陽が昇る前に

沖 鴉者

第一部 軋む歯車  第二章 地を踏む重み その1




「ふ~ん成程、それでここで合流か~」


 日当たりの悪い路地の一角で、女が呟く。
 薄紫のレースをあしらった紅いヴェールを纏い、艶やかな唇だけを三日月形に釣り上げて。


「って事は~」


 占術台の上で浮遊する手鏡を熱心に覗き込み、女はどこからともなく二つの金属球を取り出した。
 占術台には小さなすり鉢状の石盆が載っており、女はそこに球を放る。
 キーンと高い音を立てて盆に落ちた球は、二球バラバラに石盆の中で暴れた。
 やがてそれ等はすり鉢の中心に吸い込まれ、一体となって円運動を開始する。
 しかし、そこからおかしな現象が始まった。
 摩擦によって軽減されるべき円運動は何故か加速し、だが遠心力によって離れる訳でもなく、まるでワルツを踊るカップルの様に回転を速めて行く。


「んふ❤仲良しさん❤……いや、でも」


 遂には盆から浮遊し始めた二球は、着かず離れずクルクルと回り続け、


 やがて――


「ま~だ分からないわよね」


 パッと唐突に消失した。
 ところが――


「こっちが動くのもそろそろでしょ~し~」


 二球が消失した盆の底に、何かが燻っていた。
 女は手鏡に顔を向けたまま、目だけでそれを凝視する。
 

 それは球形でありながら朧気な輪郭を有し、まるで実体を感じさせぬ不気味な存在感を漂わせていた。


「ま~今は経過を見守るしかないかしら」


 どこか諦めた様な溜息と共に、女は盆の上で手を振る。
 今度こそ、盆は空っぽになり、静寂が一帯を呑んだ。
 

 再び手鏡に目を戻した女は、そこで声音を急に軟化させる。


「それにしても……」


 首を上げ、顔を曝した女は、その見惚れる様な美貌をウットリと撓ませた。


「この男の子ちょ~かわい~❤」
 

 間もなくその少年が目の前に現れると思うと、どんな種類の悪戯をどれだけしてやろうかと想像が止まず、女はゾクゾクと震える身体を抑えきれなかった。











 カモミールの甘い香りが鼻をくすぐる中、一組の男女がテーブルを挟んで向き合っている。
 両者は共通して背筋をピンと伸ばし、その表情は緊張に引き攣っていた。
 思春期真っ只中の二人にとって、それは紛れもなく異性に対する意識の表れであり、不慣れの証でもある。
 そんな春爛漫な様子を、少しだけ距離を置いて三人の男女が含み笑いで見ていた。


「どー思う?」
「イィ感じに見えるわぁ」
「ニャンだかこそばゆいわニェ~」


 如何にもな野次馬の面々は、それこそ手で口元を覆いながら言いたい事を言い続ける。


「ジョアンナは仕方がないとは言え、ロード君って同年代異性との交流はないの?」
「いやーそれなんだけどよー、ファーム・オブ・オブリアーチェC系列って特色がハッキリしててな。ロット牧場にはロード位の女子が数人はいるんだけど、アイツのいたハンクス牧場には同年代であっても野郎しかいねーんだわ」
「それは……けしからん話ですねぇ特にハンクス牧場は……」
「禁断ニョ男ニョ花園はニャぞニョって訳ニェ~」
「………同僚の女子が腐ってた」


 ちなみにこの遣り取り、少し離れてるとは言え同室内での事なので、ミネアとロードにはまる聞こえだったりする。


「ごめんなさいね、同僚が余計な気を回して……って言うか完全に楽しんでて」


 ポーカーフェイスの笑みを浮かべ、ミネアはロードに言った。
 ただでさえ小柄な体に童顔を頂いた少年は、キョトンとした幼い表情でそれを受ける。


「あ、いや、別に大丈夫……です」
『うーんやっぱ言った方がいいのかな?』


 話し始めた時からどうも抜けない緊張感に、ミネアは眉を顰めた。
 (偽名での)自己紹介をした時から、どこか余所余所しいと言うか、このロード・ハンクスは他人行儀なのだ。


「あの、喋り辛いんだったらわざわざ敬語使わなくてもいいよ。私達同い年な訳だし」


 偽の身分であるジョアンナ・ブランチ・キュリーは、オブリアーチェ新学会所有の孤児院出身という事になっている。
 だから、と今一度敬語解除を要請しようとしたミネアだったが――


「あ、うん。」


 返って来たのは会話終了のお知らせだった。


『盛り上がらねーヤツやなー』


 思わず王女らしからぬ渋面で顔を逸らしたミネアは、そこでふと、ある事を思いだしてロードに質問を投げた。


「そうだ、そう言えば何でさっき私を見ていなかったの?」
「さっき?」
「あー…だから、私が箱から出て来た時」


 暢気に茶を啜る少年の姿が頭を過る。
 初対面の同年代異性に振る話題でない事は世間知らずのミネアにも分かる。
 だが、初めて感じた手応えに、この話題の続行を決めた。


「ああ、それはえっと…分かったから……かな?」
「分かった?私がいる事が?」
「うん」
『それって…』


 咄嗟に思考を巡らすミネアの頭に、幾つかの魔術が思い浮かぶ。
 まず浮かんだのが人体好餌系の遠透視か身体離脱の魔術。


 だが、これを行使するには優等生B-Cell支部や城の分厚い魔術結界を破る必要性があり、それが出来るとすればロードは魔導師ホライズン以上の実力を持つ事になる。
 もう一つが、レンズ等を用いた物質好餌系の探知魔術。
 しかし、こちらも可能性としては薄かった。


 これは前述の遠透視や身体離脱にも言える事だが、ここは魔術のエキスパート集団、優等生B-Cellの支部だ。メンバーは全員、魔術の感受には鼻が利く。
 

 そうなれば、残るは一つ。
 基礎行程を最大限に研鑽した技術故、今では魔術に入らない始原的魔術。


 言霊強圧化による心理または思考走査だ。


 ところが、これもまた実現には程遠い。
 ご覧の通り、ロードとミネアの会話は先程から続かない上、ロードの言葉に言霊が宿っていないからだ。
 ミネアは王女であり、同時に優秀な魔術師だ。
 彼女が言霊の気配を見逃す事はない。
 だから、続くロード言葉でミネアは度肝を抜かれた。


「昔から何となく分かるんだ。動物がいる気配って」
「…え?どういう事?東部式魔術とかって事?」
「いや、俺は魔術使えないんだ………うーん何て言えばいいのかな……“いる”んだよ。そこに何かが“いる”って事だけが分かるの」


 目の前の少年が何を言っているのか理解出来ず、ミネアは凍った笑顔を傾ける。


「それはその……具体的にどんな方法で察知するものなの?」
「うーんどんな方法って言うか………直感?」
「直感って……」
「嘘じゃないよ?今だってほら……入口のドアの裏に8人いるし……」
「入口の…ドアの裏?」


 一体誰だろうか?とミネアは思考を巡らせる。
 ハッキリとは分からないが、それでも幾つか候補が上がった。


『紙人形のエルザ・ユスティール
 鋏の切断師アンディ・ベルベット
 羽ペンのレギオン・サティルベータ
 後は……これ位しか思い出せないなぁ……』


 お忍びで出入りしている身なので絶対数は少ないが、それでも三人は挙がる。
 常日頃から支部に詰めるシズナ達に訊けば、恐らくもっと候補は出るだろう。


 兎にも角にも、少年の言葉の真偽は確かめたい。
 余りにも非魔術的ロードの言葉は、ミネアの魔術師としてのプライドに火を点けていた。


「ねえアンナ」
「ん?ニャニ?あ、もしかしてお邪ミャだったかニャ?」
「そのネタはもういいよ……そうじゃなくて、支部のセキュリティに揺らぎはない?誰か侵入してるとか……」
「ん~ニャんでそんニャ事訊くニョ?」
「一応、その、確認。ロード君がドアの所に8人潜んでるって言うから……」
ニャにそれ?警鐘はニャってニャいでしょ」
「そうなんだけど……ロード君、さっき私が箱の中にいるの分かってたって言うから……」
「え~嘘くさいニャ~」
「本当だよ!俺嘘言ってないよ!」
「分ーったからおめーはそこでジッとしてろ。で、念の為に確認だ。それでいーな?アンナ」
「そうニェ。シズニャ、セキュリティチェックもう一回おニェがい。ミニェミニェとロード君は念ニョ為奥ニョ部屋ニ退避。ロキ、貴方あニャたは私と来て頂戴」
「アイサー。マイ・レディ・マスター」


 表情を一変させた優等生B-Cellの面々が一斉に動き始める。


「こっちへ来て」とロードの手を引くミネアと
「さぁロード君、急いで」二人と同じく部屋の奥にあるセキュリティ機構に向かうシズナ。


 まるで散歩中の犬の様に手を引っ張られるロードは、それでも着いて行くしかない。
 どうしたものかとロキを見ると、彼は目を瞑りブツブツと何か呟いていた。


――世界を巡る風の流れに 苦言を呈す 前門に虎 後門に狼 左門に獅子 右門に龍 かくなる事態を打破し 駆逐し 殲滅せしめる力を 我求むる者也 其の名は 沙羅双樹 捕捉し 霧散し 拡散し 我が手の内にて 再び集え――


 直後、銀粉の様なものがロキの手元で渦を巻き出し、やがてそれは勢いを増して彼の手を呑み込んだ。
 ロードにとっては瞠目物の現象を、しかしロキは目を細めて静観し、やがてその光が晴れた時、彼の手には一対の短槍があった。


 刃も白ければ柄も白い独特の双槍。
 根を麻紐で繋げたそれを両手に構え、ロキはロードに言った。


「こっちは気にしねーでいーから今はミネアに従っとけー」


 だが、それに対して返って来たのは、


「すっげ!!それも魔術なん?どうやんの?ねえそれどうやんの?」


 小学生並のロードの感想だった。


「ほらぁ!馬鹿言ってないで早く行くよぉ!」
「ああああ…教えてよロキ。教えてってばー」
「ほら、一旦後にして。今は行くよ」


 未練がましく騒ぐ少年の手を二人の少女が引き摺って行く。
 何とも言えない哀れさに、アンナはロキにこう訊かざるを得なかった。


「……ニェえロキ、ロード君ってバカニャの?」
「見りゃ分かんだろー?」
「そうニェ~」


 得心したアンナは舌の根の乾かぬ内に自身の詠唱に移った。


――世界を巡る風の流れに 苦言を呈す 前門に虎 後門に狼 左門に獅子 右門に龍 かくなる事態を打破し 駆逐し 殲滅せしめる力を 我求むる者也 其の名は 悔悟の荒縄 捕捉し 霧散し 拡散し 我が手の内にて 再び集え――


 詠唱完了と共にロキと同じ現象がアンナの手元で起こり、一本のロープが彼女の腕に絡まる。


「…見る度に業の深けー好餌物だな」
「…言われニャくても……」


 こうして転移した縄が食い込む度、アンナは苦い過去を思い出す。
 それをロキに指摘されるのは、立場上仕方のない事。
 だからアンナは奥歯を噛み締めて床を蹴った。


「行くよロキ」
「アイサー。マイ・レディ・マスター」               「お嬢様」


 その時――


ニャニ?」


 聞き捨てならないシズナの言葉が、アンナを撃った。


「セキュリティが中和されています!信じられない事ですが、アンディの“断識”から私の“塗り潰し”まで全レベルでです!」


ニャんですって!?』


 青天の霹靂だった。
 魔術の粋を凝らした精鋭集団。
 その高度な防衛機構を中和すると言うのは、尋常な事ではない。


「シズニャ、直ぐニ出向中ニョチームと周辺支部ニ応援要請を送って!ミニェミニェはロード君を絶対そこから動かさニャいで!」
「「了解」」


 打てば響くとはまさにと言った返事が返って来る。
 優等生B-Cellの支部にある全ての物には細かな言霊入りの詠唱文字が刻まれており、コップや机に至るまで好餌物として作用する。
 囁く様な声量でここまで会話が出来るのも、糸とコップの効果によるものだった。


『いい気ニャもニョニェ』


 拳を作る事で腕に一層縄を喰い込ませ、アンナは悔悟の念に苛まれた。
 おこがましいと言われれば、反論出来ない。
 セキュリティを侵食されながら、それに気付く事すら出来なかった。
 そんな体たらくの自分が、志願したとは言え一国の王女に指示を出す。
 手足の様に使役し、戦闘に駆り出す。


ニャにしてるニョよ…私は」
「後にしろ、来るぞ」


 言って後悔する間もなく、ロキが釘を刺して来た。


「……分かってる」


 感情共有で気取られた弱気に一瞬気恥ずかしさを覚えながらも、それをグッと押し鎮め、アンナは顔を上げ、頭を切り替える。


 そう、今考えるべきは、奇襲する馬鹿共の事だ。

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