陽が昇る前に

沖 鴉者

第一部 軋む歯車  第二章 地を踏む重み その2




 爆音と共に扉が吹き飛んで、その陰から一人の男が躍り出た。
『来やがったなー』
 応接用ソファの陰で様子を窺っていたロキ・リブ・アグノバルは、直ぐに反応する。
 自らの好餌物たる沙羅双樹を握り直し、その一方の切先を男に向けた。
「迅雷刺突五番…時雨」
 唱えた直後、短槍の穂先から金色の光が連射される。
 術式詠唱最終節のみを謳い上げる常用魔術誡略法。その一つが、この突きの時雨だった。
 幾撃もの刺突は雨霰と横殴りに男へ襲い掛かる。
『盾引っぺがすぐれーの事は出来たかな?』
 床の木目から埃を舞い上げた連撃に、ロキは状況を推した。


 しかし――


 甲高い金属音と共に、ロキの魔術は全て“戻された”。
『マジかよー勘弁しろよー』
 猫の様に飛び退いたソファが瞬く間に穴あきチーズの様になって行く。
 後に残した左足に衝撃を受け、ロキは瞠目した。
『“返す”術式か?ドア吹っ飛ばしたのは“同類使い”だろーが、コイツは違うな。だとしたらヤツの好餌物は……』
 左ふくらはぎのおびただしい出血に耐え、分析する。
 ロードの言葉を信じるならば、まだ相手は6人いる。
 その内2人でこれでは、ロキの身は確実にもたない。
 それでも――
『ま、何とかすんだろ、アイツなら…』
 ロキは余裕を崩さなかった。
 イリア一の伊達魔術師は不敵に口角を上げ、天を仰ぐ。
 何故なら――


「可視境界線侵犯者に対する絞式本罰術式第三番……絞搾」


 普段の甘ったるい声とは違う、凛とした気骨のあるそれが、支部の空気を震わせる。
 天井を確認していたロキは、梁の一部が揺らぎ出すのを実に愉快な気持ちで眺めていた。
 悪寒の走る光景だった。
 揺らぎの正体たる一本のロープは、よく見れば細いロープの束であり、徐々に解れたそれは冬眠明けの蛇が獲物に群がる様に侵入者の元へと向かって行く。
『いつ見てもゾッとするなーこの光ー景』
 アンナの魔術好餌物である悔悟の荒縄は、かなり特殊な形態を持つ。
 天井から降り注いだロープは、言わば子。
 親にあたる悔悟の荒縄本体の繊維を内包した下位互換だ。
 これ等は下位互換である為好餌物の質は本体に劣るが、アンナはそれを詠唱の質と言霊の量で補っていた。
 絞搾は然程難しい術式ではない。
 作用だけ見れば、首の頸動脈を絞り、相手を昏倒させるだけだ。
 聞く限りエグイ事この上ないが、動作としては殊もない。
 そして、魔術に於いて大事なのは、殊かどうかの一点のみだ。
 だからこその子の使用。
 適切な判断と適当な処置だった。


 筈なのに――


 蛇もかくやという勢いだった荒縄が、次々と力尽き、地に落ちて行く。
「嘘だろ……」
 思わず、ロキの口からそんな言葉が漏れた。
 現象を見ていた彼ですらそう思ったのだから、術者であるアンナは尚の事自覚する。
「嘘でしょ……」
 これ以上なくハッキリと分かる手応えの喪失に、かつて覚えた絶望感が蘇った。
 自身が積み上げて来た何もかもが否定される、思い出したくもない記憶。
『儘ニャらニャい、ニャんてもんじゃニャいわニェ』
 だが、後悔なら今まで何度もして来た。
この場でやっても仕方がない。
 ならば、と親である本物の悔悟の荒縄を巻いた腕を向け、アンナが次なる手に打って出ようとした時、滑車を持った女が躍り出た。
 目鼻立ちの通った中々の美女だったが、その眼は爛々と血走り、その口は端が釣り上がっている。
 その外見に対して、アンナが思う事は何もない。
 だが、その好餌物を見たアンナは、冷たい汗をかかずにはいられなかった。
『マズイ!』
 一般的に、好餌物に優劣はない。
 だが、例えば滑車とロープの様に強い結び付きを持つ好餌物は、主導権イニシアチブ如何によって一時的ではあるが優劣が決定する場合がある。
 勿論、これは例外的事象なのだが、実戦でこの状況に引っ掛かった場合、その性質の悪さはアンナでも顔を顰めたくなるほどだった。
 滑車にはロープが不可欠だ。
 されど一旦ロープが滑車に加担すれば、ロープは滑車に使われるのみ。
 ならば、ロープを用いていたら滑車に勝てないのか?
 答えは断じて否。
 滑車が廻り出すより前に、ロープを滑車に噛ませれば、滑車は動けない。
 詰まり、これは早打ちで決まる勝負なのだ。
 だからアンナは、相手よりも一歩も二歩も先に動き出す。
「対面敵対勢力に対する絞式本罰術式第五番……傀儡」
 詠唱完了と共に彼女の腕から無数の縄が伸び、ロキの時雨を返した男と滑車の女に絡み付く。


 しかし――


『またニャニョ……』
 再び、ロープはあっさりと外れてしまった。
 暖簾に腕押しとは、まさにこの事だ。
 悪転は続く。
「作用対象変更及び作用補助術式……昇降逆転」
 滑車を持った女がそう唱えた瞬間、地に落ちていた荒縄がアンナ目掛けて飛来した。
『ああ、これニャらまだニャんとかニャる』
 幸運な事に、アンナはその効果を知っていた。
 魔術師が好餌物に込めた思いの、“釣り合いを崩す”昇降逆転。
 それこそ、井戸に架かった滑車が二つの桶の位置を変える様な効果がある。
 だが、悔悟の荒縄はアンナの人生と関わりが深く、込められた悔悟の念は彼女を締め付け続ける事で常日頃から発散させている。
 つまり、桶は釣り合っているのだ。
 故に、滑車の女が渋い表情をするのを、アンナは心地良く眺めていた。
『これはパリィって言うニョかしらニェ~』
 お蔭で、ほんの少しだが気持ちに余裕が、男の好餌物には見当が、それぞれ出来た。
「ロキ、気付いたかニャ?」
「あー生憎俺は家に置いて来ちまったがなー」
 伊達男らしい軽佻浮薄な答えが返って来る。
 ならば――
げるよ!みんニ………」と撤退の号令を張り上げた、
「え?」その瞬間。
 アンナの横を何かが通り過ぎた。
 余りにも不意だったが、ソレが急速度で敵群に吸い込まれるのを視界の端で捉える。
 直後、
 グオ!だのウァ…だのの悲鳴が聞こえて、
 連なる様にミネアからの通信魔術が入った。
「アンナ!ゴメン、ロード君がいなくなった!!!!」
ニャんですって!?」
『それじゃあ今ニョは……』
 思ってもみなかったことなのに、心のどこかでその考えを確信している事が不気味だった。
 扉の向こうでは、逃走する足音が幾つも響いていた。
 ただし、その数を圧倒的に減らして。











 奇襲は初激が肝心だ。
 初激で敵に甚大な被害を与え、その戦意を挫く。
 それが奇襲の神髄だ。
 だから、彼、イディット・クロスロードはあんな上物を仕入れた。
 なのに――
『何故ばれた?』
 潜入は成功していた。
 それは100%断言出来る。
 “買収”の魔術に於いて、彼の右に出る者はいないのだ。
『一体誰が気取った』
 優等生B-Cellには哨戒を担当する者がいない。
 それは不備でも不用意でもなく、純粋に、必要が無いからだ。
 トップクラスの魔術師達が異なる好餌物を用い、その能力を存分に活かした十三の警備機構。
 言うだけならば容易いが、突破するには難問過ぎるこの機構があれば、哨戒等無用なのだ。
 彼はそこに目を付けた。
 今の国王より四世代ほど前の時代に鋳造された純金製のコイン。
 魔術の本質的強度を上げる好餌物として、これより上はない。
『そうだ、この“買収”より上はない。存在し得ない。例え大魔導師イノセンスの仕組んだ防衛だろうと、この好餌物を使う俺の敵じゃない。それなのに……』
 逃走の脚を緩めずに、イディットは改めて対象の名前を思い返し、思わず歯噛みした。
 ロード・ハンクス。
 行商人シャイロックの不手際によって野に放たれた、SABCにとって都合の悪い者。
 イレギュラーがあったとすれば、奴に違いない。
『クソ…』
 今まで以上に強く踏み込んで、イディットは腋越しの背景を逆さに見る。
 増幅魔術を請け負った棍使いのヴェルチと目が合った。
 蒼褪めた首を横に振り、ヴェルチは怯えた顔を俯ける。
『畜生!即行で終わらせる予定だったのに!』
 嫌でも強まる咬合圧を糧に、イディットは殺された4人の仲間を思い出す。
「あのガキ、次は絶対に殺してやる」
 怨嗟に戦慄く心の襞を、イディットは敢えて刺激し続けた。

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