T.T.S.

沖 鴉者

FileNo.1 Welcome to T.T.S.  Chapter3-3




 川村マリヤの確保に例を見る様に、T.T.S.が時間跳躍者の確保をする時、基本的に銃火器や刃物は用いない。
 それは外傷を与える事による時間跳躍者の血液や、薬莢等の物的証拠を残さない為だ。
 余談だが、古代遺跡等から見付かる時代錯誤遺物オーパーツはその例外で、開発者緋雅嵯紫音の意向を継いでT.T.S.が設置した跳躍先時間の制限装置だったりする。
 これは人類誕生以前に跳ぶ事で想定される災害。
 例えばかつていた未知のウイルスとの遭遇によるパンデミック等を避ける為に設置されており、考古学者の仮説を基に世界中の古代文明建築に置かれた。
 話を本筋に戻そう。


「ASIより救済の溜息サァイ・ウィズ・レリーフを実行」


 自身のWITに呟いた絵美の手元で、変化が起こる。
 細い幾束もの管が紐となって手首から扇状に広がり、指先に口を開く。
 指の骨格に沿って広がる銀色のそれは、さながら指の骨を剥出した様に見えた。
 これが絵美の使用武器。
 救済の溜息サァイ・ウィズ・レリーフ
 空気中に0.032%の体積比で存在する二酸化炭素を選別吸収し、圧縮、発射する空気銃だ。
 大気の中では質量の高い二酸化炭素は、その濃度が3%以上となった際に毒性を顕現させる。
 源の用いる破滅との握手シェイクハンズ・ウィズ・ダムネーションと絵美の用いる救済の溜息サァイ・ウィズ・レリーフ
 物的証拠を残さず時間跳躍者を制圧出来るこの二つの武器は、共にT.T.S.の本質を象徴している。
 勿論、これ等には欠点もある。
 破滅との握手シェイクハンズ・ウィズ・ダムネーションは相手に手が届く範囲まで接近しなければならないし、救済の溜息サァイ・ウィズ・レリーフには外れる可能性はある。
 ではその命中精度を上げるにはどうするか?


 読者諸賢はもうお察しの事だろう。


「「Special Camouflage Processing Version Chameleonを実行」」


 二人の和洋折衷の姿が闇夜に溶け、虫声の中で足音だけが響く。
 人間は普段、七割の情報を視覚で得ている。
 命中精度向上の方法は、光学迷彩カメレオンで違法時間跳躍者の索敵を著しく困難にする事だ。
 だが、これとて完璧ではない。
 光学迷彩カメレオンの装備者が発する音や臭い、熱は消せない上、水が掛かれば一発で効果はなくなる。
 そもそも、物理的に肉体は存在するのだ。
 法隆寺近辺は卑湿な土地ではない為、光学迷彩カメレオンを剥ぐ危険性はないものの、接敵が絶対に相手に認識されない保証はない。
 よってストレートフラッシュは姿を消しても尚、慎重を重ねる。


「20m程歩いた所で足元に救済の溜息サァイ・ウィズ・レリーフを撃ち込むから、転倒に合わせて破滅との握手シェイクハンズ・ウィズ・ダムネーションを叩き付けて」


〈了解〉


 手短な通信を終え、絵美は息を殺す。
 有島高尾の出現予定時刻が迫っていた。
 出現予知座標の指す場所は、南大門近くの個人邸宅の蔵だった。
 間違いなく富裕層の物だろう、高さ十数メートルの強固な蔵は、全景を抑えるだけで距離が要る。
 その為ストレートフラッシュは、敷地前の通りに散って有島を待っていた。
 有島の時間跳躍動機は不明だが、敷地周辺を見れば跳躍後の経路は予想出来た。
 敷地を出て左側が、真っ暗な山道となっていたのだ。
 よって絵美は敷地を出て右手側の商店に立て掛けられた葭簀の陰に、向かいの民家の軒先に源が、それぞれ陣取っていた。
 道路事情と文明発達具合からか人通りもない為、人払いの必要性もない。
絵美は秋月を見上げる。


『街灯がない事が追い風になるなんて予想外だったわ……』


 ボンヤリと月明かりが照らす道はそれでも暗く、眼を開けばそこに掴めそうな位濃厚な闇があったが、お蔭で二人の足跡は綺麗サッパリ闇に呑まれていた。
 これは2176年から来た絵美には予想外の利点だった。
 有島がレンジャー経験でもない限り、まず二人を発見する事は出来ないだろう。
 対して、こちらの視界はWITの機能で幾らでも補強が効く。


『迎撃体制としては完璧ね』


 そして遂に、その時はやって来た。
 蜂の羽音の様な、赤外線投射機の機械音の様な、ブーンともジーとも聞こえる、不自然な音。


『来た!』


 絵美の身体に緊張が走り、手が拳を形成した。
 骨伝導音の向こう側でも、同様に息を呑む音が聞こえる。
 耳を澄ませて目を瞑る。


『体制は盤石!』                          


 音が増幅していく。


『気力も充分!』


 それは正に、厚くて重い、蔵の戸が開く音。


『策も隙なし!』                        


 時間の壁が、割れる音。


『さあ、仕事の時間だ』


 唇を軽く舌で湿らせ、絵美は拳を広げた。
 有島が敷地を出る。
 最初はコソコソと挙動不審に。
 馬鹿みたいに虚空に「誰かいるか?」と問い掛けながら。
 だが、そうして慎重に動くのも最初だけ。
 すぐに有島は人気のなさに胸を撫で下ろして通りを歩き出す。
 それを見て、絵美は葭簀を出る。
 光学迷彩カメレオンでその事実に気付かない有島。
 聖母の様に婉然と佇む絵美の元にアホ面で歩を進めて。
 突然、吹き荒れる溜息に脚を掬われる。
 救済の溜息サァイ・ウィズ・レリーフ
 それは、有島がこの時代で感じる唯一の風。
 次の瞬間には、破滅が彼に手を差し伸べる。
 破滅との握手シェイクハンズ・ウィズ・ダムネーションは瞬時に有島の意識を刈り取り、彼を組み伏す。
 結局、有島がこの短い時間旅行で味わえたのは、僅かな空気と土の味だけ。
 ストレートフラッシュはその役の強さを存分に証明して、未来へと帰還する。










筈だった。




























キィィィィィィン
ドブジュッ!
ズンッ!!!!!!


 イメージになかった轟音が、複数同時に鼓膜を揺さぶる。


「え?な、に?」


 違和感を覚えるより前に、絵美は呟いていた。
 短時間に連続した音が文字通り青天の霹靂で、彼女の思考は完全に止まってしまったのだ。
 だがそれも、ほんの一瞬の事。
 すぐに彼女は、源の声に耳を揺さぶられる。


〈まさか……野郎ぉ!〉


「え?」


〈紫姫音!!!急いで赤外線型視覚I・Vを切れ!!!急ぐんだ!!!〉


 明確な焦りに染まった呟きの意味を探る事も、葭簀の向こうを駆け抜けていく気配を止める事も出来ずに、彼女はボンヤリと立ち尽くす事しか出来ない。
 呆然と事の推移を見るしかない絵美の耳が、それでもまた新たな情報を彼女に与える。


「Scheisse!!!!!!!!!!Mist!!!!!!!!!野郎!!!!!!!!!!殺りやがった!!!!!!!!!!」


 それはもう、咆哮と言っても過言ではなかった。
 殺気と怒気の籠もった源の大絶叫が、一帯を裂かんばかりに轟く。
 その段になって、絵美は漸く我に返った。


『マズイ』


 思うが早く、身体が動く。
 葭簀を飛び出ると、丁度源が光学迷彩カメレオンを解いて蔵の方へと走って行く場面にぶち当たった。
 一瞬、人払いに回るべきか、と考え、しかし絵美は敷地までの距離を詰めに掛かる。
 彼女の中で、凄まじい勢いで恐怖が膨れていた。
 状況が見えない。
 さっきの音は何だ?
 回転刃の起動音の様な、ナイフを果実に突き立てた様な、爆発音の様な音だった。
 一体源は何を見た?
 どうしてあんな絶叫を上げた?
 一体何だ?
 たった十数メートル離れた場所で、何が起こっている?
 空回りする思考が、それでも必死に足掻く。
 脚が本来のパフォーマンスをしてくれない。
 肺が縮んだのか、呼吸が苦しい。
 頬を伝うのは、汗だろうか?涙だろうか?
 ただ、頭が真っ白なのに、絵美は聞こえてしまっていた。
 少しずつ増えて行く、雨戸を開ける音を。
 それは、現地人達の好奇と興味の音。
 過去と未来にバイバスをこじ開けてしまう、
 世界崩壊の足音。


『ヤメテ…………ヤメテ……』


 このままでは、見られてしまう。


『ヤメテ……見ないで……ヤメテ……ヤメテ……』


 未来の過ちを。
 過去への裏切りを。
 取り返しのつかない現在を。


『お願いだから…』


 吐き気がした。
 声が消えた。
 景色が滲み、匂いが去った。
 T.T.S.である事を、初めて後悔した。


『ヤダ…ヤメテ…見ないで…どうか…』


 祈る様に、媚びる様に、そう願う事しか出来ない。
 婉然と微笑む聖母等程遠い、これでは無力な赤子だ。
 蔵が見える所まで着くのに、随分と時間が掛かった気がした。


「ウソ……」


 口を吐いたのは、阿呆の様な言葉。
 月明かりが照らす中絵美が目にしたのは、どす黒い何かに塗れた人影と、それを担ぐもう一つの影。
 それは凄惨で、悲惨な光景だった。
 テラテラと月明かりを照り返す血に塗れた有島を、源が引き摺っている。
引き摺った軌跡を示すヴェールが古臭いCGみたいに虚構的なのに、瀕死を告げる人型が馬鹿に現実的で、信じられない。
 だから反応が遅れた。
 目の前で唸る様に呼ぶ、源の声に。


「絵美!!」


「…っ!!」


 パニック時にドスの利いた声で名前を呼ばれると言うのは、思いの外驚く。
 慌てて視線を転じた絵美は、しかし直後に本気で怯える。
 そこに、鬼面を貼り付けた様な源の顔があったからだ。


「聞いてんのか!?あの葭簀持って来いっつってんだ!!」


「はい……はい!!」


 言われるがまま踵を返す。
 身を隠していた葭簀を抱き上げる。
 一刻も早くと源の元へと舞い戻る。
 頭の中が真っ白だった。


「敷け」


 体が震える。
 手が驚く程冷たい。
 失敗してしまう。
 許されないのに。
 大変な事になるのに。


「おい絵美、聞いてんのか?敷け」


 世界が、壊れてしまうのに。


「おい!!!……っ!!」


『私は…』


 不意に冷たい手を取られ、目の前で喝を入れる声に意識が引っ張り上げられた。


「しっかりしろ!!!!!!!!!!」


 視線を上げると、そこに源の顔があった。
 問い質す様な真剣味を湛え、縋る様な必死さを広げ、それでも励ます様な強さを持って。


「お前は俺のパートナーだろ!?!?だから任務放棄は認めねぇんだろ!?!?だったらしっかりしろ!!!!これしきで揺らぐな!!!!」


 その声は、鼓膜のみならず、琴線まで揺らして。


「こうなっちまったもんは仕方がねぇんだ!!!!今更変えられねぇんだよ!!!!だから考えろ!!!!何とかしようと足掻き続けろ!!!!何とかして掴むしかねぇだろ!!!!今を今にし続ける方法を!!!!ここが未来だろうが過去だろうが、お前がいる場所はいつだって今だろ!!!!」


 その表情は、絵美の責任感と矜持に火を点けた。
 彼女の頭の中で、明確に何かが切り替わる。


『そうだ』


 過去に起こった事を変えてはならない。
 時間を操ろうとしてはいけない。
 だが、今何かが出来るならば、それをしなければならない。
 慚愧等後で幾らでもすればいいのだ。
 未来とは、そうして作り出した過去の上にある。


「……ごめん」


 漸く出て来たまともな声は、しかし僅かに震えていた。
 それでも、彼女のパートナーは頷く。
 彼は理解しているのだ。
 彼女の心にあり続ける熱意と責任感を。
 だから信じた。
 彼女が必ず、いつもみたいに沈着冷静になる事を。
 故に託した。
 彼女が希望を見出す可能性に。
 ならば彼女は、それに応えなければならない。


「……こんなのはどう?」


 その為なら、正岡絵美は何だってする。

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