BLIZZARD!
第二章52.5『手──another viewpoint』
──何を、しているんだろうな俺は。
無機質な基地の中を年甲斐もなく全力疾走しながら、『松つん』はそんなことを考えていた。
──翔と違って、俺はもう四十代も半ばだってのにな。なんだってこんな、青春ドラマみたいなことしてんだ俺は。
再度その疑問を心に思い浮かべながらも、彼は走るその足を止めることは無かった。その足の向かう先は一つ──今どこかで苦しんでいる親友のもとであった。
彼が突然翔のことを探し出したのは、彼がまさに数分前に見た夢のせいであった。
「……詳しい事情は話せませんが、カケルが危険です。何を言っているのか分からないとは思いますが、あなたしか頼れる人が居ないのです。
力を、貸してくれませんか?」
彼が昼食後のうたた寝に沈んだ瞬間、彼はいつの間にか四方八方真っ暗な空間に居り、そしてその中でひとり存在する少女が繰り返しそう言っていた。
その状況に彼は初めこそ戸惑ったが、その空間から脱出することも、その空間が一体何なのかを知ることも出来ないということにすぐに気付き、その少女の方に顔を向けた。
「……夢、なのか? これは。俺はついさっきまで基地にいたはずなんだが……」
「はい、夢で合っています。そう捉えていただいてなんら問題はありません」
彼の状況の読めないその呟きに、少女は丁寧にそう返した。
その声にどこか聞き覚えがあるような気がして、彼はその少女の顔を覗き込もうとする。だが、その顔元には何か靄のようなものがかかっていて、その少女が誰なのか知ることは叶わなかった。
彼はその不気味さに少し顔を顰めながらも、その少女との会話を続ける。
「……んで、カケルを助けろ、だっけ?」
「はい。助ける、と言っても肉体的なものではありません。ただ、今の彼に寄り添ってあげてください」
変わらず感情の読めない声で少女がそう言うのを聞いて、彼は顔を顰めて黙り込む。
「お願いします。今頼れるのは貴方しかいないんです」
黙り込んだ彼に少女は顔色を変えずにそう付け加えた。しかし内心、少女は焦っていた。少女が想定していた以上にその状況は困窮を極めていたからだ。加えて、せめてもの応急処置として今こうして一人の中年の夢に現れているのだが、それも効果があまりないように思われたからであった。
──こんな頼み、聞いてくれる確証なんてない。むしろ、突然見知らぬ空間で見知らぬ誰かにこんなことを頼まれたら、不審がって断られるのが関の山でしょうね。
そうニヒは悟っていた。だから半ば自暴自棄な心持ちで、ニヒは彼に頭を下げた。
「……こんなこと、聞いてくれるはずもないとは思いますが……」
しかしその少女の心配は杞憂に終わった。
「……いや、何を早合点してるんだ。聞くよ。俺がカケルを、助けてやる」
そう言って、彼が意外にも少女の頼み事を即決で聞きいれたからであった。
「……本当、ですか?」
「ああ。元々翔のことはいつか助けるつもりだったしな。むしろ今あいつがヤバいってことが知れて良かった。ありがとな」
そうあっけらかんと言った彼を、ニヒは不思議な顔で見つめる。ニヒには目の前のその男が理解できなかった。その男の、あまりの人の良さが理解できなかったのだ。
「……頼んだ身がこう言うのもなんですが、よく引き受けましたね。何故、私を信じる気になったんですか?」
「なんでって……そりゃまぁ」
そのニヒの質問に、怪訝な顔をして彼は答えた。
「お前が嘘をついている様には見えなかった、それだけだよ」
彼のそのあまりにも単純な論理に、ニヒは思わず面を食らう。それ程目の前の男はニヒにとって都合のいいことを語っていた。
──まさか私を騙そうとしている……? いや、そんなことをしてもこの人にはなんの利益もないはず……。
ニヒはそこまで目の前の男を疑ってから、ようやく気が付く。
「……まさか、本当にただのお人好し、だっていうことですか……」
「え、なんで俺急に微妙な形で褒められてんの?」
彼がそう困惑するのをよそに、ニヒは改めて彼を見る。
なんの特徴もない、ただの中年の身体だ。身長は標準より少し高い方のようだが、その身体が特別筋肉質なわけでも、特別柔軟性に富んでいる訳でもない。加えてその身には翔の時間跳躍のような特別な力は当然宿っておらず、元二やランバートのような並外れた凍気の力がある訳でもない。
本当に、ただの人間の身体だ。この猛吹雪の世界の中で生きるには、あまりに平凡すぎる。『氷の女王』が襲来してから二十八年、彼が齢十七から今までをこの吹雪の世界で生き残ることが出来たのは、ひとえに基地という安全地帯のおかげであろう。
しかし、彼は善良な人だった。友人が助けを求めていたら、迷いなく手を差し伸べられるほどの。見知った人が彼を見かけたなら、思わず声をかけてしまうほどの。
彼は平凡でありながら、その身に非凡な優しさを秘めた人間なのだった。
その事実にニヒは思わずそう言ってから微笑み、小さな声で呟いた。
「……やはりあなたはどの世界でも善い人なんですね、トモヤ様」
「……?」
そのニヒの言葉に、彼は首を傾げる。
「どの世界でも……? というかその前に、俺お前に下の名前教えたっけ?」
「……いえ、なんでもありません。失礼しました、忘れてください」
ニヒがそう言いながら再び無機質な表情に戻るのを見て、彼は不審に思いながらも話を戻す。
「まぁ、とりあえず分かったよ。俺はこれからカケルを助けに行く。改めて、教えてくれてありがとな」
「はい。ご協力ありがとうございます。それでは……」
と、その言葉と同時にその黒に包まれた空間が崩れ始める。その崩壊の中、ニヒは密かに笑って呟いた。
「……また、どこかの世界で」
そしてその空間の崩壊とともに、彼は意識を取り戻したのだった。
そしてその夢から覚めた彼は今、基地の中を親友を探して走り回っていた。
「……安請け合いしちまったけど、せめてカケルの場所も聞いておくんだったな。あいつ、どこに居るんだ一体」
そう彼がボヤいていたまさにその時、基地の廊下に誰かが倒れたような鈍い音が響いた。
「……!?」
音の響き方からその現場がそう遠くないことを推測した彼は、親友探しを中断してその音の方へと向かう。
「……まさかあいつが倒れた音、じゃないよな?」
そうしてその場まで足を動かす彼であったが、その直後音のした現場にたどり着いた時思わず言葉を失った。
「……っ! なん……でっ!」
静かな基地に響いた声は、彼にとって馴染みのあるものであった。目の前には、彼がどこかで恐れていた通り、親友が力なく床に倒れていた。
「なん……でだよ! 俺は……っ! 無理だろうと不可能だろうと……! 『取り戻す』って、『償う』って決めて……! 決めたのに……!」
彼の目の前に倒れた翔が、悲壮感を露わにしてそう言った。彼にはその状況が未だに掴めてはいなかった。目の前の親友を助ける、そのために先程まで基地を走り回っていたというのにその光景に理解が追いついていなかった。
──こいつ、何してんだ?精神的に辛いのは分かるけど、なんで倒れて……
彼が思わず抱いたその疑問は、その直後の翔の言葉によって霧消した。
「……もう、限界なのか……?」
「──っ!」
そしてその一言で全てを悟った彼は、瞬時にその場から走り出し、近くの食堂へと向かっていた。
──間に合え……っ! 間に合え!
食堂にたどり着くと彼は、視界の端に見つけたある物を手に取り、奥にいる女性に叫んで再び走り出した。
「桜木さん! これ貰ってく!」
その返事を聞く間もないまま、彼は再び走っていた。向かう先は、否、戻る先はただ一つ、親友の居る場所であった。
──カケルは今まさに限界を迎えてる。だとしたら、俺に何が出来る?二十五年も、いや、それに加えて三年間もあいつと離れ離れだった、ただのお人好しの俺に何が出来る!?
考えつつも彼は限界を迎えつつある足を動かし、懸命に走っていた。そしてついに、その視界の先に親友を捉える。
「……は、は、は…………」
しかしそれと同時に、遠目でもわかるほどに親友は限界を迎えようとしていた。その様子を見て、彼は改めて覚悟を決める。
──きっと俺にあいつは救えない。それでも、俺が出来ることは確かにある!
そうして覚悟を決めた彼は、右手で手刀を作り勢いよく親友の元に飛び込んで行った。
「……もう、俺は。
全てを、諦め──」
その言葉の先が発せられる前に、彼の手刀が翔の首元に炸裂する。
「何してんだよっ!」
「痛てぇっ!」
その叫びと同時に、絶望の縁に沈んでいた翔が首元を抑えて蹲り出す。その様子を見て、彼は乱れた息を整えながら翔に向き合う。
「お、お前は……」
蹲っていた翔が顔を上げそう言った。そのボロボロになった翔の顔を見て、彼は笑って言った。
「……久しぶり、だな。
元気にしてたか? 親友」
そうして『松つん』は屈託なく笑った。
かくして基地の一角において、その二人の談話が始まったのだった。
無機質な基地の中を年甲斐もなく全力疾走しながら、『松つん』はそんなことを考えていた。
──翔と違って、俺はもう四十代も半ばだってのにな。なんだってこんな、青春ドラマみたいなことしてんだ俺は。
再度その疑問を心に思い浮かべながらも、彼は走るその足を止めることは無かった。その足の向かう先は一つ──今どこかで苦しんでいる親友のもとであった。
彼が突然翔のことを探し出したのは、彼がまさに数分前に見た夢のせいであった。
「……詳しい事情は話せませんが、カケルが危険です。何を言っているのか分からないとは思いますが、あなたしか頼れる人が居ないのです。
力を、貸してくれませんか?」
彼が昼食後のうたた寝に沈んだ瞬間、彼はいつの間にか四方八方真っ暗な空間に居り、そしてその中でひとり存在する少女が繰り返しそう言っていた。
その状況に彼は初めこそ戸惑ったが、その空間から脱出することも、その空間が一体何なのかを知ることも出来ないということにすぐに気付き、その少女の方に顔を向けた。
「……夢、なのか? これは。俺はついさっきまで基地にいたはずなんだが……」
「はい、夢で合っています。そう捉えていただいてなんら問題はありません」
彼の状況の読めないその呟きに、少女は丁寧にそう返した。
その声にどこか聞き覚えがあるような気がして、彼はその少女の顔を覗き込もうとする。だが、その顔元には何か靄のようなものがかかっていて、その少女が誰なのか知ることは叶わなかった。
彼はその不気味さに少し顔を顰めながらも、その少女との会話を続ける。
「……んで、カケルを助けろ、だっけ?」
「はい。助ける、と言っても肉体的なものではありません。ただ、今の彼に寄り添ってあげてください」
変わらず感情の読めない声で少女がそう言うのを聞いて、彼は顔を顰めて黙り込む。
「お願いします。今頼れるのは貴方しかいないんです」
黙り込んだ彼に少女は顔色を変えずにそう付け加えた。しかし内心、少女は焦っていた。少女が想定していた以上にその状況は困窮を極めていたからだ。加えて、せめてもの応急処置として今こうして一人の中年の夢に現れているのだが、それも効果があまりないように思われたからであった。
──こんな頼み、聞いてくれる確証なんてない。むしろ、突然見知らぬ空間で見知らぬ誰かにこんなことを頼まれたら、不審がって断られるのが関の山でしょうね。
そうニヒは悟っていた。だから半ば自暴自棄な心持ちで、ニヒは彼に頭を下げた。
「……こんなこと、聞いてくれるはずもないとは思いますが……」
しかしその少女の心配は杞憂に終わった。
「……いや、何を早合点してるんだ。聞くよ。俺がカケルを、助けてやる」
そう言って、彼が意外にも少女の頼み事を即決で聞きいれたからであった。
「……本当、ですか?」
「ああ。元々翔のことはいつか助けるつもりだったしな。むしろ今あいつがヤバいってことが知れて良かった。ありがとな」
そうあっけらかんと言った彼を、ニヒは不思議な顔で見つめる。ニヒには目の前のその男が理解できなかった。その男の、あまりの人の良さが理解できなかったのだ。
「……頼んだ身がこう言うのもなんですが、よく引き受けましたね。何故、私を信じる気になったんですか?」
「なんでって……そりゃまぁ」
そのニヒの質問に、怪訝な顔をして彼は答えた。
「お前が嘘をついている様には見えなかった、それだけだよ」
彼のそのあまりにも単純な論理に、ニヒは思わず面を食らう。それ程目の前の男はニヒにとって都合のいいことを語っていた。
──まさか私を騙そうとしている……? いや、そんなことをしてもこの人にはなんの利益もないはず……。
ニヒはそこまで目の前の男を疑ってから、ようやく気が付く。
「……まさか、本当にただのお人好し、だっていうことですか……」
「え、なんで俺急に微妙な形で褒められてんの?」
彼がそう困惑するのをよそに、ニヒは改めて彼を見る。
なんの特徴もない、ただの中年の身体だ。身長は標準より少し高い方のようだが、その身体が特別筋肉質なわけでも、特別柔軟性に富んでいる訳でもない。加えてその身には翔の時間跳躍のような特別な力は当然宿っておらず、元二やランバートのような並外れた凍気の力がある訳でもない。
本当に、ただの人間の身体だ。この猛吹雪の世界の中で生きるには、あまりに平凡すぎる。『氷の女王』が襲来してから二十八年、彼が齢十七から今までをこの吹雪の世界で生き残ることが出来たのは、ひとえに基地という安全地帯のおかげであろう。
しかし、彼は善良な人だった。友人が助けを求めていたら、迷いなく手を差し伸べられるほどの。見知った人が彼を見かけたなら、思わず声をかけてしまうほどの。
彼は平凡でありながら、その身に非凡な優しさを秘めた人間なのだった。
その事実にニヒは思わずそう言ってから微笑み、小さな声で呟いた。
「……やはりあなたはどの世界でも善い人なんですね、トモヤ様」
「……?」
そのニヒの言葉に、彼は首を傾げる。
「どの世界でも……? というかその前に、俺お前に下の名前教えたっけ?」
「……いえ、なんでもありません。失礼しました、忘れてください」
ニヒがそう言いながら再び無機質な表情に戻るのを見て、彼は不審に思いながらも話を戻す。
「まぁ、とりあえず分かったよ。俺はこれからカケルを助けに行く。改めて、教えてくれてありがとな」
「はい。ご協力ありがとうございます。それでは……」
と、その言葉と同時にその黒に包まれた空間が崩れ始める。その崩壊の中、ニヒは密かに笑って呟いた。
「……また、どこかの世界で」
そしてその空間の崩壊とともに、彼は意識を取り戻したのだった。
そしてその夢から覚めた彼は今、基地の中を親友を探して走り回っていた。
「……安請け合いしちまったけど、せめてカケルの場所も聞いておくんだったな。あいつ、どこに居るんだ一体」
そう彼がボヤいていたまさにその時、基地の廊下に誰かが倒れたような鈍い音が響いた。
「……!?」
音の響き方からその現場がそう遠くないことを推測した彼は、親友探しを中断してその音の方へと向かう。
「……まさかあいつが倒れた音、じゃないよな?」
そうしてその場まで足を動かす彼であったが、その直後音のした現場にたどり着いた時思わず言葉を失った。
「……っ! なん……でっ!」
静かな基地に響いた声は、彼にとって馴染みのあるものであった。目の前には、彼がどこかで恐れていた通り、親友が力なく床に倒れていた。
「なん……でだよ! 俺は……っ! 無理だろうと不可能だろうと……! 『取り戻す』って、『償う』って決めて……! 決めたのに……!」
彼の目の前に倒れた翔が、悲壮感を露わにしてそう言った。彼にはその状況が未だに掴めてはいなかった。目の前の親友を助ける、そのために先程まで基地を走り回っていたというのにその光景に理解が追いついていなかった。
──こいつ、何してんだ?精神的に辛いのは分かるけど、なんで倒れて……
彼が思わず抱いたその疑問は、その直後の翔の言葉によって霧消した。
「……もう、限界なのか……?」
「──っ!」
そしてその一言で全てを悟った彼は、瞬時にその場から走り出し、近くの食堂へと向かっていた。
──間に合え……っ! 間に合え!
食堂にたどり着くと彼は、視界の端に見つけたある物を手に取り、奥にいる女性に叫んで再び走り出した。
「桜木さん! これ貰ってく!」
その返事を聞く間もないまま、彼は再び走っていた。向かう先は、否、戻る先はただ一つ、親友の居る場所であった。
──カケルは今まさに限界を迎えてる。だとしたら、俺に何が出来る?二十五年も、いや、それに加えて三年間もあいつと離れ離れだった、ただのお人好しの俺に何が出来る!?
考えつつも彼は限界を迎えつつある足を動かし、懸命に走っていた。そしてついに、その視界の先に親友を捉える。
「……は、は、は…………」
しかしそれと同時に、遠目でもわかるほどに親友は限界を迎えようとしていた。その様子を見て、彼は改めて覚悟を決める。
──きっと俺にあいつは救えない。それでも、俺が出来ることは確かにある!
そうして覚悟を決めた彼は、右手で手刀を作り勢いよく親友の元に飛び込んで行った。
「……もう、俺は。
全てを、諦め──」
その言葉の先が発せられる前に、彼の手刀が翔の首元に炸裂する。
「何してんだよっ!」
「痛てぇっ!」
その叫びと同時に、絶望の縁に沈んでいた翔が首元を抑えて蹲り出す。その様子を見て、彼は乱れた息を整えながら翔に向き合う。
「お、お前は……」
蹲っていた翔が顔を上げそう言った。そのボロボロになった翔の顔を見て、彼は笑って言った。
「……久しぶり、だな。
元気にしてたか? 親友」
そうして『松つん』は屈託なく笑った。
かくして基地の一角において、その二人の談話が始まったのだった。
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