T.T.S.
FileNo.2 In Ideal Purpose On A Far Day Chapter 1-1-Side:絵美
――2176年9月30日AM6:38 東京――
[Side 絵美]
浸食されて行く。
雨音を聞いた。
「計測結果38.9℃」
何もかもを洗い流し、消し去る雨音が。
                  「平時より+3℃~3.5℃の上昇を確認」
ひたりと染み込み、心までグチャグチャにする。
                          「常体温と比較し、異常値であると認識」
懺悔を促す様に、涙を洗い流す。
                    「ご予定の変更を提案いたします」
蝕み浸し呑み込まれて行く。
「絵美さん?大丈夫ですか?」
「へ!?ああ、うん!」
頓狂な声を響かせて、正岡絵美はベッドで跳ね起きた。
荒れた呼吸を落ち着けて、手櫛で髪を掻き上げる。
セミロングの毛足が湿り気を帯び、放熱に必死な身体がシャツをグッショリと濡らしていた。
『谷間に汗疹って本当に出来るのかな』
就寝時は外した方が育つらしいが、今の所一向に厚みを増さない胸回りに、この瞬間だけは感謝すべきなのかもしれない。
だから、別に憧れて等いない。
何にせよ、こうも汗まみれでは気分が悪い、シャワーを浴びるという選択に迷いはなかった。
裾を摘み、張り付くシャツを一気に剥がす。
じっとりと濡れているにも拘らず、全く閊えない事実が憎……くない、快適。そう、快適。
「あの、絵美さん?」
「快適よ」
「は?」
「え?いや……何?」
サイドテーブルの上の腕輪が裏返り、男が現れた。
6フィート4インチの圧倒的長身とそれに見合わぬ痩躯、下顎の輪郭を覆い隠す堅い髭と太く濃い眉毛の下からは、強い意志を湛えた眼光が覗く。
彼こそは、アメリカ合衆国第十六代大統領。偉大な解放者、エイブラハム・リンカーンその人……をモデルにデザインされたWITのインターフェイスである。
“偏見を変えた偉人シリーズ”は絵美が愛用するインターフェイスデザインで、このモデルエイブラハムは彼の大統領就任代に合わせて第十六代モデルとして発表された。
「人民の、人民による、人民の為の政府」を謳った演説が示す通り、沈着冷静な物腰と説得力のある言葉選び、効果的なアクセントでの喋り方等、彼から学ぶ事は多い。
だが、如何せんデカすぎる風貌を恐ろしく感じる時があるのも確かで、今でこそ慣れたが、換装当初は目の前で着替える事すら憚った。
『正直慣れないのよね、このデカさだけは……限りなく紳士的ではあるのだけれど……』
じゃあ何でそのモデルを選んだの?と訊かれるとちょっと困ってしまうから、変えるならこっそり変えなければならない。
『親近感で選ぶものじゃないわね』
通気性の悪いデニム地のホットパンツも脱ぎ捨てる。
「着替えとバスタオルをお願い」
加えて苦手なのは、彼の声だ。
「はい……ですが、現状ではお勧めしかねます」
演説音声でも有名なこのバリトンボイスは、気疲れしている時には少々煩わしい。
「気にしないで、多少の体調不良なんて誤差よ」
「いえ、お言葉ですが」
「エイブラハム……貴方は私の何?」
「……かしこまりました」
溜息と共に、大男は指を弾いた。
すると、脱ぎ捨てた衣服が床に吸い込まれ、代わりに絵美の傍らの床が飛び出て菓子折りの様にギッシリと詰まったタオルとショーツが現れた。一枚ずつ抜き、ベッドを出る。
直後。
「あ……れ?」
重たい身体が床に吸い寄せられた。様な気がして、思わずたたらを踏んだ。
「大丈夫ですか!?」
「……大、丈夫」
そうは言いながらも、異常な寝汗が頭を過る。
分かり易い痩せ我慢に、エイブラハムは今一度大きな溜息を吐いてその姿を伏せた。
それを確認して、どこかほっとした心持ちで絵美は部屋を出る。
タイムマシン犯罪に対抗する警察機構T.T.S.の専用セーフハウスは、かつて国立天文台と呼ばれた施設の一部を改装して作られた。
日本国内のコネクションに弱いT.T.S.のサポートとして警察庁が用意したそこは、役目を終えて久しく、外壁は蔓状植物により覆われ、昼夜を問わず不気味な陰湿さが支配している。
当然、人気の寄らないそんな陰気な場所を使いたがる者もおらず、警察庁の当て擦りは明らかだった。
だが、そんな事情は絵美にとっては何でもない。
かつて地下倉庫として使われていた自室を出て、自ら設置した足元照明が照らす廊下をフラフラと歩いて行く。
柔らかな薄明りの回廊を回り、旧男子トイレ、現シャワー室に手を掛けた時、『解熱剤、あった筈よね……』と思い至った。
リビングとキッチンがある施設中央、かつてのプラネタリウムの上映場だった場所に向かう。
重く厚い遮音扉を開けると、一気に視界が開けた。
天高くから覆うドームは、一般家庭では中々味わえない解放感を部屋全体に与えていた。
そんな広い部屋の中央に鎮座ましますのは、絵美がこのセーフハウスを選ぶ決定打になった存在。巨大なプラネタリウムだ。
物件紹介文曰く“当セーフハウスは元プラネタリウムを改装して作られております。オプション設備として置かれている投射機は旧式の型落ちですが使用可能です。”との事で、実際、今現在も、遮光遮音の部屋の中は満天の星空と複数の間接照明に照らし出されていた。
扉を閉めると、ノイズが消え、室内の音が聞き取れる様になって来た。
ピンと張った静寂の彼方から、微弱ながら女の嬌声が聞こえる。
『またあの娘は……』
ゲンナリした気持ちで、絵美は歩を進めた。
定期的に張り替えるカーペット敷きの床は、足音も立てない。
音源には予想がついた。
と言うのも、幾枚ものパーテーションでオレンジの様に区切られたホールには、前述のリビングとキッチンの他にもう二区画、リラクゼーションルームとT.T.S.No.1の私室がある。
嬌声は、間違いなくその私室からだ。
T.T.S.No.1。
戦闘能力や臨時の即応力、検挙率や功績。あらゆる面に於いてトップを張る女は、次点に座る源曰く、“殺る気と姦る気がT.T.S.No.1”。源を“片手間”と称す違法時間跳躍者達の呼び名は、“無触性姫”。
両呼称は実に的確に彼女を形容しており、彼女自身、嬉々として受け入れている。
要するに、性にだらしないのだ。
そんな事だから、夜な夜な街で男を引っ掛けて来ては持ち帰り、一晩中楽しむ。
かつてNo.1とパーテーションを隔てて同室だった絵美には、実にいい迷惑だった。
快楽を欲しい儘にする享楽的な姿勢は嫌いではないのだが、如何せんユル過ぎる。
睡眠妨害もいいとこだし、月経だって来るのだから、少しは考えて欲しいものだ。
そんなこんなで今の旧地下倉庫に移った訳だが、部屋を移る話をしている途中から絵美の部屋とのパーテーションを片付け出した時には、流石に閉口した。
『源もそうだけど、どうして元軍属は結果を急ぐのかしら』
数ある被疑者の中から被告人を選定する警察官とは違う、対象を殲滅させる専門家の思考も、そりの合わない理由に挙げてもいいかも知れない。
だが、とある事情から、絵美がNo.1の貞操を責める気にはなれなかった。否、責める権利がなかった、と言った方が的確なのかもしれない。
そんな訳で、絵美はNo.1のプライベートを守る為に極力音を排してリビングに向かった。
投射機を望む一人掛けリクライニングソファの横にあるガラス製のテーブル。
その片隅に表示された収縮を繰り返す赤い丸に人差し指を当てる。
炊事洗濯と掃除ロボットの指令を司る家事AIの呼び出しセンサーは即応した。
《おはようございます絵美さん。少し体調が優れない様ですが大丈夫ですか?》
テーブル表面に表示されたドット文字にさえ気遣われ、思わず絵美は苦笑する。
家事炊事の一切を家主に代わって行う家事AIも、これで三代目になる。
No.1が時折起こす発作によって、先代達は実にあっけなく消失した。
「おはようシェーン、でも大丈夫よ。一応念の為に解熱剤貰えるかしら?あったわよね?」
《ええ、仰る通り在庫はあります。ですが、まず医師の診断を受ける事を推奨致します》
「お願いシェーン。今日は源も非番だし、私が抜ける訳にはいかないの」
《源さんの事は存じていますが、今は貴女の身体が》
「シェーン、さっきエイブラハムにも言ったのだけれど、貴女の立場は?」
《失礼しました。すぐにご用意致します。お水はご自分で?》
「ええ、大丈夫よ」
判断に長けたエイブラハムとは違い、あくまでも家人の生活を支える家事AIは従順だ。
発言を遮って返した強い言葉に、シェーンは即応した。
ガラステービルの一部が円形に、舞台のセリの様に降り、すぐに備蓄されていた錠剤が二錠、オブラートに乗って躍り出る。
摘まんで腰を上げた時、不意に声を掛けられた。
「おふぁよ」
振り返ると、パンツだけ穿いた女が、欠伸混じりに立っていた。
二重瞼の蒼眼が印象的な西洋式の美顔から垂れるウェーブ掛かった艶やかな金髪が豊かな胸の前面を隠し、佇まいに芸術性を持たせている。
そこから滑る様に括れた腰からふっくらと盛り上がったヒップにかけての稜線は、正に黄金律。まるでギリシャ彫刻が生を受けた様な美しさだ。
しかしながら、醸し出す雰囲気は同性である絵美さえ目が眩みそうな程、色気に溢れていた。
きっと、前世はサキュバスか衣通郎姫に違いない。
彼女こそが、T.T.S.No.1に名を刻む女、ジョーン・紗琥耶・アークだ。
「おはよ……」
照明が当てられている訳でもないのに、間接照明しかない部屋でぼうっと浮かび上がる存在感に手を振る。
ヒラヒラと手を振り返しつつ、擦っていた目をテーブルに向け、紗琥耶は言った。
「何?体調悪いのん?……良くしてあげよっか?」
チロリと真っ赤な舌なめずりと共に、紗琥耶はウインクした。
両刀使いの彼女には絵美も射程圏内だ。
思わず苦笑が漏れる。
対案として、キッチンスペースにある家事AIにすら触らせない自慢のサイフォンを指示した。
「大丈夫だから……コーヒー飲む?淹れるわよ?」
「ん~……じゃあ、貰ってあげる♪」
物凄く含みのある言葉で艶めかしく返され、苦笑が一層深まった所で、「おや?」と気付く。
掌に載せていた筈の解熱剤がない。
足元をのぞき込んで、そこに目当ての物を見た、気がして。
「んん?絵美たん?」
『あれ?わ…た……し………』
絵美の意識は熱の中に沈んだ。
[Side 絵美]
浸食されて行く。
雨音を聞いた。
「計測結果38.9℃」
何もかもを洗い流し、消し去る雨音が。
                  「平時より+3℃~3.5℃の上昇を確認」
ひたりと染み込み、心までグチャグチャにする。
                          「常体温と比較し、異常値であると認識」
懺悔を促す様に、涙を洗い流す。
                    「ご予定の変更を提案いたします」
蝕み浸し呑み込まれて行く。
「絵美さん?大丈夫ですか?」
「へ!?ああ、うん!」
頓狂な声を響かせて、正岡絵美はベッドで跳ね起きた。
荒れた呼吸を落ち着けて、手櫛で髪を掻き上げる。
セミロングの毛足が湿り気を帯び、放熱に必死な身体がシャツをグッショリと濡らしていた。
『谷間に汗疹って本当に出来るのかな』
就寝時は外した方が育つらしいが、今の所一向に厚みを増さない胸回りに、この瞬間だけは感謝すべきなのかもしれない。
だから、別に憧れて等いない。
何にせよ、こうも汗まみれでは気分が悪い、シャワーを浴びるという選択に迷いはなかった。
裾を摘み、張り付くシャツを一気に剥がす。
じっとりと濡れているにも拘らず、全く閊えない事実が憎……くない、快適。そう、快適。
「あの、絵美さん?」
「快適よ」
「は?」
「え?いや……何?」
サイドテーブルの上の腕輪が裏返り、男が現れた。
6フィート4インチの圧倒的長身とそれに見合わぬ痩躯、下顎の輪郭を覆い隠す堅い髭と太く濃い眉毛の下からは、強い意志を湛えた眼光が覗く。
彼こそは、アメリカ合衆国第十六代大統領。偉大な解放者、エイブラハム・リンカーンその人……をモデルにデザインされたWITのインターフェイスである。
“偏見を変えた偉人シリーズ”は絵美が愛用するインターフェイスデザインで、このモデルエイブラハムは彼の大統領就任代に合わせて第十六代モデルとして発表された。
「人民の、人民による、人民の為の政府」を謳った演説が示す通り、沈着冷静な物腰と説得力のある言葉選び、効果的なアクセントでの喋り方等、彼から学ぶ事は多い。
だが、如何せんデカすぎる風貌を恐ろしく感じる時があるのも確かで、今でこそ慣れたが、換装当初は目の前で着替える事すら憚った。
『正直慣れないのよね、このデカさだけは……限りなく紳士的ではあるのだけれど……』
じゃあ何でそのモデルを選んだの?と訊かれるとちょっと困ってしまうから、変えるならこっそり変えなければならない。
『親近感で選ぶものじゃないわね』
通気性の悪いデニム地のホットパンツも脱ぎ捨てる。
「着替えとバスタオルをお願い」
加えて苦手なのは、彼の声だ。
「はい……ですが、現状ではお勧めしかねます」
演説音声でも有名なこのバリトンボイスは、気疲れしている時には少々煩わしい。
「気にしないで、多少の体調不良なんて誤差よ」
「いえ、お言葉ですが」
「エイブラハム……貴方は私の何?」
「……かしこまりました」
溜息と共に、大男は指を弾いた。
すると、脱ぎ捨てた衣服が床に吸い込まれ、代わりに絵美の傍らの床が飛び出て菓子折りの様にギッシリと詰まったタオルとショーツが現れた。一枚ずつ抜き、ベッドを出る。
直後。
「あ……れ?」
重たい身体が床に吸い寄せられた。様な気がして、思わずたたらを踏んだ。
「大丈夫ですか!?」
「……大、丈夫」
そうは言いながらも、異常な寝汗が頭を過る。
分かり易い痩せ我慢に、エイブラハムは今一度大きな溜息を吐いてその姿を伏せた。
それを確認して、どこかほっとした心持ちで絵美は部屋を出る。
タイムマシン犯罪に対抗する警察機構T.T.S.の専用セーフハウスは、かつて国立天文台と呼ばれた施設の一部を改装して作られた。
日本国内のコネクションに弱いT.T.S.のサポートとして警察庁が用意したそこは、役目を終えて久しく、外壁は蔓状植物により覆われ、昼夜を問わず不気味な陰湿さが支配している。
当然、人気の寄らないそんな陰気な場所を使いたがる者もおらず、警察庁の当て擦りは明らかだった。
だが、そんな事情は絵美にとっては何でもない。
かつて地下倉庫として使われていた自室を出て、自ら設置した足元照明が照らす廊下をフラフラと歩いて行く。
柔らかな薄明りの回廊を回り、旧男子トイレ、現シャワー室に手を掛けた時、『解熱剤、あった筈よね……』と思い至った。
リビングとキッチンがある施設中央、かつてのプラネタリウムの上映場だった場所に向かう。
重く厚い遮音扉を開けると、一気に視界が開けた。
天高くから覆うドームは、一般家庭では中々味わえない解放感を部屋全体に与えていた。
そんな広い部屋の中央に鎮座ましますのは、絵美がこのセーフハウスを選ぶ決定打になった存在。巨大なプラネタリウムだ。
物件紹介文曰く“当セーフハウスは元プラネタリウムを改装して作られております。オプション設備として置かれている投射機は旧式の型落ちですが使用可能です。”との事で、実際、今現在も、遮光遮音の部屋の中は満天の星空と複数の間接照明に照らし出されていた。
扉を閉めると、ノイズが消え、室内の音が聞き取れる様になって来た。
ピンと張った静寂の彼方から、微弱ながら女の嬌声が聞こえる。
『またあの娘は……』
ゲンナリした気持ちで、絵美は歩を進めた。
定期的に張り替えるカーペット敷きの床は、足音も立てない。
音源には予想がついた。
と言うのも、幾枚ものパーテーションでオレンジの様に区切られたホールには、前述のリビングとキッチンの他にもう二区画、リラクゼーションルームとT.T.S.No.1の私室がある。
嬌声は、間違いなくその私室からだ。
T.T.S.No.1。
戦闘能力や臨時の即応力、検挙率や功績。あらゆる面に於いてトップを張る女は、次点に座る源曰く、“殺る気と姦る気がT.T.S.No.1”。源を“片手間”と称す違法時間跳躍者達の呼び名は、“無触性姫”。
両呼称は実に的確に彼女を形容しており、彼女自身、嬉々として受け入れている。
要するに、性にだらしないのだ。
そんな事だから、夜な夜な街で男を引っ掛けて来ては持ち帰り、一晩中楽しむ。
かつてNo.1とパーテーションを隔てて同室だった絵美には、実にいい迷惑だった。
快楽を欲しい儘にする享楽的な姿勢は嫌いではないのだが、如何せんユル過ぎる。
睡眠妨害もいいとこだし、月経だって来るのだから、少しは考えて欲しいものだ。
そんなこんなで今の旧地下倉庫に移った訳だが、部屋を移る話をしている途中から絵美の部屋とのパーテーションを片付け出した時には、流石に閉口した。
『源もそうだけど、どうして元軍属は結果を急ぐのかしら』
数ある被疑者の中から被告人を選定する警察官とは違う、対象を殲滅させる専門家の思考も、そりの合わない理由に挙げてもいいかも知れない。
だが、とある事情から、絵美がNo.1の貞操を責める気にはなれなかった。否、責める権利がなかった、と言った方が的確なのかもしれない。
そんな訳で、絵美はNo.1のプライベートを守る為に極力音を排してリビングに向かった。
投射機を望む一人掛けリクライニングソファの横にあるガラス製のテーブル。
その片隅に表示された収縮を繰り返す赤い丸に人差し指を当てる。
炊事洗濯と掃除ロボットの指令を司る家事AIの呼び出しセンサーは即応した。
《おはようございます絵美さん。少し体調が優れない様ですが大丈夫ですか?》
テーブル表面に表示されたドット文字にさえ気遣われ、思わず絵美は苦笑する。
家事炊事の一切を家主に代わって行う家事AIも、これで三代目になる。
No.1が時折起こす発作によって、先代達は実にあっけなく消失した。
「おはようシェーン、でも大丈夫よ。一応念の為に解熱剤貰えるかしら?あったわよね?」
《ええ、仰る通り在庫はあります。ですが、まず医師の診断を受ける事を推奨致します》
「お願いシェーン。今日は源も非番だし、私が抜ける訳にはいかないの」
《源さんの事は存じていますが、今は貴女の身体が》
「シェーン、さっきエイブラハムにも言ったのだけれど、貴女の立場は?」
《失礼しました。すぐにご用意致します。お水はご自分で?》
「ええ、大丈夫よ」
判断に長けたエイブラハムとは違い、あくまでも家人の生活を支える家事AIは従順だ。
発言を遮って返した強い言葉に、シェーンは即応した。
ガラステービルの一部が円形に、舞台のセリの様に降り、すぐに備蓄されていた錠剤が二錠、オブラートに乗って躍り出る。
摘まんで腰を上げた時、不意に声を掛けられた。
「おふぁよ」
振り返ると、パンツだけ穿いた女が、欠伸混じりに立っていた。
二重瞼の蒼眼が印象的な西洋式の美顔から垂れるウェーブ掛かった艶やかな金髪が豊かな胸の前面を隠し、佇まいに芸術性を持たせている。
そこから滑る様に括れた腰からふっくらと盛り上がったヒップにかけての稜線は、正に黄金律。まるでギリシャ彫刻が生を受けた様な美しさだ。
しかしながら、醸し出す雰囲気は同性である絵美さえ目が眩みそうな程、色気に溢れていた。
きっと、前世はサキュバスか衣通郎姫に違いない。
彼女こそが、T.T.S.No.1に名を刻む女、ジョーン・紗琥耶・アークだ。
「おはよ……」
照明が当てられている訳でもないのに、間接照明しかない部屋でぼうっと浮かび上がる存在感に手を振る。
ヒラヒラと手を振り返しつつ、擦っていた目をテーブルに向け、紗琥耶は言った。
「何?体調悪いのん?……良くしてあげよっか?」
チロリと真っ赤な舌なめずりと共に、紗琥耶はウインクした。
両刀使いの彼女には絵美も射程圏内だ。
思わず苦笑が漏れる。
対案として、キッチンスペースにある家事AIにすら触らせない自慢のサイフォンを指示した。
「大丈夫だから……コーヒー飲む?淹れるわよ?」
「ん~……じゃあ、貰ってあげる♪」
物凄く含みのある言葉で艶めかしく返され、苦笑が一層深まった所で、「おや?」と気付く。
掌に載せていた筈の解熱剤がない。
足元をのぞき込んで、そこに目当ての物を見た、気がして。
「んん?絵美たん?」
『あれ?わ…た……し………』
絵美の意識は熱の中に沈んだ。
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