生意気な義弟ができました。
生意気な義弟ができました。37話
「おにーさん、起きてる?」
ソファの上で微睡んでいると、耳元で零央がそう問いかけてきた。俺はそれにハッと閉じかけた瞼を持ち上げる。目の前には読みかけていた本が手の中に開かれている。
「……ん、起きてる」
「うそ、今絶対寝てた」
「…起きてたって」
背後から零央に抱きつかれているせいか、暖かくて少し気を抜けば眠気に襲われてしまう。俺は続きを読もうと手元の文字の羅列に視線を移した。
「それ面白いの」
零央が俺の肩越しに覗いたのは、単なる教材だった。
「全然。でも今日中に読んでかなきゃいけないから、今日は構ってやれない」
俺が眠い目をこすってそう言うと、零央はふーんと一言だけ言った。
「……っていうか……、…な、名前…呼ばないの」
俺が恐る恐るそう聞くと、零央はえ?と一言漏らした。
結局、零央に下の名前を呼ばれたのはあの一回だけで、あれ以降はいつも通り"おにーさん"呼びのままだ。
「もしかして、呼んで欲しいの?」
ニヤニヤと意地悪く笑って零央はそう聞いてくる。
「そ、そういうんじゃ、ないけど…!ただ、き、気になっただけ」
これじゃまるで俺が寂しがってるみたいじゃないか。
必死に俺が否定すると、零央は答えた。
「そういうのはさ、ほら。エッチしてるとき限定のが、よくない?」
「っ、……………そ、そう…別に、も、なんでもいい…っ」
これ以上この話を掘り下げるのはやめようと思って、俺は何もツッこまないことにした。
「これ、おにーさんの字?」
そう言って零央が指さしたのは、ページの端にある書き込みだった。
「ううん、違う。これ麻海さんに借りた教材だから…」
俺はその名前を出してから、しまった、と顔を青くした。
「…へぇ?麻海さんね」
「か、借りただけだぞ?俺がこれ失くしたからもう使わないやつ借りたんだ」
「別にまだ何も言ってないじゃん」
まだ、ってことは、どちらにせよ何か言うつもりだったのか…。
俺がそんなふうに思っていると、零央がどさくさに紛れて後ろから俺の腹を弄る。
「もーおまえ離れてろ!邪魔するな、勉強しろよ受験生だろ?」
「模試終わったばっかなんだからちょっとくらいいいじゃん」
「あ、そうだ模試どうだった?」
相良くんとのことで完全に忘れかけていた。体調も崩していたし、絶好調とはいかなかっただろう。
「まだ結果出てないけど、手応えはまぁ…今までで一番できたかな」
「あたりまえだろ!零央頑張ってたもんな!」
「ん、撫でてよ、頑張ったんだから」
零央が、ここぞとばかりに肩越しに頭をずいっと擦り寄せてきた。俺は仕方なくその頭に手を置いて撫でてやる。
……ほんとうに弟がいたら、こんな感じだろうか…。いや…零央はもう弟というよりかは───。
俺がぼーっと考えていると、零央の指が俺の首元を触った。ハッとして零央の指先に意識を向ければ、チェーンに繋がった零央とのペアリングをコロコロと転がして弄んでいた。
「おにーさん、デートしよ」
「…デートって、なんだよ改めて…そんなの前からしてるだろ」
「街ぶらついてるだけじゃん。俺が言ってるのは、ちゃんと出かけようってこと」
たしかに言われてみれば、街をぶらついて遊ぶことは何度かあったが、それ以外のところへデートに行ったことは無いように思える。
……行きたい……行きたいけど……。
「…そんな暇あるのかよ」
今は受験で忙しい時期だ。できるだけ勉強に集中してもらわなければいけない。
「だーかーら、ちゃんと出かけるのはこれで最後。そのあとは勉強に集中するから、いいでしょ?」
零央は強請るようにして目を合わせてきた。楽しそうに細まった瞳がこちらを見つめる。そんな些細な言動にいちいち俺の心臓は高鳴ってキリがない。
「……うん、したい、デート」
そういえば、零央の誕生日のときもデートの約束をしていたはずだった。結局、早見くんとのゴタゴタでその約束は果たせなかったのだけど。
「俺の行きたいとこでいい?それともおにーさんどっか行きたいとこある?」
「零央の行きたいとこに行きたい…かな」
「…ん、かわい」
そう言って零央は俺の耳あたりに軽くキスをした。そんな甘い言葉に思わず何も言えなくなる。
最近、そんな甘いことばかり言ってくるようになった……のは、俺がそれだけ愛されてるって思って、いいのだろうか。俺は恥ずかしくてそんなこと言えないけど、褒め言葉と取っていいのか分からない可愛いの一言でさえ、零央に言われれば嬉しく思えるような気もしてきた。
すると、ふいにリビングの扉がガチャッと開けられた。俺はビクッと肩を揺らしてそちらを見る。
「ただいま、二人とも」
「たっ、巧さん!おかえりなさい!…………っちょ、離れろ、零央」
少し呆れたような顔をして入ってくる巧さん。俺は慌てて零央から離れようとするが、零央は俺をホールドして離さない。
…もしかして、今の会話も聞かれていたりするのだろうか……。
もし聞かれていたら、恥ずかしすぎて穴があるなら入ってしまいたい、いや、埋まりたいほどだ。
「も、離せって…」
「いーじゃん、別に隠す必要もないし」
「そ、そういう問題じゃないだろっ」
いくらなんでも巧さんの目の前でこんなくっついてるわけにもいかない。
「…零央、イチャつくならせめて俺の見てないところでやってくれ」
巧さんにため息をついて言われると、零央は舌打ちをした。俺はすみませんと一言謝る。
「あいつは変わったよ」
ふいに巧さんは、そんなことを言ってこちらを見た。母さんはもう既に眠りにつき、零央は部屋で勉強をしている。俺と巧さんは二人でテレビを見てなんとなく時間を過ごしていた。俺が巧さんの言葉に首を傾げると、巧さんは続けた。
「零央、優しくなったと思う。前は…というか昔から、どこかトゲがあるやつだったけど今はなんだかそれだけじゃない。…きっと真澄くんのおかげだね」
巧さんはこちらを見てにこりと微笑んでくれた。
「そ、そんな、俺は何も…。……むしろ、変わったのは俺の方です。前よりもちゃんと、自分の意見とか気持ちとか、はっきり言えるようになった気がします。…たぶん、零央のおかげです」
零央が来てからいろいろあった。しっかり自分の気持ちを言わないと、すれ違ってばっかで誤解も生まれて、零央をたくさん不安にさせた。
「…零央、勉強すごく頑張ってるね。俺の前でもあんなに一生懸命になってるの、きっと初めてだよ」
「かなり高い目標を掲げてるので…不安、ではあるんですけど、零央ならできちゃう気がして不思議です」
「我ながら、よくできた息子だと思うよ。器用な奴だ。まぁまだまだ未熟で子供だけどなぁ」
巧さんは笑ってそう話す。
「それでも零央は今、大人になろうとしてるんだろうね、必死に」
そうだ、零央は今、俺との未来のために必死になっている真っ最中だ。なら俺は、全力で零央をサポートしてやらなくちゃいけない。
「…俺、零央の夜食作ってきます」
俺がそう言ってソファを立ち上がると、巧さんは穏やかに微笑んでうなづいた。
「うわっ!零央みて、あれ、パレードしてる!」
普段聴かないような愉快な音楽と、人々の楽しそうな笑い声が混じり合う中、俺は零央を振り返って楽しそうなパレードを指さした。
「すごいはしゃいでるけど、おにーさんもしかしてここ来るの初めて?」
零央は子供のようにはしゃぐ俺を見てクスクスと笑った。俺はそれにハッとして、飛び跳ねていた体を一旦落ち着ける。
「ち、小さい頃に来たことあるらしいけど、覚えてないから……ほとんど初めてなんだよっ」
……恥ずかしい、歳下の義弟よりもはしゃいでしまうなんて…。
季節は11月上旬、デートと言って零央に誘われたのは人気テーマパークだった。俺は友達ともこういう場所に遊びに来たことはなかったので、ワクワクとドキドキに心臓が高鳴っている。
「で、でも零央、なんでこんな人気なところチケット取れたんだよ?ただでさえ急だったのに…」
「友達に譲ってもらった。急用入って行けないとかって言う奴いたから、ちょうどいいと思って」
零央はそう言うと、人混みに紛れて俺の手を引いた。こんなに人がいっぱいいるというのに、零央は躊躇なく俺の手を握ってくる。
……まぁ…これだけ賑やかなら、少しくらいバレないか。
なんて、結局俺は許してしまうのだけど。
「ほらおにーさん、あれ乗ろうよ」
「えっ、絶対怖いやつだろあれっ」
「いーから、楽しいって」
零央はそんなことを言って、俺をたくさんのアトラクションに引き込んだ。待ち時間にそこら辺で買ったフードを食べたり、ショップではお土産もいろいろあって悩みながらたくさんのものを買ってしまった。
「ね、写真撮ろ」
「えっ?なんだよいきなり、いいけど」
ファンタジックな装飾が施された場所で、零央はおもむろにスマホを取り出した。
「撮ったでしょ、相良と。アイツSNSにまで投稿しやがって、ムカつく。だからこれからはおにーさんが俺のだってアピールしてやる」
「お、俺との写真、SNSにあげるの?」
「そうだけど、嫌?」
零央はこちらを見て聞いてきた。俺はぶんぶんと頭を横に振る。
「て、てっきり俺、零央はそういうの嫌なんだと思ってた…だって、それって同級生とか、友達とかもみんな見るやつだろ…?俺との写真なんかアップして変なふうに思われたりするだろうし…」
俺が俯けば、零央はずいっとのぞき込むようにして笑ってきた。
「いーよ、そんなん。どうとでも誤魔化せるし、いざとなったらホントのこと言ってもいい」
そんなことを言われ、思わずドキリとする。俺は目を泳がせてから、零央の肩を軽く小突いた。
「………ち、ちょっと顔がいいからって、ズルいだろ…」
「そういうこと言っちゃうおにーさんもね」
「っ、」
ほんとうに生意気な奴だ。それでもなぜか、憎めないムカつく奴。
夢のような一日はあっという間に過ぎて、気づけば帰りの電車に揺られていた。もう遅い時間なのもあってか、電車に乗っている人も俺たち以外ほとんどいない。はしゃぎすぎて疲れた体は、電車のちょうどいい揺れにどんどん微睡んでいく。
「おにーさん、寝てもいいよ。着いたら起こすし」
零央に肩を借りてうとうとしていると、優しい声でそう言われた。けれど俺は首を横に振って重い瞼を持ち上げた。
何より今は、眠ることよりも零央との時間を味わっていたい。
昼間の雰囲気から切り離された浮遊感の中で、そう思った。ちょっと前のあの賑やかさを少し恋しく思いながらも、零央とのこの静かな空間にも浸っていたい。
同じ車両に乗っているのは酔い潰れて居眠りをしている人だけだったので、誰も見ていないのをいいことに、俺はすぐそばにあった零央の指に自分の指を絡ませた。
「…零央、ありがとう。すごく楽しかった」
「うん、俺も楽しかった。受験終わったら、また遊び行こ」
「…ん、絶対な」
ずっと俺は、恋人なんかできないし、恋愛とかそういうのも、自分には向いてないと思ってた。いや、向いてないのは確かだけど、きっと零央とじゃなきゃ、ここまで来れなかった。何度も辛い思いしたけど、零央とだったから乗り越えられたんだと思う。絶対にこの手は離したくないし、離してほしくない。零央にとってもそうだったら、俺はとんでもなく幸せだ。
「俺、大学受験頑張るから、絶対成功させるから。期待しておいてね、おにーさん」
生意気にそう宣言してみせるこいつは、誰よりもかっこいい、俺の自慢の義弟で、恋人だ。
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