生意気な義弟ができました。
生意気な義弟ができました。19話
電車を降りた駅のホームで、西くんを見かけた。…というよりも、あっちが俺をつけているのだ。バチッと目が合って、俺はそちらへ歩み寄った。
「にーしーくん」
「あっ、ど、どうも…」
毎日のように俺の帰り道をついてくる西くんは、見つかるといつもいつも困ったような顔をする。
「今日もストーキングお疲れさま。電車ちゃんと降りれたんだ?昨日は人混みに流されて乗り過ごしちゃってたけど」
「み、見てたんですね…今日は昨日ほど人も多くなかったので平気でしたよ」
「もうわざわざ隠れなくてもよくない?どうせバレてるんだし、一緒に帰りたいなら素直に…」
俺が言いかけると、西くんは目を真ん丸くしてこちらを見た。
「い、一緒に帰りたいなんてそんな…!恐れ多いです…」
「そんなこと言って、結局こうして帰ってるよね」
「う……それは先生が見つけちゃうから…」
いつもいつも遅い時間まで俺のこと待っておいて、よくそんなことが言えたものだ。
「それにしても、今日は時間も遅いけど?部活も入ってないのに、何してこんな時間まで待ってたの?」
腕時計の針は、夜の9時前を指している。
「学校前にある喫茶店で課題やってました、途中で先生が学校から出てくるの見えたのでまだ終わってないですけど」
「そんなところから見てたの…。ご飯は?何か食べた?」
「飲み物飲んだくらいですかね?でも、そんなお腹空かないですし…」
西くんは当然というように言った。確かに体格も他の男子生徒に比べて細身だ。
「成長期なんだから、食べないと背も伸びないよ」
「あはは…気をつけます」
すると、西くんは何かを見て声をあげた。
「あ!あれ、あの映画、先生好きですよね?」
西くんは改札を少し出たところで、壁に貼り付けられたある映画の広告を指さして言った。
「好きってわけじゃないけど、ちょっと気になってるだけだよ。…なんで知ってるの」
「この前、そこの映画館の前で立ち止まってましたよね。好きなのかなって思って」
そんなところまで、見てるのか。俺の好きなのなんて知って、どうするのだろう。
「…ちょっと観てこうか、映画。まだやってるでしょ」
俺が駅を出たところで立ち止まって言うと、西くんはかぁっと顔を赤くした。
「えっ、いや、映画なんて、そんな…!」
「…またそれ?行こうよ」
「だ、ダメです!行きません!」
西くんは慌てて断ると、ぶんぶんと頭を横に振る。
「っ…俺!帰ります…!」
「えっ、ちょ…」
西くんは、俺の呼び止める声も聞かずに帰り道を全速力で走って行ってしまった。
「……えー…」
…………どういうこと…なんだ。
俺は彼の背中を見つめて呆然と立ちつくした。
ストーキングするくらい俺のこと好きなら、映画くらい観てもいいのに。……なんて、ちょっと上から目線かな…。
「麻海先生、ちょっと手伝ってもらいたいんだけど、いいかしら?」
廊下で、先生に声をかけられる。
「はい、なんですか?」
「急な授業変更があって、まだ授業の準備が終わりそうにないの。それで週末にやる校内のスピーチコンテストの用意に手が回らなくてね…もし時間があったら、少し手伝ってもらえない?」
たしか、週末に英語授業の一環で英語でのスピーチコンテストが校内で行われるんだったか。
「いいですよ。何したらいいですか?」
「ありがとう。準備室に資料が置いてあるの、それをクラス別にまとめておいてもらえると助かるわ」
放課後の英語準備室で先生に頼まれた資料をまとめていると、扉がノックされた。返事をすると、カラカラとゆっくり扉を開けて生徒が覗いた。
「……先生、今、いいですか…?」
そう言って準備室に入ってきたのは、西くんだった。俺は手を止めて西くんを見る。
「どうしたの?」
「あの…俺としたことが、昨日言い忘れたことがあって…。数学の再テスト、満点取ったんですよ」
へへ、と無邪気に笑った。
「そっか、すごいじゃん。俺は何もしてないけど、嬉しい」
「何もしてなくないですよ、先生のおかげです。テストだけじゃなくて、数学の授業も、あれから楽しくなったんです。なんか俺、数学のこと勘違いしてたみたいで…もっと簡単に考えればよかったんですね」
たしかに、変わっているといえば、変わっている子なのかもしれない。他の男子生徒みたく誰かとじゃれ合ってる様子もなければ、誰とでも明るい調子で楽しそうに話す。素直で従順で、いい子だ。
「西くんはさ、嫌なこととかないの?」
俺が聞くと、西くんはポカンとして首をかしげた。
「嫌なこと…は…特にないですね。なんでですか?」
「西くんはいつも笑ってるなって思って。それってすごいことじゃない?」
「そうですか…?先生も、笑ってるじゃないですか。みんなと話してるときとか楽しそうに」
「あれはただの愛想笑い……って、生徒の西くんの前で言うことじゃないか」
不思議と、西くんの前では本音が漏れてしまう。
真澄くんの前ですら俺は、自分を取り繕ってしまうのに。……いや、真澄くんだからこそ、かっこつけちゃうんだよな。
「…あれですよ。俺、辛いこととか悲しいこととか、そういうのには結構慣れてる方なんで」
そんなことを言う西くんは、笑っているのにどこか寂しそうだった。
「俺の話なんかつまんないですよ!邪魔しちゃってすみませんでした、そろそろ行きますね…」
準備室を出ようとする西くんを、俺は呼び止めた。
「待って。…昨日、なんで逃げたの?」
聞くと、少し目を泳がせてからごもごもと口を動かした。
「に、逃げたっていうか…………自己防衛です…」
「……自己防衛?」
「…は、はい…。………1時間以上、麻海先生といたら……し、死にます…」
「………………なにそれ?そういう呪いか何か?」
西くんの言うことが理解できなくて、俺はポカンとする。
「い、今も……すごい、心臓がドキドキしてて…たぶん、あんまり長くいたらダメなやつです…」
俺は、その返答に思わず何も言えなくなってしまう。
まさか、だからわざわざストーキング…?
「…………いつも、普通に話してるよね、帰り道」
「あれは、がんばってるんです」
「…へぇ…だから映画ダメなんだ?」
西くんはコクリとうなづいて、俯いてしまった。
いつも後ろから見てるだけなんて、それでいいのだろうか。
……なんて、俺が考えることじゃないんだけど。
西くんを見てると、なんだか放っておけない気がして、ついいろいろと考えてしまう。
「…おもしろいね、西くんは」
「えっ、ど、どこがですか…」
どこか、真澄くんを見てるような気になる。
「それ、スピーチコンテストの資料ですか?」
西くんが、テーブルの上を覗き込んで聞いた。
「そう、まとめるように頼まれててね」
「俺、スピーチするんですよ。全校生徒の前でなんて、緊張しますね」
西くんは照れくさいというように笑った。俺は手元を見て気づく。
「あ、ほんとだ。これ、西くんの原稿?」
俺が1枚の英文原稿を取り出して言うと、西くんはハッ慌てたようにした。
「や、読んじゃダメですよ?恥ずかしいので絶対ダメです!」
「えー、どうせ本番俺も聞くのに?」
「ま、まだ完璧な原稿じゃないんです…先生にスピーチしてほしいって言われたけど、俺…英語得意ってわけじゃないし、正直不安しかないんです…」
自信なさげに俯いて呟いた。
「週末本番でしょ?まだ仕上がってないって、大丈夫?」
「大丈夫じゃないですよね…なんとかします」
「俺、一応英語教師目指してるし、何かあれば力になるけど?」
俺がそう言えば、西くんはわかりやすく驚いて顔を赤くした。
「…ほんとですか?…あ、でも、麻海先生は学校じゃ忙しそうですし…やっぱひとりで考えます!」
"学校以外の時間で"って、なんで考えないんだろうなぁ、この子は。
謙虚で欲が無くて、見てるとなんだかもどかしい。
「…西くんさ…明日の放課後、俺の家来る?」
なんだか、よく分からない好奇心で、唐突にそんな誘いをしてしまった。西くんの百面相な反応がおもしろくて、どんな顔をするのか気になったのもあるけど、こんな誘い、易々とするものじゃないのに。
西くんは、予想通り困ったような顔をして、何度も口をパクパクとさせていた。
「スピーチコンテスト、明明後日でしょ?それに間に合わなさそうだったら、明日来なよ。原稿作るの手伝ってあげる」
「……さ、さっきの話、聞いてましたか??1時間以上は、アウトです…!」
「別に死なないってば、平気だよ」
「う、そ、そんなぁ……」
嬉しいのか恥ずかしいのか、複雑そうな表情をしている。
「まぁ、本番に間に合いそうなら別にいいんだけどさ?そこは、西くん次第だね」
「…………わ…わかってますよ~…」
「それで、終わらなかったんだ?」
俺は、少し疲れたような顔をする西くんを見つめた。
「…はい…昨日ああ言われて、原稿進めようと思ったんですけど……逆に、頭が、こう、わあああってなって!…全然集中できませんでした…」
昨日の状況を伝えようと、必死な顔つきで西くんは言う。
そんなに頑張らなくても、素直に俺に手伝ってもらえばいい話なのに…そこまでして俺の家に来るのは避けたいのだろうか。
「わかった。じゃあ、今日は早く帰れるようにするから、どこかで時間潰して待っててもらえる?」
「……は、はい…」
そう言って去っていこうとする間際に、俺は廊下で西くんにこっそり耳打ちした。
「放課後のことは誰にも言っちゃだめだよ。教育実習生が一人の生徒に肩入れしてるなんて知れたら、ちょっと問題でしょ?」
俺が笑ってそう言えば、西くんはバッとこちらを振り返って耳打ちされた方の耳を手のひらで抑えるようにした。肩入れされてるのか俺、というような顔で真っ赤になる。何か言いたげにしてから、結局、何も言わずに走って行ってしまった。
「……お、おじゃま、します…」
「その辺テキトーに座って?今お茶入れるね。あ、炭酸でいい?」
「は、はい」
西くんは、わかりやすいくらいぎこちない様子で家の中にあがった。その様子は、なんだか不思議な動物を見てるようでおもしろい。
炭酸ジュースをコップに注いで持っていくと、西くんは正座でテーブルの前に座っていた。
「足崩しなよ。原稿進めよっか、どこまで完成してるの?」
「え、えっと…」
そう言って、かばんから急いで作りかけのスピーチ原稿を取り出した。俺はコーヒーを飲みながらさらっとそれに目を通す。
題材は、日本と海外との異文化交流についてだった。生真面目な文面で、西くんらしい。
「これがまだ未完成なの?十分綺麗な文章だと思うけど」
このままスピーチしても何ら問題なさそうだ。
「……や、やるからには、完璧な原稿にしたいんです…どうしたらいいですか?」
真剣な顔をして言う。
学生時代の俺だったら、こんなの間違いなく、当たり障りのないことを書いてテキトーに済ませてただろうな。
「わかったよ。じゃあほら、ちょっと話の展開の仕方とか工夫してみよっか」
「は、はい!」
嬉しそうな顔で無邪気に返事をする。
それから1時間ほど経って、外はあっという間に暗くなっていた。
俺が休憩にしようとスナックを持ってくれば、西くんはテーブルに突っ伏して眠ってしまっていた。風邪をひかないようにと、タオルケットを体に被せてあげれば、気持ちよさそうに寝息をたて始めた。
俺が変なこと言ったから、昨日原稿作りひとりで頑張ったんだっけ……寝不足かな、なんだか悪い事した。
少し申し訳ない気持ちになって、俺は、何をしているんだかと苦笑した。
西くんが俺に想いを寄せてるんだったら、それは止めるべきことなのに、どうしてかそういう気にはなれない…なんて、ただの俺の我儘だけど。
男同士だからか、教育実習生と生徒という関係はそっちのけで忘れてしまう。
まだ幼い子供のようなあどけない寝顔は、気を持たせてしまっている、という罪悪感を少し感じさせる。
「…………いろいろと問題だよな…」
30分ほど経つと、西くんは居眠りから目を覚ました。
「…………あ…あれ…」
「おはよう、よく眠れた?」
目を覚ますなり、西くんはかぁっと顔を赤くする。
「ご、ごめんなさい!せっかく原稿作りに来たのに、居眠りなんか…」
「いいよ、寝不足にさせた責任は俺にもあるしね。原稿ももうほとんど出来てるでしょ?」
スマホのディスプレイを見ると、時間は20時近くを表示していた。
「お腹空いたね、ご飯作ろうか。何食べる?大したものないんだけど」
俺が冷蔵庫を覗いて聞くと、西くんは何か言いたげにしたが、結局何も言わなかった。もう俺の誘いを断るのは諦めたのだろうか。
「俺、作るの手伝います」
そう言うので、一緒にキッチンに並んで夜ご飯を作る。西くんは、俺よりもずっと慣れた手つきで率先して料理をしてくれた。
「慣れてるんだね、料理」
「俺、ひとり暮らししてて、だから自炊もよくするんですよ?」
「ひとり暮らし?まだ高校生なのに、偉いね」
すると、少し考えるようにしてから、西くんはゆっくりと口を開いた。
「…俺、両親がいないんです、まだ俺が幼い頃に居なくなったらしくて。て言っても、俺もよく覚えてないんですけどね?物心ついた頃からおばあちゃんが大好きで、俺の育ての親は祖母なんです。祖母とずっと二人暮しだったんですけど…、おばあちゃんも、俺が中学一年の頃に病気で天国に行きました」
西くんは、何ら変わらない調子でそう言う。
辛いこととか悲しいことに慣れてるって、そういうことなのだろうか。
「それからは、遠い親戚の所に住まわせてもらってたんですけど、なんだか居づらくて。高校生になってからはひとり暮らししてるんです。金銭面では助けてもらってるんですけど、できる限り自分でやりたくて…。それに、両親が別れた理由っていうのも、なかなか酷いもので…親戚の人といるのも俺的にはちょっと気が引けて」
「……何かあったの?」
「…母が俺を妊娠してるとき、父親は恋人がいたらしくて、家を出て行ったんです。母はショックで、俺を出産したあと少ししてから、俺をおばあちゃんに預けて行方知れずになりました」
西くんのいつもの明るい様子からは、想像できなかった卑劣な過去に、俺は何も言えなくなってしまった。俺よりまだずっと幼いのに、ひとりで生きているのかと、なぜだかこちらが悲しくなってしまう。
「すみません、こんなつまらない話して…あ、でも、そんな、気を遣わないでください!俺、おばあちゃんのおかげで寂しい思いはしてなかったし、別に、両親のこと恨んでるわけでもないんです。驚くほど普通に生きてきました」
いつもの笑顔で笑って、料理を続けた。
「……うん、西くんはすごいよ。よく、ここまで頑張ってきたね」
俺は、衝動的に隣に立つ西くんの頭を撫でた。すると、西くんはピタリと料理をする手を止める。
「…西くん?」
なにか気に触ることを言っただろうかと顔を覗き込むと、西くんは、泣いていた。ポロポロと頬を涙が伝っていた。
「ご、ごめんなさい…………俺、こんなふうに、褒められると思ってなくて……っ」
不意な俺の言葉に涙が止まらないのか、必死に溢れる涙を拭おうと顔を腕で覆い隠した。
「ごめんごめん、泣かすつもりはなかったんだけど…俺なんかより頑張ってるなって思って。泣きたいなら泣きなよ、別に恥ずかしいことじゃないんだからさ」
俺がそう言うと、西くんは嗚咽混じりに泣き出した。なんだか、気を許してくれたみたいで嬉しくて、背中をさすって泣き止むのを待った。
「作ったカルボナーラ、なかなか美味しかったですね」
暗くなった帰り道、西くんはいつもの明るい調子でそう言った。
「そうだね、西くんが料理上手だからだよ。普段俺はそんな凝ったもの作らないし」
「えーそんなことないですよ。…っていうか、別に送ってもらわなくても大丈夫なんですけど…家も近いし…」
西くんは、またそんなこと言って遠慮する。
「生徒に何かあっても大変でしょ?近いんだから送らせて」
俺がそう言うと、素直に、はーいと笑った。少し泣き腫らした目が道の電灯に照らされる。
「…麻海先生って、好きな人いるんですか?」
唐突に、西くんはそんなことを言い出した。俺は思わぬ質問に、少し間を置いてから答える。
「……うん、いるよ。どうして?」
西くんは、ショックを受けるような顔をするわけでもなく、言葉を続けた。
「やっぱり。たまに、俺のこと見て寂しそうな顔しますよね…好きな人に、重ねてますか?」
そんなことを言われ、俺は胸がズキっと痛んだ。
核心を突かれていると言えば、そうなのかもしれない。
「…ごめんね、重ねるなんて嫌な奴だよね。…でも、フラれてるんだ。俺の好きな人にも、好きな人がいて、叶わない恋なんだよ」
西くんは、急にピタリと立ち止まった。俺は何かと思い振り返る。
「…いいですよ、重ねても。俺にその人の代わりはできないけど、それで先生が寂しくなくなるなら…俺は」
俺は、そんな悲しいことを言う西くんの、頭を撫でた。すると、西くんは目を丸くしてこちらを見上げる。
「代わりになんてしないよ。…俺は、まだその人のことを好きで居続けるけど、西くんとは、ちゃんと"西くん"と仲良くなりたいんだ。だめかな」
それを聞くと、西くんは顔を赤くして俯いてしまった。
「…………だ、だめじゃ、ないです…俺ももっと、先生と仲良くなりたい」
恥ずかしそうにして言う。
告白されたわけでも、告白したわけでも、付き合ってるわけでもない俺たちって、なんだろう。
何も言わずに好意を寄せてくれる彼に、俺はちゃんと向き合ってみたいと、思ってしまった。ただそれだけで、俺はいつか、真澄くんを諦めることができるだろうか。
コメント
鈴木ソラ
あんこさん、ご指摘ありがとうございます!遅くなってしまいましたが、前回(18話)の方を少し修正させていただきました!
あんこ、
前回かな??西くん自分で一人暮らしって言っていたような……、、?