虐められていた僕はクラスごと転移した異世界で最強の能力を手に入れたので復讐することにした
40・呆気ない
未来が見える力があったとして、この現状を変えることは出来たのだろうか。
今まで最高で、大切だったものがなくなると分かった時、彼は行動を起こすことは出来たのだろうか。
否、おそらく彼はそれでも動けなかっただろう。何もできなかっただろう。
そんな彼が、未来を読む力などない彼が、今の現実を変えることはできない。
運命として受け入れるしか――
「……」
もう何日経つだろうか。何日、彼女らと目を合わしてもらえてないだろうか。
そして――
「なぁ桜木、今日暇? 暇だよな。ちょっと付き合えよ」
肩に腕を回し、冷徹な声が鼓膜を撫でる。それは今すぐここから逃げ出したいという感情を植え付ける種でしかなくて、その種は瞬く間に発芽する。
彼の声に怯えだしてから、一体何日経つだろうか。
********************
死ぬという状況に陥った時、人の行動は決まってくる。
身体が竦み身動きが取れない者。冷静な思考を持つことが出来ず死に物狂いで逃げる者。生を諦め回顧する者。
ついこの間すべてを体験した。敵に殺されると本能が理解した途端、体力の有無に関わらずその足を引きずってでも逃げ、その敵が目前に迫った時、コンクリートで固められたかのように身動きが取れず、敵にその拳で身体をえぐられた時、何故どうしてと自問自答を繰り返した。
そんな優希が、いざ自分と同じ状況に陥った人をその目に移した時、どんな感情を抱くのか。
そんな優希が、いざ傍観者となった時、一体彼らにどんな思いが脳裏に浮かぶのか。
「ぐぅぁあっ、う、うでがぁ!」
「なんだよ! なんなんだよこいつらッ!」
ぼとりと生々しい音を立てて落ちた腕と滝のように流れる赤黒い血。それは持ち主だけでなく、周囲の人間にも恐怖と不安を植え付ける。
突然壁から生み出されるように出現した魔族。死刑執行人のような狂気的な風貌の魔族が持つ武器は、決して手入れされたものではなく、春樹の腕は切られたというより、力ずくで捥ぎ取られたように感じる。
春樹は切断された、肩口から骨肉をそぎ取られた傷口を左手で押さえる。
指の隙間から溢れる血。上腕骨の硬い感触と三角筋の引き締まりつつも弾力のある感触が、生温かい血をまとって掌の触角を刺激する。
彼は抗っていた。親に反対されようとも、自らの夢をかなえる為、努力し行動してきた。
強く、逞しく、真っすぐで、漢らしかった坊垣内春樹は、跪いて恐怖する。
なくなった利き腕は、ボールを持つことも、包丁を握ることも叶わない。親に用意された料理人の道も、自ら作り出したラグビー選手の道も、一筋縄ではいかなくなり、そして叶うことはない。
――何故なら彼はここで死ぬのだから。
「ぁ……ぁぁ……ぁぁあああああッ!!」
釘町朝日はその手に握りしめられた刀剣を振り回す。それは従来の型通りの剣ではなく、棒を渡されどものようにがむしゃらで弱々しい太刀筋。
恐怖と焦り、不安という感情が彼の身体を委縮させ、こんな状況だからこそ絶対に停止させてはいけない思考を、あっさりと停止させる。
そして――
「――ぇ?」
そんな間抜けな、声にすらなっていない、空気が漏れたかのような音が彼の口から出てきたとき、肘から先が接合部分から溶けるように地面に落ち、その光景と痛みを脳が捉える頃、声を上げるよりも先に自らの違和感に気付く。
右脇腹から左肩にかけて赤く上る一筋の線。その線から滲み出る朱色の液体は、重力に従って下へと垂れ、そして――
「ぃ――いゃぁぁあああああッ!?」
その線を境に彼の胴体はずれ落ち、仁王立ちの足は後から崩れ落ちる。
耳に響くような甲高い恵実の悲鳴は洞窟内反響する。胴体から零れるように姿を現す臓物、血によって汚れた白い背骨と肋骨、きょとんとした顔で硬直した好きな人の顔。
彼女の心が破壊されるには、瞳に映った光景だけで十分だった。
彼は苦しんでいた。過去のトラウマが、彼の大好きだったものを奪っていた。
こうして見ると彼の身体は細身ながら逞しかった。
過去のトラウマから一度はその道を閉ざしたものの、結局諦めきれなかったのがその身体で示している。
そして、そのトラウマも過去のものとして受け入れ未来を生きようとしていた彼は、おそらくこの先、釘町朝日は立派に夢を叶えるだろう。
だが、そうなる事は決してない。
――なぜなら彼はここで命を落とすのだから。
「……」
もうどうしたらいいか分からない。
目前に広がる光景は、彼女の精神を容易に砕いた。
最初は興味を持っただけだった。敵チームの一人。突出した才能の持ち主でもなければ、容姿ばかりの男でもない。
ごく普通の中学生の男の子に、自然と目が吸い寄せられていた。
そして高校生になった時、彼女は再び彼と再会した。まだ中学の頃の面影を残しながら、少し大人っぽくなっている朝日。
神格高校の、それも選抜クラスという場で再会するなど、運命と言わず何というのか。
彼女は自然と彼の傍に足を運んでいた。
「……」
彼女は願っていた。朝日が野球を辞めたと知った時、彼女の瞳に映る釘町朝日という存在は少し悲しく、小さく見えた。
けれど、そんな彼を放っておく事はできなかった。彼が過去の事で苦しんでいるなら解放したい。もっとずっと彼の傍で、彼の近くで、彼の大好きだった野球をしている姿を、この目でもう一度見たかった。
そして彼女は見事に彼の過去を、心を塞いでいた殻を破り、彼は未来を歩こうとした。
あとは共に、隣を同じ歩幅で歩くだけ。
だがその足が共に歩き始める事はない。
――なぜなら彼女はここで息絶えるのだから。
「――ッ! ……あ……さ、ひ……」
彼女の胸元から鋭い鋼が身を表す。
血の滲むそれは、彼女の血もその刃に吸わせて。
共に歩こうと願った少年の名を零しながら、その身体を地面に打ち付ける。
絶望の色を表情に浮かべながら。
「なろっ! テイミー【変化】!」
「キュルルルッきゃいっ!」
最上の掛け声と共に、テイミーはその姿を変化させる。小さなドラゴンは、こそ身体を巨大化させ、赤い瞳は鋭く釣り上がり、牙と爪は鋭利な刃物となって――その身で地面を赤く汚す。
「テイミィィイ!」
先程までその声を聞かせていたドラゴンは、一塊の棍棒によって潰される。
巨大な棍棒の下には、血で汚れた空色の羽が散らばっている。
彼は涙ながらに叫んだ。この世界に来て共に過ごした戦友は、ほんの数秒で肉塊へと化したのだ。
そして、いくら契約獣が死のうとも、敵はその攻撃を止める事はない。
「けぇぇぇんっ! っあぅ!」
パートナーの死を絡む最上の背中を、一挺の斧が襲いかかる。
耳に響く叫び声は、自分の名を呼んでいて、振り返ると同時に最上の身体は浮いたように吹き飛ぶ。
頭を打ち付け、痛みに目を閉じてしまうが、胸元に感じる温かみに、彼の目は開かれる。
「健……だい、じょうぶ……」
「ぁ、ありが――ッ!」
抱きつくように、健の体は包み込む少女の温もり。だがそれは、体温や感情のものだけでなく、少女の背中から温かくも生々しい感触によるものだった。
「燈! しっかりしろ!」
彼女の背中には、深い傷跡。例え助かっても消えることのない、永遠の傷がその小さな背中に刻まれていた。
痛いはずなのに、人の心配などしている余裕などないはずなのに、彼女の第一声は、最上健の安否だった。
光が消えていき、ピントの合っていない瞳は、それでも最上を映そうと必死に動き、口端から垂れる血は、次第に量を増すが、その口は僅かに笑みを刻んでいて。
「け……ん……」
その言葉を最後に彼女の鼓動は静かになった。
眠るように彼女の魂は消えていく。
彼女にとって最上健は救世主であり憧れだった。失敗や恥を恐れず、自らの魂をその身で表現する。例え下手くそと馬鹿にされようとも、哀れなコメントを送られようとも、彼はギターを手に取り、彼女に勇気を与えていた。
そして、彼女は巡り会えた。顔など見た事がないのに、彼のギターを聞いた途端、心に引っかかる何かを感じた。
それは過去に自分を幾度も救ってくれた音であり、こうなりたいという願望を表したものだった。
彼女は望んだ。彼の隣に立ちたいと。たとえ彼が好意を抱いているのは、自分ではなく親友だったとしても、それでも彼女は彼の隣に居たいと望んでいた。
だがその足が隣へと歩む事はない。
――なぜなら彼女はここでその足を永遠に止めるのだから。
「……ッ――ぁぁぁああああっ!」
最上は立ち上がり、足元で転がる少女の手に握られた槍を持ち、ただがむしゃらに、やけくそに、彼女を斬り殺した敵へと突っ込む。
彼の恨みの一突きは、敵の心臓にえぐりこむ。
だが、肉の壁に吸い込まれるように、槍は奥にも手前にも動かず――
「――ぐっがぁ!?」
敵の斧、少女の命を奪い、今まさに彼女の血を吸ったその斧が、最上の首から左脇にかけて振り下ろされる。
肉が割かれ、骨は絶たれ、吹き出した血は彼の顔を自ら汚す。
彼は訴えていた。自分を見てほしいと。彼の意識はただ一人、西願寺皐月へと向けられていた。その相手は自分とは違う人を意識していると分かりながらも、自らの技で、磨き上げて来たギターで振り向かせると。
自覚はないがそれは少なくとも一人は救っている。
彼は正直に、純粋に自分を表現して来た。そしてこれからも、隣に居場所を求めた燈と共に歩き出そうと、強く思った。
だが、彼は二度と自分を表現する事はない。
――なぜなら彼はここで身罷るのだから。
「ぃゃぁ……」
逃げなくては、抗わなくては殺される。そんな事は分かっている。だが彼女の体は小刻みに震えるだけで、一向に動かない。
筋肉が固まり、神経が遮断される感覚。
恐怖、狼狽、恐慌――止まった思考回路が生み出す言葉はどれも同じ。
ただひたすらに死への恐怖。
そんな彼女にも、敵は容赦なく襲いかかる。
両腕に持った鉈を本能のままに振り下ろす。
その鉈は少女の顔へと襲い、青年の背中を切り裂いた。
「は、春樹ぃ!」
「よう柑奈……無事……か……」
小柄な身体を包み込むは、片腕無き青年の肉体。失血により瀕死の彼は自らの身体を盾に少女を守り、その人生に終止符を打った。
目の前で人が死んでいく。大切な人が次々と死んでいく。
顔面に浴びた春樹の血はまだ温かく、彼が生きていると錯覚しそうになる。
彼女は受け入れた。自身に溢れ、努力し行動し、その小さな背中に人を引き寄せ受け入れていた。
自分第一の様に思えて他人の事を常に気にかけている。彼女の無垢な笑顔に救われた一人に優希もいた。
だからこそ、疑問に思った。
――何故僕を見捨てたのか、と。
柑奈は揺れる瞳で辺りを見渡してようやく気付く。
ただ一人、この地獄の様な場所でたった一人だけ襲われていない事に。
他人事の様に仲間が死ぬ様を見守る白髪の少年の元へと、震えるだけの足は動いた。
そして縋り付くように、少年の足にしがみつき、
「なんであんたはなんともないのよ! 何よここどういう事! ねぇなんか言ってよ!」
血を被った顔に流れる涙は、血と交わって落ちる。
そんな彼女の表情、いつも明るい笑顔の表情は、困惑、動揺、疑問の色に染まっていた。
そんな少女に彼はコートのポケットから一つの石を取り出して、足に縋り付く柑奈の目に入れんばかりに見せつける。
蒼く輝くその石は、柑奈の瞳に映り反射する。
「この輝石は魔除石って言ってな、これを持ってると魔族は味方と認識して襲ってこないんだよ。まぁ持続時間は後数分ってところだけど。現にここに来た君は襲われてないだろ?」
「なんで……そんなに冷静なの……まるでわざとここに……」
震える声は認めたくないだからか。
だが彼女の想像を白髪の少年は笑みを刻んで肯定する。
「君の予想通り、俺はわざとここに連れてきた。お前らに復讐する為に」
何を言っているのか分からない。なんの恨みがあって彼はここにいるのか。
その疑問は極限状態の今、容易に表情で現れる。
「ぁあ、そういえばまだ解除してなかったな」
優希は自らの顔を手で覆う。色が抜け落ちた様な純白の髪は黒く変化し、輪郭なども少しほっそりとしていく。
燃える様に輝く緋色の目は、髪同様の黒に侵食されていく。
そして、その姿を見たとき、柑奈の喉は引き締められ、空気の漏れる音の様な声で、
「さく、らぎ……あんた、生きて……」
「へぇ、こんな早く僕が死んだって情報いってんのな」
優希の顔を見た途端、彼の目的が復讐という事に僅かながら理解した。
彼女は引き締まった喉を無理やりこじ開けて、叫ぶ。
「仕方なかったのよぉ! あんたに関わったらカンナ達が標的になる! ああするしかなかったの!」
彼女にも事情があったのだろう。だが優希にそんな事は関係ない。彼の中にあるのは、彼女達は自分を見捨てたという事実のみ。
「あんたにした事は謝る。償いならなんでもするから、お願い……助けて」
一人だけ助けてもらおうという醜いものではない。彼女は一度死んでいる。春樹がいなければ死んでいた。救われた命、彼女には生きなければいけない理由が出来ていた。
その為には友達を殺した相手にでも助けを乞う。それが最善と知ったから。意地もプライド捨て、恨みと憎しみを、唇を噛み締めて押し殺し、助けてと願う。
そんな少女に、優希は片膝ついて彼女に顔を近づける。
お互いの瞳にお互いの顔が映り込む。
「古家達は僕の初めての友達だった」
ずっと一人だった優希にできた、最初で最後の友達だった。
「君の笑顔に僕は救われていた」
行動を起こす事が苦手な優希の手を、柑奈は常に引っ張ってくれていた。
「あれほど楽しい時間を過ごしたのは初めてだった」
両親を失い、妹と二人きりになった時、優希の苦しく寂しい時間を埋めてくれたのは、紛れもなく彼女達だ。
「けど……君達は僕を見捨てた」
助けて欲しいと願った。救って欲しいと手を伸ばした。あの時彼ら彼女らが優希の声を聞いて入れば、差し伸ばした手を取ってくれたならば、優希は苦しむ事はなかっただろう。
負の連鎖は止まっていただろう。だが彼女らは関わらない事を選んだ。
友達だと思っていたのに。彼女らには助けるだけの力があったのに。
今までの楽しい時間は嘘だったのか。友達だと思っていたのは、優希だけだったのか。
「僕なら君を救う事は出来る。けど、君達が僕を見捨てた様に、僕も君を見捨てる」
「っきゃぁ!」
足元に縋り付いていた柑奈を、蹴り飛ばして突き放す。
魔除石を持つ優希から離れた柑奈は、途端に敵として認識されて、周囲の魔族がにじり寄る。
「君が今抱いてるのは、僕があの時、見捨てられまた一人になった時に抱いた感情だ。今更謝っても過去は変わらない。過去の自分が選んだ道に後悔しながら、絶望しながら、恐怖しながら――」
魔族の武器は、地面に倒れる少女に標準を合わせる。
それは釘町朝日、相須恵実、最上健、菊谷燈、坊垣内春樹の命を奪った道具と、それ以外の人間をも殺して来た血が滲む武器の数々。
死を無意識に自覚した少女は、声を出すわけでもなく、ただひたすらに優希を見つめて、
「死んでいけ!」
若き生涯に終わりを告げた。
全てが終わった時、優希の目に広がるのは血の海と、無残に切り裂かれた肉塊だった。
初めて知り合いを死に導いた時、優希には初めての感情を抱きつつある。
喪失感など微塵も感じない。そこにあるのは、心のメッキを剥がしたかの様な清々しい気分のみ。
魔族は周囲に敵がいなくなったのを確認し、死体となった彼女らの身体を貪り、血を飲み干して綺麗にしていく。
彼女らはそれぞれ違う人生、濃密な時間を過ごしていたのだろう。優希とてそれは違わないが、彼女らは優希とは違う時間を過ごして来た。
けれど、どんな人生を送っていようと、死ぬ時はただひたすらに、
「呆気ない」
その一言だった。
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