霊感少年

夜目

見えないもの2

間白 優子ましろ ゆうこは、記憶を辿る。
遡るその日は母と些細なことで喧嘩してしまった日だった。
 大学二年、二十歳を迎えた優子に母の気遣いはお節介以外の何ものでもなかった。
所属しているテニスサークルの打ち上げに参加して、二次会で遅くなると母に電話した時だった。
 「何を言ってるの!今すぐ帰ってきなさい!」
 大学生、二十歳、飲み会、そんなキーワードが優子を酔わせ、自由を感じさせていた。そこに割り込んできた母の、親としての言葉が優子には邪魔だった。
 私はもう子供じゃない!
 怒鳴ってから、母に対して声を荒げることなど今まで一度も無かったことに優子は気付いた。気付いて、気まずくなって、電話を切った。その後二次会に参加したが、何度も携帯電話を確認しては、かけ直してこない母の事を考えたら胸が痛んだ。
 優子の父親は、優子が中学の時に病によって亡くなった。それから母は女手一つで優子を育てた。それがどれだけ大変なことかは優子も知っていたし、だからこそなるべく真面目な娘でいたつもりだった。
 なのに、母さんはいつまで経っても私に自由を与えてくれない。
 それは、子供じみた反抗心だったのかもしれない。自分の幼稚さが、母の苦労に拍車をかけたのかもという、罪の意識から逃れたいだけだったかもしれない。やけくそのように飲み会で振る舞い、解散した時には朝の4時だった。
 歩いて帰れる距離だからと、優子は一人で家への帰路を歩いた。家に帰るまでに心の準備をしておきたかった。なんて謝ればいいのだろうか。母の顔を見た瞬間、私は素直になれるだろうか。またつまらない意地が出てきたりしないだろうか。
 公園沿いの通りは街灯もあって、それほど暗くはなかった。時間が時間なだけに、周囲には人の気配はなく、涼しい風が吹いては、優子の心情とは逆に、酔って火照った身体を心地よくさせた。
 「ん?」
 優子は思わずつぶやいた。それは急に優子の視界の隅の方に現れて消えた。
 誰かいたような?
 周囲を見渡しながら、「私も鈍感だな。絶対に誰も居ないと思っていたのに」などと考える。しかし結局誰も見当たらず、優子は止めていた足をまた動かし始める。しかし、心のどこかに、微かに不安が巻き起こる。夜道を一人で歩くなんて、危機感がなさすぎた。不安はやがて恐怖の感情を優子の中に芽生えさせていく。
 いや、そんな、まさか。
 加速した不安は、優子の神経を確実に研ぎ澄ませていく。
 待って。今、私は何を見た?
 それはもしかしたら杞憂かもしれないと思った。考えすぎではと、もう一度自分を冷静な位置へと持っていく。ゆっくりと整理する。
何かがおかしい。見えたものは公園の中だった。木と木の間から確かに私はそれが見えた。視界の隅に映った何か。公園の中、トイレがある場所。
 あれは!
 不安と事実が練り合わされて、微かな確証が出来上がったと同時に、優子は全力で走りだした。まさしく、脱兎のごとく夜道を駆け抜ける。夏の夜道の静かな風は、優子の走りによって荒々しさを帯びた。優子は今ほどヒールで来たことを後悔したことはない。走りにくさと比例して、夜の闇にヒールで走る音はよく響いた。肩にかけたバッグの中身がガシャガシャと鳴るのも優子を苛立たせる。額からは、緊迫から来る冷や汗が湧き出ていた。加速する鼓動と息遣いが、さらに優子を恐怖させる。
 誰か、誰か人がいる場所に!
 優子は大通りを目指して走る。
この時間でも車ぐらいは通っているはず。とにかくここは危険だ。
大通りが見えてきて、行き交う車のライトが見えた時だった。
優子は転倒した。思いっきり左顔面を地面に打ち付ける。瞬間の痛みは優子から冷静さを失わせ、顔をぶつけたことによって、一時的に目の前が真っ暗になる。上下左右の感覚が狂い、今自分がどんな体制なのかを判断できない。一体何が起きたのか。ヒールだったからバランスを崩した? いや、違う。私の・・。
私の足を何かが掴んだ!
優子の考えはその目に映ったものにより証明される。
背中に黒い翼の生えた人間が、優子を見下ろすように立っていた。

ズキッとした頭の痛みに、優子は物思いから我に返る。毎日、あの時の事を思い出そうとするが、自分の中の本能があの時の事を思い出してはいけないと、警告を出しているようだった。
あの日、優子は確かに見ていた。
視界の隅、公園の中、ちょうどトイレがある場所。
人間が、人間を食べていた。

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