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異世界ピアノ工房

平尾正和/ほーち

32 ライザの提案

 ――さっきはありがとうございました! 私、森川って言います。
 ――飛石とびいしって、変わった名字ですね。あ、でも私、名字は普通だけど、名前はちょっと変わってて……。

「ふぁ……!」

 ベッドで身を起こした蔵人くろうどは、大きなあくびをしながら、身体をぐぐっと伸ばした。
 異世界に迷い込んでひと月以上が経ち、心身共に余裕が出たせいか、昔のことを思い出したり、夢に見ることが多くなった。
 懐かしい、とは思うが、不思議と帰りたいとは思わない。
 こちらでの生活が充実していることもあるし、渡人わたりど――異世界からの漂流者――に与えられた加護の影響もあるのだろう。

「ん……んぅ……」

 まだ眠ったまま、身じろぎする女性に目を落とす。
 赤い髪に褐色の肌、整った顔立ちと張りのあるスタイルの持ち主である。
 蔵人が身を寄せる酒場『Venusフィーナス』の女主人ライザは、定休日の朝、惰眠を貪ることに決めたようだ。

 ベッドにライザを残して起き出した蔵人は、自分でコーヒーを淹れ、目が覚めたのを自覚してから調律を始めた。
 今日、ピアノを弾く予定はないが、蔵人にはやっておきたいことがあった。

「そろそろコイツにも慣れておかないとな」

 カバンから、チューニングハンマーとクロマチックチューナー、そして音叉を取り出す。
 チューナーの電池に余裕があるうちに、音叉を使った調律に慣れておこうというわけだ。

「よっ……と」

 音叉で太ももを叩く。
 見た目にも変化はなく、音もほとんど聞こえない音叉の根本を、口に咥える。
 音叉を挟んだ歯からわずかな振動が頭蓋骨に伝わり、耳の奥のほうで440Hzの音が響き始めた。
 その音を聞きながら、基準音となるA4の鍵盤を叩き、チューニングボルトを調整する。
 音叉が放つ音というのは非常に小さく、それを聴くための方法としては、先端を耳に近づける、根本をこめかみや耳の後ろなど、側頭部の耳に近い位置に当てる、そしていま蔵人がやっているように、根本を咥える、という三種が主なものだ。
 どれが正解と言うことはなく、その人にとって一番聴きやすい方法をとればいい。
 蔵人の場合、左手で鍵盤を叩きながら、右手でチューニングハンマーを操るため、両手が空く方法として、口に咥えるようにしていた。
 これは先輩調律師から教わった方法だ。

「よし、次は……」

 自分の感覚で調律があったと判断したあと、チューナーで確認する。

「……ちょっとずれてるな、まだ」

 チューナーの針が、ほんの少し中心からずれていた。
 電池がなくなるまでに、このわずかなずれをなくしておきたい。

「おはよ……」

 目を覚ましたライザが、寝室から降りてきた。
 彼女は蔵人の近くにあるテーブルから、コーヒーカップを回収してバーカウンターに入り、新たにコーヒーを2杯淹れ、テーブルに戻って椅子に座った。
 そしてコーヒーをすすりながら、蔵人の作業を見守った。

「ねぇ、語り部の勇者のところにいかない?」

 調律を済ませた蔵人とともに、朝食をとり、ひと息ついたところで、ライザが不意にそんな提案をしてきた。

「どうしたんだよ、急に」
「うーん、急にってわけでもないんだけど……」

 ライザの答えに、蔵人が首を傾げる。

「その様子じゃ、あんまり自覚はないんだね?」
「なにがだ?」
「クロードって、最近よく勇者のことを聞いてるんだよ?」
「……そうか?」

 言われ思い返してみれば、そうだったような気もする。

「なかでも創成の勇者が気になるのか、あたしだけじゃなくいろんな人に、どんな逸話が残ってるのか聞いてるよね」

 創成の勇者シオン。
 この世界にピアノを始めとする、元の世界の楽器をもたらした人物だ。

「やっぱりロードストーンのピアノを遺した勇者シオンが気になる?」
「……まぁ、な」

 確かに蔵人は、ここのところ勇者シオンのことが気にかかっていた。
 だが、それはピアノを遺したという理由だけではないことを、彼は自覚していた。

「……それだけじゃないって顔してるねぇ」
「む……」

 ライザの鋭い指摘に、蔵人は鼻白む。

「そんなに気になるならさ、本人のことを直接知っている人に会えばいいじゃない」

 語り部の勇者ダイゴ。
 彼はおよそ300年前に終わった魔王戦線から、現在にまで生き残っている、唯一の勇者だった。
 しかも、渡人わたりどが望めば、会って話をしてくれるらしい。

「気にはなるが、そこまででもないしな。それに、店はどうする?」
「フィルとウィードに任せれば大丈夫さ」

 冒険者のウィードは、このところ蔵人と一緒に演奏をし、店を盛り上げることが多くなっていた。
 またウィードは、長命のダークエルフということもあってか、様々な技能を習得しており、バーテンダーとしてもそれなりの能力を有している。
 そのウィードと、料理担当フィルに加えて、数名のアルバイトを雇えば、店の運営に問題はないだろう。

「店を休んでまで、ピアノに関係のないことをするのもなぁ」
「あら、でも道中モントフォリオ男爵領を通るわよ?」
「なんだって!?」

 モントフォリオという名前に、蔵人が食いついた。
 モントフォリオ男爵といえば、異世界産ピアノを生産する、ピアノメーカーを代々営む貴族である。
 ロードストーンを除けば、その人気はこの世界で最も高い。

「もしかして、モントフォリオの工房を見学なんて事は……?」
「できるよ。ピアノ工房の見学は、貴重な観光資源だからね」
「よし、いこう!」

 この世界のピアノに関わる技術を知りたいと思っていた蔵人にとって、さらに勇者の話も聞けるというライザの提案は、まさに一石二鳥だ。
 意気込む蔵人の姿を見るライザは、少し呆れた様子だったが、それでも嬉しそうに笑みをこぼした。

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