T.T.S.

沖 鴉者

FileNo.2 In Ideal Purpose On A Far Day Chapter 3-8


1945年8月6日8:20 大日本帝国 広島

 冷たいが降ってきた。
 啜り泣く様な雨音が世界に響き渡る。
 全てを汚し、悲しみで塗りたくって行く。
 黒い雨に頭を打たれた人々は、俯く頭に罪を被る。
 赦しは与えられず、贖う事も叶わず、粛々と悼むだけの。
 凍える様な雨が降っていた。

《やぁ……源…………来て、くれると……思ったよ》

 エドワードの声が、源の聴覚野に響く。
 瓦礫をどけたその時から、源は彼の生還を諦めた。
 エドワードは、もはや正常なヒトの形を留めてはいなかった。
 上半身と下半身は生き別れ、左腕も上体から離脱している。
 辛うじて残った右腕を上げ、頬を引き攣らせて見せるエドワードだが、その肘から先もなかった。

『最後の言葉だな』

 源は黙って煙草に火を点ける。
 最後に残す言葉の邪魔をしないのは、戦場の作法だ。

《頼み……が、ある……………僕……の身体……………無事、な所…………彼女に…………せめて………一部……………細胞………でも……………》

 真っ黒な雨に打たれながら、男は遺す。
 本願を前に、上手く回らない言語野をフル回転させ、脳間無線に懸命に信号を送り続ける。
 叶うかどうかなんて心配はしない。
 この男なら果たす、と確信しているから。

《どうか、彼女を……》

 消え入りそうな男の主張に、黒い長髪が寄り添う。

『ほら、やっぱりだ』

 悪態の裏に感じて来た温もりの正体を見た気がして、男は遺す言葉を結ぶ。
 頷かない事に、不満はなかった。

《任……せ、た》

 失われた肉体も、刈り取られていく意識にも、感謝しかない。
 死の意味さえも灰塵に帰した真っ暗な街で、そんな感情を懐ける事すら奇蹟なのだと知っているから。
 彼ら以外の全ての人々は、皆シミになってしまったから。
 キノコ型の黒煙も、底から見ればただの雲にしか感じない。
 だから、モノクロに覆われたこんなにも不幸な景色が、状態が、最愛のものにすら感じる。

『ああ、やっとだ』

 ならば遠慮などせず、堂々と誇らしく、もう動かない微笑みを魅せ付けてやろう。
 やっと誇れるものが出来たのだから。
 だからもう、心配せずに逝ける。
 戦場に立つ以上、常に片隅に置いていた遺言データを源に送り、真っ黒な雨に打たれながら、男は逝った。
 呆れるほど満足気な微笑みと、笑えるほど細やかな想いを遺して。

「何が“任せた”だ……やだよ、馬ぁ鹿」

 咥えていたフィルターを吐き捨てつつ、拳を握る。
 気持ちのいい微笑みを刻んだ男の顔を、黒いグローブが潰した。



《何を、しているの?》

 耳朶を叩く絵美の声は、穏やかなだが引き絞った弓のような緊張感のある声音で、真っ黒い雨音をスパリと切った。
 切られた源は地に向けた拳をどかそうともせず、目だけを絵美に向ける。

《何がだ?》
「何がだじゃないでしょ!何してんのよ!」

《馬鹿野郎、何喋ってんだ。死にてぇのか》
《……エドは!》

《死んでたよ、とっくに》

 ピシリと固まる絵美の背中から、焼け付くような紗琥耶の視線を感じて、源は立ち上がった。

《だから痕跡抹消でエドワードコイツの灰砕いてんだ。邪魔すんじゃねぇ》

 そうして乱暴にエドワードの右腕を蹴り飛ばす。
 ボロボロと灰になって砕け散る腕を見もせず、源は絵美の元に戻った。

《下半分はどっか行っちまってっから、もぉ帰ろぉぜ》
「殺……して…………やる」

 怨嗟のこもった紗琥耶の声に、源は笑顔を向ける。

《何だまだ生きてんのか?くたばり損ねたな。もっとも、テメェも時間の問題みてぇだが》
「殺……して…………」

 その言葉を最後に、紗琥耶は意識を失ったようだった。

《……どういうつもり?》
《戻ってからにしろ、マジで死ぬぞ紗琥耶この女

 それっきり、源は口を噤み、帰還するまで呼吸音すら感じさせないほど静かだった。



 帰還した3人を迎えたのは、悲壮な雰囲気ではなく、跳躍時以上の鬼気迫る緊張感と危機感だった。
 有無を言わさず柄強度FA可変型AN泉下客服BWを引き剥がされ、放射性物質洗浄のため問答無用でマダムオースティンに運ばれる。
 高圧のシャワーで散々身体を洗われた源と絵美は、身震いしながら今度は気管と消化管の洗浄に回される。
 生理食塩水の匂いとしょっぱさで咽るのにも疲れた頃、ようやく2人は廊下で再開した。

「よぉ……」
「…………」

 心底気怠そうに咥え煙草で手を挙げた源を、絵美は虚ろな目で睨む。
 しばらく黙って睨んでいた絵美だが、開きかけた口を閉じるとドッカリと源の隣に座った。

「……何であんな事したの?」
「だから言ったろ、死んじまってたから処理したんだよ。あんだけ放射能汚染された死体もん、持ち帰る方が迷惑ってもんだろぉが」

「……そうじゃなくて」

 実際、エドワードの生死は自身の目で確認できていないので、絵美としては源の判断を信じるしかない。
 だが、源のあまりに道徳性のない行動に思う所がないわけではなかった。

「何で紗琥耶の前で……あんな事……」

 絵美がそう言い終えるより早く、源は煙草を握り潰して立ち上がる。

「温ぃ事抜かしてんなよプロフェッショナル。感情に流されんのは二流のする事だろ」

 絵美が言い返そうと口を開くより早く、源は紗琥耶の眠るICUの扉に消えた。

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