ノッキング・オン・スロープドア ~クソ暑い夏の叙事詩~

沖 鴉者

中篇 うだつの上がらない夏の日の話

中篇 うだつの上がらない夏の日の話


 天気予報曰く、今日は記録的な暑さになるそうだ。
 まー昨日の予報でも一昨日の予報でも言っていた事なので、大して気にしない。
 とにかく、今日も暑くなるらしい。
 その所為かどうかは定かでないが、何と言うか、ここのところうだつが上がらない。


 昨日はゼミの足立先生に夏季課題の助言を貰いに行ったら二時間近くお説教を食らい、帰りに買ったアイスは途中で棒からポトリと落ちた(ついでにクジはしっかりハズレ)。
 極めつけは、作晩不意に届いた中学からの腐れ縁、中堂園真理からの『明日暇?』メールだ。


 真理は何と言うか、少し残念な子で、私達の通ってた中学ではちょっとした伝説を残した卒業生として有名だった。
 今でも卒業式に彼女が放った「ペットボトルロケットに火薬詰めれば本当のロケットっぽくなって最後の思い出になるんじゃね?」発言の末路が中学校のテニスコートにあったりする。真っ黒焦げで。


 顔は可愛いのに致命的な程馬鹿な娘、それが中堂園真理の本質だ。
 特に予定もなかったし、大学に入ってからここ三年は学部の違いからまともに遊べなかった親友と久しぶりに会えるとあって、私は即OKした。
 OKした、のだが……。


「……聞ーてないんですけど」


「ごめんね恋子、ちょっと協力してくれるだけでいいからさ~。ね?お・ね・が・い❤」


 駅前、という形容詞を忠実に現した様な立地のコンビニエンスストアの一角。
 この三年ですっかり垢抜けた真理は、茶髪のボブヘアの下から上目遣いで言う。
 私が御機嫌斜めな理由はたった一つ。
 真理が一人ではなく、御一行、と形容しても差し障りのない人数で遣って来た事だった。
 それでは某副将軍御一行ならぬ中堂園御一行をご紹介。
 

 まずは御手洗絵里子。
 真理と同じ学科の黒いボブヘアの少女だ。
 彼女もまた、少し残念な子だ。
 真理に誘われて何度か学内食堂でのランチに御一緒したが、まさか味噌ラーメンを肩に喰らうとは思わなかった。
 そしてまさか、粗相のお詫びで買ってくれたソフトクリームを、今度は反対側の肩に喰らうとも、思わなかった。


 平らなビニル床で躓く奇跡的足元不審の為か、控えめで口下手な彼女は、積極的に発言しない。


 そして、これは私の類推でしかないが、彼女は恐らく、百合色のご趣味を御持ちの方だ。
 今日の髪型が、その手掛かりとも言える。
 髪色こそ違うが、真理と同じボブヘア。


 一般的な髪型と言えばそれまでだが、普段から片時も真理から離れない彼女を知る私には、それが偶然の一致に見えない。
 服装も裏原系で一緒だし。
 



 さて、二人目。
 御一行の紅一点ならぬ黒一点が船串篤之。
 刈り込んだ黒髪と褐色の肌、二重瞼の整った顔が印象的な一浪同級生だった。
 真理と同じテニスサークルらしい篤之は、しかし一般的なサークル所属の人間とはイメージの異なるスポーツマンらしい雰囲気を持っていた。
 真理曰く、大学からテニスを始めた彼は部活では着いて行けないと感じてサークルを選んだそうだが、持ち前の真面目さであっと言う間に実力トップに躍り出たらしい。
 今では大学間のテニスサークル大会で優勝する程の実力を持つそうだ。
 いいね、内申書に有利そうな内容で。




 そして、最後の一人が七五三砂雪。
 初めて会ったが、ビックリする程の長身美人だ。
 透き通る様な白い肌に、異邦人を思わせる整った顔付き。
 舞台や映画に出ていたと言われたら、その言葉を疑うより先に、私は自分の見識を疑うだろう。って言う形容が決して大袈裟で無いのが、彼女の恐ろしい所だ。
 御一行中唯一の社会人である彼女は、デザイン系の専門学校を出てクラロ・デ・ルナ製薬という無痛注射針の低価格販売で医療機器業界に風雲急を呼んだ企業の広報部にいるそうで、こちらもまた、羨ましい限りだ。




 私達は今、水分補給用のドリンクの買い出しの為、あとついでに、猛暑でレールが歪んで電車と共に遅れた御一行の謝罪の粗品(ハーゲンダッツ♪)購入の為にコンビニに入っていた。
 勿論、何の予定も聞かされずに付き合わせる詫びも、私は真理に請求する。


「まー乗りかかった船だし、このまま付き合うけどさー。その代わり真理、何か奢ってよね」


「は~い善処しま~す」


「当ー然、何を買うかの選択権は私にあるからね」


「え~マ~ジ~で~」


「コンビニ商品なんだから上限なんか多寡が知れてるでしょー、文句言わないの」


「……は~い」


「ん、じゃーハーゲンダッツ宜しく♪」


「え!?二個も食べるの!?……お腹壊すよ?」


「お気遣いなーく♪」


 呆れた顔で高級アイス売場にいる篤之の元に向かって行く真理を見送り、私はドリンク売り場にいる砂雪と絵里子に合流した。


「あら、おかえり恋子ちゃん。交渉成立?」


 そう迎えてくれた砂雪に、私は首肯と共にブイサインを返す。
 初対面の相手に対してもこういう迎え方がサラリと出来る辺りに、社会人らしいスペックの高さが窺える。
 買い物籠には既にスポーツドリンクとミルクティーが入っていた。
 言うまでもなく、砂雪と絵里子の分だろう。
 私はそこに、緑茶のペットボトルを加える。
 甘いものが喉に絡まるであろう事を予想しての選択だった。
 ふと、砂雪がジャスミン茶を加えた。
 不思議に思って顔を上げると、「これが私からの粗品って事で」とウインクをされる。
 その表情が余りに綺麗で見惚れてしまった私だったが、更に絵里子がウーロン茶を入れたもんだから驚いた。


「あれ?絵里ちゃん二本目?」


「え?いや、これは絵里子の分……です」


「あれ?でも、もーミルクティーとスポーツドリンク入ってるけど…」


「あ、それ私と篤之の分なんだ。あいついつもそのスポーツドリンク飲むからさ、前もって入れといたの」


「あー、成程。そーゆー事で」


「…………」


 空かさず入った砂雪のフォローに納得しつつ、何故絵里子が不機嫌な表情でノーリアクションなのかが分からなかった。


「んーっと、じゃーついでに真理の分も入れとこーか、ねえ?絵里ちゃ」「真理はサントリーの烏龍茶以外飲まないです!」


「…え?」


「飲まないです!」


「…はい。そちらでよろしーんじゃないでしょーか」


 静かに振るわれた力説を通されて辟易としている内に、嬉々として烏龍茶を籠に入れる絵里子を呆然と見ていた砂雪と目が合う。


「…行きますか」「…そうだね」と無言で会話し、ドリンクセレクトは完了となった。
 御手洗絵里子、ちょっと不気味で、かなり怖い子。




 いつの間に始まったのか、アイスケース前では篤之と真理の紛争が勃発していた。
 どうやら真理が自分の分まで篤之に買わせようとしたらしい。
 あーもう、あの子は……。
 会計に向かう砂雪を見送った私と絵里子が止めても、それは不毛に続いた。
 だがそれも、砂雪が一喝するとピタリと止んだ。
 流石は大人の女性。


「はいはいそこまで、早く会計しちゃて。私ちょっとトイレ行って来るから」


「あーそれなら私荷物持っときましょーか?」


「助かるわ。じゃあ飲み物だけお願い」


「あ、私も行く~♪って事で篤之はこれ一緒に払っといて~」


「なっ!おい真理テメェふざけんな!!」


「結局全部船串さんに押し付けましたねー」


「ったく信じらんねえ女だな……はあ、じゃあちょっくら行って来るわ。堀越さんすぐ食べるでしょう?」


「勿論♪アイスはヒエヒエに限りますからー」


 トイレに向かう砂雪と真理、それに苦笑いを残してレジに向かう篤之を見送り、私は絵里子に恐る恐る提案する。


「それじゃー……私達は先に出て待ってよーか」


「……うん」


 地肌が冷える程冷房の効いた店内を出ると、オーブンの様な熱気が身体を焼く。
 何となくあの場に絵里子と残される事に耐えられなかったのだが、この熱量には気圧された。


「暑いねー」


「…………」


 絵里子ちゃーん何か喋ってー完全に私の独り言になってるじゃないかー。
 心の中で頭を抱える私を放って、絵里子は余所に気を取られていた。
 何を見ているんだろ?と目を向けると、すぐ横の道で数人の少年と大きなゴールデンレトリバーが一匹、曲がり角の向こうを見ていた。
 少年の内の誰かの飼い犬なのだろうか、リードを付けていない獣は今にも道路に飛び出しそうだ。
 飼い主の姿勢として頂けない。


「ちょーっと危ないね、アレ。感心しないなー」


「…………」


 また独り言になっちゃってるけど、一応頷きはしてくれた絵里子。
 完全に無視されている訳ではないのが分かった所で、私の耳朶を警笛とブレーキ音が打った。
 音源は、先程の小学生達の所だ。


「……げ!」


「……え?」


 咄嗟に絵里子の肩を掴み、背後に回り込んで身を竦ませる。
 突然遮蔽人物にされた絵里子は戸惑っていたが、私は必死も必死だった。
 何故なら――


「おらガキ共、パシリまでしてやったんだから乗る時位さっさと乗れ」


 小年達の前に停まった一台の軽トラックから、一人の男が顔を出す。
 馬鹿でかいサングラスを掛けたロン毛のこの男は、私の家の向かいにある元ガソリンスタンド屋上に事務所を構える探偵、白田駆色。
 お向かい故、顔を合わせる事も多いが、日常を想像出来ない不気味な存在として、私の中ではもっぱらの噂だ。
 アイツとあの小学生達がどういう関係なのかは知らないが、出来れば関わりたくない。


「おっ待たせぇ…って何してんの恋子ちゃん?」


 不意に聞こえた篤之の声に、私の意識は逸らされた。
 視線の先ではコンビニ袋を提げたスポーツマンがポカンと口を開け、首を傾げている。
 見られちゃマズイって程ではないが、篤之の受けた印象が気にならなくもない。
 だが、篤之の反応は私の危惧を杞憂と処す様なものだった。
 サッとゴミ箱の脇に屈んでヘッドセットを抑える様な仕草をし、こちらに一言。


「ターゲットの動向は如何でしょうか?恋子隊員」


「……え?」


「あれ?そういう空気ではない感じ?」


「あー少し…違うかなー」


「うわスベッた~」


 額にピシャリと手を当てて「しまった」と雄弁に語る表情で崩れ落ちる篤之。
 何となく、真理が今日何の目的で私を呼んだのかが分かった気がした。


「恋子さん……あの、そろそろ……」


「あ、ゴメン」


 絵里子に言われて思い出した。
 駆色、アイツまだいる?


「もうあの犬も行っちゃったからさ……ね?真理が来ちゃう」


 あー私犬が駄目って訳ではないんだけど…まーそう映るよね、あの言動では。
 でも絵里子の言葉通り、駆色達は本当に走り去った様だ。
 打って変わって静寂に包まれた曲がり角を見て、逃げ水に出くわした心持ちになる。


「大丈夫?」


 ガサガサとビニール袋からアイスを取り出しつつ、篤之が首を傾げる。
 その姿がどこか少年の様に見えて可愛らしく、気持ちが解れた。


「大丈夫。ただ地元だからちょっと色々あるだけ」


「ああ、そうか……ごめんね何か、探る様な事言って」


「いや別にそこまで深い事情がある訳でもないんだけど……」


「色々あるよね、地元だもんね」


「だからそこまでの事ではないんだってー」


「うんうん、皆まで言わずとも分かってるよ」


「何て素晴らしいスルー」


 誤解を与える言い方をした身で言うのもなんだが、もう少しこっちの話を聞いて欲しい。


「はい、ハーゲンダッツ」


「あーりーがーとー♪」


 あ、もう別に何でもいいや。
 炎天下に於けるアイスの破壊力を前に、私のフラストレーション等塵芥に等しい。


「お待たせ~」


「ごめんなさいね、行きましょうか。あ、恋子ちゃんアイス食べるなら代わりに持つよ」


「ありがとーございまーす」


「あ、でもその前にゴミ捨てさせて」


 真理と砂雪も合流した為、いよいよ私達はプールに向かう事になった。
 口の中に広がる甘味が、私の心を潤して行く。




 そこから先の事は、正直余りよく覚えていない。
 初めて会ったとは言え、愉快な御一行との時間を私なりに楽しんでいたからだ。
 特筆する事と言えば、私のお腹がアイスに痛みつけられた事位だ。
 何故人は楽しい出来事ほど覚えていられないのだろう。
 だがそれを告げた時、駆色が浮かべた表情は渋い物ではなく、満足気な表情だった。


「上々の記憶じゃねぇか。これで角は取れた様なもんだ。あと一手揃えば純白装ってる奴さんを真っ黒い腹に裏っ返してやれるぜ」


 それとなくオセロの例えを放ちながら、駆色は再び携帯電話を叩く。
 いつの間にやら咥えていた煙草を気持ち良さ気に吸い――


「よぉ眼鏡、睨んだ通ぉり駅前のコンビニで間違いねぇ。後はアレに間に合う様にするだけだ。俺等は今から別働隊と合流すっから、見付け次第電話しろ。…………あぁ、そこだ宜しく頼む」


 吐き出す。
 さぁて、と今一度時計を見た駆色。
 その意味が、今の言葉を聞いた私にも理解出来た。
 勿論、犯人の名前も。

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