あなたの未来を許さない
第六夜:01【スカー】
第六夜:01【スカー】
スマートフォンには、「午前一時五十八分 十月三十一日 土曜日」と表示されている。
「さて」
ベッドに座ったままの小夜子が、口を開く。
「ねえ……まだヘソを曲げてるの? 悪かったって言ってるじゃない」
声をかけられたキョウカはフン、と頬を膨らませてそっぽを向いた。髪が揺れた拍子に、光の粒子が小さく飛び散っていく。
先程の熱を入れた講義。それを小夜子がほとんどまともに聞いていなかったことに、彼女は腹を立てているのだ。
「ゴメンってばもー。あ、そろそろ時間みたいね。まあ、戻ってくるまでに機嫌を直しておいてよ」
『君が戻ってくるまでの時間なんて、こっちだと十秒もないだろ!』
「戻ってくるのは前提で考えてくれているのね。ふふふ、ありがと」
微笑みながらキョウカの頭を撫でる小夜子。当然それは未来妖精の頭をすり抜け、手の甲から上半身が生えているという奇っ怪な絵面を作り出す。
「じゃあ行って来るわ。相棒」
『うっさい! やられちゃえ!』
また「ふふふ」と笑う小夜子だが……その最中に意識は突然と途切れ、闇へと飲み込まれていくのであった。
◆
……どくん!
鼓動とともに復活する、小夜子の視界。
「慣れてきているわね、自分でもよく分かるわ」
感覚だけでなく対応も順応した彼女は、そう呟きつつ周囲の状況を確認した。
……一見して分かる屋内だ。電灯も点いており、周囲を明るく照らしている。
小夜子が今立つ場所は、どうやら廊下らしい。細長く伸びた通路の脇には、所々に引き戸が設けられており、それぞれの奥は個室となっている様子であった。
それらを構成するのは掃除されたリノリウムの床、白を基調とした清潔感のある壁面。
(ここは、病院だわ)
いかにも。そこは病院の一角である。市民病院や医療センターといった、大型の医療施設。その入院病棟なのだろう。
『空間複製完了。領域固定完了。対戦者の転送完了』
アナウンスが、小夜子の頭の中へ響く。
『Aサイド! 能力名【スカァッ】! 監督者【キョウカ=クリバヤシ】!』
浮かび上がる、小夜子の能力名。対戦成績は「三勝〇敗二引き分け」。
『Bサイド! 能力名【ハウゥゥンドマスタァァ】! 監督者は【アンジェリーク=ケクラン】!』
(三人のうちの一人か!)
表示された能力名は【ハウンドマスター】。戦績は、「二勝〇敗二引き分け」。一戦分成績が足りないのは、不戦で一日勝ち越したからだろう。
『領域はこの病院の三階、東病棟と西病棟です。階段やエレベータへの進入や、窓の外へ出ると即、場外判定となります。対戦相手の死亡か、制限時間三時間の時間切れで対戦は終了します。時間中は監督者の助言は得られません。それでは対戦開始! 良い戦いを!』
ぽーん、という開始音が鳴り響く。
「いいわ。すごく、都合いいわ」
小夜子は誰もいない廊下で、一人頬を歪めていた。
◆
昔、父親が盲腸で入院したことがある。着替えの届けや見舞いのため、入院病棟というものには小夜子も何度か訪れた経験があった。
(概ね、大型の病院っていうのは似たような作りになるはずよ)
だから間取りはともかく戦場を構成する材料に関しては、小夜子は概ね予測を立てられている。
まず、急いで武器の調達が必要だ。今までと違い、今度の相手は小夜子の能力が【何も無い】ことを知っている。探りもせずに初手から攻めてくるのは、かなり高い。
(周囲から調べてみよう)
個室の入り口、その引き戸の脇を見る。そこには、小さな消毒用液のポンプ付き容器が据え付けられていた。
最近は病院だけでなく飲食店やそれ以外の店でもよく置かれている、ポンプディスペンサー方式のポリボトルだ。試しに手で押すと、「カシュ」という音と共にアルコールの液体が射出される。
(消毒用と言えど、アルコール。この手の奴も燃えたはずだけど、灯油みたいに火炎瓶に使えるかどうかは聞いたことがないわね)
持って行こうかとも考えたが、これは全病室の入り口に備え付けてあるようだ。必要であれば、後でも容易に調達できるだろう。
……がらら。
引き戸を開けて、病室に入る小夜子。あまり広くない部屋には四つのベッドが置かれ、それぞれがカーテンで仕切られている。
(とにかく武器を手に入れなきゃ。でもメスでも探さなければ、難しいのかしら)
小夜子の危惧は、杞憂に終わった。
恐らくは見舞いの最中に空間が複製されたのだろう。二番目に調べた個人スペース。そのベッドの脇に備え付けられた机の上に、梨と果物ナイフが置かれていたのだ。しかも三番目に調べたスペースからも、もう一本入手することができた。
「いきなり、果物ナイフが二本か」
些か拍子抜けする小夜子であったが、有り難いことにかわりはない。しかし逆に、果物ナイフ以外の武器を発見することは叶わなかった。
入り口の消毒用アルコールを活用できないかと思い、入院患者の荷物も漁ってみたが……ライターの類は、どこにもない。考えてみれば、入院患者に煙草を吸わせるはずもないのだ。他の部屋を探しても、着火器具を入手するのは困難であると考えられた。
一つ目の病室を後にし、隣の病室へ入る小夜子。同様に武器が手に入らないか、物色を開始する。そして手を動かしつつも、相手の能力について推理を始めるのであった。
能力名【ハウンドマスター】。猟犬使いを意味するその名から想像できるのは……。
(まず第一に考えられるのが、「猟犬」を使役する能力)
この場合「猟犬」がそのまま犬を意味するとは限らない。何か別の生き物かもしれないし、全く別の「何か」の可能性だってある。
だがどの場合でも、戦術パターンとして考えられそうなのは二種類だろう。まずは猟犬と共に襲ってくるか、本体はどこかに隠れておいて猟犬だけを戦わせるかだ。本体に及ぶ危険を考慮すれば、この場合おそらく後者だろう。
(次に思いつくのは、「猟犬」に変身する能力)
古典的ホラー作品に出てくるような、ステレオタイプの狼男が少女の脳裏に描かれる。
人間の判断力を備えたまま身体能力が強化された相手……【モバイルアーマー】のような敵と、移動経路が限られる屋内で戦わされるのは好ましい状況とは思えない。一度遭遇した相手から隠れるにも、走って振り切るにも、あの時に比べこの戦場は厳し過ぎるだろう。
(……どちらにせよ、もっと武器が欲しい)
しかし彼女の期待通りにはいかず、結局二部屋目での武器調達は失敗に終わる。代わりに見つけたのは、一枚のプリント。おそらく患者の入院時に配布しているであろう館内案内を、机の引き出しから発見したのだ。
【三階 東棟:産婦人科病棟 西棟:産婦人科および小児科病棟 見取り図】
という見出しで書かれたその案内用紙には、この階の東棟と西棟の見取り図が描かれていた。
(これで、戦場の全体図が分かるわ)
簡単に説明してしまえば、東棟西棟はそれぞれL字型を鏡映しにした一対の建物であり、そのLの字の、いわば短辺同士を互いに接続することで、病院は大きなUの字の如き形状を構成している。
L字の接続部分はエレベータ三基と中央階段を備えたホールにあてられており、後は各棟にそれぞれ上下階へ向かう階段が一つずつ設けられていた。
(私は東棟の端。その付近)
入る前に確認した病室番号と見取り図を照らし合わせ、小夜子は現在位置を把握した。
(通路だけで見ると、この階はほぼUの字一本道ね)
自らの開始位置から考えて、恐らく小夜子と【ハウンドマスター】はU字の両端からスタートさせられたのだろう。ならば相手は病室を一つ一つ順繰りに探索していけば、自然と小夜子を見つけるはずである。
いやむしろ……同じプリントを入手するなり構造の予測をつけるなりすれば、相手はこちらのスタート地点まで一気に襲撃をかけて来ても、おかしくはないのだ。
(それでも何通りか、切り抜けようはあると思うけど)
そう考えを巡らせる小夜子の耳に、
どん! どん! どんっ!
という音が届く。近い。
聞こえた方向へ向き直れば、病室の引き戸が強い力で押されているではないか。揺れている。軋んでいる。戸をスライドさせるための部品が強引に押しのけられ、破壊されそうになり、悲鳴を上げていた。
【ハウンドマスター】が、すぐそこまで来ているのだ。
スマートフォンには、「午前一時五十八分 十月三十一日 土曜日」と表示されている。
「さて」
ベッドに座ったままの小夜子が、口を開く。
「ねえ……まだヘソを曲げてるの? 悪かったって言ってるじゃない」
声をかけられたキョウカはフン、と頬を膨らませてそっぽを向いた。髪が揺れた拍子に、光の粒子が小さく飛び散っていく。
先程の熱を入れた講義。それを小夜子がほとんどまともに聞いていなかったことに、彼女は腹を立てているのだ。
「ゴメンってばもー。あ、そろそろ時間みたいね。まあ、戻ってくるまでに機嫌を直しておいてよ」
『君が戻ってくるまでの時間なんて、こっちだと十秒もないだろ!』
「戻ってくるのは前提で考えてくれているのね。ふふふ、ありがと」
微笑みながらキョウカの頭を撫でる小夜子。当然それは未来妖精の頭をすり抜け、手の甲から上半身が生えているという奇っ怪な絵面を作り出す。
「じゃあ行って来るわ。相棒」
『うっさい! やられちゃえ!』
また「ふふふ」と笑う小夜子だが……その最中に意識は突然と途切れ、闇へと飲み込まれていくのであった。
◆
……どくん!
鼓動とともに復活する、小夜子の視界。
「慣れてきているわね、自分でもよく分かるわ」
感覚だけでなく対応も順応した彼女は、そう呟きつつ周囲の状況を確認した。
……一見して分かる屋内だ。電灯も点いており、周囲を明るく照らしている。
小夜子が今立つ場所は、どうやら廊下らしい。細長く伸びた通路の脇には、所々に引き戸が設けられており、それぞれの奥は個室となっている様子であった。
それらを構成するのは掃除されたリノリウムの床、白を基調とした清潔感のある壁面。
(ここは、病院だわ)
いかにも。そこは病院の一角である。市民病院や医療センターといった、大型の医療施設。その入院病棟なのだろう。
『空間複製完了。領域固定完了。対戦者の転送完了』
アナウンスが、小夜子の頭の中へ響く。
『Aサイド! 能力名【スカァッ】! 監督者【キョウカ=クリバヤシ】!』
浮かび上がる、小夜子の能力名。対戦成績は「三勝〇敗二引き分け」。
『Bサイド! 能力名【ハウゥゥンドマスタァァ】! 監督者は【アンジェリーク=ケクラン】!』
(三人のうちの一人か!)
表示された能力名は【ハウンドマスター】。戦績は、「二勝〇敗二引き分け」。一戦分成績が足りないのは、不戦で一日勝ち越したからだろう。
『領域はこの病院の三階、東病棟と西病棟です。階段やエレベータへの進入や、窓の外へ出ると即、場外判定となります。対戦相手の死亡か、制限時間三時間の時間切れで対戦は終了します。時間中は監督者の助言は得られません。それでは対戦開始! 良い戦いを!』
ぽーん、という開始音が鳴り響く。
「いいわ。すごく、都合いいわ」
小夜子は誰もいない廊下で、一人頬を歪めていた。
◆
昔、父親が盲腸で入院したことがある。着替えの届けや見舞いのため、入院病棟というものには小夜子も何度か訪れた経験があった。
(概ね、大型の病院っていうのは似たような作りになるはずよ)
だから間取りはともかく戦場を構成する材料に関しては、小夜子は概ね予測を立てられている。
まず、急いで武器の調達が必要だ。今までと違い、今度の相手は小夜子の能力が【何も無い】ことを知っている。探りもせずに初手から攻めてくるのは、かなり高い。
(周囲から調べてみよう)
個室の入り口、その引き戸の脇を見る。そこには、小さな消毒用液のポンプ付き容器が据え付けられていた。
最近は病院だけでなく飲食店やそれ以外の店でもよく置かれている、ポンプディスペンサー方式のポリボトルだ。試しに手で押すと、「カシュ」という音と共にアルコールの液体が射出される。
(消毒用と言えど、アルコール。この手の奴も燃えたはずだけど、灯油みたいに火炎瓶に使えるかどうかは聞いたことがないわね)
持って行こうかとも考えたが、これは全病室の入り口に備え付けてあるようだ。必要であれば、後でも容易に調達できるだろう。
……がらら。
引き戸を開けて、病室に入る小夜子。あまり広くない部屋には四つのベッドが置かれ、それぞれがカーテンで仕切られている。
(とにかく武器を手に入れなきゃ。でもメスでも探さなければ、難しいのかしら)
小夜子の危惧は、杞憂に終わった。
恐らくは見舞いの最中に空間が複製されたのだろう。二番目に調べた個人スペース。そのベッドの脇に備え付けられた机の上に、梨と果物ナイフが置かれていたのだ。しかも三番目に調べたスペースからも、もう一本入手することができた。
「いきなり、果物ナイフが二本か」
些か拍子抜けする小夜子であったが、有り難いことにかわりはない。しかし逆に、果物ナイフ以外の武器を発見することは叶わなかった。
入り口の消毒用アルコールを活用できないかと思い、入院患者の荷物も漁ってみたが……ライターの類は、どこにもない。考えてみれば、入院患者に煙草を吸わせるはずもないのだ。他の部屋を探しても、着火器具を入手するのは困難であると考えられた。
一つ目の病室を後にし、隣の病室へ入る小夜子。同様に武器が手に入らないか、物色を開始する。そして手を動かしつつも、相手の能力について推理を始めるのであった。
能力名【ハウンドマスター】。猟犬使いを意味するその名から想像できるのは……。
(まず第一に考えられるのが、「猟犬」を使役する能力)
この場合「猟犬」がそのまま犬を意味するとは限らない。何か別の生き物かもしれないし、全く別の「何か」の可能性だってある。
だがどの場合でも、戦術パターンとして考えられそうなのは二種類だろう。まずは猟犬と共に襲ってくるか、本体はどこかに隠れておいて猟犬だけを戦わせるかだ。本体に及ぶ危険を考慮すれば、この場合おそらく後者だろう。
(次に思いつくのは、「猟犬」に変身する能力)
古典的ホラー作品に出てくるような、ステレオタイプの狼男が少女の脳裏に描かれる。
人間の判断力を備えたまま身体能力が強化された相手……【モバイルアーマー】のような敵と、移動経路が限られる屋内で戦わされるのは好ましい状況とは思えない。一度遭遇した相手から隠れるにも、走って振り切るにも、あの時に比べこの戦場は厳し過ぎるだろう。
(……どちらにせよ、もっと武器が欲しい)
しかし彼女の期待通りにはいかず、結局二部屋目での武器調達は失敗に終わる。代わりに見つけたのは、一枚のプリント。おそらく患者の入院時に配布しているであろう館内案内を、机の引き出しから発見したのだ。
【三階 東棟:産婦人科病棟 西棟:産婦人科および小児科病棟 見取り図】
という見出しで書かれたその案内用紙には、この階の東棟と西棟の見取り図が描かれていた。
(これで、戦場の全体図が分かるわ)
簡単に説明してしまえば、東棟西棟はそれぞれL字型を鏡映しにした一対の建物であり、そのLの字の、いわば短辺同士を互いに接続することで、病院は大きなUの字の如き形状を構成している。
L字の接続部分はエレベータ三基と中央階段を備えたホールにあてられており、後は各棟にそれぞれ上下階へ向かう階段が一つずつ設けられていた。
(私は東棟の端。その付近)
入る前に確認した病室番号と見取り図を照らし合わせ、小夜子は現在位置を把握した。
(通路だけで見ると、この階はほぼUの字一本道ね)
自らの開始位置から考えて、恐らく小夜子と【ハウンドマスター】はU字の両端からスタートさせられたのだろう。ならば相手は病室を一つ一つ順繰りに探索していけば、自然と小夜子を見つけるはずである。
いやむしろ……同じプリントを入手するなり構造の予測をつけるなりすれば、相手はこちらのスタート地点まで一気に襲撃をかけて来ても、おかしくはないのだ。
(それでも何通りか、切り抜けようはあると思うけど)
そう考えを巡らせる小夜子の耳に、
どん! どん! どんっ!
という音が届く。近い。
聞こえた方向へ向き直れば、病室の引き戸が強い力で押されているではないか。揺れている。軋んでいる。戸をスライドさせるための部品が強引に押しのけられ、破壊されそうになり、悲鳴を上げていた。
【ハウンドマスター】が、すぐそこまで来ているのだ。
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