天才の天才による天才のための異世界

白兎

第三十六話  迫りくる絶望



 クリトンはキスガスの首都――ファンデルの顔だ。そんな彼を追い詰めるのは難しい。彼の正体を知ればギルドの人たちも敵としてくれるだろう。しかし、現状の信頼度は高く、口での説明は逆にリリたちが不振に思われる。なので、ナトリアがヒドロの正体を見たことが知られる前に、誰にも話さずギルドの皆に伝えなければならない。
 リリたちがやるべきことはただ一つ。皆がヒドロを認識した所でクリトンの正体を暴かなければならない。
 ヒドロのことはリリたちの聞き込みにより、町中に知れ渡っている。つまり、クリトンがヒドロのとして現れたときに、その素顔をギルドの皆に公開する。失敗したら最後、ナトリアたちに正体がばれていると分かれば、即刻に排除されるだろう。どんな噂でギルドを敵に回す羽目になるか分からない。
 失敗は許されず、一回で確実に決めなければならない。少なくともギルドの半分は知る必要がある。それ以下は虚言や勘違い、ヒドロの能力のせいとなる可能性があるからだ。


「どうするかな~」


 リリは頭をひねらせる。考えた作戦はギルドの皆に一人一人声をかけ、夜の時間帯に待ち伏せさせる。そこで、ヒドロが現れた瞬間、光の魔石で正体を露にするという作戦だ。しかし、これにはリスクがある。ヒドロには仲間がいる可能性があるからだ。それがギルドのメンバーでない保証はない。もし、仲間に作戦のことを伝えた場合、必然的にクリトンは知ることになる。それに、クリトンだけ内緒という風に話すのは難しい。一人くらいは絶対にクリトンに話す。だが、これは普通の人が行った場合のリスクだ。


「よし!」


 リリはギルドのメンバーに声をかける。もちろんクリトンの名前は出さない。
 リリは着々と準備を進めていた。






 ********************






 ――ベルウスの森


「とりあえず逃げるぞ!」


 和也はルビーの手を掴みこの場から離れようとする。
 しかし、ルビーは抵抗する。魔法の発動を防がれた今、ルビーに戦う手段などない。それでもこの場から離れないのは先代との思い出が詰まったこの場所を失いたくないのだろう。和也もそれは十分承知だ、日記を見ればルビーにとってここがどれほど大切な場所かはわかる。しかし、そんな悠長なことは言ってられない。こうしている間にもドルド軍とジンク帝国が迫っている。準備が整ったようで、ゆっくりと進軍していたのが今は押し寄せる波のように雄叫びを上げながら迫っている。


「早くここから離れないと!」


「駄目です! 私がここを守らないと!」


 とは言ってもルビーの足はかすかに震えていた。握っている手も何かにすがるように強く握っている。
 こんな状況は初めてなのだろう。


「ルビー……」


 何とかしてやりたい。和也は心からそう思った。しかし、和也にはその願いを叶えられる力はない。これほど自分の力が戦闘系ではないことを後悔したことはない。しかし、それを今気にしてもどうにもならない。今出来る事をする。それが和也に残された選択肢だ。
 和也はルビーの前に立ち、両肩に手を乗せ、ルビーの耳から体の中にまで届くような力強い声で言う。


「いいか? 撤退と敗北は違う。後から取り返すか、それともすべてを失うかだ。ルビーはどうする?」


 ルビーは黙り込む。記憶、感情、現実すべてを考慮しているのだろう。確かに今逃げ切れれば後から取り返すことは出来なくはない。しかし、それでも一瞬でも他社に居場所が奪われるのだ。ルビーにとってはとてもつらいだろう。和也も少なからず胸の奥に痛みを感じるからだ。ルビーのそれは和也に計れるものではないはずだ。


「……わかりました。そのかわりカズヤさんにも手伝ってもらいますから」


「当たり前だ。ここはもう俺の家みたいなもんになってきてるんだし」


 ルビーは感情を押し殺して、撤退を決断する。その表情はとても悔しそうだった。 


「はぁ……はぁ……」 


 和也とルビーはドルド軍とジンク軍から離れるように森の南東へと向かう。
 魔法が使えないのでルビーも走っている。ルビーの魔導士装束では森の中の疾走は難しそうだ。
 正直、この場から逃げ切れる保証はない。手元にある武器はクラネデアの宝剣のみ。さすがにこれだけで二国の軍隊を相手にできるほど、この宝剣は万能ではない。


 逃げている方向もどんどんルカリアから離れていく。
 和也は逃げる方向を変え、少し危ないが北に向かうことにした。もし、間に合えばキスガスに辿り着くことができる。そうなればここよりかは少し安心だ。しかし、間に合わなければ横からドルド軍に鉢合わせることになる。随分な賭けだが迷っている時間が長ければ長いほど鉢合わせになる確率は上がる。


「こっちだ!」


 和也たちは走る。離れないようにしっかりと手を握り、呼吸音を聞き、お互いの生存を確実に確かめながら、草木で泥ぼろになっている足を前に出す。
 あと少し、あと少しで森から抜けられる。心の中で少しの希望を感じた時、それを覆い隠すほどの絶望が和也たちを襲った。
 目の前を矢が横切ったのだ。矢が飛んできた方を見ると、すぐそこまでドルド軍が近づいていた。必死に前だけ見て逃げていたので気付かなかったが、背後にもジンク軍が迫っている。


「っくそ! 間に合わなかった!」


 和也はルビーを後ろに隠し、剣を抜いて構える。
 じわじわと湧き上がる恐怖心が和也の思考を停止させる。和也にはこの状況を打破できる手段がない。
 その時、和也の服が後ろに吸い寄せられるような感触があった。和也は後ろに目をやると、ルビーが和也の服をしっかりと握りしめ、迫りくる兵士を見据えていた。その眼は絶望に満ちているわけでもなく、怯えてすらなかった。最後まで抵抗の意思を隠さない芯のある強い眼差し。それは和也の怖気付いた心に強い衝撃を与えた。


「ハハハ……ったく忘れてたよ。俺が後で取り返そうって言ったのに先に諦めちゃ話になんねぇよな」


 和也はルビーの頭に手を置き、そのまま強く撫でた。ルビーは和也の思うままにされるが、無言で抵抗をしない。十分に楽しんだ後、和也は剣を収め、両手を上げ、前に出る。
 迫っていたドルド軍、ジンク軍は足を止め様子をうかがうように構える。その様子を確認した和也は彼らに尋ねる。


「ちょっと良いか? あんたらの目的はなんだ?」


「それを答える義務はない!」


 それもそうだと心の中で納得すると、引き続き質問する。


「仮に大人しく捕まったらどうなるんだ?」


「それは答えてもいいだろう。お前には興味がないが捕虜として扱うことになる。しかし、魔導士の方は別だ。ここで始末する」 


 そう答えるドルド兵は和也を見るなりある提案を持ち掛ける。


「しかし、大人しくその魔導士を引き渡せばお前はここで見なかったことにしてやってもいいぞ。どうする?」


 ドルド兵は笑みを浮かべる。仲間割れを楽しんでいるようだ。
 和也はルビーに目をやって数秒、再びドルド兵に視点を戻すと、


「わかった……」


 そう言って、和也はゆっくりと前に行き、ドルド兵の前で足を止める。


「本当に俺は見逃してくれるのか?」


「ああ、約束しよう」


「そうか……」


 瞬間、和也の前にいたドルド兵の首が無くなった。
 和也の手には血で染まった宝剣を握りしめている。


「残念だけど、俺はか弱き少女をほっとけなくてね」


 ――もう間違えない……今度は確実に救って見せる!


「ルビー走れ!!」


 和也はそう叫ぶと、武器を構えた軍勢に突っ込む。
 ルビーは和也から離れるように振り返って足を進める。
 お互い、見捨てるつもりは毛頭ない。二人は同じことを考えている。


 ――絶対に二人で生き残ると


 今この場では魔法は使えない。そして、この森の中では神通力も使えない。つまり、警戒すべきは伝説の武器のみ。それは、分析の力を使えば容易に存在を確認できる。すなわち、この場には武器を持った普通の兵士しかいないのだ。宝剣を持った和也でも全滅は無理だが、時間稼ぎくらいはできる。 
 対してルビーは魔法さえ使うことができれば和也を助けることができる。つまり、和也が時間を稼いでいる間に魔法阻害装置の範囲外に出て、装置を破壊する。これがベストだと踏んだ。もちろん、逃げるための策だ。そのまま二国を相手に戦闘することもできるが、勝てる保証はなく、ましてや敗北の可能性すらあるからだ。
 それも、ベルウスの森の中ではルビーは最強だが、外の場合は違う。せいぜい天才魔導士レベルだろう。魔法阻害装置を破壊できても一つが限界だ。それではベルウス中の魔法阻害を解除できない。そのまま戦闘を続け、チャンスを待った場合、替えの魔法阻害装置を用意される可能性がある。だから、魔法阻害の範囲を狭め、和也を救って逃げる。現状ではそれしか出来なかった。
 和也とルビーはお互いを逃がすために戦う。二人の信頼はわずかな期間で確実なものになっていた。


 


 ********************






 均衡を保っていた戦況が崩れ始めた。どんどんと押し寄せるドルド軍にルカリアの軍は疲労が隠せずにいる。南から進行するジンク軍は第二騎士団が対応しているが、そちらもいつ敗れるか分からない。
 ルカリア軍は不安と緊張に包まれて戦っている。この感情は戦いを大きく不利にする。


「ヤバいです! これ以上はちょっと――」


「文句言う暇があったら戦え! 死ぬぞ!」


 フランと二クスも当然この戦いに参加している。不利になっていく戦場で何とか生き延びている状態だ。
 しかし、そんな状況はいつまでも続かなかった。


「――っぐは!」


「二クスさん!?」


 二クスは背後の敵に気付かず背中に大きな傷を刻まれた。フランは即座にその敵を倒して二クスに駆け寄る。致命傷ではないもののすぐに復帰するのは難しそうだ。
 フランはあたりを見渡す。一人一人着実に減っていく仲間たち。それとは反対にどんどんと押し寄せる敵兵。これほどの絶望を味わったことがあるだろうか。初陣をも軽く超える絶望をフランは体験した。


 そして、唯一まともに渡り合っていたカリファーたちも押され始めていた。マグスの神通力――運動量増加により、カリファーとオストワルの動きが鈍っていた。
 むしろ、マグスの神通力とガウルの槍の両方を相手にここまで耐えただけでも良い方だ。カリファーたちは何度もガウルの槍の能力を紙一重で回避している。
 だが、次に使われた場合、果たして体力を削られた状態で回避できるだろうか。それは誰にも分らない。
 そして、マグスはガウルの槍を構えた――





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