生意気な義弟ができました。

鈴木ソラ

マスターが恋人になりました。〈番外編2〉



「恵太さん、お店のほうは?」
「店はしばらく臨時休業にしたよ」


そう答えて、恵太さんは大きめの鞄に荷物を入れてそれを背負った。

「じゃあ、行ってくるよ」

こちらを振り返って、いつもの優しい調子でそう言うと、俺の頭を一度撫でてから玄関の方へ向いた。

「ん、行ってらっしゃい。ちゃんと連絡してくださいね」

俺が念を押すようにそう言うと、こくりとうなづいて家を出ていった。恵太さんが後にした玄関は、ガチャリと重い扉が閉まる音が響いてなんだか少し寂しくなる。俺は見送りからリビングに戻ると、立ち止まった。

……正直言うと、姉貴に俺と恵太さんの関係を告白するのは、かなり怖い。付き合い始めてから5年間くらい、ずっと隠してた。弟の成樹にはバレてたし、俺も成樹と夏向くんが恋人同士であることは気づいていた。それと同じように、姉貴も察していてくれれば助かるんだけどな……。

俺はそこまで考えて、自分の両頬を手のひらでばちんと叩いた。

……馬鹿野郎…ビビるな、恵太さんだってほんとは行きたくないのに一人で実家帰ったんだぞ…くそ…あんな強がり言っといて情けねえ…。

今まで親代わりに面倒見てきてくれた姉貴に打ち明けるのは、海外で仕事してる父親に打ち明けるのよりずっと怖い。反対されたら、俺はあの常識人で厳しい姉貴を説得できるのか?

「…………やべ、仕事遅れる」

ちょうど視界に入った時計を見て、俺は急いで仕事に行く支度をした。















俺は恐る恐る、マンションのインターホンを押した。しばらくすると玄関を開けて姉貴が顔を出す。

「なにいきなり、あんたがこっち来るなんて珍しいじゃない」

顔を合わせた途端にそう口を切られ、俺は何も言えず口篭る。入ってと一言俺に言うと、そそくさと扉を俺に預けてリビングの方へ行ってしまった。俺はひと息大きく吐いてから、着いていくようにマンションの中に入った。

姉貴は3年ほど前に付き合ってた彼氏と結婚して、今では姓も春日かすがではなくわたりと改めている。こっちのマンションで旦那さんと、2歳になる娘と一緒に生活しているのだ。出産を気に仕事もやめ今では専業主婦だが、渡家の家事もこなしつつ、たまに春日家の家事も手伝いに来てくれるので、顔を合わせるのが久しぶりという訳では無い。

時計に目を移すと、夜の9時半くらいを指していた。

……前もって連絡したはいいけど、さすがにこんな時間に非常識すぎたか…。

絢菜あやなちゃんは?」

途中だったのか、キッチンで洗い物をし始める姉貴に尋ねた。

「さっき寝かせたわよ。旦那は昨日から出張でいないの」

そうか、なら都合がよかった。

俺が食卓に腰をかけると、姉貴もすばやく洗い物を終えて、温かいお茶の入ったマグカップを俺の目の前にことりと置いた。それでから、俺と向き合うようにして座る。

「…で?なに、そんな改まってする話って」
「昨日いきなり連絡して悪かった。…でも、ちゃんと話しておかなきゃいけないことで」

俺がそう言うと、へえ、と一言だけ零す姉貴。まるで俺の考えてることを探るみたいにじっとこちらを見つめてくる。早速姉貴の雰囲気に気圧され、無意識に膝の上で拳を強く握る。


「…………俺と……恵太さん、付き合ってる」

俺がそう言うと、姉貴は一瞬目を丸くしたが、すぐにギロりとこちらを睨みつけるように顔を強ばらせた。予期していたものの、俺の全身に嫌な汗が滲むのがわかった。

「……へえ、いつから」

淡白に短く問われ、俺は聞かれたとおりに答える。

「…大学、3年のとき」
「……瀬戸さん、いい人だよね、優しいし。お店も最近話題みたいじゃない」

こういう時に恐ろしく冷静な姉貴は、間違いなく何かある。しかし生憎いま姉貴の考えていることなんて、自分の身を守ることを考えるだけで精一杯の俺には分からなかった。

「…だけど、あんた、それはないよ?今更なんなの、もう5年も経ってるじゃない。そうやってずっと隠し続けてきたわけ?」

俺はそう言われ、ぐっと俯いた。何も言わない俺に、姉貴は、俺に出したはずのお茶を自分でごくりとひとくち飲んで、とんとテーブルに置いた。嫌にその音が、沈黙に響く。

「…じゃああんた、選んで。姉弟の縁を切るか、恋人と別れるか」

俺はその言葉に、耳を疑った。まさかそんな選択を迫られるとは思っていなかったのだ。だってそんなの、選べるはずがない。

混乱した頭で考えたものの、どちらを選んだって不幸せなことは分かりきっていた。

「答えられないわけね。もしかして、許してくれるかもとか期待してたわけ?そんな甘えが少しでもあって打ち明けたんなら、それは間違い。お父さんにはなんて言うの?これから先どうするか、ちゃんと考えてるの。今が楽しいからって、ずっとそうやってやっていくつもり?」

捲し立てるような姉貴の問いに俺は、ただ黙るだけで何も答えられなかった。姉貴も俺がそれらの質問に答えられるとは、毛頭思っていなかっただろう。ならばそれは、確かに俺を叱責する言葉に違いない。

「ほんと呆れた。とりあえず今日はもう帰って」

俺はそう言われ、ごめんと一言呟くことしかできなかった。昔からやはり、姉貴の言う正論はいつでもぐさりと胸に刺さる。

常識人でしっかり者、これまで、いや家を離れた今でも、春日家をまとめているのはいつだって姉貴だ。その姉貴に言われたからって恵太さんと別れようなんて気は一ミリもないけど、信頼してた姉貴に、こうしていざ反対されるとそれは、精神的に結構クるものだ。


「………ダメだって、んな弱気になってちゃ」

姉貴のマンションからの帰り道、俺は一人で払拭するかのように首をぶんぶんと横に振った。こんなことでへこたれていては情けない。そう意気込むと、ズボンのポケットの中でスマホがブーッと揺れた。

「…ん、もしもし恵太さん?」

その呼び出しに応答すると、耳に当てたスマホからは聞き慣れた声がする。

『もしもし、誠くん。もう家に着いた?』
「いえ、まだ帰り道。恵太さんは、どうだった?病院、行けたの」

俺がそう聞くと、恵太さんは少し黙ってから答えた。

『…でも、会えなかった。病室まで行ったら、外出中ですって看護師さんに言われて。まあ、院内散歩できるくらいだから体調の心配は要らないらしいね』

恵太さんの声はいつでも落ち着いていて、包容力がある。聞くと本当に、安心する。

『…誠くんは、何かあった?』
「…分かります?」
『分かるよ、いつもより声に元気がない』
「あはは、鋭いなあ恵太さん」

よく見てるというかなんというか、いや、見てすらないのに声だけで気づいちゃうもんな。

『さっき、姉貴と話してきました。…予想通りの反応だったけど、ちょっと、ダメージは思ってたよりも大きかった』

姉貴に言われた通りだ、甘えてんのかもしれないな、どっかで。

「……欲張りなんすかね、俺って」

そう俺が呟くと、そんなことないよと恵太さんの声が耳元で聞こえた。

……バカだな、あんなに強気で恵太さん送り出しておいて、俺が弱音吐いてどうすんだ。

「あはは、今日は家帰れないや、成樹も変なとこで鋭いから。なんか察されるのも嫌だし。恵太さんちマンション帰っていい?」
『もちろん。僕も地元に帰ってきたのに、実家には泊まれなくて今ホテルに着いたとこ。弟には家庭があるし、きっと実家に帰ったって誰もいないんだろうけどね』

昔住んでいた家にも、帰りづらいのだろう。家族とほぼ絶縁状態だった恵太さんに、やはり少し無理を言ってしまっただろうか。

自分が弱気だと、どうも恵太さんのことも元気づけられない。

『父親と会うのは、また明日にするよ』
「…俺も、明日は仕事休みなんで、また出直します」

それからおやすみと言い合って、電話を切った。

グダグダ悩んでたって仕方がない。恵太さんも一人で、抱えているのだから。どうせ考えたって俺は、家族も恋人もどちらかを選ぶなんて無理に決まっている。なら、考えるだけ無駄だ。












「ちょっと絢菜、早くしないと遅刻するわよ」

バタつく朝、小さな体の女の子がテレビの前ではしゃぐ。

「カッコイイ!」

そう声を上げてテレビに映るいま旬らしい俳優を指さす、俺の可愛い姪っ子。

「あれー絢菜ちゃん、この前まで俺のことカッコイイって言ってなかったっけ〜?」

俺がそう言うと、ぶんぶんと首を横に振って、もう一度テレビを指さす。

「こっち、カッコイイの!」
「いやいや、顔はともかく、絶対この俳優性格悪いってやめとけよ〜」
「誠!そんなこと言ってる暇があったら早く絢菜着替えさせて!」

キッチンから鬼のような怒号が飛んできて、俺と絢菜ちゃんの肩はビクリと竦む。

「…ママこわいなーほんと」
「ママ、こわい〜…」
「聞こえてるわよ」

鋭い視線に睨まれ、俺は言われた通り絢菜ちゃんをパジャマから着替えさせる。時間になったら迎えに来た幼稚園のバスに絢菜ちゃんを乗せて、送り出した。




「…はぁ、朝から忙しーんだな母親って」
「今日はまだマシよ、絢菜がグズる日なんてもっと大変なんだから」

姉貴は、家を出る直前に絢菜ちゃんが散らかした洋服を片付けながらそう言った。

「で、そんな忙しい朝から押しかけてきて、なんなの」

服を畳む姉貴の横に、俺は正座をして向き直った。


「ごめん姉貴、俺、姉貴の言う通り甘えてる。都合いいかもしれないけど、でもやっぱ俺、信じてるからさ。こんな俺でも、まだ家族だって思ってくれるって」
「……あんた…、」

目を真ん丸くして、姉貴はなにか言おうとするが、俺は腹の底から溢れ出す言葉でそれを遮るように喋った。

「だから、どっちを選ぶとか、そんなんじゃないけど。俺は恵太さんと別れる気も無いし、家族と縁を切る気も全く無い。これが俺のこたえ」

俺にとって家族も恵太さんも、どちらも切り離せない存在なんだ。だから俺はどんなに反対されようと、どちらも諦める気なんか到底無い。

姉貴は俺の勢い余った言葉を聞くと、しばらくして大きな溜息を吐いた。


「………あんた馬鹿なの?気持ちは分かったけど、こんな大事なこと、何年も家族に隠してんじゃないわよ。…分かった?」

心底呆れたような顔をして、姉貴は俺にそう問いかけてくる。俺はキョトンとして、二つ返事で頷く。

「そーいうのいい加減にするようなのが一番私は嫌い、知ってるでしょ。ってかあんたもそうでしょ、有耶無耶なのが嫌いなのは。今頃打ち明けてくるなんてほんと、何年経ってると思ってんのよ」
「えっ、ちょ……ちょっと待って、姉貴」

俺は慌てて姉貴の口からポンポン出てくる言葉を止める。

「なに」

強く睨まれ怯むが、俺は背筋を伸ばして佇まいをまた改める。

「姉貴は、俺と恵太さんが付き合ってるってのに、反対してたんじゃねーのっ?」

だから俺に、家族か恋人か選べって言ったんじゃないのか。

「はあ?私そんなこと一言も言ってないわよ。ただ、5年も家族に隠してるようじゃ、この先どこ行ってもやっていけないって言ったの。そんな覚悟だったら、別れろってこと」
「そ、そんな覚悟じゃない。俺は恵太さんと別れる気なんて、」
「だから分かったって言ったじゃない。何度も何度も暑苦しい。大体、誠と瀬戸さんが恋人同士だなんて最初から知ってたわよ。いつ言ってくるかと思ったけど、まさか5年も先とはね」

姉貴はうざったそうにまた溜息を吐く。

……え…じゃあ、なんだ?俺は、姉貴に試されてたってことかよ?家族と恵太さん、どっちか選んでたら…切った方はその程度だったって思われてたってことか。

「………抜かりねえ…とんでもない姉貴だな、ほんと」

俺の呟きに、なにか言ったかと睨みつけてくる姉貴から、俺は逃げるように視線を逸らす。姉貴の恐ろしさは昔から本当に変わらない。

「…じゃあ、恵太さんとのこと、認めてくれるんだよな?」
「当たり前じゃない。あんないい人、誠にはもったいないくらいよ」
「はは、それは俺でも十分すぎるくらい分かってる」

俺が笑うと、姉貴は今日何度目かの溜息をまた吐いて、俺を見た。

「今度瀬戸さん、うちに連れて来なさいよ」
「…ん、ちゃんと挨拶しに来させる」
「来させるなんて何偉いこと言ってんの、あんたも向こうの家に行くのよちゃんと!」

頭をバコッとその辺にあった雑誌で叩かれる。弟相手にすぐ手が出るところも何一つ変わっていない。

「っあ、そうだ…!姉貴にまだ頼みたいことがあって」

なんだと訝しげにする姉貴は、変なことを頼まれやしないかと、不安の目で俺を睨むのであった。







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