BLIZZARD!

青色魚

第二章36『終焉』

「カケル! おい、カケル!?」

 突然障害物もないのに転んだかと思いきや、今度は呆然とし始めたその青年に向かって、元二は必死にそう叫ぶ。しかしその声は当の本人カケルには届かない。彼は今、正に自己嫌悪の渦のさなかにいたのだから。

「……ったく! どうしちまったんだよ、カケル……!」

 その眉間にしわを寄せて、その声に苛立ちの色を隠さずに元二はそう悪態を吐く。が、その頭は未だ冷静であった。その状況を瞬時に判断し、元二はその背負いかけていたヒロの身体を力強く背負い直し、一歩、また一歩と『新種』から距離を取り始めた。

「ちょ、隊長!? 一人でヒロを運ぶんですか!?」

 その様子を見たベイリーは思わずそう叫ぶ。その言葉に、背負った仲間の重さに険しい顔になりながらも元二は答えた。

「仕方ねぇだろ……! 現状カケルは言うこと聞かねぇし、お前だって一人でランを背負うので手一杯だろ!?」

「うぐっ……!」

 その元二の言葉に、ベイリーは思わず口をつぐむ。普段鍛えているだけあって筋力はあるベイリーだが、いかんせんその小さな身体では長身のランバートを一人で背負うので手一杯であったのだ。図星をつかれたベイリーは思わずそう唸り、黙り込んだ。

「……今の状況で『最善』の行動がこれだ。キツかろうがなんだろうが、やるしかないんだよ」

 黙り込んだベイリーにそう言い放って、元二はまた基地へと向かい始めた。その後に少し続いてから、ベイリーは後ろを振り返って呟く。

「……カケル、一体何を考えてんだ……?」

 そうして残った遠征隊のメンバーが戦場を離れようとしていたその時、翔の頭にも、少しずつ変化が生まれていたのだった。


 ********************


 ちらちらと雪が舞い散る雪原の中、翔の脚は未だ『鎖』に囚われていた。ただ一つ先ほどと違うことは、その『鎖』の正体を知ったことで、同時に自分の情けなさも知ってしまったということであった。

「……俺、かっこ悪いな」

 再度そう呟いた翔は視界がだんだんと暗くなっていくことに気付いた。寝不足でまぶたが落ちてきているのではない。それは翔の心を覆い始めている、ある黒い感情の余波のようなものであった。

 ──俺は、一体、俺は……。

 その黒い感情によって、翔は途端に自らの身体が重くなっていくのを感じていた。視界が暗がり、身体は重くなり、そして気分は最悪である。その鬱蒼な状況の中、翔は自らが貼り固めていた『冰崎翔』としてのメッキが、少しずつ剥がれていくのを感じていた。

 ──俺は一体何をすればいい。何も出来ない。何もする気がない。何かをする気力が、無い。

 途端に囚われたその悲観的ネガティブなイメージに、翔は俯いてその視線を下げる。そこにはただただ白い雪のキャンパスと、その上に力なく立つ翔の足があるだけであった。

 遠征出発前、まるで最強の装備のように思えていた翔の履く雪兎シュネーハーゼも、今となってはその輝きを失っていた。翔の並々ならぬ反射神経と運動神経、その両方だからこそ可能とするその高速移動でさえも、『新種』の獣には見破られてしまったのだ。キラ騒動以来翔は雪兎シュネーハーゼの存在もあって機動力スピードについては唯一の絶対的な自信を持っていたが故に、その動きを『新種』に読まれたという事実はあまりに手痛く翔の心に突き刺さった。

 ──こんなんじゃ、本当に俺がいる意味なんて……っ!

 翔は自らへの失望に、その場に倒れ込みそうになる。が、翔のその予測に反し、その体勢は何とか倒れる前に整えられた。翔を倒れさせなかったのは、翔を未だ立たせたのは、翔をそこに縛り付けるその『鎖』に他ならなかった。

 ──っ! なんで……!

 もう全てを投げ出そうとした翔の身を支えたその『鎖』に、翔は苛立ちと共に驚きを覚える。

 ──もう俺は英雄ヒーローでも何でもない。こんなところにいても、俺は何も出来ないってのに……!

 そう思案する翔の頭に、ふとした考えがよぎる。

「……まさか、まだ俺にもやるべき事がある、って言うのか?」

 翔はその『鎖』にそう問いかける。翔が先程気が付いたように、『鎖』は周囲がかけた翔への『期待』である。その『鎖』が翔をその雪原に縛り付けているのだとしたら、その『鎖』が示唆することは翔にもまだ何かをする『期待』がかけられていること、つまり翔にもまだ何かその状況を改善することができるというように思えた。

「……でも、ビー先輩に加勢しようったって……」

 翔は唇を噛み締めながら、その遠く離れた戦場を見る。

『鎖』が翔をその場に縛り付けたとはいえ、それまでの間翔が『新種』から距離を取らんと後退していたことは事実であった。その分翔と『新種』には今や相当の距離があり、加えて今も『新種』と戦うフレボーグが、翔達生き残りの方に『新種』を寄せ付けないように戦っていたこともその距離の理由の一つであった。直接攻撃を仕掛けるのはもちろん、何かを投げるにも距離が離れすぎている。

 ──こんな状況で、何をさせようってんだ……。

 翔は自らをその場に締め付けるその『鎖』を呪いながらそう険しい表情になる。他でもないその『鎖』が、翔が『新種』へ接近するのを妨げているのも事実であった。つまり『鎖』が指し示すのは、それほど距離が空いた状況でも出来る『何か』ということとなる。

 ──けど、そんなのない……。『新種』を撹乱しようったって動けない今何も出来ないし、『時間転送』を使おうにもあんなに遠くの『新種』には触れられな……。

 そこまで思考を巡らせてから、翔は気付いた。自らが知らず知らずのうちに囚われていた、その前提条件に。

 ──もし、『時間転送あの技』を相手に触れずに・・・・使えたら。

 それはあまりに突飛な発想であった。触れた相手を未来に送るその技でさえ常識外れであるのだ。それを対象に触れるという発動条件トリガーなしに行使するなど、机上の空論もいいところであった。

「……けど、もし出来たら・・・・?」

 翔はその考えが現実的ではないことに気付きつつも、その考えを切り捨てることが出来なかった。先程『新種』は翔の『時間転送』を読み、その発動を未然に防いだ。それはつまり、あの『新種』相手には『時間転送』を発動させようにも、その『新種』の警戒により触れることが出来ないということだ。しかし、もし相手に触れることなく相手を未来送り出来たとすれば。

「……あの『新種』だって、流石にこんなに遠くにいる俺の動向には気付けない。今度こそ確実に、『新種』を撃退できる」

 それは翔に残された最後の名誉挽回のチャンスにして、その状況を打破する唯一の手段に違いなかった。『新種』のみを未来送りできたとしたら御の字であるし、万一その『新種』の脇にいるフレボーグを巻き込んで・・・・・しまっても問題はなかった。

 何故ならば、翔の力によって未来に向かっている最中、翔以外の生物の意識は録画ビデオの一時停止のように止まっているからだ。つまり翔がフレボーグと『新種』を一緒に未来に送ったところで、それはフレボーグを危険な獣と二人きりに閉じ込めるという訳ではなく、むしろその戦局を留めたままその勝負の決着を先送りすることに他ならない。むしろフレボーグが手負いであることを考えると、フレボーグ諸共『新種』を未来に送ることで、翔達が基地に帰りここに戻ってくるまでの間、その傷を悪化させる時間をも無くすことができる。

「……って言っても、そんなの理想論でしかない」

 翔はそこまで考えを巡らせてから、ふと冷静になった頭で改めてその作戦を考える。冷えた頭で考え直すと、その作戦はあまりに不確定な要素ばかりで構成されていた。まず翔が相手に触れることなく相手を未来に送ることができるのか。次にそれが果たして出来たとして、うまく『新種』とフレボーグの両方を巻き込んで未来に送ることが出来るのか。その二点を考慮すると、その作戦は考案者である翔にもあまり現実的とは思えなかった。だが……

「……それでも、お前はまだ俺を縛り付けるんだな」

 その『鎖』は、まるで翔にその作戦を決行させようとしているかのように、その縛り付ける力を弱めることは無かった。

 翔は改めて遠く離れたその戦場を見てから、振り返りまだ近くにいる元二達の方を見る。

 ──こんな作戦、成功しないかもしれない。諦めて基地に帰るなら、まだ間に合う。

 基地に向かい始めた元二達も、まだ翔から十メートルも離れてはいない。雪兎シュネーハーゼならば一歩で追いつける距離であろう。つまり翔がその作戦を諦めるのならば、今ならばまだ、基地へと帰り始めた元二達生き残りとも合流することが出来る。

 だが、翔の頭にはもう、何もせず基地に帰るという選択肢は残されていなかった

 ──これが一発逆転の大博打であることには違いない。けど成功したら戦局がひっくり返るのは事実だ。それに……

 そう考えながら、翔は遠く離れた『新種』に向かって手を伸ばし、そこに意識を集中させる。

「……俺が、英雄ヒーローであるためには、ここで名誉挽回リベンジするしか、ない!」

 そう叫びながら、翔はその伸ばした手に力を集中し始めた。

 そしてそれと同時に、時空が歪むような轟音と共に、その悪夢の終焉が始まったのだった。


 ********************


 翔がその力を使い始めたと同時に、その雪原の様子は一変した。木々はざわめき、空からは一切の光が途絶え、地響きとともに何か重苦しい『気』がその場に流れ始めたのだ。

「……っ! おいおい、今度はなんだ!?」

 その世界の豹変の様子は、翔が今何をしようとしているかを知らない元二も感づくほどのものであった。その異変の中心である翔から遠く離れたところにいた『新種』でさえも、その異変には瞬時に気付き、そしてその世界の変化を警戒していた。

「……う……お! なん……っだ、これ!」

 しかしその異変を最も迅速に、そして強く感じていたのは、その『異変』の中心である翔に他ならなかった。翔はその世界の異質な様子にも身震いをしていたが、何よりもその恐怖を駆り立てていたのは、翔自身の身体の様子であった。

 ──身体が、熱い……ようで、冷たい……。『何か』、俺の身体に収まりきらない『何か』が、俺の中から出ていこうとしてるみたいだ。

 翔の身体のその『異変』は、かつて時間跳躍をした時には現れることのなかったものであった。その未知の感覚に翔はこの上ない悪い予感を覚えながらも、翔は必死にその足で雪原に立ち、今にも倒れそうな程の悪寒に踏ん張って呟いた。

「……『新種』とビー先輩を触れずに・・・・未来送りにする。この作戦が成功するか、失敗するかは分からねえが……」

 翔は今にもはち切れそうになっている自らの身体を見ながら、笑って呟いた。

「……どっちにしろ、相当ヤバい・・・ことになるのは間違いねえな」

 翔がその技を使おうとしたその時から始まったのだった世界の『異変』は、あまりにも不気味で、そして不可逆性を孕んでいた。翔の作戦が成功するにしろ失敗するにしろ、この世界と翔の身体が、技の前の状態に元通りになるなどということはありえないと思うほどであった。

 そしてその『異変』の余波は、翔からさらに遠く離れた基地にも届いていたのだった。


 ********************


「……皆さん、落ち着いて! お子様や老人はなにかに捕まってください!」

 フィルヒナーのその叫びに応じて、基地の人間はあちらこちらのものに掴まる。基地は突然のその地響きに騒然としていた。それでも基地のリーダーたるフィルヒナーは冷静に頭を働かせ、その状況の打破に頭を回していた。

 ──これは地震……? いや、それにしては様子がおかしい。だが、この天変地異でも起こりそうな異様な地響きは……。

 そう思案するフィルヒナーだが、いかんせんその時の遠征隊の状況を知ることが出来ないその基地からは、その『異変』の正体には気付くことができなかったのだった。その事に気付いたフィルヒナーは悔しそうに唇を噛み締めながら、今も遠く離れた場所で戦っているであろう自らの恋人に思いを馳せた。

「……無事で、いてください。ゲンジ……」

 そうして騒々しくなっていた基地の中心部とは裏腹に、天才少女アンリとフィーリニのいるその病室は、ただ一人が喚き叫ぶ声しか響いてはいなかった。

「うっほー! 何でしょう、この轟音おと! まさか『新種』の獣の仕業ですかねー!?」

 その未知の事態に、好奇心の塊たるアンリは胸を踊らせているようであった。一方、その具合故に未だベッドに横たわっていたフィーリニは、不安そうな顔で遠くを見つめるばかりであった。

「…………」

 その目が見据えているのは、今も遠くで奮闘している相棒カケルに他ならなかった。その目は翔達遠征隊のことを心配していることには違いなかったが、その心の内は、フィルヒナーなど他の基地の人間とは少し違ったものであった。その憂慮に満ち溢れた顔で、少女はか細い声でこう呟いた・・・

「……カケル」

 しかしその少女の発した言葉は、大騒ぎするアンリの声に遮られ、誰の耳にも届くことは無かったのだった。

 そうして渦巻く世界の異変の中、翔はただ一人、その意識を集中させていた。

 ──感覚イメージはきっと、『時間転送』の時とそう変わりない。それを、遠く離れた相手に対してする感覚で……!

 そうして翔が『新種』を飛ばそうとした瞬間、その身体の奥の方から、膨大なエネルギーが湧き上がる。

「う……お……っ」

 その大きな力に戸惑いつつも、翔は遠方の『新種』を見据え、そして呟いた。

「……これで、終わりだ」

 そしてその後、その顔に勝ち誇ったような笑みを浮かべて翔は叫んだ。

「……じゃあな『新種』、また会う機会があったら会おうぜ!

遠隔リモート……時間転送』!!!」

 その叫びと同時に突き出した翔の手から、膨大な量のエネルギーが放出された。そしてそのエネルギーがその場を覆ってからしばらくして、その暗雲のように立ち込めていた不気味な雰囲気がなくなった時、その雪原にはただ静寂のみが残されたのだった。

 そうしてその、史上最悪の遠征は幕を閉じた。しかしその遠征における最大の失敗・・に翔が気付くのは、それから少し後のことであった。

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