T.T.S.

沖 鴉者

File.5 Worthless Road Movie  Chapter 3-1


〜2176年12月25日PM7:38
マッスルサプラマシィコミュニティ
ユリアン・スミス邸宅〜

 
 きっちり8時間半の睡眠から醒めて、源はそのログに気づいた。寝ぼけ眼でモビールのように吊り輪のぶら下がる天井を眺めつつ折り返すと、待ち構えていたのだろう、女郎は即応する。

「悪ぃ、寝てた」
《いいさ。アナタにも休息は必要だ》

 ありがたいお言葉ではあるが、起き抜けに西日が差し込む部屋を見回すと、何とも言えない罪悪感をおぼえた。
 ともあれ、慚愧に囚われている場合ではない。

「状況は?」
《ついさっきもアナタの居場所が売れた。これで注文は30件を超えたよ。まあ、どいつもこいつも端金だから、旧どこ州かぐらいの情報しか与えてないけどね。でも、そろそろ地道な聞き込みでその近辺には来てそうだ》

 開幕早々、如何ともし難い情報を聞かされた。当該案件標的の立場としては苦笑するしかない以上、皮肉の一つでも吐きたくなるのが人情だろう。

「おぅおぅ儲かってんな」
《お陰様で。この件が落ち着いたら2%くらいインセンティブ払うよ》

「ざけんな、マッチポンプでアコギなことやってんだから20%寄越せ」

 しかしながら、悪どいビジネスモデルを女郎が認めるわけもなかった。

《とまあ、冗談はこれくらいにして》
「テメェ……」

《アナタたちについて来てたヤツ、どうやら襲われているね》
「ついて来てたヤツ?」

 起き抜けの緩い思考力では、ピンとこない。
 一通り思い返してみるものの、一体どこの誰のことを言っているのか、心当たりが多すぎて的が絞れない。

《起き抜けとはいえ、とぼけたものだね。いたでしょう?家族連れみたい連中が》

 そこまで聞けば、さすがの源でもわかる。
 隣のコンパートメントで息を殺していた、あの妙な連中。
 人種も年齢も性別も異なりながらも、家族のように振る舞っていた、偽物の家族たち。
 皮肉なことに、彼らは源たちに最も近くで銃口を向けることにも成功している。
 しかしながら、そうなると、話がおかしい。

「あぁ、あの妙な家族もどきの連中か」
《家族じゃないよ》

「そんなん見りゃわかんだろ」
《そうじゃない》

 女郎は、あの家族を、「ヤツ」と表現した。明確に複数人数とわかる構成をした集団を、そう呼称した。
 それはつまり−−

《あれは一人の人間の人格を複数の異なる属性の人体に複写した、諜報用の複製人間。ヤツの母体組織ではテンタクルスと呼ばれている》

 瞬間、源は腹筋を締めて一気に上体を起こす。

「テンタクルス?」
《憶えがある?》

 ある。
 いや、あった・・・
 遠い昔の記憶だ。それこそ、ジョセフ・クラークの元で人間兵器をしていた頃の。

「何人も殺したよ」
《それって、アナタたちの生まれた研究施設に潜入してたってこと?》

「そぉだ。あいつら別に戦闘要員ってわけでもねぇから、処刑に近かったがな……ん?」

 テンタクルスは、諜報員たちにとって理想の存在だ。潜入に即した姿に意識を分けて、目標に警戒心を抱かせる間もなく近づき、必要な情報を獲得できる。
 もちろん、深刻な人権侵害を侵した上での存在なため、シギント主体の世界に彗星の如く現れたヒューミントの生化学技術は、世間一般には知られていない。
 周囲にその存在を気取らせることも疑わせることもなく、自然な背景として風景に溶け込んで元の人格につけられたバックドアに情報を引き出されて行く。
 中には、自身が何者か、という記憶を消されたまま生きているテンタクルスもいるという。
 そんな彼らに、Neuemenschheitherstellungplanの諜報が依頼されたのは、宿命だったのだろう。
 違法な人体実験を繰り返し、人間兵器を作ろうとしている無国籍研究組織にヒューミントを仕掛ける。

《なにか気づいた?》

 スパイ映画そのもののような話が現実に起こっていたことに心踊ったのか、女郎の声は弾んでいた。

「まぁな」
《場所、共有しておくよ。コイツはロハでいい。その代わり》

「シギントじゃカヴァー出来ねぇ情報もん寄越せってんだろ?知覚共有はレベル2まで、訊きてぇことは事前共有。記憶覗いたらぶっ殺す。それでいぃな?」
《文句なしだ。毎度あり》

 かくして、交渉が成立した。協調関係を結んでいたとはいえ、世界一の情報屋からここまで多くの情報を貰えた上、逃走資金を削ることなくギャラの支払いが行えたのは幸運だ。
 今度は、源がその契約を果たす番が来た。
 足の指から足首、膝と順に関節ごとの筋肉の動きを確認し、腹筋の収縮で腰から下を持ち上げた弾みで上体を起こす。その際、手を背中側に伸ばして肩甲骨を剥がす要領で大きく胸を逸らし、手を頭上へ回すように身体の前面に戻す。
 起床と同時に万全の状態に整えた身体で床に立つと、開け放たれたドアから階下の談笑が漏れ聞こえて来た。
 詳細まではわからないが、身も心も健全なマッチョ男性との談笑は、厳しい旅に同伴する女性たちには良い気晴らしになることだろう。

「俺にあんなストイックさねぇしな」

 持たされて・・・・・生み出され・・・・・た物・・である源には、持たざる者の努力の価値を正確には測れない。その価値観を共有出来る者同士が互いを認め合う時間を、邪魔すべきでもない。
 何より。

「そもそもお尋ね者だしな、俺」

 表立った動きを取れない身の上で、わざわざ家主に外出を報告する筋合いもない。
 ならばこそ、こっそり窓から外に出ようとしたのだが、優秀で優良な彼の相棒バディはしっかりと目を光らせていた。

《どこ行くつもり?》
「……お前どこから」

《別にプライベート全部監視するつもりなんかない。脳波感知と、ちょっとした姿勢感知だけさせてもらってる》
「手厚い看護で」

《何言ってんの、容疑者確保してるだけよ》
「オフなのにか?」

《……もう一回訊くよ、どこ行くつもり?》

 最初よりも幾分か語気の柔らかくなった再びの問いかけに、今度はしっかりと返答する。

「手がかりを見つけてな。そいつを確保しに行く。俺らの隣の客室にいた、あの偽家族。あれが金の鎖だ」
《やっぱりただの難民じゃなかったか……そいつらを抑えに行こうとしていたわけね。身体は大丈夫なの?》

 心配よりも不審の勝る口調で尋ねる絵美に、源はベッドサイドのクローゼットで家主のトレーニングウェアを漁りながら応える。

「多少臭ぅが、問題なく動けるよぅにはなってんぜ」
《そう。じゃあ、任せていいのね?》

「あぁ、散々甘えちまったかんな。ここらで一つ、俺も仕事して来る。あぁ、それと」

 継いで源がタンクトップを拝借しながら放った言葉に、絵美は絶句した。

《……それ、本当に上手く行く?》
「いけるいける。昔よく使ったんだ、この手」

《まあ、アンタがそう言うなら、わかった》
「っし、じゃあいっちょ行って来らぁ」

 相棒バディの同意が得られたことで、心置きなく動けるようになった。汗に塗れていたTシャツを替えられたのも大きい。
 源にしては長めの療養だった十数時間の鬱憤を晴らす準備は整った。



 源からの報告を聞き、絵美はシェイカーの中のストロベリースムージーを見詰めつつ考える。
 マッスルサプラマシィコミュニティに流れ着いたのは、想定外の幸運だった。肉体鍛錬を何よりも崇高なことと考える人々のライフスタイルは、傷ついた源の恢復を力強く後押ししてくれた。
 それは例えば、家主のユリアンが好意で貸してくれた源の寝床一つとっても言えることだ。睡眠の重要性を熟知しているからこその酸素カプセルベッドは、彼の顔色を臥床した直後から劇的に改善してみせた。

「どうかしたかい?」

 口数の減った絵美に違和感を憶えたのだろう、ユリアンが心配げに尋ねて来る。色気も筋肉もムンムンな彼に気遣われると、非常に心強いのだが、残念ながら彼が役立てる状況ではない。

『ちょっと時間欲しいし、一人になりたいな』
「何でもない。ちょっと疲れが出ちゃっただけみたい」

 それっぽい言い訳を力ない笑顔で補強して、多くのトレーニング器具が並ぶリビングの一角に敷かれたヨガマットを指示した。

「少しだけ横になっても?」
「もちろんだよ。ブランケットは横の椅子にかかっているのを使って」

「ありがとう」

 ダイニングとリビングの間に衝立を用意するユリアンの目を盗んで、絵美はそっとエリカに耳打ちした。

「リアクション小さめで聞いてね。源が手がかりを見つけた。こっそり上から消えたから、彼を一階から動かさないで」
「わかったが、いつまでだ?」

「近づくまでは少し時間かかりそうだけど、始まっちゃえばすぐよ。かかっても1〜2時間ってところだと思う」

 頷いたエリカが熱を帯びた視線をユリアンに向けていることに気づいて、絵美は念のために釘を指す。

「うるさくするなら場所変えてよ」
「ん?ああ、そうだね」

『ああ、これはおっ始めるつもりだ』

 どこかの色情魔で見慣れた、飢えた獣が熱り立つような迫力。考えるまでもなく、エリカは非常にオフェンシブだ。好みのオスを見つけたのなら、遠慮も躊躇もしないだろう。
 絵美に出来ることといえば、作業に没頭して集中力で遮音することぐらいだ。
 ユリアンに礼を言ってヨガマットに横たわってすぐ、絵美は瞑目してあるチャンネルに問いかけた。

『Hi,Silk.恐らく貴女は今起きてる事態も大体は把握してるんでしょうけど、T.T.S.回りの情報で私の知らない情報を教えて』

 しばしの沈黙の後、シルクは反応を示した。

《ヤハッ☆ご無沙汰ちゃん☆いっつもいきなり連絡して来るからビックリだよ♪》
『半分犯罪者みたいなアンタには最適な対応でしょ。それとも何?年貢の納め時でも迎えたくなった?』

 かつて日本警察に所属していた頃に出会した謎の情報屋は、様々な機密やプライベートに踏み込んだ情報を有していた。
 様々な罪で真っ黒に染まった存在だが、その有能性は無視出来ない。
 だから、時折こうして御用聞として協力させているわけだ。

《絵美ちゃんに言われると流石のあたしも恐いかな★……T.T.S.の動向が知りたいんだよね?》
「彼らがどの組織に目星をつけているのか、具体的にね」

《うーん……ちょっと待っててね★》

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