虐められていた僕はクラスごと転移した異世界で最強の能力を手に入れたので復讐することにした

白兎

6・生死



 獲物を見つけた虎のように、猛然たる勢いで迫る狩猟虎ハンティングタイガー
 死を顕現させた存在が、自分の方に迫っているのに、一歩も引かづ立ち向かわせる要因は二つ。
 一つは初めて感じた確実且鮮明な死。恐怖の限界を超えて、潜在的な防衛本能が働いたからだ。もう一つは自分の肉体の変化に気付いたからだ。わずかな変化だが、この変化は優希に自信を持たせた。覚悟を決める素材にり、生へ執着させるきっかけになった。
 この二つを持って、優希は今、初めて魔族と対面する。




「グルアァア!」


「くっ――! がっ!」


 飛びかかる狩猟虎の牙は、優希の顔面目掛けて飛んでくるが、優希はそれを横に飛び回避する。
 勢いあまって優希の背後にあった樹木を狩猟虎の大口が挟み込む。飛び出た牙は太い樹木をまるで豆腐に箸を刺すかのように貫いている。そして、狩猟虎はそのまま樹木を簡単に噛み砕き、人が腕を限界まで回しても指が引っ付かないほどに太い樹木は、そのまま横に倒れて周りの樹木にもたれ掛かる。


 その光景に優希は思わず唾を飲む。そして、受け身に失敗し打ち付けた体の痛みを我慢しながら、立ちあがり、腰に携えたタガーを構える。剣など握ったことなどない優希は、素人なりの構えで狩猟虎を睨みつける。
 もちろん優希の睥睨など狩猟虎にとっては屁でもない。そして、再びターゲットである優希を金色の眼で捉え、獣臭漂う息を吐いた狩猟虎は再び優希に襲い掛かる。今度は口からはみ出た鋭い牙が脳天目掛けて飛んでくる。今度はそれをギリギリで避けて、カウンターのタガーを狩猟虎の首に向けて突き刺す。が、


「ぐがぁ――っ!」


 優希よりも先に、狩猟虎の前足が優希の脇腹をえぐる。距離が近かったために、大爪で切り裂かれることは無かったものの、獣の腕力を思いきり受けた優希は、吹き飛んだ先でえぐられた右脇腹を押さえ、反動で大量の唾液を吐瀉する。
 今まで殴られた経験など数えきれない優希だが、今回はそれとはまた違う。これが人間と人間ならざる者の差。内臓が圧迫され、骨が折れる音をこれほど近く聞く恐怖が優希を襲う。そして同時に、おそらく今の竜崎達も同じもしくはこれ以上の痛みを味わわせることができることを実感する。 
 そして、無意識に竜崎たちを一瞥する優希に、竜崎達はショーを見るように笑みを浮かべている。


「はぁはぁ……っ」


 優希は汚れた口元を袖でふき取り再び構える。しかし、今度は最初と違う。


「【迅脚】っ――うわぁあ!」


 鑑定の時同様、鳩尾あたりに温かい感覚がじわじわとあふれ出て、それは足へと移動した。これが魄籠から魄脈を通して、足へとマナが流れ込んだ感覚。そして、踏み込んだ一歩は優希の予想をはるかに上回る勢いで、狩猟虎に辿り着く前に足が絡まり転倒。タガーだけが狩猟虎の前に転がっていった。これには思わず竜崎達も噴き出した。


 鑑定士などの支援系恩恵でも、戦闘の恵術が無いわけではない。今のは移動速度を上げるだけの、どの恩恵も使える共通恵術【迅脚】。もちろん五感も強化されてるため、加速下でも普通に動けるはずなのだが、初めて使ったため、普段との変化に慣れず足が絡まってしまったのだ。


 しかし、一度使えば感覚はつかめた。今度は上手く使えるのだが……


「なっ!」


 優希の唯一の武器であるタガーは狩猟虎の目の前、まるで狩猟虎が優希を誘うために用意したかのように、最悪の場所で転がっている。そしてまた、狩猟虎に知能があるのか、これ見逃しにタガーを踏みつける。
 優希の数少ない攻撃系の恵術の大半は、武器あってのものだ。もちろん素手でも戦う手段はあるのだが、考えてみてほしい。いくらメリケンサックをつけていても、普通の学生が生身で虎に立ち向かえるだろうか。
 メリケンサックは持っていないが、優希が使える恵術はマナを一点に集めて攻撃力を上げる【強撃】だ。タガーがあれば致命傷を与えることができるが、今の優希が使おうと思うと拳、もしくは足になる。つまり、多少のダメージは与えられても致命傷ではない。そして、致命傷が与えられないということは、攻撃した後が完全に相手の間合いになるのだ。


 思考回路が焼き切れるほどに頭をフル回転し、どうすればこの状況を打破できるのかを考える。
 しかし、相手はそれを待ってはくれない。タガーを踏みつけていた足は、優希目掛けて一歩前進。そのまま、ゆっくり、確実に優希に近づく。獲物を狩る時のように、様子を見ながら、狩猟虎もまた、優希を押すことに思考を巡らす。そして、考えが先にまとまったのは、先手を取っている狩猟虎だった。


「グルァアアル!!」


 走り出した狩猟虎は、一直線に優希との距離を縮める。そして、その行動を確認した優希は、とっさに【強撃】を発動する。魄脈を通ってマナが拳の方にへと集まり、ぐっと握った右手は翡翠色の輝きを発した。
 優希はカウンターを決める気なのだ。今のところ、狩猟虎の攻撃パターンは二種類。牙による噛砕、大爪による斬撃だ。そして、どちらも攻撃までの素振りが大きく、どちらが繰り出されるかは容易に判断できる。そして、噛砕なら飛びかかってきた時に脳天を叩く、斬撃なら脇腹を叩く。攻撃した後は【迅脚】で距離を取る。これを繰り返すだけが優希の作戦。チキンプレーというなら言えばいい。生への執着心で今の優希は構成されている。どれほど汚い勝ち方でも生き残りたいのだ。




 狩猟虎は優希の手前で口を大きく開けてジャンプした。これは噛砕。つまり狙うは脳天。
 優希は握った拳を後ろに引く。狩猟虎の大口は、徐々に優希の顔面へと迫り、


「――今だっ!」


 タイミングを合わせ、優希は翡翠色に輝く拳を狩猟虎の脳天目掛けて振り下ろす。が――


「グルゥッ!」


 空中。最も身動きがとりにくいはずなのに、狩猟虎は優希の渾身の一撃を紙一重でかわす。優希の拳が掠った頬から灰色の毛がわずかに宙を舞い、優希の拳は地面へと突き刺さる。
 衝撃波で大地は抉れ、小石や雑草は周りに飛び散り、優希はただただ、迫る大口を覗くことしかできなかった。
 優希のマナのほとんどは、拳を通じて大地に分散された。優希の練度では、狩猟虎をひるませる一撃となると、体内のマナをほとんどを攻撃力に回してしまったため、初撃をかわされたのは致命的だ。そして、かわされたことによる動揺が優希の判断を遅らせ、【迅脚】を発動する時間も無い。つまり、優希は死ぬのだ。あと一秒もすれば、優希の頭部は狩猟虎の腹の中だ。
 徐々に近づく大口を前に、優希は一瞬の時間がとても長く感じられた。いろいろと思い出して、走馬灯を初体験する。そして、狩猟虎の牙は優希の眼先まで迫り、


「キャゥルッ!?」


「……ぇ?」


 視界一面の狩猟虎の口内は、木々が並ぶ森に変わった。
 優希は何が起こったのか分からなかった。頬に伝わる温かい感触を優希は混乱しながら手で拭い、その感触の正体を確かめた。手の甲で拭きとられた赤い液体。そして、手の甲に焦点が合っていた視線は、その奥へ。
 生き生きとしていた金色の眼は光を失い、灰色の毛皮は朱色に染まり、優希を襲った大口からだらしなく舌が垂れている。
 そして、五感が現実の状況感じ取った時、助かった安心より先に、


「うっ……うぉえおえっげほ、ぉ、おぅえ……」


 目の前の光景に、優希は嘔吐した。活動が止まった新鮮味のある臓物、斬られたというより引きちぎられたように別れた胴体、トマトを叩きつけたように飛び散り地面に染み込む血、神経が犯されそうな臭気と視界。見るも無残な光景に優希はこみ上げる何かを抑えることは出来なかった。


「うわぁ……吐いちゃったよ、竜崎少しやりすぎたんじゃね?」


「は? 軽く殴っただけなんだけど」


「いやいや、アンタの軽くは胴体引き裂くレベルかよ」


 優希が食われる直前、竜崎が狩猟虎を上から殴りつけたようだ。証拠に、竜崎の手は狩猟虎の血で染め上げられている。武闘家の専用恵術か、それとも【強撃】を使用したのか、どちらにせよ恐ろしい破壊力。
 そして、胃液までも吐き出した優希は、すべてぶちまけるのに数分を要した。この嘔吐反射は過度のストレスからも来ていたようだ。


「それいつまで休んでる、とっとと行くぞ」


 まだ心が落ち着かない優希は、少し休みたいと頼む。しかし、竜崎達に慈悲の心は無く、進める足を止めなかった。ここでおいていかれれば先ほどみたいに死んでしまう。優希は嫌々ながらもついていくしかなかった。


 その後も魔族は次々と現れたが、竜崎達には手も足も出ず、狩猟虎の二の舞を演じるだけだった。さすがの優希も、異常か正常かだんだんと慣れてきた。鼻につく臭いも気にならなくなり、ただただ竜崎達の後ろについていくばかりだった。
 今の優希に戦える体力はない。マナは恩恵者にとって第二の血液、それが減ればマナ欠乏症すなわち貧血に近い状態になる。狩猟虎の戦いで優希は多量のマナを使用し、今にも倒れそうだ。視界がふらつき、腰に携えたタガーは町を出た時より何倍も重く感じる。
 つまり、今の優希は本当にただの足手まとい、お荷物だ。竜崎もそれは承知なのか、優希を盾にしたり、餌にしたりとしているが、戦わそうとはしなかった。どうやら優希が必死に逃げ惑う光景を見たかっただけらしい。




 そして、魔境に入ってから一時間ほど経ったころ。


「はぁ……はぁ、ねぇなんかおかしくない?」


 道中拾った気に体重を任せ、焦点が定まっていない瞳で辺りを見た優希は竜崎達に問いかけた。
 ただ、それは水上と葉倉も感じていたのか、


「なあ竜崎、もしかして魔界に入ったんじゃねぇのか?」


「さすがにやばいんじゃね? 俺たちの練度じゃ魔界の魔物は無理だぜ?」


「なんだお前ら、まだそんなもんなのか? 残念だけど俺はもう練度1000超えてるぜ。どうせ魔界には行くんだから、一匹くらい魔界のレベルを見て見ねぇとな」


 気軽に言う竜崎に水上と葉倉もそれ以上は何も言わなかった。
 この時はおそらく、魔界に入る寸前だったらしい。先に進めば進むほど、竜崎を除く三人の体調は悪くなる。これが魔族が生きる環境というものか、今にも倒れそうだ。竜崎の練度は1230、魔界で戦えるレベルには程遠いが、魔界に入った瞬間の瘴気の薄い環境ならまだ我慢できる。そして、水上と葉倉も竜崎ほどではないにしろ、歩ける程度には耐えれている。あと少し奥に行けば危険だが。


「魔界の魔族を見て見たかったんだが……これ以上はまだ無理か。俺も気分が悪くなってきた」


 竜崎は割に合わず冷静だ。竜崎だけならもう少し奥に進めるが、少しでも体調の変化を感じた瞬間、撤退を判断した。その頃には水上と葉倉は膝に手をついており、優希に至っては離れた方で樹木にもたれて座っている。


「んじゃ、とっとと帰るぞ。十分練度は上がったし、面白いもんは見れたし」


 竜崎の言う面白いものとはおそらく優希の初戦闘だろう。しかし、優希もいちいち竜崎の言葉に反応する体力も残っておらず、今はただ気を失わないようにするので必死だった。
 竜崎が引き返そうと振り向いた時、パキッと小枝が折れる音がした。それはまるで、誰かがいるかのような、


「シィィイ……」


 冷静沈着な竜崎の表情に、わずかだが動揺が見え取れた。





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