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生意気な義弟ができました。

鈴木ソラ

マスターが恋人になりました。〈番外編1〉




「春日せんせー、部活みにきてよー」


放課後、まだざわつく教室で数人の生徒がこちらへ寄ってきて声をかけてくる。

「悪いなー、今日はこのあと職員会議だ。それよりおまえら大会近いんだろ?早く部活行かないと怒られんぞ」
「えー、じゃあ明日は絶対見にきてくださいよー?」

不満そうにしながらも、生徒たちはぞろぞろと教室を出ていく。廊下を通りかかった隣のクラスの先生もまた、声をかけてきた。

「春日先生はほんと生徒に人気者ですねえ」
「斉藤先生、違いますよ。歳が近いから舐められてるだけっす」

はっはっと大きな笑い声をあげると、斉藤先生は禿頭をするりと撫でてから顎髭を触る。

「落ちぶれた老人ばっかで悪いなあ」
「周りが大先輩ばっかりで毎日勉強になってますよ。斉藤先生も早く、こんなとこで喋ってるとまた職員会議遅刻します」

俺がそう促すと、また大きく笑いながらゆっくりと職員室に向かって廊下を歩いて行った。俺、春日かすが まことが国語教師として勤めるこの高校は、比較的年配教師の多いせいか、着任当時から大きく注目を浴びている。そのおかげで当時は学校に馴染むのも早くて助かったが、今としては教師の威厳も何もなく少し情けないものだ。

…そろそろ学年末テストだな…今日もひと仕事終えてから、恵太さんち泊まり行こ。

二月上旬、あくびをしながらそんなことを考えて、今日も俺は平和に教師生活を送っている。











「ただいまー」

階層マンションの一室の扉をガチャリと開けば、部屋の中からはふわりとほのかにブラックコーヒーのほろ苦い香りが鼻を通った。リビングへ通じる扉を開けば、それは一層強くなる。

「"ただいま"って、ここは誠くんちじゃないんだけど?」

キッチンでは、少し苦笑いでそう零す恋人の姿がある。

「最近ずっとこっちいるけど、ちゃんと家に帰ってる?」
「いーじゃないすか、こっちのが好きなんだもん。ね、ただいま恵太さん」

俺が対面式キッチンを正面から前のめりに覗くと、恵太さんはコーヒをいれながら、また困ったような顔をしてから、素直におかえりと一言返した。

「あ、この間俺が途中で寝ちゃった映画、どれだっけ。今日観ましょーよ」
「はいはい、でも先ご飯にしよっか」
「え、恵太さんまだ食べてないの」

さも当たり前のように冷蔵庫を開けて晩御飯の用意をしようとする恵太さんに問いかける。すると振り返ってこちらを見た。

「コーヒーに夢中になりすぎて、気づいたらこんな時間だったよ」
「ご飯くらいちゃんと食ってください。どうりで、部屋ん中コーヒーの匂いしかしないと思った」

キッチンには、コーヒー作りのためのサーバーやらが散らかっていた。

「これ、試作?飲んでもいい?」

いま注がれたばかりのコーヒーがティーカップにほんのりと湯気をたてていた。俺はそれが飲みたくて仕方ない衝動に駆られて、返事を待つ前にカップの取手に手をかけた。

「…ん、美味い」

ひとくち含めば、ふわりと、鼻から喉まで芳ばしい香りが満たす。

「はいはい、誠くんはいつもそう言うからな」
「だって、恵太さんのコーヒー全部美味い」

それに俺はコーヒーの難しいことはよく分からない。だからいつも、勝手に飲んで勝手に満足しているだけだ。大学生の頃に比べたら、コーヒーを淹れる腕前は少しは上がっているはずだが、やはり恵太さんにはかなわない。

パスタにしようか、と言って手際よく鍋に二人前のパスタを茹で始める。俺はぼーっとその様子を眺めていた。するとその間に、恵太さんの胸ポケットで静かにスマホが揺れた。

「火、俺見てますよ」

俺がそう言うと、恵太さんはありがとうとひとこと言ってから、自室に入ってスマホの呼び出しに応答した。俺は言った通りキッチンに入って鍋の前に立つ。普段立たないせいか、そこまでに広くないキッチンも、俺にはだいぶ広く新鮮に感じる。

恵太さんに電話なんて珍しい。ナオさんか、それとも仕事の電話だろうか。でもそういえば最近、ナオさんはあんまり連絡してこないな。さすがにそろそろ新しい恋人でもできただろうか。

そんなことを、俺はだんだん湯気をたててくる鍋を見つめながら考えていた。


鍋がぐつぐつと音を立てて激しく煮え出してしばらく経つ頃、恵太さんはまだ自室からは出てこなかった。俺は特にすることもなく手持ち無沙汰にぼーっと鍋の前に突っ立っていた。

……これもうさすがに茹ですぎだよな、パスタって何分茹でるもんだっけ、もう何分経った?

ってか、恵太さんのこういう唐突な長電話、だいたい良い予感しない。

火を止めるべきかじっと悩んでいると、ようやく恵太さんの自室の扉が開いた。俺がはっと出てきた恵太さんに目をやると、恵太さんは俯きがちに下に視線を落としたまま、キッチンに入ってきて、何も言わないまま俺の隣に立って鍋の火を止めた。

「…パスタ、茹ですぎましたか。怒ってる?」

もちろん、そんな程度のことで怒るほど恵太さんは器の小さな人間ではない事は十分承知だが、なぜだかそれ以外の言葉が出てこなかった。一体恵太さんに何が起きたのか分からないのに、恵太さんはどこか暗い顔つきをしている。

「ううん、怒ってないよ」

ただそれだけ答える恵太さんは、いつもの優しい恵太さんに見える。けれどやはりどこかおかしくて、俺は耐えかねて口を開いた。

「何かあったんすか」

俺がそう聞くと、恵太さんは下に落ちたままだった視線をようやく持ち上げて、俺の顔をじっと見つめた。聞いてはいけなかっただろうかとも思ったが、もう出てしまった言葉は喉の奥へは戻らない。

何も言わない恵太さんは、黙ったまま静かに俺の腰を自分の体に引き寄せて、キスした。ごく自然に、恵太さんの舌が俺の唇を割って入ってくる。

「っん、………や……めて、恵太さん」

いつもと変わらないキスだったが、何だかまるで何も感情がないみたいに感じて、俺はそれを拒んだ。初めてかもしれない、恵太さんからのキスを拒んだのは。

「…なんか、誤魔化されてるみたいで、嫌だ」

恵太さんは自覚があったのか、俺にキスを拒まれても表情を変えないまま、静かにごめんと零した。俺はまたそれが気に食わなかった。

「俺に言えないことなら言わなくていいけど、言いたくないんなら誤魔化さないでそうはっきり言ってください」

有耶無耶にされるのが、俺は一番嫌だ。

しばらく恵太さんはなにか考えるように口を閉ざしたが、唐突に、ぽつりぽつりと零すように話し出した。

「弟からの、連絡だったんだ」

俺は予期しなかったその言葉に、少し口を噤んだ。

「…恵太さん、弟いたんすね」

もう何年も恵太さんの恋人をやっているが、こうして恵太さんの家族のことを聞くのは、初めてだった。恵太さんがその話題を避けていたのか知らないが、俺もあえて聞くこともなかったし、恵太さんとその家族の間で何かしらの溝があるということは、俺もなんとなく察していた。だから、こうして恵太さんの口から家族の話題が出たのは、俺にとって十分驚くべきことだった。

「久々に連絡来て、電話に出ようか迷った。結局一回目は応答できなくて、でも二回目またかかってきたところで、ようやく電話に出れた」

その話を聞いて、なんだか恵太さんらしいと思ってしまった。弱気で逃げ腰なのを見ると、やはり相当、家族とやりづらい理由があるのだろう。

「久しぶりに弟の声を聞いたよ、もう忘れかけてたくらいに。なんの用か尋ねたら」

恵太さんはそこで、また何か考えながら一度口元を閉ざしてから、もう一度ゆっくりと言葉を吐いた。

「父親が、いま病院にいるらしい」

俺は恵太さんの言うことに、何も返せなかった。恵太さんが何を考えているのかも、何も想像がつかなくて、俺自身も戸惑っているのが分かった。

「何があったのか、僕も詳しく聞けなかったんだけど、弟は、とりあえず一回帰ってこいって」
「……じゃあ、帰るんすか」

俺がそう聞くと、恵太さんは頭を横に振った。

「…帰らない。…もう、家族とは縁を切ったようなものなんだ。今更帰って言うことも、何も無いよ」

俺は反射的に、なんで、と声に出してしまっていた。

「…なんで、わざわざ連絡してきたってことは、弟さんは恵太さんに帰ってきてほしいんでしょ。お父さんとも、もう、会えないかもしれない」

そう言われて恵太さんはまた黙ってしまった。そしてまた前触れもなく、口を開く。

「うちの家は典型的な弁護士一家で、僕も弁護士になるのが当然だと思って、大学で勉強してた。親もそれに期待してたし、望んでたよ。けど僕は望み通りにはなれなかった。弁護士以外にやりたいことができちゃったんだ」

俺はすぐに、聞かなくてもそれが珈琲店を開くことだと分かった。

「もちろん親には反対されて、それが結構ショックでさ。期待してたんだろうね、許してくれるんじゃないかって。加えて自分が同性愛者だってことも告白した。もう、親の顔なんて見てられなかったよ。僕のことを何一つ認めてくれない親に苛立ったし、親の望みを何一つ叶えられないことを申し訳なくも思った。結局、大学卒業してから、親の反対を押し切って無理矢理家を出た。それで今に至る。8年前、僕が27歳のときに母親が病気で亡くなって、父親とも弟とも、そこで会ってそれきり、一度も顔を合わせてない。」

淡々と語る恵太さんは、辛そうというよりかは、まるで何か罪を犯したみたいに重苦しい雰囲気を纏っている。俺はそんな恵太さんを見ていられなかった。

「…俺も、親父の仕事の関係で、小さい頃からほぼずっと父親は海外にいて、忙しくしてて、遊んでもらった記憶も全然なくて。…まぁそれでも、姉貴や弟のおかげで寂しい思いはしなかったけど、やっぱ、親に会えないのは、寂しいことだと思う。それに尚更、俺が恵太さんの立場だったら、会いに行かなきゃって感じると思う。謝って、そんで、今の自分認めてもらわなきゃ、納得いかない」

俺の勝手な感想だけど、恵太さんは何も言わずに聞いてくれた。けれどやはり、帰るとは言わなかった。それくらい、恵太さんにとってそれは重大で繊細な問題なのだ。

「…誠くんの言いたいことは、分かるよ、分かるけど…」

そこまで言って、また口を噤んでしまう。

俺はそこで、抱き寄せられていた腰を離して、まっすぐに恵太さんを見た。ずっと、暗い顔をして下を見つめている。

「じゃあ、交換条件だします」

俺がそう言うと、意図がつかめなかったのか、恵太さんは首を傾げてこちらを見る。

「恵太さんが一回でもいいから、弟さんの言う通り帰ったら、俺も、姉貴に恵太さんと付き合ってること打ち明ける。それで、フェアでしょ」

俺のその提案に、恵太さんはいいのと言いたげに不安そうな顔をした。

「俺ももしかしたら、姉貴に家追い出されるかもしれない。ずっと親代わりに世話してもらってたのに、なんの恩返しもできないままわがまま言ったら、そりゃ怒られると思う。やっぱ反対されんのかなって、なんて言われるのか想像しただけでもすげー怖いけど、隠したままなのが一番よくないっていうのは分かってるし、言わなきゃいけないっていうのは、俺も恵太さんも、一緒でしょ?」

俺がそう問いかけると、驚いたようにしてから、考え込むように視線を泳がせて、また俺に不安そうな視線を戻す。それでからようやく、恵太さんはうなづいた。

「……分かった、誠くんがそこまで言うなら、言う通りにするよ」

ほんと誠くんにはかなわないな、と愚痴のように零して、恵太さんは呆れたように溜息をついた。

「何があっても、俺は恵太さんの味方だから。恵太さんも、何があってもずっと、俺のそばに居てね」

恵太さんの父親に、姉貴に反対されても。


恵太さんはこちらをじっと見つめて、こくりとうなづいた。





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