T.T.S.

沖 鴉者

FileNo.1 Welcome to T.T.S.  Chapter3-6




「再会を祝う気持ちはないんだね」


「あるかんなもん、気持ち悪ぃ。仮にあったとして、ワインもねぇんじゃ杯も上げられねぇだろ」


「そうか、残念だよDie Haende,um Gott zu fangen。それとも、今は片手間ワンサイドゲーマーと呼ぶべきなのかな?もう、僕の知る君と違うんだね。それにしても君、アルコール飲めるようになったのかい?」


「その通ぉり、中々空気読めんじゃんよBeine,um Gott zu jagen。いやさ、帷子ギルベルト。今は英語式にギルバートって名乗ってんのか?相変わらずアルコールがさっぱりなのは御明察だ……まぁいぃ、T.T.S.のNo.2として告げる。お前の欲しがる俺は土の下だ。墓荒らしならピラミッドでも当たるんだな」


「……そうか、それならば結構だ」


『帷子……ギルバートですって?』


 翁面の男と源の会話を聞きながら、絵美は未来からの資料に隠されていたもう一つのメッセージを理解した。
 業病患者差別史保存委員会副会長、帷子ギルバートは絵美へと面を向ける。


「源の仕事ぶりはどうだい?我が強いから君は気苦労が絶えないんじゃないか?」


 だが、ギルバートは絵美にその返答をさせようとはしなかった。
 更に強く押し付けられる足が、彼女の呼吸を阻害する。


『この野郎……』


 睨みつける絵美を見下ろしながら、ギルバートは直垂の袂に手を突っ込んだ。
 源が身構えるのが、気配で分かる。
 だが、非常に情けない事に、今の絵美には見届ける以外の選択肢がない。
 緊迫するストレートフラッシュを前に、ギルバートが取り出したのは、アンプル付きの注射器だった。
 源が息を呑むのが聞こえる。
 バディが二つの可能性を危惧している事を、絵美は理解していた。
 即ち、投与先がギルバートか絵美か、だ。
 どちらが良いか、なんて選択肢ではない。
 どちらも最悪だ。
 かくして、注射器はギルバート自身に突き刺さった。
 同時に、一オクターブ跳ね上がったギルバートの声が源に向く。


「でもそれは仕方がないね。彼は昔からそうだったんだ。嘘じゃないよ?僕と彼は年が三つ違うんだけどね、彼は肉が好きで、僕は嫌いなんだ。逆に僕は魚が好きで、でも彼は嫌いでね。ある時彼は言うんだ。“魚ばっか食ってるお前より、肉を食ってる俺の方が強い”ってね、笑っちゃうだろ?彼はそれを本気で言うんだ。一部の隙もなく、自信タップリに、本気でね。」


 ギルバートは饒舌だった。
 面の奥の笑みすら容易に想像出来る。
 誇る様に両腕を空に広げ、歯切れよく滔々と紡がれる口調そのものを愉しむ様に、演説をぶち続けた。


「まあそれだけ、僕と彼の付き合いは古いのさ。それでね、彼はいつも言うんだよ。“俺が負けたのは肉を食う量が少なかったからだ”ってね。だから僕はその度彼に言ったさ。“じゃあ次はもっと沢山肉を食べて来ないとね”って。すると彼はこう言うんだよ。“当たり前だ。次は俺もお前が魚を食う以上に肉を食って、必ずお前に勝つ”ってね。本当、笑っちゃうよ。だって毎回そんな遣り取りが続くんだよ?でも彼は言い張るんだ。“肉を食う量が足りなかった”って。頑固だろう?呆れる程に」


 でもね、と不意にギルバートの声が急変した。
 まるで恋に落ちた乙女の様な、思春期の甘酸っぱい妄想に耽る様な、トロリとした妖しさに酔い痴れていた。


「でもそんな彼も普段は可愛らしいんだ。まるで弟みたいに僕の後に付いて来てね。嵐の酷い夜なんて枕を持って僕の部屋まで来て眠るんだよ。可愛らしいだろ?」


 ギルバートの言葉を聞きながら、絵美は思う。
 もし彼の言が真実なら、幼い頃の源は、まるで。


『まるで紫姫音じゃない』


 例えば、大好きな誰かを独占しようとする言動。
 法隆寺でもビック・ベンでも、紫姫音は源と絵美の遣り取りにケチをつけた。
 時には悪態を吐きながらも、決して離れようとはしない距離感で、まるで相手の愛情を確かめる様に。
 ギルバートの演説は終わらない。


「分かるだろう?僕が彼に魅了されたその訳が!源はどこまでも真っ直ぐに!そして素直に!僕に相対し続けてくれたんだよ!だから!……だから僕は、彼が緋雅嵯紫音に会いたいと言った時、全力で彼を手助けしたんだ」


 再び、強い衝撃が絵美を震わせる。
 彼女の中で、少しずつドットがラインを成して行く。


『それじゃあ……あの記事は本当だったの?』


 緋雅嵯紫音と言う名は、T.T.S.ならずとも世間に知れ渡っていた。
 何故なら、あの有名なTLJ-4300SHの末尾を飾る《SH》の由来、世界で初めてタイムマシンを開発した人物の名だからだ。
 “現代のヨハン・フォン・ノイマン”と呼ばれたタイムマシン開発者とい(かなはじめ)源の間に、線が生まれる。
 それを補強する様な、あのタブロイド誌の記事。


“世界初のタイムマシン開発者に隠し子がいた”


 そして亜生インターフェイスFIAI紫姫音。
 思い返せば、マリヤが携わった亜生インターフェイスFIAI開発は緋雅嵯紫音を中心に据えて始まっていた。
 果たしてこれ等は偶然の一致か、必然の合致か。


『偶然では……ない』


 絵美は思う。
 源が気掛かりにしていた帷子ギルバートの口から飛び出た緋雅嵯紫音の名前を考えるに、その繋がりが偶然である筈がない。
 ギルバートが、ゆっくりと絵美に手を差し出した。


「君は今の彼のパートナーなんだろう?どうだい?彼の相棒は中々大変だろう?向いていないんだよ」


「止めろギル!!」


 血を吐く様な源の声が聞こえるが、絵美はギルバートから目を離せない。


「全く以って彼らしくないよね、てんで向きじゃない。一緒にやっていてそう思う事が多いんじゃないかい?」


 その言葉は、凪いだ湖の様に静かなのに、髭根の様に絵美の強迫観念に蔓延った。
 強まる脚力に耐え兼ねて、呻きを漏らしながらも、絵美はギルバートを睨みつける。


「おいおい、そんなに睨まないでくれよ。ただ僕はこう言いたいだけなんだ」


 ギルバートが笑った。様な気がして、圧し潰されそうな絵美の胸に嫌な予感が去来する。


『何、よ……』


「お前は源の相棒バディに向いてない。役不足だ」


直後。


キィィィィィィン
ドブジュッ!
「絵美!」


 どこかで聞いた音が絵美の聴覚を揺すり。
 彼女の左肩に、孔が穿たれた。


「う…っあああああああああああああああああああ……」


 焼ける。
 そう感じた。
 左肩を中心に、身体全体が焼き尽くされてしまうと。
 意識がどこかに飛ばされて行きそうだ。
 だが、それを遮る様に、急速な血圧低下が吐き気を呼び込む。
 痛い。消える。気持ちが悪い。熱い。溶ける。寒い。凍える。重い。砕ける。崩れる。痺れてペラペラで、淀んでザラザラで、痛くてジクジクする。
 ザワザワ五月蠅い五感の全てが、急激に鎮まって行く。
 薄れ行く意識に死を感じた時、その更に向こう側で、対照的な二つの声が聞こえた。


「酷い歌だ。耳障りで女性らしさが微塵もない。醜悪だな」


「ギルバートォ!!!!」


 そこから少しの間、正岡絵美は記憶がない。

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