ノッキング・オン・スロープドア ~クソ暑い夏の叙事詩~

沖 鴉者

前篇 ある市営プールの異常

前篇 ある市営プールの異常


 夏は暑い。んなこたぁ皆さんご存じな訳で。
 じゃあどうすっかっつぅと水気を欲しがる訳だ。実に素直だな。


 でもこの水ってやつは単純に歓迎されるだけの代物でもない。
 夕方になれば事故のニュースで世を沸かせ、数日後には話題の心霊スポットに昇華する。


 そぉ、水は身近過ぎるが故に色々なものを流してくるのだ。
 上流にお住いの皆さんは是非とも何でもかんでも水に流さないで頂きたい。
 そぉした諸事情と付き合う下流は大変なんだ。
 割と切に、お願い。


 そんな事をボンヤリと考えていると――


「おい、エセ探偵」


 ほら見ろ、早速口のなってないガキが流れて来た。
 出来るだけ倦怠感を表しながら起き上り、声の主を見る。


 ここは良き市民の為の市民プール。
 海なし県且つ環境面では山間部に劣る坂戸の性で、河原なんかよりこの街では断然人気がある。
 そぉは言っても地方自治体の心許ない税収によるものだ、バリエーションは決して多くない。
 競泳用、子供用、直線スライダーに、あと一つ位のものだ。
 そんな少ない選択肢の一つ、流れるプールには今、五人のガキが浮かんでいる。
 個人的にはドラクエ方式にアルファベットでも振ってやりたい所だが、それをするにはどぉもこいつらは個性的過ぎる。
 逆に言えば、だからこうして付き合ってやってる訳だが。
 気のない俺は気のないままに、簡素な返事をやった。


「何だよ眼鏡」


 形容の語彙が乏しい事は認める。
 でも集団の中で日常的に眼鏡をかけている人間が一人しかいない場合、そいつのあだ名はどぉしたって眼鏡になるだろ?
 俺もそれに倣った訳だ。
 すると、先の暴言に懲りもせず、眼鏡は言う。


「お前マジでバカじゃねーか?金払ってプール入場して、実際は入んねーつもりかよ」


 無礼千万極まりない眼鏡の名はシュンスケ、苗字なんざ知らん。
 今はプールとあって外しているが、普段は眼鏡を掛けているこのガキこそが、ストリートキングダム――連中の自称だ、意味なんか知るか――の参謀にして、この糞暑い中に俺を出張らせた張本人だ。


 そして勿論、眼鏡の周りに揺蕩い、冷たい視線を向けて来るその他四人のガキが、残るストリートキングダムのメンバーとなる。
 まぁこっちはおいおい説明していくとしよう。
 とにかく、今はこの糞生意気な眼鏡の参謀、もとい、シュンスケだ。


「あのな、こちとらガチで2時間位しか寝れてねぇんだぞ。そんな中叩き起こされてプールなんか入ってられっか」


 炎天下に二時間睡眠で出て来た非は確かに俺にある。
 だが仕事でそぉなったんだ、仕方がないだろう。
 そりゃ俺だって夕立の気配位させるさ。
 しかし俺のサングラス越し睥睨も、慇懃無礼な小学生には一切効果はなく、
「エンコーかキャバクラだな」とあしらわれてしまった。
 まぁ完全に間違いって訳じゃねぇけど。


「黙れ小ぞ「馬鹿な大人は黙って寝てろ」……」


 俺の渾身のアニパロもアッサリと躱して、シュンスケは仲間を連れて再び流れて行っちまう。世界の宮崎が台無しだ。


「ったく、だからガキは嫌いなんだ」


 そぉぼやかずにはいられない俺の気分、分かってくれるよな?
 周りはキャッキャと五月蠅いが、眠っちまえばこっちのもんだ。
 涼しい風が常に訪れる水辺の利をもって眠りに付こう。
 そんな風に考えを切り替えて横になろうとした、矢先だった――。


「ガフッ!!!!!!!!!!ゲホッッッ!!!!!」と咽た様な男の声がして、
 横たわった俺の顔面に、ビシャッ!!!!!と鉄臭い液塊が降り注いで来た。


 液塊が顔に掛かるまでの僅かな間、サングラス越しに見えたのは、苦悶する男の顔。
 年の頃は10代後半から20代前半と言ったところだろうか。
 次いで絹を裂く様な悲鳴も聞こえたもんだから、事態は明白だ。


「あぁあ、まぁたニュースと心霊スポットが増えたよ」


 俺はサングラスを外し、立ち上がる。
 真っ赤な血で闇に染まっていた空は、途端に鮮やかな青を取り戻した。
 天晴れたる蒼穹は流石夏と言ったところだろう。
 下を向いて確認すると、黒い短髪の男が瞠目と共に痙攣し、且つ血を吐いて倒れていた。
 傍らには名の通ったスポーツ飲料のペットボトルが転がり、ドップドップと中身を吐き出している。
 と、そこまで確認した所で、俺の顔から血が滴った。
 こりゃ顔も洗ってくる必要がありそぉだ。面倒臭ぇ。
 それにしても、いやはや。
 こんないぃ天気の中プールサイドで死ぬとは、物好きな奴もいたもんだ。
 取り敢えず、顔とサングラスを洗って来よう。




 人が死んだ。
 余りに非現実的なその事実を理解するのに、数秒を要した。
 当たり前だ。
 私は葬儀屋でも医者でもない。ただの大学二年生なのだから。
 人が殺された。
 そんな異常事態を呑み込むのには、更に数十分を要した。
 当たり前だ。
 私はただ、ドリンクを渡したに過ぎないのだから。


 だから――だから何?
 それがこの状況をどう好転させてくれるっていうの?


「堀越…恋子さん?少しは落ち着いたかな?辛いだろうけど、事件発生時の状況を聞かせてくれないかな?」


 ここは市民プールの事務所、その一角を間仕切りした即席の取調室だ。
 緊張と恐怖で震えていた私の向かい側に応接机を挟んで座ったのは、線の細さと泣き皺の目立つ男性警官だった。
 規定で定められているのか、提示された警察手帳からは古川基晴という立派な刑事である事が分かった。
 こういった件が初めてなのか、その言動はどこか心許ない。
 一般に平和なこの街ならではと言えばそれまでだが。


「君は亡くなった船串篤之さんとは今日が初対面みたいだけど、何か気付かなかったかい?何かこう……思い詰めた様な感じとか…」


「……ないです」


 自分でも驚くほど、私の声は震えていた。
 一応、一つでも手掛かりが見つかれば、と落ち着いた受け答えの準備をしていたのに、この様だ。
 ん?……ちょっと待って。


「あの、篤之く…船串君は自殺なんかじゃないと思います!」


「まあまあ、堀越さん落ち着いて……」


 ほら、古川さんにご心配をお掛けた。
 声のトーンすら儘ならないなんて…私は本当にあの母親の子なのだろうか…。
 古川刑事の勧めで二度程深呼吸をして、私は改めて船串篤之の自殺説に異を唱えた。


「船串君の自殺はあり得ません。それだけは言えます」


「それは何でかな?」


「私、船串君が……その……血を吐く瞬間まで、彼と今後の話をしていたんです」


「今後?」


「はい」


 私は船串篤之との会話を掻い摘んで話した。
 それは取り留めのない、ごく普通の大学二年生の話題だった。
 単位の修得具合はどうか、この夏の予定は他にあるか、そして、卒業後は就職か進学か。
 果たして自殺をコミットする人間が将来の展望を語るだろうか。


「うーん……」


 古川刑事は、聴き終えるなりそう唸った。
 私は必死に考える。
 何だ?何が彼の中で引っ掛かっているんだ?


「あの…」と、私が言い掛けた時だ。


「おい待て!今は取り調べ中で」


「ギャーギャー言うなよ、俺も取り調べられに来てやったんだから」


 何やら入口の辺りが騒がしい。
 それに何だか後の方の声、どこかで聞いたような……とか考えていると、制止する警官を振り切りドカドカと事務所に侵入する足音がして、そして――


「何だやっぱオメェか古川…あ?何でお前もいんだ?レンコン」


 忙しく言葉を連ねながら、馬鹿でかいサングラスを額に乗せたロン毛男がパーテーションの上に顔を覗かせた。


 呆然とした。
 表から漏れ聞こえた遣り取りから始まり、私を根菜で称し、そして疑うべき品性がそもそも無い様なオメェなんて言葉遣いをするこの男に、覚えがあったからだ。
 具体的に言えば、今朝見た。
 当然無視する。
 私は今、こちらの古川刑事と話しているのだ。
 だが話を本筋に戻そうと向き直ると、件の御仁、様子がおかしい。
 借りてきた猫と言うか、敢えて伝えなかった授業参観に親が来てしまった劣等小学生みたいな挙動だ。
 ん?ちょっと待て、何でこのロン毛、刑事の名前を?


「クイッチャン勘弁してよ、今仕事中なんだからさあ」


 線が細いながら懸命に肩を張っていた先程とは一変して、モジモジと煮え切らない態度の古川刑事がそんな事を言った。
 正直、こちらの方が彼の見た目には合っているが、刑事としての威厳は一気に損なわれた。


「で?俺に血ぃ噴き掛けた馬鹿は何で死んだんだ?」


 パーテーションを越え、顔が蒼褪め出した刑事の隣にどっかりと腰を下ろしたロン毛の名は白田駆色。
 私の家と県道を挟んだ向かい側に建つ元ガソリンスタンドの、その屋上に居を構える探偵だ。
 事務所の立地も怪しければ外見も怪しいこの男は、しかし何故か人を寄せ付け、最近では男子小学生の集団まで連れているらしい。
 ちょっと心配だわ、その小学生達。


 いや、そんな事より。


「血を…噴き掛けられたですって?」


「…?だからそぉだって言ってんだろ」


「アンタ……あの時あの場にいたのね?」


「そぉだよ」


 耳を掘りつつ捜査資料を勝手に広げ、片っ端から目を通しながら駆色は言う。
 空いた手が胸ポケットからソフトパッケージの煙草を取り出した時、私の頭の中が水蒸気に包まれた様に真っ白になった。


「…にしてたのよ」


「…あ?」


「何してたのよアンタ!!!!」


「ちょっ、堀越さん落ち着いて…」


「人が死んだのよ!!!!殺されたの!!!!アンタと私の目の前で血を吐いて!!!!それなのにアンタは!!!!アンタは今まで何してたのよ!!!!」


「落ち着いて!!!!」


「うるせぇな、無い胸張って偉そぉに怒鳴るな」


「クイッチャン!!!!……とにかく落ち着いて、ね?」


 気が付くと、机を飛び越さんばかりの勢いで身を乗り出す私を、足立刑事が止めていた。 またやってしまった、と悔悟する気持ちと、絶対にお前を許さない、と嫌忌する感情が闘犬の様に絡まり合っている。
 上気した顔のまま、それでも私は駆色を睨み続けた。
 この薄汚い探偵は、人の命を冒涜し、人の死を軽佻している。
 今日知り合ったばかりとは言え、それでも船串篤之とは互いの名と顔を覚えた仲だ。
 彼には彼の人生があり、未来設計があった。
 それを目の前で踏み躙られた事に、何の怒りも感じないなんて。


「アンタみたいな屑には分かんないでしょーけど「じゃ訊くけどよ」……何よ」


 迸る怒りにまかせて叱責しようとした私を、突然駆色が遮った。
 顔を上げ、真っ直ぐに私を見返す。
 思いの外強いその眼力に、何故か私は安堵を覚えた。
 しかし――


「何で船串篤之を殺したんだ?お前は」


「え?」


 一瞬、時が止まった様に場が硬直して、私は耳を疑った。
 同時に、どこに引き金があったのか、心の中に冷たい焦りの弾丸が突き刺さった。煮え滾っていた心に不意に刺さったその感情は、急激な温度差で私の思考を破断させて行く。


「ちょっ、ちょっと待ってよ。な、何で私が殺した事になるの?」


 言いたい事が纏まらない。否、言いたい事に致命的な欠陥がある気がしてならない。


 何だ?
 一体どこに端がある?
 駆色は何に噛み付いた?
 何だ?
 何だ?
 何だ?
 私はどこを間違えている?


 全身から噴き出る冷たい汗に、夏が晩期になった様に感じた。
 泳ぐ視線が、頬杖の奥から注がれる怜悧な駆色の視線に捕まる。


「どぉした?船串篤之は殺されたんだろ?物的証拠もなしにそぉ思えたんだろ?
 でもな、だとしたらお前以外の人間が犯人になんのは厳しんだよ。
 お前の連れは船串とお前以外全員流れるプールにいたってなってっし、お前等は異口同音で“ドリンクは駅前のコンビニでプールに向かう時に買った”と証言している。
 そしてそのドリンクをプールまで持って来た人間はお前だ。
 つまり、犯行可能且つ動機を推察し易いポジションにいんのはお前だけなんだよ堀越恋子」


 コンコンと捜査資料をノックしながらも、駆色は視線を外さなかった。
 キツイ言葉で問い詰められた訳でもない。
 冷静且つ淡々と並べられた言葉が、しかし決定的に私の首を絞めて来る。
 答えられなかった。
 何一つ、反論出来なかった。
 足元は覚束ず、眩暈は陽炎に囲まれ、その炎が私の気持ちを焦がして行く。
 自分が置かれている状況を、ここに来て初めて私は理解した。
 今、堀越恋子は目撃者であり重要参考人であり容疑者であると言う、三つの呼名があるのだ。


「あ……ああ……」


 パクパクと口は動くのに、声帯は微塵も意味を成す震え方をしてくれない。
 駄目だ、と頭の中で降伏の言葉が響いた。
 このままでは、どうしたって私の犯した罪になる。
 そんな負い目は私にはないのに。
 だが、仮に逮捕されたとして、私には弁解のしようがない。
 この事件の全てのファクターが示すベクトルは、私を指しているのだから。
 冤罪、責任、賠償、離散、喪失、破滅、消滅、ありとあらゆる社会の枷が私を縛る様子を想像し、意識が遠退いた。
 その時――


「とまぁ、古川辺りはこんな考えなんじゃねぇか?」


 急に不真面目な態度を取り戻した駆色が、不敵な笑みで古川刑事を見た。
 またしても、場の空気は凍り付く。
 ただし、今度低体温症に悩まされるのは、古川刑事の方だ。


「え……くいっちゃん、それってどう言う事?」


 急な展開に着いて行けず、尚且つ図星を突かれて動揺したのか、足立刑事は仰け反りながら返答する。
 そのいっぱいいっぱいな様子に釣られて、私まで冷や汗が出て来た。
 でも駆色の言いたい事が分からないのは私も同じだ。
 ?と頭上に描かれても仕方のない表情で、私と足立刑事は顔を見合わせる。
 にもかかわらず、ヤッパリな、と溜息を吐きながら駆色は再び捜査資料に目を落とした。


「そんな自爆する様な奴ぁ犯人じゃ無ぇって事だよ」


 深く思慮する溜息を吐き、ある一枚の紙を資料の天辺に持って来る。
 何となく彼がどんな資料を見ているのか気になって、私は目を落とした。
 それは、船串篤之が死に至った飲み物である、スポーツ飲料の鑑識結果だった。
 私は専門的な知識を持たない為、詳しい成分分析結果を見ても意味が分からない。
 しかし書類の末尾に記された所見には気掛かりな事が記されていた。
 “今回の分析結果より、スポーツ飲料そのものからは毒素は検出されず、直接的な死因である青酸系毒素はスポーツ飲料以外に混入されていたと思われる。”


「そんな……」


 思わず口を吐いたのは、そんな言葉だった。
 だが、またしても真犯人的なコメントになった気がして、急いで口を紡いだ。
 でも、当の駆色はそんな言葉が聞こえていないかの様に思案を続けている。
「さぁて、どぉすっかねぇ俺」とか、「……あぁでもこれじゃやり方が雑だなぁ…」とか色々言っていた駆色だったが、思い付いた様に携帯電話を取り出し、電話を掛け出した。


「おぉストリートキングダム。依頼だぞ。払う金はねぇからこいつも貸しにしといてくれ。
 あぁ?違ぇよ、今は手持ちが無ぇってだけだ。文句はヱヴァの新台にでも言え。
 あぁ?うっせ、ガキは黙ってろ。あのな……」


 以降はぼそぼそ囁く様に続けられて聞き取る事は出来なかったが、聞いている限りどうでも良さそうな内容なので聞き飛ばす。


「ねー、何か分かったの?」


 よろしくな、と電話を締め括った駆色の背中に訊いてみる。
 大変に不本意な事だが、今、私の命運はこの男に掛かっている。
 駆色は暫く何も言わず、事務所の時計を睨んでいた。


 PM3:45。


 日暮れに加速する夏の日は、それでもまだ明るい。
 一体、駆色は何を気にしているのだろうか。
 それを気にした時、やっと駆色は私の方を向いた。


「おぃレンコン。思い出せる範囲でいぃから事件までの出来事を話せ、殺害方法と犯人は見当ついたんだがタイミングだけが分からねぇ。お前の冤罪だ、お前で証明するチャンス位あってもいぃだろ」


 一体いつそこまで見抜いたのか分からないが、自信気な表情は私の心に確かな希望を与えた。


「今日の出来事ね」


 藁にも縋る思いで、私は頷く。

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