あなたの未来を許さない
第五日:01【御堂小夜子】
第五日:01【御堂小夜子】
ふんふんふ~ん。
はんはんは~ん。
ふん! はっ! ふん!
謎の鼻歌交じりに髪を編む、小夜子。
(いける、いけるわ。この調子で倒し続ければ、えりちゃんが持ちこたえられれば、あの子を助けられる!)
小夜子は昨晩、人を殺した。
【モバイルアーマー】。名も知らぬ少年。
相手も彼女を殺す気であったとはいえ、殺人という禁忌を犯した事実は変わらない。御堂小夜子は、越えてはいけない一線を越えたのだ。
そのことから、目を背けているわけではない。
だが小夜子にとって地球上、いや全宇宙で最も大切なものを守るためなら、彼女はどんな悪行にでも手を染める覚悟があった。誰をも殺める理由があったのである。
(私が地獄に落ちる。それであの子が助かるのなら、こんな安い買い物なんてないわ)
「そうよ」
鏡の中の自分に目を合わせ、呟く。
「だからもう少し、もう何日かだけ保たせるのよ。それまで挫けるのは、許さないからね。御堂小夜子」
もう一人の小夜子が、瞳に強い光を湛えたまま頷いている。
◆
玄関の時計は「十月二十九日 木曜日 七時三十三分」と表示している。
恵梨香との待ち合わせである四十分には少し早いが、玄関へ向かう小夜子。今日も生きてあの子に会えると思うと、いてもたってもいられなかったのだ。
家の前には、もう既に恵梨香が待っていた。普段は小夜子の方が早いのだが、今日に限って待ち合わせ時間よりもずっと先に出てきていたらしい。
「えりちゃブフォ」
勢い良く抱きついて、豊かな胸に顔を埋めた。制服の厚い布地が顔を擦る。だが構わない。
一通り匂いと感触を堪能した小夜子は、満面の笑みで顔を上げ、
「おはよう!」
と挨拶した。
しかし可憐な声は返ってこない。恵梨香は表情を無くしたまま、中空を見つめているのだ。
「……えりちゃん?」
彼女は呼びかけられてはじめて、はっと気付いたように瞼をまばたかせた。
そして小夜子へ顔を向けると、
「おはよう、さっちゃん」
ようやくぎこちなく、笑顔を作る。
二人はしばらく黙したまま見つめ合っていたが、やがて恵梨香が口を開き、
「行こうか、さっちゃん」
と小夜子の手をとって歩き始めた。
「……うん」
頷いて、小夜子もそれに従う。最早単純に幸福とは言い難い、「至福の十五分」の始まりである。
……しばらく歩いていると、小夜子の手を握っていた恵梨香の指が動いた。
二つの掌が、擦れ合う。相手を求めて這い、潜り込む。細く美しいそれが、小夜子の指を貪るかのように絡みついてくる。恵梨香のほうから、恋人繋ぎを求めてきたのだ。
確かに今まで小夜子によるこの手繋ぎを彼女が拒んだことはない。だが、恵梨香側から望んできたのも初めてである。
そしてその手を握る力は、とても強かった。まるで、引き離されるのを恐れるかのように。
(一体、どうしたのだろう)
そう疑問に思ったところで、小夜子は自分の愚かさに気付く。
(私、馬鹿だ)
恵梨香の強張った顔、ぎこちない様子、小夜子を離さまいとする手。
(……えりちゃん、昨晩は、余程怖い目に遭ったんだわ)
生きていてくれたことにばかり気を取られ、恵梨香が受けたかもしれない精神的な傷への配慮を怠っていた。
(それなのに私、いつもみたいに甘えちゃって)
恵梨香の心は、傷つき疲れているのだ。
取り繕うこともできぬほど。
小夜子の手に縋りたくなるほど。
(励ましてあげたい)
勿論、対戦や未来人について触れてはいけない。そんなことをすれば、神経を焼かれて死ぬ。恵梨香を守れなくなる。だがそれでも何とかして恵梨香の心を支えたい、と小夜子は考えたのだ。
「大丈夫よ、えりちゃん」
小夜子からも手を握り返し、口を開く。恵梨香が驚いたように、見返していた。
「何か悩んでいるのね。でもね、どんなに辛いことでも、終わりはあるの。耐えていれば、必ず近いうちに道は開けるわ。だからね。それまでちょっと我慢して、頑張ろう!」
結んだ手を持ち上げて、「えい、えい、おー」と、上に突き出すように持ち上げる小夜子。
普段の彼女ならば、絶対に出ないようなポジティブな発言である。そして、あまりにも稚拙な励ましであった。だがとにかく何でも、少しでもいいから、小夜子は恵梨香を元気付けたかったのだ。
自分の語彙のなさと、気の利いたことも言えぬ言語力と表現力の低さに絶望しつつ……小夜子はもう一度「えい、えい、おー」と繋いだ手を持ち上げた。
「それに……なんだ、アレよ」
「アレって?」
「いざという時は私が、えりちゃんを絶対に助けてあげるから!」
恵梨香はそれを受けて一瞬目を潤ませたが、数秒程そっぽを向いた後に再び小夜子へ向き直り、儚げに微笑んだ。なんとか精一杯の笑顔を、作ったのだろう。
小夜子もそれに微笑み返し、さらに強く恵梨香の手を握りしめるのであった。
◆
会話も無く、「至福の十五分」は終わりを告げる。他の生徒たちと、通学路が重なるところまでやって来たのだ。
いつも通りに小夜子が指を解くと、恵梨香は掴み直そうと慌てて手を伸ばしてきた。必死なその仕草に、小夜子は思わずもう一度手を伸ばしかける。
だが。
「おはよう、長野さん」
「エリチン、オッス」
「恵梨香さん、おはようございます」
「おう長野」
恵梨香の学友らがぞろぞろと集まり始めたため、二人の手が結ばれることはなかった。
……結局小夜子は彼女たちの後ろで距離を空け歩くことを強いられ、この日はその位置関係のまま登校することとなったのだ。
ふんふんふ~ん。
はんはんは~ん。
ふん! はっ! ふん!
謎の鼻歌交じりに髪を編む、小夜子。
(いける、いけるわ。この調子で倒し続ければ、えりちゃんが持ちこたえられれば、あの子を助けられる!)
小夜子は昨晩、人を殺した。
【モバイルアーマー】。名も知らぬ少年。
相手も彼女を殺す気であったとはいえ、殺人という禁忌を犯した事実は変わらない。御堂小夜子は、越えてはいけない一線を越えたのだ。
そのことから、目を背けているわけではない。
だが小夜子にとって地球上、いや全宇宙で最も大切なものを守るためなら、彼女はどんな悪行にでも手を染める覚悟があった。誰をも殺める理由があったのである。
(私が地獄に落ちる。それであの子が助かるのなら、こんな安い買い物なんてないわ)
「そうよ」
鏡の中の自分に目を合わせ、呟く。
「だからもう少し、もう何日かだけ保たせるのよ。それまで挫けるのは、許さないからね。御堂小夜子」
もう一人の小夜子が、瞳に強い光を湛えたまま頷いている。
◆
玄関の時計は「十月二十九日 木曜日 七時三十三分」と表示している。
恵梨香との待ち合わせである四十分には少し早いが、玄関へ向かう小夜子。今日も生きてあの子に会えると思うと、いてもたってもいられなかったのだ。
家の前には、もう既に恵梨香が待っていた。普段は小夜子の方が早いのだが、今日に限って待ち合わせ時間よりもずっと先に出てきていたらしい。
「えりちゃブフォ」
勢い良く抱きついて、豊かな胸に顔を埋めた。制服の厚い布地が顔を擦る。だが構わない。
一通り匂いと感触を堪能した小夜子は、満面の笑みで顔を上げ、
「おはよう!」
と挨拶した。
しかし可憐な声は返ってこない。恵梨香は表情を無くしたまま、中空を見つめているのだ。
「……えりちゃん?」
彼女は呼びかけられてはじめて、はっと気付いたように瞼をまばたかせた。
そして小夜子へ顔を向けると、
「おはよう、さっちゃん」
ようやくぎこちなく、笑顔を作る。
二人はしばらく黙したまま見つめ合っていたが、やがて恵梨香が口を開き、
「行こうか、さっちゃん」
と小夜子の手をとって歩き始めた。
「……うん」
頷いて、小夜子もそれに従う。最早単純に幸福とは言い難い、「至福の十五分」の始まりである。
……しばらく歩いていると、小夜子の手を握っていた恵梨香の指が動いた。
二つの掌が、擦れ合う。相手を求めて這い、潜り込む。細く美しいそれが、小夜子の指を貪るかのように絡みついてくる。恵梨香のほうから、恋人繋ぎを求めてきたのだ。
確かに今まで小夜子によるこの手繋ぎを彼女が拒んだことはない。だが、恵梨香側から望んできたのも初めてである。
そしてその手を握る力は、とても強かった。まるで、引き離されるのを恐れるかのように。
(一体、どうしたのだろう)
そう疑問に思ったところで、小夜子は自分の愚かさに気付く。
(私、馬鹿だ)
恵梨香の強張った顔、ぎこちない様子、小夜子を離さまいとする手。
(……えりちゃん、昨晩は、余程怖い目に遭ったんだわ)
生きていてくれたことにばかり気を取られ、恵梨香が受けたかもしれない精神的な傷への配慮を怠っていた。
(それなのに私、いつもみたいに甘えちゃって)
恵梨香の心は、傷つき疲れているのだ。
取り繕うこともできぬほど。
小夜子の手に縋りたくなるほど。
(励ましてあげたい)
勿論、対戦や未来人について触れてはいけない。そんなことをすれば、神経を焼かれて死ぬ。恵梨香を守れなくなる。だがそれでも何とかして恵梨香の心を支えたい、と小夜子は考えたのだ。
「大丈夫よ、えりちゃん」
小夜子からも手を握り返し、口を開く。恵梨香が驚いたように、見返していた。
「何か悩んでいるのね。でもね、どんなに辛いことでも、終わりはあるの。耐えていれば、必ず近いうちに道は開けるわ。だからね。それまでちょっと我慢して、頑張ろう!」
結んだ手を持ち上げて、「えい、えい、おー」と、上に突き出すように持ち上げる小夜子。
普段の彼女ならば、絶対に出ないようなポジティブな発言である。そして、あまりにも稚拙な励ましであった。だがとにかく何でも、少しでもいいから、小夜子は恵梨香を元気付けたかったのだ。
自分の語彙のなさと、気の利いたことも言えぬ言語力と表現力の低さに絶望しつつ……小夜子はもう一度「えい、えい、おー」と繋いだ手を持ち上げた。
「それに……なんだ、アレよ」
「アレって?」
「いざという時は私が、えりちゃんを絶対に助けてあげるから!」
恵梨香はそれを受けて一瞬目を潤ませたが、数秒程そっぽを向いた後に再び小夜子へ向き直り、儚げに微笑んだ。なんとか精一杯の笑顔を、作ったのだろう。
小夜子もそれに微笑み返し、さらに強く恵梨香の手を握りしめるのであった。
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会話も無く、「至福の十五分」は終わりを告げる。他の生徒たちと、通学路が重なるところまでやって来たのだ。
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「おはよう、長野さん」
「エリチン、オッス」
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