BLIZZARD!

青色魚

第二章20『転送』

 翔の意識がその謎の空間から現実世界に回帰するのは、まるで眠りから覚めるようにぼんやりとしたものであった。徐々に翔の視界の黒は白へと変わり、そして少ししてから、その背中は熱を帯び始めた。

「──! あっ……!」

 その熱が決してこの猛吹雪の世界に与えられた祝福などではなく、ただナイフにより与えられた刺し傷によるものであることに翔が気付くまでそう長くかからなかった。たまらず翔は後退してそのナイフを突き刺した男達から距離を取り、ひとまず呼吸を整える。

「はぁ……、はぁ……」

 その場で何が起こったのかは翔は既に理解していた。男達はただ、『時間跳躍』により飛ばされた時間の存在に気付いていないだけなのだ。つまり今振り下ろされたナイフは『時間跳躍』前に振り下ろし始めていたものだということだ。翔の『時間跳躍』に巻き込まれたものは、あの謎の空間で意識がない限り、『時間跳躍』前と変わらない行動をする。

 ──つまりは録画ビデオ一時停止ポーズみたいなもんか。

 男達は『時間跳躍』により時間を超えたが、男達の意識はその超えた部分の時間において存在しない。その意識は『時間跳躍』を使った時に一時停止ポーズされ、現実に回帰した今再生プレイバックしたようなものなのだ。事実男達は今自らが時間を超えたなどということにはまったく気付いていないようであった。

「……よし、じゃあまぁ、及第点だ」

 翔は背中に突き刺されたそのナイフの痛みに耐えながらそう考える。その痛みは翔の思考や集中力を阻害し、その傷跡から流れる血の量は決して無視できるものではなかった。しかし、それでも、翔の目論見は成功していたのだった。

「……これでフィル達が基地に帰れたはずだ。そして今にでも隊長達が助けに来て……」

 そう、翔の本来の目的は時間稼ぎであった。『時間跳躍』により敵を排除してから、フィーリニとキラを基地に向かわせる。その作戦は、翔が『時間跳躍』で敵を巻き込むことに成功した今、上手くいったのだと翔には思われた。

 翔の視界に、その桃色ピンクの防寒具と栗色の髪の毛が映るまでの話であったが。

「……は?」

 翔が驚愕するのと同時に、その男達も背後のフィーリニと、その後ろに隠れる標的キラの存在に気付いたようだった。

「おいフィル! なんで……」

 なんでまだ・・・・・ここにいる・・・・・、そう言おうとした翔の言葉が、銃声によって阻まれる。

「──! ァ──!」

 声にならない叫びが雪原に響く。銃弾はフィーリニの脇腹を貫通していた。その痛みに耐えきれずフィーリニが叫ぶ。その様子を見ながらも、翔は必死に思考を整理させる。

 ──なんでだよ……! なんでフィルが、まだここにいるんだ!

 それは翔にとって完全に想定外の事態であった。翔が囮となり、『時間跳躍』で時間を稼ぐその作戦はフィーリニにはしっかりと話してあったのだ。フィーリニは喋ることは出来ないが、人語を理解出来るということは翔は知っていた。ならば翔のその作戦に従って、彼女はキラを基地へ送り届けてくれていたと、翔はそう期待していたというのに。

 ──いや、まだ間に合うかもしれない!

「フィル! 俺のことはいいから早く……」

 しかしその翔の言葉も、またもや銃弾によって遮られる。

 バン! バン! バァン!

 男達の無慈悲な弾丸により、フィーリニの身体はどんどん血にまみれていく。その凄惨な様子を見て、翔は半ば平静を失いながらも思考を超速化する。

 ──どうする! もう一回『時間跳躍跳ぶ』か!? いや、今度もフィルが基地へ向かってくれなかったらその場合一巻の終わりだ……! けど『時間跳躍』以外にコイツらを封殺する方法があるのか……!?

 翔はそう苦悶しながら目の前の男達を見る。仮にも彼らは軍人である。徒手空拳の状態で翔が勝てる相手ではない。加えて日本語ことばの通じない相手であるため虚言ハッタリも通じない。つまりは翔の得意な心理戦にも持ち込めないのだ。

 ──ダメだ、倒すのも騙すのも現実的に思えねぇ。やっぱり『時間跳躍』に頼るしか……

 しかしそうなると最初の問題に帰結することとなる。『時間跳躍』で再び敵を連れて未来に飛んだところで、フィーリニがキラを基地へ連れていってくれるか定かではないのだ。

 ──クソ、堂々巡りじゃねぇか! 何か突破口は……!

 しかし翔にはそのフィーリニに恨みつらみを履いている暇もなかったのだ。こうして翔が思考を巡らせている間にもフィーリニの身体には凶弾により痛々しい傷跡が増えていっているのだ。翔には相棒フィーリニを罵る暇はない。彼女には何か基地を目指そうとしない理由があるのだと、信じるしかないのだ。

 ──だったら何かないのか……! 考えろよ! 俺しかいないんだよ! 守るんだろ、キラを!

 その場には尚も残酷な銃声が響くだけだった。

 ──絶対に死なせない、そう約束したんだろ!

 男達はフィーリニがほぼ力尽きたのを見て、標的をいよいよ本命キラに向けたようだった。その自由を奪うため、キラの足を狙った拳銃が、再び火を吹かんとする。

 その時、翔は自らの頭の中で、何かが芽生えつつあることを感じていた。

 ──……やるんだよ、俺が……!

 そしてその『何か』は、あっという間に大きくなっていき、翔を覆い始める。翔はその芽生えた不気味な力に身震いしていた。明らかにそれは、人智を超えた何かであることは翔にも感じられた。

 それを使えば、いよいよ翔は人間ではなくなってしまうのかもしれない。しかし、それでも。翔は叫んだ。

 ──決めたんだろ、『英雄ヒーロー』で、居続けるって!

「ああああ!」

 叫びとともに翔は男達の一人に正拳突きを当てる。そしてその、芽生えつつある『何か』を、使った。

 その瞬間・・・・その男は・・・・忽然と雪原から・・・・・・・姿を消した・・・・・

「──!?」

 残る二人の敵は驚いているようだった。突然消失した仲間に、そしてその消失を起こしたであろうその青年を見て、慌てて彼らはその拳銃を引き戻す。

 が、それは既に遅かった。その『力』を使った瞬間、それが何であるかを瞬時に理解した翔は、残りの敵に向かって走り出していた。

「うおおおおぉ!」

 叫びと共に、まだ拳銃を構え終えていなかった一人にまた拳を突き出す。それが敵に当たった瞬間、またその敵は世界から消失した。

「──!」

 その一連の出来事から、最後に残った敵は完全に翔を警戒してその拳銃を構える。しかしそれにも臆することなく、翔は低い姿勢で突進を続けた。

 男はたまらずその引き金を引くが、弾は翔の身体をかすめるだけであった。再度発砲するよりも前に、翔の拳が最後の一人にも当たり、いよいよその場から三人の敵が消失した。

「……カケル、兄ちゃん……?」

 その様子を見ていたキラが、その顔に驚愕を浮かべながらそう呟く。その様子に少し気まずい顔をしながらも、翔はそこに駆け寄る。

「……フィル、もうちょっと我慢してくれ。キラ、ちょっと掴まってくれるか」

 流れ出た血でぬるりとしたフィルの身体を抱き寄せながら、翔はそう指示をする。しかしなおも状況ができないキラが、たまらずその疑問を口にする。

「あのっ……! カケルさ……兄ちゃん! さっきのって……」

 そのキラの言葉に、自らも苦笑いしながら翔は答える。

「……ああ。どうやら『飛ばした』らしい」

 その答えにキラは目を大きく開いて答える。

「……『飛ばした』って、それじゃまさか……!?」

「あぁ。俺が『時間跳躍』であいつらを巻き込むんじゃなくて、俺があいつらを『時間跳躍』させたんだ。名付けるなら、『時間転送』ってとこかな」

 その翔の言葉に、キラは驚きを隠せなかった。『時間跳躍』自体未知の力であり並外れたものであったというのに、『相手のみを未来に送る』などという力はそれを凌駕するもののように思えたからだった。

「……なんか、いよいよ超能力チートじみてきましたね」

 そのキラの言葉に、険しい顔をしながら翔は答える。

「いんや、残念ながらそう都合のいいもんじゃないらしい。三人『送った』だけなのに疲れが酷いのと……」

 そして翔は、その男達が『消えた』場所を見て言う。

「……そんなに長く飛ばせて・・・・ない。多分、もうあと五秒くらいで帰ってきちまう」

 その翔の言葉に、事態の緊急性を悟ったキラは翔にしがみつく。その首に絡みついたキラの細い腕をしっかりと感じてから、翔は目の前に立つ基地を見る。

 その距離はもう数メートル程になっていた。駆ければすぐに着くことの出来るほどの距離だ。しかし背後にはもうあと数秒で『時間跳躍』から帰還する敵の存在がいる。ならば、と翔は両足に万力の力をかけて叫ぶ。

「……ってくれよ、俺の身体からだ……!」

 そうして翔は叫び、爆ぜた。

「……シュネェェェェハーゼェェェェ!」

 翔の最後のその叫びと共に、その身体が最後の大跳躍をした。

 目的の基地まで、あと一歩。

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