった目を拭い、不安定になった呼吸を整えながら続けた。
「……可笑しいだろ? 笑いたきゃ笑えよ。俺は……俺はずっと苦しかったんだよ」
「…………」
そうして全てを吐き切った翔は、身体の中の力を使い切ったかのように咳き込んで、そしてまた俯いた。
「…………」
そうしてその場にまた沈黙が訪れた。翔は全てを語り切ったから黙っていたわけではなかった。もう何も話す気力が残っていなかったのだ。
翔は文字通り全てを吐き切った。その胸に溜まっていた、情けない本音を全て。濁り切った想いを全て。
そして同時に捨てたのだった。親友の前で、自らが纏っていた、英雄幻想の全てを。
「…………」
そうして全てをさらけ出した親友を前に、『松つん』は黙り込んでいた。目の前の親友が語った全てを受け止め、消化するのに時間がかかっていたのだった。
そうして幾許かの時間、静寂がその場を包んだ。どれほど経ったであろうか、ふと『松つん』がその重い口を開いた。
「……翔」
「…………」
その言葉に応える気力を翔はもう持たない。しかしなんとか顔だけは親友に向けて、固唾を飲んで次の言葉を待つ。
しかし、その親友の口から出た言葉は、翔の予想外のものであった。
「……お前、馬鹿なの?」
「……は、ぁ?」
その翔を嘲笑うかのような言葉に、翔はカッとなりつつも飛びかからない。翔にはもうその言葉に腹を立てる気力もなかった。その様子を見て、『松つん』は翔の前に座り込んで、その翔の苛立ちの眼差しに目線を合わせて続けた。
「あのな、お前が英雄みたいに強くないことなんて、俺らみんなお前に言われないでも知ってるぞ」
「…………っ!」
「ああ、少なくとも俺はな? でも、俺以外の奴らも多分気が付いてるとは思うぞ。お前がそんな強くないことは」
その『松つん』の予想外の言葉に、翔は思わず困惑する。
「……な、何言って……。みんな知ってるなら、ならなんで……」
「……それとだな、翔。さっきからお前が言ってる、『俺の成功は俺以外の奴らの力のおかげ』ってやつ」
その翔の疑問の言葉を遮って、『松つん』は再び続ける。
「それも今更すぎるだろ。当たり前だよ。俺らお前を、そんなに買い被ってたつもりはない」
「……っ! なら、なんで!」
その『松つん』の言葉に、翔は今度こそ疑問を口にする。翔には目の前の親友の言っていることが理解出来ていなかった。自らを覆っていた、自らが纏っていた、その英雄幻想を否定した親友のことが信じられなかった。
「俺がそんな大した人間じゃないって知ってるなら! ならなんでみんなは……」
「……あのな、翔。成功も失敗も、100%誰かのせいとか誰かのおかげとか言えることなんてないだろ」
その『松つん』の言葉に、翔は頭を何かで殴られたかのような衝撃に襲われる。
「確かにお前が裏切り者の真から逃げ出したのも、キラを無事に基地に連れ帰ったのも、お前だけの力で為した仕事じゃないだろうよ。だが……」
そこまで話してから、『松つん』はキッパリと言い切った。
「お前もその成功の力になってた。それは間違いないだろ?」
「それは……っ!」
その『松つん』の言葉に翔は反論をすることが出来ない。先程までの翔の理論は間違っていなかった。少なくとも翔の中ではそれは正しいものであった。しかし同時に、目の前の親友の語る言葉も、決して間違いなどではなかった。
「目を覚ませよ、翔。お前は一人でなんとかしようとしすぎだ」
「…………っ!」
「別に、一人で立ち向かう必要も無いと思うぜ」
その言葉は、翔の頭に冷水のように掛けられた。その言葉を聞いた瞬間、翔は熱くぼんやりとした頭にかかっていた何かが、一瞬にして晴れた気がした。
「…………ぁ」
その瞬間、翔の頭が覚醒した時のように澄み渡る。
「翔、お前は確かに失敗した。でもそれについてもさっき言った通りだ。全部が全部、お前の所為じゃない」
尚も『松つん』は続ける。その言葉を耳にしていく度、翔は自らの身体に次第に力が宿っていくのを感じる。
「隊長の判断にも多少の責任はあるかもしれないし、そもそもばったり『新種』なんかに遭遇しちまった遠征隊の悪運もあるしな。
まぁそれでも大部分はお前に責任がありそうなもんだけど」
その『松つん』の最後の一言に、翔は思わず苦笑する。
「……ああ、反省してるよ。痛いところ突くなって」
その翔の様子を見て、『松つん』は笑い返して言った。
「そんなに笑えるならもう大丈夫そうだな。復活の時か? 英雄」
その『松つん』の言葉に苦い顔をしながら翔は答える。
「英雄はやめてくれよ松つん。何度も言うが俺はそんな存在じゃない。周りに頼って縋って、おんぶにだっこでここまで来たんだ」
「ああ、知ってるよ。でも、それも別にいいんじゃないか?」
しかしその翔の言葉に、『松つん』はそう異を唱える。
「誰にも頼らない、強くて失敗しない。そんな人を英雄って呼ぶ、なんて決まりはないだろ?」
そう言ってから、『松つん』はニヤリと笑って続けた。
「いいじゃんか。周りに頼って縋って、おんぶにだっこで進んでいく弱っちい英雄がいても」
その『松つん』の言葉は、翔の意識の根底にあった考えを容易に覆した。
「…………は、は」
不意に、翔の口から笑いが零れた。同時に目尻から涙が滲み始める。しかしそれは先刻までのものとは違う、笑いと喜びの涙であった。
「やっぱり、敵わないな松つんには」
「当然だろ。歳いくつ違うと思ってんだ」
「いや、そうじゃなくてさ……」
その翔の言葉にムッとした『松つん』であったが、翔はそれを否定して続ける。
「二十八年前の時から思ってたよ。松つんは凄いって」
「そりゃ光栄なこったな。でも、俺もそんな大した人間じゃないぞ? それに……」
そこまで言葉に発してから、彼はその先に詰まる。
──翔。本当に凄いのはお前の方だよ。俺は、お前に憧れてお前と友達になったんだからな。
そうして彼の脳裏に蘇ったのは、入学式の日初めて翔を見た時の思い出であった。
──翔。三年前お前は俺に友達の作り方を聞いてきたことあったよな。
友達の作り方を教えてくれ、突如親友にそう言われた時の彼の心境は、実は複雑なものであった。
──あの時機会を逃して言えなかったけど、俺は俺なんかよりお前の方が余程友達作りに必要なものを持ってると、そう思ってるよ。
彼が高校の入学式のとき、翔を見かけた時に感じたものは、懐古と羨望の気持ちであった。
──翔。お前は俺と違って人に踏み込むのを躊躇わない。人の心はわからないと悟った俺には絶対に無理なことだった。それを、お前はいつもしてのけるんだぜ?
彼が初めて翔を見た時、彼は深い考えを持たず人と接することの出来ていた幼い日々のことを思い出した。それは彼がかつて手にしていたが失ったもの。そしてもう二度と取り戻せないと思っていたものであった。
──友達作りには確かに、適切な距離感は必要だ。でも翔みたいに人の中に踏み込むことが出来なきゃ、本当の意味の『友達』なんて出来ない。だから、俺はお前に憧れたんだ。
翔は彼の友達作りの上手さを羨んでいた。しかし彼も同時に、翔のその性質を羨んでいたのだった。
そんなことはつゆ知らない翔は、黙り込んだ彼の顔を覗き込んで問い掛けた。
「……それに?」
「あー……あれだ」
その翔の問いかけで言葉の先を言えないままであったことを思い出した彼は、その先をどう取り繕うか思案する。結果出たのは、誤魔化しの一言ではなく、ずっと抱いていたひとつの本音であった。
「……今更なんだがさ、俺の事『松つん』て呼ぶのやめてくれないか?」
彼のその言葉に、翔は「あ」と大きな口を開けてそのことに気が付く。
「……すまん、『松つん』て呼び名嫌いだったか?」
「いや、そういう訳じゃないんだけどさ……」
彼は決してその呼び名を嫌っているわけではなかった。しかし彼の心に残っていたのは、在りし日の思い出であった。
「……その呼び名、確か別のやつが使ってたのを真似したやつだろ。
別にいいんだけどさ、俺がお前を『翔』と呼んでるからには、別の呼び方してもらいたいなーと」
「うーん……」
彼のその言葉に、翔は少し唸ってから頷いて答えた。
「……分かった。まだ慣れないけど、呼び方変えさせてもらうぜ。
これからもよろしくな、友哉」
そのなんとも慣れない呼び名に変な顔になる翔に、友哉は笑って答えた。
「……ああ。改めてよろしく、翔」
そう笑い合うふたりの間には、年の差など存在せず、ただ二十八年前のような空気が流れていたのだった。
──俺はあの時『鎖』のことを『周囲の人が俺にかけた期待という名の重圧』だと思っていた。
──今思えば、それは違う。いや、その仮説自体は合っていたけれど、鎖を作った存在を間違えて考えてた。
──あの『鎖』を作ったのは、それで俺を縛ったのは、俺自身だ。
──周囲の人の期待という名の重圧。そんなものが一人の人間の行動を制限するほど強いものなら、俺以外の人間は?
──俺以外の人間はどうやってそんな鎖の重圧に耐えてるんだ?
──答えは単純だった。そもそもそんなものは存在しない。周りからちやほやされて、自分のことを英雄なんて名乗って。
──あの『鎖』はそんな調子に乗った俺が勝手に自分にかけた、期待という呪いだったんだ。
「……そもそも俺は、この世界に来てから俺自身の力で何も為してない」
翔は虚ろな目でそう零した。それは自らを英雄と名乗った青年の、心に溜まった本音の一部であった。
「真騒動の時は、『時間跳躍』と遠征隊の皆に頼って。キラを助けた時も、アンリに貰った雪兎と『先輩』の威厳に頼って。
この世界に来たのだって、なんで俺に与えられたのかもわからない『時間跳躍』の力のおかげだ。俺がこの世界に来てから成功した時、それは俺じゃない誰かの力を借りてたんだよ」
静かに語る翔を、『松つん』は黙って見つめる。
「……もう、分かるだろ? 俺は皆が持て囃すほど強くも賢くもないんだ」
「……翔、お前は……」
「……それなのに!」
翔の言葉にそう割って入ろうとした『松つん』を押しのけるように翔は語気を荒らげる。
「……皆は俺を英雄と読んだ、読んでくれた! 最初は嬉しかったさ。期待に応えようともした。それでも……」
そこまで語ってから翔は、先程まで荒らげていたその語調を和らげ、赤子のように情けない声になって続けた。
「……苦しかったんだよ」
その一言を発した瞬間、翔の中の何かが弾けた。
そして堰が切れたかのようにその目から涙が溢れ、その口から言葉が漏れ出始めた。
「……苦しかったんだ、怖かったんだ! 皆の期待する英雄で居られてるのかって! いつか俺が失敗した時、皆が俺をどう思うかって! ずっと! ずっと!」
それは翔が英雄と呼ばれたその時から、翔がこの世界に来たその時から、ずっと心の中に溜まっていた本音であった。それらは長年翔の中で蠢いていた。しかし翔はそれを抑えていた。
抑圧されていたものが解き放たれた時、それが暴走を伴って顕現することは言うまでもない。
「こんな臆病者が! 少し前まで英雄なんて呼ばれてたなんて笑えるよな! 俺はそんな大した人間じゃない、大したことなんてしてない!
俺の本性は、周りに頼り切って成功しただけなのに、周りの期待を振り切る勇気すら持たなかった、ただの臆病物なんだよ!」
「…………」
そこまで暴れてから、翔は真っ赤になった目を拭い、不安定になった呼吸を整えながら続けた。
「……可笑しいだろ? 笑いたきゃ笑えよ。俺は……俺はずっと苦しかったんだよ」
「…………」
そうして全てを吐き切った翔は、身体の中の力を使い切ったかのように咳き込んで、そしてまた俯いた。
「…………」
そうしてその場にまた沈黙が訪れた。翔は全てを語り切ったから黙っていたわけではなかった。もう何も話す気力が残っていなかったのだ。
翔は文字通り全てを吐き切った。その胸に溜まっていた、情けない本音を全て。濁り切った想いを全て。
そして同時に捨てたのだった。親友の前で、自らが纏っていた、英雄幻想の全てを。
「…………」
そうして全てをさらけ出した親友を前に、『松つん』は黙り込んでいた。目の前の親友が語った全てを受け止め、消化するのに時間がかかっていたのだった。
そうして幾許かの時間、静寂がその場を包んだ。どれほど経ったであろうか、ふと『松つん』がその重い口を開いた。
「……翔」
「…………」
その言葉に応える気力を翔はもう持たない。しかしなんとか顔だけは親友に向けて、固唾を飲んで次の言葉を待つ。
しかし、その親友の口から出た言葉は、翔の予想外のものであった。
「……お前、馬鹿なの?」
「……は、ぁ?」
その翔を嘲笑うかのような言葉に、翔はカッとなりつつも飛びかからない。翔にはもうその言葉に腹を立てる気力もなかった。その様子を見て、『松つん』は翔の前に座り込んで、その翔の苛立ちの眼差しに目線を合わせて続けた。
「あのな、お前が英雄みたいに強くないことなんて、俺らみんなお前に言われないでも知ってるぞ」
「…………っ!」
「ああ、少なくとも俺はな? でも、俺以外の奴らも多分気が付いてるとは思うぞ。お前がそんな強くないことは」
その『松つん』の予想外の言葉に、翔は思わず困惑する。
「……な、何言って……。みんな知ってるなら、ならなんで……」
「……それとだな、翔。さっきからお前が言ってる、『俺の成功は俺以外の奴らの力のおかげ』ってやつ」
その翔の疑問の言葉を遮って、『松つん』は再び続ける。
「それも今更すぎるだろ。当たり前だよ。俺らお前を、そんなに買い被ってたつもりはない」
「……っ! なら、なんで!」
その『松つん』の言葉に、翔は今度こそ疑問を口にする。翔には目の前の親友の言っていることが理解出来ていなかった。自らを覆っていた、自らが纏っていた、その英雄幻想を否定した親友のことが信じられなかった。
「俺がそんな大した人間じゃないって知ってるなら! ならなんでみんなは……」
「……あのな、翔。成功も失敗も、100%誰かのせいとか誰かのおかげとか言えることなんてないだろ」
その『松つん』の言葉に、翔は頭を何かで殴られたかのような衝撃に襲われる。
「確かにお前が裏切り者の真から逃げ出したのも、キラを無事に基地に連れ帰ったのも、お前だけの力で為した仕事じゃないだろうよ。だが……」
そこまで話してから、『松つん』はキッパリと言い切った。
「お前もその成功の力になってた。それは間違いないだろ?」
「それは……っ!」
その『松つん』の言葉に翔は反論をすることが出来ない。先程までの翔の理論は間違っていなかった。少なくとも翔の中ではそれは正しいものであった。しかし同時に、目の前の親友の語る言葉も、決して間違いなどではなかった。
「目を覚ませよ、翔。お前は一人でなんとかしようとしすぎだ」
「…………っ!」
「別に、一人で立ち向かう必要も無いと思うぜ」
その言葉は、翔の頭に冷水のように掛けられた。その言葉を聞いた瞬間、翔は熱くぼんやりとした頭にかかっていた何かが、一瞬にして晴れた気がした。
「…………ぁ」
その瞬間、翔の頭が覚醒した時のように澄み渡る。
「翔、お前は確かに失敗した。でもそれについてもさっき言った通りだ。全部が全部、お前の所為じゃない」
尚も『松つん』は続ける。その言葉を耳にしていく度、翔は自らの身体に次第に力が宿っていくのを感じる。
「隊長の判断にも多少の責任はあるかもしれないし、そもそもばったり『新種』なんかに遭遇しちまった遠征隊の悪運もあるしな。
まぁそれでも大部分はお前に責任がありそうなもんだけど」
その『松つん』の最後の一言に、翔は思わず苦笑する。
「……ああ、反省してるよ。痛いところ突くなって」
その翔の様子を見て、『松つん』は笑い返して言った。
「そんなに笑えるならもう大丈夫そうだな。復活の時か? 英雄」
その『松つん』の言葉に苦い顔をしながら翔は答える。
「英雄はやめてくれよ松つん。何度も言うが俺はそんな存在じゃない。周りに頼って縋って、おんぶにだっこでここまで来たんだ」
「ああ、知ってるよ。でも、それも別にいいんじゃないか?」
しかしその翔の言葉に、『松つん』はそう異を唱える。
「誰にも頼らない、強くて失敗しない。そんな人を英雄って呼ぶ、なんて決まりはないだろ?」
そう言ってから、『松つん』はニヤリと笑って続けた。
「いいじゃんか。周りに頼って縋って、おんぶにだっこで進んでいく弱っちい英雄がいても」
その『松つん』の言葉は、翔の意識の根底にあった考えを容易に覆した。
「…………は、は」
不意に、翔の口から笑いが零れた。同時に目尻から涙が滲み始める。しかしそれは先刻までのものとは違う、笑いと喜びの涙であった。
「やっぱり、敵わないな松つんには」
「当然だろ。歳いくつ違うと思ってんだ」
「いや、そうじゃなくてさ……」
その翔の言葉にムッとした『松つん』であったが、翔はそれを否定して続ける。
「二十八年前の時から思ってたよ。松つんは凄いって」
「そりゃ光栄なこったな。でも、俺もそんな大した人間じゃないぞ? それに……」
そこまで言葉に発してから、彼はその先に詰まる。
──翔。本当に凄いのはお前の方だよ。俺は、お前に憧れてお前と友達になったんだからな。
そうして彼の脳裏に蘇ったのは、入学式の日初めて翔を見た時の思い出であった。
──翔。三年前お前は俺に友達の作り方を聞いてきたことあったよな。
友達の作り方を教えてくれ、突如親友にそう言われた時の彼の心境は、実は複雑なものであった。
──あの時機会を逃して言えなかったけど、俺は俺なんかよりお前の方が余程友達作りに必要なものを持ってると、そう思ってるよ。
彼が高校の入学式のとき、翔を見かけた時に感じたものは、懐古と羨望の気持ちであった。
──翔。お前は俺と違って人に踏み込むのを躊躇わない。人の心はわからないと悟った俺には絶対に無理なことだった。それを、お前はいつもしてのけるんだぜ?
彼が初めて翔を見た時、彼は深い考えを持たず人と接することの出来ていた幼い日々のことを思い出した。それは彼がかつて手にしていたが失ったもの。そしてもう二度と取り戻せないと思っていたものであった。
──友達作りには確かに、適切な距離感は必要だ。でも翔みたいに人の中に踏み込むことが出来なきゃ、本当の意味の『友達』なんて出来ない。だから、俺はお前に憧れたんだ。
翔は彼の友達作りの上手さを羨んでいた。しかし彼も同時に、翔のその性質を羨んでいたのだった。
そんなことはつゆ知らない翔は、黙り込んだ彼の顔を覗き込んで問い掛けた。
「……それに?」
「あー……あれだ」
その翔の問いかけで言葉の先を言えないままであったことを思い出した彼は、その先をどう取り繕うか思案する。結果出たのは、誤魔化しの一言ではなく、ずっと抱いていたひとつの本音であった。
「……今更なんだがさ、俺の事『松つん』て呼ぶのやめてくれないか?」
彼のその言葉に、翔は「あ」と大きな口を開けてそのことに気が付く。
「……すまん、『松つん』て呼び名嫌いだったか?」
「いや、そういう訳じゃないんだけどさ……」
彼は決してその呼び名を嫌っているわけではなかった。しかし彼の心に残っていたのは、在りし日の思い出であった。
「……その呼び名、確か別のやつが使ってたのを真似したやつだろ。
別にいいんだけどさ、俺がお前を『翔』と呼んでるからには、別の呼び方してもらいたいなーと」
「うーん……」
彼のその言葉に、翔は少し唸ってから頷いて答えた。
「……分かった。まだ慣れないけど、呼び方変えさせてもらうぜ。
これからもよろしくな、友哉」
そのなんとも慣れない呼び名に変な顔になる翔に、友哉は笑って答えた。
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