T.T.S.

沖 鴉者

FileNo.1 Welcome to T.T.S.  Chapter3-2




「ねえ、あの画像、どんな意味があるんだと思う?」


 真っ暗な参道をひた走りながら、絵美は源に尋ねる。


「……さぁな」


 返された素気ない言葉に、いつ不興を買ったのかを考えた。
 嫌味を喉に閉じ込めて、絵美は源を盗み見る。
 ボンヤリ見える源の横顔は、硬く強張っていた。


『……何なのよもう』


 未来のデータを受け取った二人は、取り敢えず内容を確認し、それに従う事にした。
 ただ、内容確認以降、何故か源は寡黙になってしまった。
 未来から来たファイルには、指令書以外に四つの資料が添付されていた。
 一つは、2167年に政府に提出されたあるNGOの発足申請書、もう一つは、その代表者の来歴が記された文書、そして二枚の3D画像だ。
 NGO申請書は《業病患者差別史保存委員会》に関する物だった。
 疾患者差別で有名な業病、つまりハンセン病患者達の意志を継ぐ事を目的とした組織だ。
 あらゆる人間関係から強制的に隔離され、浮世との繋がりを一切禁じられた場所で一生を終えた者達の暗く悲しい記憶を恒久的に保存する活動は、絵美が見ても非常に意義深い。
 だが、続く文書データと画像データの一枚で、業病患者差別史保存委員会のイメージは失墜する。


〈有島高尾 52歳 男性。
 2146年 択捉国立大学経済学部経営学科を卒業論文の盗用、及び友人数名を暴行した疑いで除籍。
 その後、新井喜多満衆議院議員の私設秘書をするも、2170年、同議員政治資金横領の疑いで逮捕。
 翌々年、模範囚として刑期短縮により出所。
 2172年7月にらい菌発見の国ノルウェーより帷子ギルバート氏を副会長に迎え、NGO業病患者差別史保存委員会を発足〉


 文書とセットで開封された3D画像には、ブルドックそっくりな有島の顔があった。


『死ぬ程胡散臭い……』


 少なくとも、絵美はこの男が出馬しても投票しようとは思わない。
 ターゲットに関する資料は、これで全てだった。
 川村マリヤの確保時と何ら変わりない、テンプレート通りの時間跳躍者捕獲任務用資料だ。
 だが、異彩を放つ物が一つだけあった。
 添付された一枚の3D画像だ。
 そのデータを展開した時、ストレートフラッシュの背中に冷たいものが走った。
 それは、FPSのプレイ画面の様な視覚傍受画像だった。
 光量の足りない狭い昇り階段で、こちらを向く人影がある。
 体型から見て、それが男なのは間違いない。
 直垂を身に纏い、振り返った格好の人影は、能で用いられる翁面に覆われていた。
 傾いだ好々爺のクシャクシャの笑顔が、こちらを窺う。
 その姿は薄暗い周辺からボンヤリと浮かび上がる様で、絵美の危機感を仰いだ。
 感想を求められれば、不気味としか答えられない。
 画角全体が放つ異様な存在感が、口を噤ませる。
 恐らく、源もそれに中てられたのだろうが、それにしても、今の彼はおかしい。
 緊張感のある場面であればある程リラックスしている男が、何故ここまで寡黙になる?


『やっぱり一声掛けるべきかな…』


 そう思い至った時だ。
 唐突に、傍らの脚が止まるのを感じて、絵美は振り返った。


「源?」


「……絵美」


 聞こえて来たのは、聞いた事もないシリアスな色の声。
 自身の違和感の核心に迫るものを感じて、思わず絵美も声のトーンを落としてしまう。


「何?」


「お前還れ」


「は?」


「この件からは手を引いてお前は還れって言ってんだ」


「何を……」


 世迷言を!と思った。
 T.T.S.の活動は、前述の通り二人一組ツーマンセルだ。
 時と場合によって違う布陣の場合もあるが、ベーシックな時間跳躍者捕獲任務では基本二人一組ツーマンセルになる。


『それを一人で行かせてくれって?』


「お断りよ」


 出来るだけ間を置かずに、絵美はピシャリと突っ撥ねた。
 実際、未来からのファイルは二人のWITにそれぞれ送られて来た。
 二つは同じ内容で、そうした処置の目的は問うまでもない。
 それは未来からの“ストレートフラッシュで有島高尾の確保に向かえ”という絶対命令だ。
 時の番人たるT.T.S.の絵美が、ここで退く理由にはならない。
 また源が寝惚けた事を言い出したのだろう、と言葉を重ねた。


「ほら、冗談言ってないで早く」


 だが。


「冗談じゃねぇ!」


「……え?」


 騒がしかった虫の合唱が、少しだけ遠退く。


「今回の相手はマジでヤバい!ヤバ過ぎる!!有島がじゃねぇぞ、画像のヤツがだ!!」


 絵美は初めて見た。
 ここまで必死な源の表情を。


「お前も見たろ!?アレは尋常じゃねぇ!異常でもねぇ!異端だ!おかしんだよ存在自体が!人の理を完全に外れてる!人の皮を被った別の何かだ!あんなんに関わるべきじゃねぇ。あんな、あんなもん……どうにも…………出来ねぇ……」


 詰まる様な言葉は苦しそうに萎んでいき、最後には溜息を伴って潰れた。
 それに対して絵美がすべき事は“察する”事ではない。


「……知ってるの?あの画像の男を」


 真っ直ぐな問い掛けに、しかし答えはなかった。


「何で答えないの?」


 これは任務だ。
 私情を挟む余地はなく、気を遣う義理もない。
 だが、建前とは裏腹に、絵美の焦燥と寂寥は募った。
 沈黙が、強固な核シェルターか何かに思えてならない。
 何故源が口を閉ざすのかが、分からない。
 次第に疑念は怒りへと変わり、彼女の肚を炙り出した。


「何で答えないのよ?私はアンタのバディよ?命を同じ枠にベットしたのに、今更ダンマリ決め込むなんて卑怯じゃない。私独りで泣きを見ろって言うの?」


「そぉじゃねぇよ……」


「じゃあ何か答えてよ!」


「お前を……巻き込みたくねんだよ」


「巻き込みたくない?何から?」


「今は……言えねぇよ」


「何で?」


 引き下がる気はなかった。
 源にウザいと思われようと、知った事ではない。
 絵美は源のバディだ。
 そうある以上、彼女は源を危険に曝す訳にはいかない。
 何故なら、源は命の恩人でもあるからだ。
 だから引き下がれない。
 一歩も。


「答えて、私に話せない理由は何?」


 キリキリと弓を引き絞る様に、絵美は源に迫る。
 彼女とて、伊達に源のバディを張って来た訳ではなかったからだ。
 彼と出会ったあの日から、絵美はたゆまず努力をして来た。
 情報量を増やす為にアンテナを拡げ、集中力を研ぐ為に音速度運転の訓練も積んだ。
 歯を食い縛って苦難に耐えて、今の場所に立っているつもりだ。


『それなのに、何でアンタは……』


「少しは私を信じ「Neuemenschheitherstellungplan」……え?」


 サラリと放たれた異邦の発音に、一瞬絵美の頭は混乱する。
 だが、すぐにかつての記憶が蘇った。


「……ドイツ連合国の新人類組成計画?」


「な!……何で!?何でお前がそれを知ってる!?!?」


「え?だって俺が被験者だどうだって……」


「お前!!それ誰から聞いた!!!!」


 目を剥き、頬を強張らせ、源は絵美に掴み掛る。
 その握力は、絵美が体感して来たどんな力よりも強く、熱かった。


「誰から聞いたっつってんだ!?!?最近何か起きてねぇか!?!?」


「いや特に何も……っつ……源、痛い……」


 繊細な表情で口角泡を吹き出しながら、源は絶叫していた。
 そしてこの時、絵美はある可能性を見出していた。


『あのロンドンで会った源は今より未来の彼?』


 よく考えれば、それは大いに有り得る話だった。
 ビッグ・ベンで出会った時の源は、絵美の眼前で超人的な力を如何なく発揮して見せた。
 もし源が本当に新人類組成計画に関わっており、結果何らかの力を得ているのだとしたら、それを秘密にしておきたい内は力を見せる様な真似はしないだろう。
 だが、開き直る決意をしたらどこまでも開き直るのも源の特徴だ。
 ここで秘密を打ち明けたら、以後の彼は躊躇わず力を使うだろう。
 何より絵美は、まだあの言葉を源に言った覚えがない。


「あ、のね……源」


 腕の痛みに耐えながら、口を開く。
 打たれ強いさには自信のある彼女の声は震え、笑顔は引き攣った。
 慌てて源は、絵美の腕を放す。


「悪ぃ…」


「うん大丈夫、気にしないで……」


 頭をフル回転させる。
 何とかこの場を凌がなければ、任務に障るのは確実だ。


「あのね、アンタが実際に新人類組成計画に関わっていたかどうかは知らないけど、昔タプロイド誌がそんな話題を取り上げていて、そこに被験者のイニシャルが記載されていたの。アンタと同じG・Kだった。でね、昔クリスマスに痛飲みした事あったじゃない?私とアンタと紗琥耶でさ、覚えている?そこで冗談半分で潰れる寸前のアンタに訊いてみたのよ、“あの記事の被験者って源なんじゃないのぉ?”って……覚えている?」


「…………いや、全然……」


「だろうと思った。その時アンタ大声で言ったのよ、“ハーイ、それは俺です!俺の事ですぅぼばばばばばばばばば”って」


「わざわざ吐く所まで再現するなよ……いい思い出じゃねぇんだからよ……」


「あはは……だよね。あれから暫くカップラーメン生活って言っていたものね」


 これは、即席にしては上出来な言い訳だった。
 と言うのも、実は源、物凄く酒に弱い。
 グラスビール一杯でフラッフラに酩酊、ジョッキが出た日には「死ぬ」宣言する程弱い。
 そんな彼に2年前のクリスマス、絵美はT.T.S.No.1ジョーン・紗琥耶・アークと共謀して、ロシアンビールとか適当にぶっこいてウォッカ入りビールを飲ませた事があった。
 結果源は開始早々自らの反吐に沈み、近隣のホテルに運ばれた挙句、悪乗りした絵美と紗琥耶にコールガールを五人も呼ばれて三百万近い出費を強いられたのだ。
 当然、以降の源は絵美と紗琥耶の二人が揃う事をブラックジャックのバーストみたいに恐れ出し、忘年会の様なオフィシャルな場ですら滅多な事では顔を出さない。
 今やいい思い出である(絵美的に)。
 そんな訳で、源にその晩の記憶は殆どなく、捏造し放題なのだ。
 職務の為とは言え、絵美さんは意外とエグイ事をなさる。


「って事でさ!酔った勢いの戯言だと思っているから大丈夫」


「そぉかよ」


 ニカッと笑う絵美をシゲシゲと見詰め、源は歯切れ悪く頷いた。


「で?どうして私を巻き込みたくないの?」


 唐突に、話題は源が口を閉ざす理由へと戻った。
 このままではバディとしてバラバラになってしまう。
 だからこそ一旦雑談を挟んでの本丸攻めだ。
 Neuemenschheitherstellungplanという言葉が出た以上、二つの事件に関連性があるのは間違いないのだ。
 真っ直ぐに向けられる絵美の視線に根負けしたのか、源は一つ溜息を吐いた。


「あぁそぉだ。俺はあの画像の男に面識と因縁がある。だから……そんな私怨にお前を巻き込みたくねんだ」


『“画像の男”ねぇ……』


 未だに何かを隠している事は明らかだが、一旦そこで折れておく。
 最優先事項はあくまで有島高尾の確保だ。


「これだけは言わせて。私はアンタのバディ、パートナーよ。私怨に走る事は勿論、任務放棄も認めないわ。だから早いとこ有島を確保しましょ。私怨があろうが何だろうが任務はやらなきゃ」


 浮かぬ表情ではあったが、源は頷く。
 言いたい事は何となく絵美にも分かる。
 電磁銃さえ阻む源が恐れる相手が、果たして死以外での決着を許すだろうか?
 何にしても、杞憂を膨らます時間は終わりにしなければならない。
 二人は更新されたAR情報を参考に、有島高尾の出現予知座標へと足を速めた。










 ストレートフラッシュの二人が走り去ったその場所に、ゆっくりと一対の脚が現れる。
 細くスラリと伸びた長い脚は、しばらくその場でストレートフラッシュを見送り、やがて二人とは異なる方向へと消えた。

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