リストラ賢者の魔王討伐合理化計画

平尾正和/ほーち

第7話『賢者の法衣と賢者の歩み』

 ヤシロとクレアはドラゴンの背に乗っていた。


「乗り心地はどうですかな? 急ごしらえの客席で申し訳ありませんが」
「ああ、上々だ」


 ドラゴンの背には豪奢な革張りのソファが取り付けられており、ヤシロとクレアはそこに並んで座っていた。
 公爵級魔人のヴェレダは、御者台のようなところに立って手綱を握っている。


「ふむ、スカイツリーよりも高いな」


 〈賢者の目〉で計測した所、ドラゴンは現在地上からおよそ700メートルの高さを、時速200キロメートルほどで飛行していた。
 ドラゴンの背にただ設置されただけのソファに座っているヤシロだったが、寒さも風も感じることはなかった。
 どうやらヴェレダが魔法で防護しているようである。


 出発から1時間ほどが経過したところで、デウセッツァ山に行き当たった。
 標高8000メートルを超える、死の山脈随一の雄峰でである。


「越えられるのか?」
「ご心配なく」


 ヴェレダがそう答えた直後、ドラゴンは急上昇を始めた。
 ほぼ垂直に上昇を始めたドラゴンの背に乗っているヤシロだが、特に負荷を感じることもなく、ドラゴンはデウセッツァ山の山頂より高く舞い上がった。
 あとは方向を戻して前進すれば問題なく山を越えられそうだというところで、ヴェレダがうしろを振り返り、爽やかな笑みを浮かべた。


「では賢者殿、さようなら」


 ヤシロたちの座っていたソファが、ドラゴンの背から外れた。


「きゃあああああ!!」


 高高度から落とされたクレアが悲鳴を上げる中、ヤシロは落ち着いた様子で彼女を抱き寄せた。


「クレア、落ち着け。離れると厄介だ」
「ああ……うぅ……」


 なんとか悲鳴を押し殺しながら、クレアはヤシロにしがみつく。
 シートベルトのように身体を固定するものがなかったため、やがてソファはふたりから離れていった。
 抱き合うのが少し遅ければ、同じようにふたりも離れ離れになっていただろう。


「やれやれ、面倒なことをしてくれる」


**********


 〈賢者の法衣〉が一体どこまで自分を守ってくれるのか、ただ無条件にスキルを信頼するほど、ヤシロは楽天家ではない。
 まずヤシロはナイフを用意してもらい、自分の手のひらに切っ先を振り下ろした。


「ヤシロさまっ!?」


 その様子を見たクレアは悲鳴を上げたが、ナイフの切っ先は手のひらに触れるか触れないかというところでピタリと止まった。


「ふむ。不思議な感覚だな」


 さらに、床に固定したナイフに向かって手を振り下ろしたが、やはり手は切っ先でピタリと止まった。


「では避けられない状況ならどうだ?」


 と、上を向くナイフに飛び乗ってみたところ、靴の裏が切っ先に触れたところで落下がピタリと止まった。
 その後、ヤシロはバランスを崩して危うく転びそうになったが。


「どうやら、“何ものも賢者を害することはできない”という“何もの”には、私自身も含まれるようだ」


 そうやって、ヤシロはあらゆる方法で自分を傷つけようと試みたが、すべて効果がなかった。
 その中には、高い場所からの落下も含まれている。
 無論、8000メートルを超える高さからの落下は試していないが、数百メートルの高さを飛ぶ竜篭からの落下で平気だったのだから問題はないだろう。


「クレア、着いたぞ」
「え……?」


 8000メートルの高さから山の中腹までのおよそ5000メートルを落下したヤシロたちは、地上に降り立つ頃には相当なスピードが出ていたはずであるが、例のごとく地に足がついた時点でなんの衝撃もなくふたりは立つことができた。
 そのため、恐怖のあまりヤシロの胸に顔を埋めて目をギュッと閉じていたクレアは、自分がすでに地面に立っていることに気づかなかったほどだ。


「本当に、地面に、足が……。あ、そういえば、風が……」


 何度か地面を踏みしめたところで、落下による風圧がなくたったことにようやく気づくクレアだった。


「さて、最後まで案内してもらえなかったのは残念だったが、無駄ではなかったな」
「ええ、そうですわね」


 〈賢者の庵〉に入り、コーヒーを一杯飲み干したところで、クレアもようやく落ち着いてきたようだった。


「ほう。ではクレアも確認したのだな?」
「はい。存在力の流れ、ですよね?」
「そのとおりだ」


 ふたりはヴェレダから流れ出る存在力を観察していた。
 爵位としては最高位にあたる公爵から流れ出る存在力の行き着く先は、おそらく魔王であろう。


「山を越えてさらに北へ、かなりの距離がありそうだったな」
「はい。わたくしにはその行き着く先を確認できなかったのですが、ヤシロさまは?」
「うむ。私も終点までは確認できなかったな。しかし、方角だけでもわかったのはありがたい」


 魔王領は広い。
 当てずっぽうで魔王の居城にたどり着けることはまず無いだろう。
 しかし、おおよその方角がわかっていればいずれはたどり着けるだろう。


「仮に今回の視察でたどり着けなくとも、方角がわかっていれば勇者たちの行程に役立つはずだ。我々は、できるだけ魔王の下へ近づけるよう努力しようか」
「かしこまりました。しかし問題は……」


 庵の扉を出ると、冷たい風に身を晒された。
 軽く身を震わせたクレアだったが、防寒具も身に着けていない彼女がおよそ3000メートルの山の上で凍えることなく、少し寒気を感じる程度で済んでいるのもまた、〈賢者の法衣〉のおかげだった。
 スーツ姿のヤシロも平然としている。


「これを越えられるかどうか、ですわね……」


 庵を出たところは切り立った崖のようになっていた。
 中腹とは言えまだ5000メートル近くは登らねばならないし、そのあと反対側へと下山する必要もある。
 また、見える範囲だけでも数十匹の高レベルな魔物が確認できた。
 ふたりにとってはともかく、勇者たちにとっては充分な脅威となるだろう。


「どれくらいかかるでしょうか?」


 見上げたところで山頂は見えない。


「なぁ、クレア」
「はい」


 ヤシロがペシペシと目の前にそびえ立つ崖のような山肌を叩きながら、クレアを見た。


「これ、邪魔だと思わないか?」
「……はい?」


**********


「はぁ……。心配して損しましたわ」


 苦笑しながらヤシロについてクレアは小走りに駆けていた。
 ふたりは今、山の中を進んでいる。
 山の中といっても山中さんちゅうではない。
 文字通り山の中――山の内部、土や岩をすり抜けて走っているのである。


「やればできるものだな」


 “何ものも賢者の歩みを妨げることはできない”という〈賢者の歩み〉のお陰で、障害物認定された山をすり抜けることができたというわけだ。
 しかも土の中は自分が思うように地面――足の裏との接地面――を設定できるらしいので、坂道を駆け下りるよう、徐々に高度を下げながら進んでいく。
 また、土の中であっても〈賢者の庵〉は問題なく使えるようなので、ふたりは適宜休憩しながら、山の中・・・を駆け下りていった。


「丸1日、休憩時間・・なしで走ってようやく越えられたか」
「庵がなければ3日はかかっていたでしょうね」


 上手く高度を下げられたようで、ふたりが山の外に出たところは平地に近いところだった。


「ふむう……意外と普通だな」
「これが、魔境……」


 デウセッツァ山を含む死の山脈は、人が越えることのできない境界線であり、その向うは魔境と呼ばれ、恐れられていた。
 長い人類の歴史上その境界を越えた者は皆無ではないが、その大半は戻ってくることができず、戻ってこられた者もただ恐怖を語るのみで、魔境について人類はほとんど何も知らないというのが現状だった。
 過去に何度か現れた魔王も、そのすべてが死の山脈を越えた人類圏側で倒されているので、歴史上の勇者でさえ魔境に足を踏み入れた者はない。
 裏を返せば、魔王を倒すには人類圏に深く侵攻を許してからでないと困難だということになる。
 また、ひと口に“魔王を倒す”と言っても、実際に命を奪えたのは半数足らずで、半数以上は魔境への撃退をもって魔王討伐完了としていた。


「魔境と言うからには、瘴気渦巻く不毛の荒野と言うものを想像していたのだが……」
「我々の住む場所とさほどかわりはございませんね」


 山の麓から見える景色は、麓に広がる深い森林と、その先に広がる緑豊かな平原だった。


「しかし、これを越えるのはやはり困難かな」


 ヤシロは背後にそびえる雄峰と、それに連なる山脈を振り返って嘆息した。
 山脈すべてがデウセッツァ山ほど高くはないが、一番低いところでも3000メートルを超えており、単純に登山で越えるだけでも険しい上に、死の山脈には高位かつ高レベルの魔物が多く生息している。
 また、ワイバーンが飛べる高さの限界が1000メートル前後なので、人類随一の飛行手段である竜篭を持ってしても越えることは不可能だ。


「ま、山越えについては後で考えることにして、いまは先に進もうか」
「ですわね」


 山の麓には険しい森が広がっており、その中をふたりは小走りに駆け続けた。
 鬱蒼と生い茂る樹木もまた障害物となるため、〈賢者の歩みに〉よってすり抜けることができた。
 また、さすが魔境というだけあって人類圏側とは比べ物にならないほど高レベルな魔物が数多く生息していた。
 魔物たちはふたりを見るや猛然と襲い掛かってきたが、無論彼らはそれを無視してただ黙々と進み続けた。
 そしてさらに1日をかけて森を過ぎたところで、ドラゴンと共に待ち受けていた公爵級魔人ヴェレダが再び姿を現わしたのだった。



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