BLIZZARD!

青色魚

第二章10『なんちゃってヒーローと悲劇のヒロイン』

 パラパラとやかましい音が雪原に響いていた。その音は翔はかつて嫌という程聞いた音、そしてもう二度と聞きたくはなかった音であった。

「……またヘリコプターあんなもの使ってくるなんて、馬鹿の一つ覚えみたいだな」

 翔はそう言うが、内心焦っていた。以前は何とか幸運と勇気と『時間跳躍』によって脱することができたが、今度はそう上手くいくとは思えない。加えて、今回は彼らの標的は翔一人ではない。

「……キラくん、俺から離れるな」

 雪原に一人佇むキラに、翔はそう呼び掛ける。キラが翔同様ガスの効かない特異体質であるということは、翔同様キラも彼らの標的になり得るということを表していた。

 しかしその少年は翔に向かってこようとはしなかった。代わりに静かに翔の方を見て、キラは言い放った。

「……逃げてください」

「……は?」

 そのキラの言葉に思わず翔が疑問を呈する。その時、翔の耳に一つの通信が入る。

「カケルさん! この声が聞こえますか!?」

「この声……アンリ?」

 突然マスクから聞こえてきたその声に、翔は応答する。その切羽詰まったアンリの声色にこの状況が相当にまずいものだと翔は悟り、その通信を待つ。

「そこに例の子供はいますか!? いたとしたら早く距離をとってください! その子は危険です!」

「……その通信、もう少し早く欲しかったよ」

 アンリの忠告虚しく、もう状況は最悪の一途をたどっていた。翔とキラは二人仲良く敵に囲まれ、今にもその身を彼らに攫われてもおかしくない状況にいるのだ。するとアンリはその翔の言葉からすべてを悟ったのか、続けて通信する。

「……カケルさん、その子を捨てて今すぐその場から逃げてください」

「……は? アンリ、今なんて言った?」

 そのアンリの非情とも思える一言に、翔は思わず聞き返す。しかしアンリは声を荒らげて言った。

「だから、早くその子を捨てて逃げてって言ってるんですよ! その子はカケルさんを売ろうとしているかもしれません。そうじゃなかったとしても、一緒にいたら攫われる可能性があります。だから、早く!」

 そのアンリの通信に、翔は呆然としてキラの方を見る。しかしキラはやはり平然とした様子で、再三その言葉を言った。

「……逃げてください」

 そのキラの言葉はつまり、自分を置いてここから逃げろ、ということを表していた。奇しくもその判断がアンリと同じものであったことに翔はどこか苛立ちながら、再びアンリに通信する。

「……アンリ、隊長達は? ここに助けに来れないのか?」

「……基地の前も既に包囲されてるんです。もちろん彼らはあくまで外国人そとのひと。大手を振って基地を攻め込む、なんてことはできないでしょうが、それでも増援には行けそうにありません」

 翔とキラを攫おうとしている勢力はあくまで、『氷の女王』襲来による自国の利益タナボタを狙うこの国の外の人間であった。

 例えば世界が猛吹雪に包まれているうちに時刻の領土を拡大することができればその吹雪がやんだ時他国よりも優位に立つことができる。外のガスに耐性のあるものを誘拐し研究することができたならば、その体質をどれほどのことに利用できるかは言うまでもない。地球が誕生してから四十六億年、その中で未曾有の大災害の中でも、人間はあくまで人間であった。

 彼らがそもそもこの国にいるということはルール違反一歩手前の行為であった。しかし、領土侵犯それくらいならばどうとでもなる。勿論元二達この国の者達に手を出せばまた事情は違ってくるが、ただ元二達を威圧しその場にとどまらせるだけならば国際問題ルール違反にならないと踏んでいるのだろう。

「……ひとまず、そういうわけで今すぐそこから逃げてください。増援たすけも送れませんし、いくらカケルさんでも多勢に無勢は無理です」

 アンリはそう翔を説得する。その言葉に翔は改めて周りを見渡す。

 ──四方八方に、多分あいつと同等かそれ以上の強さの奴ら。加えて前と違ってほぼ救援助けは見込めない。確かに、逃げるのが得策だろうな。

 翔は頭ではそう理解していた。しかし、翔の中で何かが不完全燃焼していた。翔はどこか何かを諦めたような表情のキラに呼び掛ける。

「……なぁ、ひとつ聞いていいか?」

 その言葉にキラは顔を少しだけこちらに向ける。翔は続けた。

「さっき『逃げろ』って言ってたよな。それに最初から基地から離れようとしてたような素振り。もしかしてお前、自分が狙われてること知ってたのか?」

 その翔の言葉に、キラは小さく頷く。

「……だったら、なんでわざわざ外になんか出たんだ? 基地あそこにいたら安全だったろ? なのに……」

「……たくないから」

 その疑問に、キラは小さな声で答える。

「……あなた達に、迷惑をかけたくないから」

 その言葉に翔ははっと目を見開く。その時になって初めて、翔は自分の中で不完全燃焼していたその感情の正体を知った。

「僕があのままあそこにいたら、もしかしたらあそこに誰かが攻め込んでくるかもしれません。だからなるべく距離を取ったんですけど、あなたまで付いてきてしまうとは予想外でした」

 キラは淡々とそう話していく。そこにはこれから誰かに攫われるという恐怖も、ここには助けが来ないという落胆も、その理不尽な運命に対する怒りも、何の感情も見て取れなかった。ただ冷静に状況を察し、分析し、そして無感情に判断する。そうして少年は続けた。

「僕がうまく彼らを引きつければ、きっとあなたは逃げられます。短い付き合いでしたが、どうもありがとうございました。それでは、早く逃げてください」

 少年はそうも、あくまで冷静に礼儀正しく、翔にそう言った。その判断はあくまで冷静なもので、そして翔にとっては理想的なもので、翔は自分がその提案を受けた方がいいということは重々分かっていた。

 しかし、だからこそ、翔はその少年に苛立って・・・・いた。

「……うるせぇな」

「はい?」

 呟いた翔のその言葉を、思わずキラは聞き返す。しかし、翔の怒りはもう収まらなかった。

「なんだそれ。お前、自分が英雄ヒーローにでもなったつもりかよ」

 その翔の口調にあるのは紛れもない怒りだった。その翔の言葉に目を丸くするキラに、翔は続ける。

「それとも悲劇の女優ヒロインか? 『僕が敵を引きつけてあなたを逃がす』だなんて、バッカじゃねぇの?」

 そのキラを嘲笑うような翔の言葉に、流石にキラの堪忍袋の緒も切れる。

「……別に、僕はただあなた達を助けようと思って……」

「それがバカだって言ってんだよ。なんで俺らがお前に助けられなきゃいけねぇんだ。生憎お前みたいなガキ一人に守られるような甲斐性のないやつじゃねぇよ、俺も、遠征隊あの人たちも!」

 翔の怒りは収まらない。これほど小さな子供に自分が守られるべき対象と見られたこともその苛立ちを助長していたが、しかしそれよりも、翔には根源的な少年への怒りがあった。

「……つーか、さっきの言葉本心じゃねぇだろ。自分を犠牲にして最近あったばかりの俺らを助ける? 実際は周りのことなんか何も考えずに逃げ出したくてたまらないんだろ」

 その翔の言葉にキラは思わず息を呑む。

「もしあれが本心から出た言葉ならお前はその年で人間出来すぎだし、周りの子と気遣うほどしっかりしてるなら俺もお前のことなんか見捨てるに決まってる。けど、お前は本当は、誰かに助けて欲しいんだろ?」

 その翔の言葉に、キラは黙り込む。

「……なぁ、俺らまだ十年やそこらしか人生ってやつを経験してない子供ガキだろ? だったらそんな立派な事言わなくていいじゃねぇか。ただワガママに、誰かに助けを求めてもいいんじゃねぇのか?」

 少なくとも翔はそうであった。真に誘拐されそうになったあの時も、初めてマンモスを倒したあの時も、ずっと翔は誰かに助けを求めて、誰かに助けられて生きてきた。だから、そのキラのあまりにも立派な言葉に苛立った。

 ──俺と一緒の存在のお前が、そんなに簡単に助かることを諦めるなよ。

 目の前の特異体質の子供がそんなにも簡単に生きることを諦めてしまったら、翔はこれから何を頼りにして生きていけばいいのか。それに翔と同じ特異体質の小さな子供が、あんな立派な言葉を本心から言えるのだとしたら、それはそれで翔は劣等感に苛まれることになる。

「……だからさ。こんなありふれた言葉がお前に響くかは分からないけどさ、諦めるなよ。ただ一言、『助けて』って言うだけで、俺らはお前に手を貸すぜ」

 そう言い翔はキラに手を差し伸べる。その手を振り払い、キラは激昴する。

「……そっちこそ、何様のつもりなんだよ! そんなかっこいい、見栄えのいい言葉ばっか並べて。お前の方こそ、英雄ヒーローにでもなったつもりかよ!」

 先程までの丁寧な言葉遣いが崩れたあたり、キラの本心がその言葉に垣間見えていることが察せられた。だから翔は、その言葉に少し躊躇しながらも、きっぱりと答えた。

 ──あぁ、こうして俺はまた英雄ヒーローの皮をかぶった詭弁家ソフィストで居続けるしかねぇのかな。

 翔は断じてヒーローなどという人間ではない。むしろその助けを待つ側の人間だ。先程まで口走っていた言葉も、ただ怒りに任せて口から出ただけの戯言であり、その言葉通りカッコよく目の前の少年を助けるほどの力は翔にはない。

 しかし『時間跳躍』してからの日々の中で、翔はもう学んでいた。

 英雄ヒーローなんてものはいつまで待っていても助けに来てはくれないのだ。彼らは翔達とは違う人たちを助けるのに忙しい。そんな忙しい中、見ず知らずの翔達を助けてくれるなどという、都合のいい英雄ヒーローは存在しない。

 だったら、なるしかない。フリだけでも、なる覚悟を決めるしかないだろう。

 目の前の少年の前で、英雄ヒーローとして居続ける覚悟を。

「……ああ、そうだよ。
 英雄ヒーローにでも何にでも、なってやんよ!」

 その翔の叫びに、キラはその目を潤ませてから、ようやく覚悟を決めたようだった。

 涙を流しながら、嗚咽を漏らしながら、少年キラは叫んだ。

「……だったら、僕のことを助けてくれよ英雄ヒーロー!」

 そうして泣き喚くキラを抱き締めて翔は言った。

「……勿論だ。今助けてやる」

 そしてそのマスクから基地に通信が繋がっていることを確認してから、翔はアンリに告げる。

「というわけでな。悪いけどお前の忠告守らないで、この子供と一緒に逃げることになった」

「え……? ちょっと、カケルさん!?」

 アンリのその焦った声を聞く暇もなく、翔は辺りを見渡した。

「……まずはこの状況をどうにかしないとな」

 一念発起したところで状況は何も好転しない。今や翔とキラは敵に囲まれているのだ。この包囲を突破できなければ、二人に未来はない。

 と、その時、翔とキラを取り囲む敵のひとりがこちらに駆け出す。向かってくる敵に翔は内心焦りながらも、冷静に思考を始める。

 ──ひとまず『何か』なかったか。この状況から一瞬でも脱せられるような、そんな力が。

 その思考に入ってから、翔が結論を出すまでそう長くはなかった。

 こちらに走ってくるその敵をしっかりと見つめてから、翔はその足に力を加える。

「……確か、ここを踏めばこうなるんだったよな?」

 それは翔にとっては原理もわからない代物であった。しかしそのアンリお手製の靴は、翔の期待通り急加速を始める。その仕組みは分からないが、少なくとも前日の遠征から、翔はその靴のそこを強く踏んづけると、急加速を始めることを知っていた。

「……う、おっ……!」

 しかしその靴の加速は予想以上であった。翔の身体は前方まえへ、上方うえへと急加速し、向かってきたその敵を易易と飛び越えた。

「……さぁ、追いかけっこの始まりだ」

 翔がそう呟くのと同時に、なんちゃって英雄ヒーローと悲劇の女優ヒロインの逃走劇は幕を開けた。

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