T.T.S.

沖 鴉者

FileNo.0 The Christmas Miraculous offstage Chapter 2-6




 誰もが、天を仰いでいた。
 上空高くに現れた男は、自由落下の勢いのままに、地表に迫り来る。
 しかしながら、男が何者かを抱えている事に気付けた者はいなかった。
 何故なら。


「いやあああああああああ!」


 絹を裂いた様な女の悲鳴が、群衆の注目を地に引き戻したからだ。
 声の主たる正岡絵美は、その長く嫋やかな指で一点を指す。
 誰も彼もがその指先を追い、そして、目を丸くした。
 そこにあるのは、極彩色のスポットに照らされた灰色の舞台と鮮やかに流れる紅いコロイド。
 その源流にある生気を感じさせない一人の女の姿だった。
 つい今し方まであったざわめきが異常な程急激に凪ぎ、たちまち、悲鳴の連鎖が始まる。
 上空の男を忘れ、自分達と同じ高さにある最も身近な脅威と恐怖に怯え、慄き、散って行く。


『今だ!』


 混沌と恐怖に蜂の巣を突いた有様の世界を見届け、絵美は跳躍。
 同時に、己の腕にあるギミックと光学迷彩カメレオンを発動させる。


 救済の溜息サァイ・ウィズ・レリーフ


 指の骨子に沿って展開された管の束が高圧縮された二酸化炭素を瞬発的に噴射し、絵美の身体に超常的な躍進を与える。
 ロケットの様な軌道は光学迷彩カメレオンで消えて誰にも悟られず、コンプレッサーの気抜きの様な高圧気体の噴射音に気付く者もまた、いなかった。
 ただ一人、上空の人物を除いては。


「何をしているの?光学迷彩カメレオン位展開させなさい!」


 怒気の勢いそのままに一息で吐き捨てた絵美は、そのまま相棒の襟首を掴んで射出方向を変える。
 垂直落下に横ベクトルが加わった事で、相棒の返答は風に流されて間抜けに伸びた。


「あぁ……そぉいや忘れてたわ」


 聞こえるように思いっ切り舌打ちして、絵美はQFRONT前地下鉄入口の上を着陸点に選択する。
 先程上昇に用いた救済の溜息サァイ・ウィズ・レリーフを、今度は緩衝に使役し、絵美の身体はフワリと着地した。
 傍らに着地した相棒が右往左往する群衆を猊下して口を開く。


「状況は?」


「城野夕貴が刺突された直後にどっかのお馬鹿さんがダイブするのが目撃されて苦労人な相棒が力技で本筋に話を戻した所よ、何か言う事は?」


 自身のデトックスついでに相棒にステータス異常にでもしてやろうかと吐き出した毒は、しかし、「ふーん」の一言で片付けられるものだったらしい。
 絶え間ない気苦労に溜息を禁じ得ない絵美は、数ある頭痛の種の最も気掛かりなモノを問うてみる。


「で?その人誰?」


 見るからに人事不省に陥った黒いダウンコートを、相棒が実に適当に放り投げた。
 ドシャリと転がされたその人影は、生気をまるで感じさせない。
 仰向けに起こしたそれの顎を掴み、相棒は絵美の顔を覗きこんだ。


「走査してみろよ、面白れぇもん見れんぞ」


「……今全っ然面白くない状況なの、分かる?」


「だからこそ見ろよ、状況語んのは継時変化を追えてこそ、だろ?」


「……何も出なかったら怒るからね」


 首を竦めて恭しくダウンコートへ手を差し向ける相棒を今一度睨んで、絵美は走査を開始した。
 フラフラ出歩いた挙句現場を引っ掻き回した相棒への不審が、否応なく堆積する。


 直後に出る、グリーンシグナルに目を剥くまでは。


「ちょっと!これは一体どう言う事!?」


 彼女のWITが導き出したのは、このダウンコートが玄山英嗣であると言う淡泊且つ明瞭な答えだった。


 殺害現場での玄山出現を踏んだ絵美にとって、この事実が持つ衝撃は大きい。
 違法時間跳躍者クロック・スミス確保を先んじられた事は勿論、その移動経路を的確に予測し、網まで張っていた相棒の要領を前に、自身が滑稽にすら感じた。
 だが、相棒はそんな彼女の拘泥には気付きもせず、雑踏に目を走らせながら笑う。


「どぉ言ぅ事なのかは知らねぇな。けど、面白ぇ事なら一つ知ってんぞ」


 そして絵美の目を正面から捉え、玄山を引っくり返して延髄を指示した。


「アクセスしてみろよ。どぉせ俺等の時代ホームに戻りゃ記憶なか丸ごと探んだ、今やろぉと同じだろ?」


 言われるが儘、絵美はWITを繰る。
 合理的思考で動く彼女には、最早異議も逡巡もなかった。
 自身より優れた捜査能力を示した相棒の観察能力を素直に尊重し、下らない自尊は破棄する。
 この切り替えの早さと順応性の高さこそ、前職で彼女が名を挙げた要因であり、同時に、相棒が彼女に背中を預ける理由でもあった。
 しかしながら、現実はどこまでも歩調を合わせてはくれない。


「……端末反応、なし」


 WITが視覚化したその言葉を見た瞬間、僅かにだが脳が停止するのを感じた。想定には勿論、想像の域にすらなかった事態に、彼女の潜在意識がさじを投げそうになったのだ。
 だが、どう足掻いても現実は彼女の前に横たわる。
 故に、絵美は即座に気力のギアを変えて、捜査の基本に立ち返った。


「……なし、ですって?骨格と顔面静脈蔓延具合まで一致しているのに?……ねえ、コイツ、一体何者なの?」


 方向性も何もない手探りの訊き込みで、せめてもの取っ掛かりを求めて、相棒に縋り付く。
 だから。


「さぁな。ただ一つだけ、ある可能性には思い至った。で、ちょっくら確認して欲しぃ事があんだが……俺だと答えてくんなそぉでよ、代わりに訊ぃてくんねぇ?」


 その言葉を聞いた時、ほんの少しだけ何かに触れた様な感覚を覚え、同時に、バラバラだったピースが彼女の頭の中で今一度列挙されて行く。


 違法時間跳躍者クロック・スミス、玄山英嗣。


 かつて起きた殺人事件。


 保存形式が古くて揃わない捜査資料。


 刺突された城野夕貴。


 二人目の玄山英嗣の出現。


 そして、相棒が思い付いたある可能性と、確認すべき事柄。


 訊き難い相手。


「……ああ、そっか」


 僅かながらの手応えを必死に手繰り寄せ、遂に絵美はテンションの掛け方を見出す。
 思いの外複雑で、しかしそれが故に、T.T.S.にしかアプローチ出来ないと仮定したのなら。
 この案件の糸口は時の中そこにある。
 破れかぶれの自信を胸に、絵美は力強く頷いて見せた。


「分かった。アンタはここでこの男を拘束していてくれる?私はさっきの刺突犯を探して来るから」


 言うが早く地に飛び出した絵美に、相棒のメッセージが乗って来る。
 曰く。


《You see?》


 勿論、答えは決まっている。


「Of course,I see」


 少しだけ、踏み出す一歩が軽くなる。
 それと同時に、地を蹴る力が強くなる。
 信頼と言う追い風と重みを感じながら、正岡絵美は渋谷の街を駆け出した。

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