生意気な義弟ができました。

鈴木ソラ

気になる先生ができました。〈番外編6〉




特に大きな問題はなく文化祭は終えた。

まあ、問題なくといえば、嘘になる訳だが。

結局あの後、なんにも無かったような顔をして、先生はクラスの催しに顔を出した。当たり前といえば当たり前のことだけれど、クラスでただ一人、俺だけがその様子に違和感を持っていた。校舎裏で見たものが、果たして本当に鴨野先生だったのか、それは今でも疑わしい程だ。  けれどやはり、俺はどこかあれが現実なのだと確信しているようだった。凛太の証言と、これまで俺が見てきた先生の醜態とが、その事実をより確信的なものにしていた。







「楠木くーん、これって、ゴミに出しちゃっていいんだっけ?」
「あぁ、分別しておいてくれれば、あとで委員会の役員が回収しに来る」

「楠木、これ向こうに落ちてたんだけどー」
「落とし物なら、職員室まで届けに行ってくれ」

「おーい楠木、これって学校のやつだよな?返すんだっけ?」
「あとで俺が生徒会に持って行くから、置いておいてくれ」


文化祭も終了し催しの片付けを始めれば、先生のことなど考える暇もないくらい俺はあちらこちらで忙しくしていた。逆に、それくらいが助かるというのもあるが。

「楠木くん、向こうで生徒会の人が呼んでるよ」

クラスメイトにそう声をかけられ、俺はすぐに廊下に出た。そこで顔を覗かせたのは、柴原だった。

「楠木くん、片付けのほうはどう?順調?」
「あぁ、まあ。それにしても、どうしたんだ柴原?」
「会計報告書、私も一応目を通したけど、問題は無さそうね。あとは先生に提出しておいてくれる?」

そう言って、柴原は俺にファイリングした書類を手渡した。

「あぁ、わざわざ持ってきてもらって悪いな。ありがとう」
「いいのいいの、うちのクラスは片付けもとっくに終わっちゃったし、暇だったから」

柴原がにこりと愛想良く微笑めば、通りかかる生徒は皆、柴原に見惚れているようだった。こう並んで喋っていると、よくお似合いだと言われることも多いが、もちろん俺と柴原はそんな関係ではない。

「あ!絢乃ちゃんじゃん、何しに来たのー?」

そう後ろから快活な声が飛んできたと思えば、小柄ながらも俺の肩に手を掛けて隣に立ったのは、凛太だった。

「桐谷くん、相変わらず元気ね」
「絢乃ちゃんもー、相変わらず高嶺の花って感じのキラキラさん」
「もー、なんなのそれ?」

生徒会関係の用件でよく俺のクラスに立ち寄る柴原は、なぜか凛太とも仲良くなり始めていた。どちらもコミュニケーション能力に長けているせいか、打ち解けるのは早かったようだ。

「絢乃ちゃんってさ、美人で、頭は良くてなんでもこなす、才徳兼備って感じ。みんなの憧れの的じゃん?なぁ、秋人」
「あぁ、まあそうだな」
「えぇ?もう、やめてよね?でも、こうやって臆せず話してくれるのなんて、楠木くんと桐谷くんくらいだよ?あとは会長かしら」

そう言って、柴原は少し恥ずかしそうにした。凛太は本当に人の懐に入るのが上手い。

「じゃあ、クラスの邪魔しても悪いし、そろそろ行くね?」
「あぁ、書類助かった」
「えー、絢乃ちゃんもう行っちゃうの?」

凛太が渋るようにすると、柴原はまた話そうねと一言残して行ってしまった。

さて俺は、この受け取ったファイルを、鴨野先生のもとまで届けに行かなければ。














職員室に行くと鴨野先生は不在で、俺は何となくここにいるのではと、数学準備室の前まで来た。やはり中に先生がいるようで、電気が付いている。

「先生、楠木ですけど」

コンコンとノックをして声をかけるが、中から返事は帰ってこなかった。電気を付けたまま外に出ているのだろうかと思い扉を開けると、一番奥の机で、先生は突っ伏して眠っていた。中に入って扉を閉めると、準備室の中は一気に静寂に包まれる。眠る先生に一歩ずつ近づいて起こそうとするが、俺は先生の肩に触れる前に動きを止めた。

突っ伏する腕の合間から覗く先生の顔を見て、やはり、今日見た校舎裏での光景が頭を過った。

見たことのない、先生の恍惚とした表情。教師であることを忘れて、ただひたすらにあの男を求めていた。

「………あ…楠木くん…ごめん、何か用でもあった…?」

いつの間に目を覚ましたようで、寝起きの顔で、少し恥ずかしそうに俺を見上げた。いつもと変わらない様子で、純粋無垢そうな笑みをこちらに向ける。

なぜ、校舎裏であんなことをしておいて、平気な顔でこうして俺と顔を合わせられるのだろうか。教師が仕事なのだから、当然といえば当然なのだが。

やはり俺の中では、憤りに近い感情が沸々と、霧をかけていた。しかし単なる憤りにしては、少し複雑に別の感情も入り混じっているような気がしてならない。けどそれが一体何なのか、何に対してなのか。自分のことなのにも関わらず、俺にはさっぱり分からないのだ。けれど確かに、何か知らない自分を掻き立てるような感情が俺の中にはあった。

その、汚いことなど何も知らなさそうな化けの皮を、剥がしてやりたいだなんて、普通だったら考えるはずもないことを俺は。

「…楠木くん…?」

ずっと黙ったままの俺を不思議に思ったのか、先生は心配そうに俺の顔を覗き込んだ。途端に俺の手から報告書のファイルが落ちると、それにビクリと気を取られる先生。

俺はそんな先生の両頬を捕えて唇を寄せた。校舎裏で、あの男がしていたように。



「んっ、​〜〜〜っ!?………ふ、」

俺に顎を捕らえられた先生は、困惑しているのか元からか、弱い力で俺の腕を引き剥がそうと抵抗した。しかしながらそれは意味をなさず、先生は必死に椅子の上でもがき続けた。薄い唇を割って無理矢理に舌をねじ込めば、先生は嫌だと言うようにそれを押し返す。それがもどかしくて、俺は先生のワイシャツの下に手を潜らせて、腹に触れた。そうすれば分かりやすくビクリと肩を揺らして、またもや引き剥がそうと抵抗する。それを無視して親指で胸の突起を擦ると、俺を追い出そうと必死だった先生の唇の間から、吐息と一緒に甘い声が漏れた。

「んぁ、ぁっ」

俺はその隙を見て、ガードの緩くなった口元からまた最奥へと、自分の舌をねじ込ませた。さっきよりも増した先生の吐息と、時々混じって漏れる女のような甘い声が、焦がすように俺の頭を焦らせた。

何分か、いや、数十秒かもしれないけれど、その時間はきっと実際よりも長く感じて。やっと唇を離した時には、先生の唇はだらしなく開いたまま、どちらのものとも区別のつかない唾液を零して、必死に息を吸おうとしていた。先生の瞳からは涙が溢れていて、それは真っ赤に紅潮した頬を伝って流れていた。涙で潤んだ瞳と、それを隠すような長い睫毛が俺の目について、こんな状況にも関わらず、綺麗だと思ってしまった。

「……先生、そんな顔も、するんですね」

はぁはぁと息を切らして、何も言えない先生に俺は、また唇を重ねた。

「んっ、…は、」

俺も俺で何が何だか分からなくなっていたのだ。考え無しでここまで行動したのは初めてで、そこに俺の意識はあったのか無かったのか。言うなれば、本能だ。

ハッと我に返ったのは、激痛が頭を冷やした時だった。

「っ、」

気づけば先生は涙目でこちらを睨みつけていて、俺の口元はヒリヒリと痛み少し血の味がした。考えればすぐに、舌を噛まれたのだと理解できた。微かに肩を震わせながら、先生は下半身を隠すようにシャツの裾を押さえつけて俯いた。冷えたはずの俺の頭はそれでも、そんな先生の姿を見てなおまだ何かしてやりたいと考えてしまっていた。行動には移さなかったものの、確かに俺はそんな感情を自分の中に確信した。

「っは……、…………帰って…」

今にも消え入りそうな声でそう呟く先生に俺は、自分のしたことにただ呆然とするしかなかった。

「…………先生……俺は、」
「いいから、……早く帰って、楠木くん…」


俯いたままそう告げる先生を見て、俺はしてしまった事の重大さを初めて自覚したのだと思う。それからどうしたのかははっきり覚えていなくて、気づけば自宅に着いていた。おそらくあのまま準備室を飛び出たのだろう。片付けの最中だったはずのクラスにも顔を出さず、帰宅してしまった。俺がいなくても大丈夫だっただろうか。なんて、どこか俺の頭は冷静で、今日起こったこともすべてしっかりと理解はしていた。


まるで夢を見ていたみたいに、さっきまでの行動が現実味を帯びない。それもそうだ、鴨野先生と俺は、ただの教師と生徒なのだから。

そのはずだったのに。


いつもなら帰ってすぐに着替えるはずの制服も着たまま、ベッドに仰向けになった。電気も付けずカーテンも閉まったままで、かろうじて夕陽の光が、その隙間から部屋に差し込んでいるくらいだ。

なぜ俺は、あんなことをした?

純粋に疑問だった、理由もなくあんなこと、しないだろう普通。ましてや男の先生に。考えれば考えるほど、分からない。まるで俺が俺じゃないみたいに、知らない衝動が沸き起こってきて俺を駆り立てた。

見たことない目でこちらを睨んでいた。戸惑いと、怒りと、興奮に満ちた瞳がじっとこちらを見ていた。あの目には俺が、どんなふうに映っていたのだろうか。

そもそも俺は、先生をそういう対象として見ていたということか?いや有り得ない、男の教師に性的な目を向けるなんて。

目を瞑ってしまえばすぐに、先生の体温、吐息、声、すべてが鮮明に蘇る。その度にまた、俺の中の知らない何かが疼き出そうとするのがわかった。


……馬鹿か、俺は…。










「​────い、おいってば、秋人!」


聞き慣れた声が俺を呼び、ハッと視界が開けた。一番に飛び込んだのは見慣れた天井で、すぐに、恐らく自分のものであろうドクドクと忙しない心音が頭に響いてきた。

「大丈夫か?なんか、うなされてたけど…」

そう言われゆっくりと視線を横にずらすと、ベッドの横には不安げにこちらを見つめる幼馴染の顔があった。いつの間に寝てしまっていたのか、カーテンから射し込む光もなく、外は暗く日が落ちきっているようだった。これまでのことは夢だったのかとも思ったが、自分が制服を着たままなのを見て、夢ではないのだと自覚した。

「………凛太、なんでここにいる」

俺はゆっくりと起き上がって、少しズキズキと痛む頭に手のひらを当てた。確かに変な汗をかいていて、不快感が一気に押し寄せた。

「なんでって、おまえ知らないうちに帰ってるし、変だと思って見に来ただけだけど…体調でも悪いのかよ?」

いつ見ても透き通った碧色の瞳がじっとこちらを見つめる。俺はすぐに目を逸らして、ベッドから立ち上がった。

「…平気だ、別に、何もない」
「何もないって顔してねえし、フラついてるから、まだ寝てろってっ」

そう言って、小柄ながらも凛太は俺の身体を後ろに引っ張ってベッドに引き戻した。言われてみれば確かに、少し頭がぼーっとする。

「なんだよ、様子変だって、なんかあった?」

勘の鋭い凛太は、こういうときいつも俺の様子がおかしいと気づく。

「………何も、ないって言ってるだろう」

俺が頑なに何もないと言い張ると、凛太は眉を顰めてこちらを見つめる。そして、再び立ち上がろうとする俺の身体を、ぐいっと引き止める。

「俺、秋人のそういうとこすっげぇ嫌い。なんでもできるからって一人で全部解決しようとするし、困ったってなんにも相談してくれねーじゃん」

珍しく真面目なことを言う幼馴染の顔を、俺は凝視してしまった。

「俺が頼りないなら仕方ないけど、なんか悩んでるなら言えよ。少なくとも、秋人のこと一番よく知ってると思うし、相談すんなら俺以上の適任はいないって」

そんなの自分で言うか、とつっこんでやりたくなったが、確かにそれもそうかと納得してしまう自分がいた。

「……相談なんて、柄じゃないけどな」

俺が呆れた笑いを含めて呟くように言うと、また凛太は少し不満げにした。

「なんだよ、かっこつけか?」
「そんなんじゃない。ただ……まだ自分でもよくわかってないんだ。…今まで理由も無しに行動を起こすなんてなかった。衝動とか気分とか、そんなの俺にはなかった、あったとしても無視してきたんだろうな」

俺が俯きがちにそう零すと、凛太はしばらくしてからくすりと笑いだした。話せと言うから、人が真面目な話をしているというのに、まったくこいつは。

「はは、ごめんごめん、秋人の小学生の頃のこと思い出しちゃって」
「なんだ急に、そんな昔のこと」
「秋人ってさ、昔から誰よりも大人で、子供なのにまるで子供じゃないみたいでさ。今でも思うもんな、ほとんど同じように育ってんのになんでこんなにも俺とおまえは違うんだろーなって」

笑いながら、楽しそうに凛太は昔のことを話し出した。

「そんで小学生のとき、秋人に片想いしてた女の子をさ、泣かせたの覚えてる?」
「あぁ、あれは俺の中でもかなりトラウマだぞ」
「おまえが恋とか興味無いみたいな顔して冷たいからさ、告白断ったら目の前でいきなり女の子泣き出しちゃって。んで結局、慰めた俺の方が好かれちゃって」

懐かしいな、と言いながら凛太は俺のベッドに勢いよく横になった。

「俺は昔からそういう、女心というか、恋心みたいなのに疎くてな。訳も分からず目の前で女子に泣かれるなんて、もうごめんだな」

凛太は、おまえもかわいそー、とくすくす笑いながら言う。それでからすっとベッドから起き上がると、俺の顔をずいっと覗き込んでじっと見つめてきた。

「で?恋愛に疎かったおまえが、なんかしちゃった?」

核心を突くかのような短い言葉に、俺はしばらく黙った。凛太もそれ以上余計な言葉は発さないので、少しの間部屋の中に沈黙が流れた。でもそれは嫌な空気でもなくて、昔から気の知れた幼馴染との、ただの会話の間に過ぎないような感覚だった。

「しちゃった、んだろうな、きっと」

俺がシンプルにそう答えると、凛太はふーんと何か考えているのかいつもより落ち着いたトーンで返してきた。

「俺まだなんも知らないけどさ、ちょっと感動してる」
「感動って、なんでおまえが」
「だって、恋愛に関しては何ひとつ人に興味示さなかった秋人が、なんかしちゃったって。そりゃ相当、大事件だよな?」

本当に、少し嬉しそうな顔をして言うので、俺は溜息をつきたくなった。

「なんで?その子に、嫌われてんの秋人」
「…いや、嫌われるとか、それ以前の問題というか。まず俺は、その人に恋愛感情を向けてるっていうこと自体に納得がいってない」

それこそ、恋愛に疎い俺がこの靄がかった感情を好意と呼ぶことこそが、まだ早い気もする。それなのに俺は、なぜあんなことを。

「あー、なんか面倒くさそうなこと考えてるよなほんと」

考えてることを口に出した訳でもないのに、凛太はまるで見透かしかみたいに言う。

「面倒くさそうなことって…そこが大事なんじゃないのか…」
「詳しいことは知らねーけどさ、もう、なんかやらかしちゃったんだろ?それって、今更考えたって遅いんじゃねーの」

凛太にしては珍しく、尤もなことを言っている。

「何よりも後先考えて行動するはずのおまえがなんかやらかしたって、相当じゃん。それくらい好きが溢れてるってことじゃないの」

凛太の口から出てきたそのワードに、俺はやはり首を傾げた。

「好きだとか、やっぱりイマイチ分からないんだが」
「もーそんな考えるなって、考えすぎる癖よくねーよ。単純に、その子のことが気になってしょうがないとか、つい目で追っちゃうとか、ふと気づいたら考えてるとか。ありきたりだけどさ、そんなもんじゃないのかな」

そういえば柴原も、似たようなことを言っていた。好きな人のことで頭がいっぱいになるだとか、そういうものらしい。

「んでさ、俺が一番気になってんのは、そのお相手なんだけど」

これでもかというくらい顔を近づけてきて、凛太は真剣に問いた。

「……言ってもいいが、幻滅するぞ、きっと」

俺がそう呟くと、凛太は一瞬目を丸くさせてから、すぐにいつもの人懐っこい笑みでにこりと笑った。

「幻滅なんかしねーよ、何せ秋人の初恋だからな」

どこまでも、俺の幼馴染は呑気な奴だ。でもたまには、その呑気さに救われることもある。

「うちの、担任だよ。鴨野先生」

俺が正直にそう言うと、凛太はしばらくじっとこちらを見つめたまま何も言わなかった。数分経った頃にやっと、そっか、と一言呟いた。それがどういう心境だったかは知らないが、特に嫌そうな顔もしなかった。

「もちろん、どうにかしようなんて思ってない。それに勝ち目も、ないだろう」

あの人は男で先生で、なんなら恋人にだって愛されているようで、もし俺のこれが初恋と呼ばれるものだったとしても、入る隙なんか1ミリもないんだろう。

「勝ちとか負けとかは知らねーけど、俺は応援するわ、おまえのこと。そういうのってさ、結果はどうであれ、どう片付けるのかが肝心だろ」

恋愛経験があるのかないのか、けれどそれっぽいことを言ってのける幼馴染を、俺はひとまず信じることにしようか。





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