生意気な義弟ができました。

鈴木ソラ

生意気な義弟ができました。5話



「……くっそー…………」

俺は、バイト帰りのとある珈琲店で、鬱々とした溜息を盛大に吐いた。店の中ではおしゃれな洋楽らしきものがBGMに流され、アンティーク調の小物で飾られた店内はまさにそれらしいそれだ。すると、目の前のテーブルにコトリとコーヒーの入ったティーカップがゆっくりと置かれた。

「おい、ここ居座るのはいいけどその陰鬱とした空気どうにかなんねぇの…」

愚痴を零しながらもコーヒーを持ってきてくれる彼は、俺の数少ない友人の一人だ。俺は置かれたティーカップを口元に持ってきた。

「いいだろ別に…ここのコーヒー好きだし。それに今日はまことがシフト入ってるって聞いたから来たんだよ」
「いいも何も、店内でそんな盛大な溜息吐かれたら寄る客も寄んなくなるっての…。なんだよ、俺に用?…てかいい加減マスター俺のシフト情報漏らすのやめてもらえないっすかねぇ」

誠は後半の方をわざと大きめの声で、カウンターでコーヒーを淹れるマスターにも聞こえるように言い放った。マスターは知らんふりをしてコーヒーを淹れている。

「別に用らしい用はないけどな、暇で。おまえこそ油売ってていいのかよ」
「見てみろよ、真澄のせいで客もいないわ」
「俺のせいかよ…」

誠は店内を見渡してから、俺と向かい合うようにイスに腰掛けた。

「あっ、誠って弟いただろ?兄弟喧嘩ってどうしてんの」
「兄弟喧嘩?んなもん、どうもしねぇよ」

誠はさも当たり前かのようにそう言った。

「どうもしねぇって……どーいうこと…」

俺は少し後悔した。こいつは結構いい加減なやつだということを忘れていた。

「だから、特別何するもねえよ。どうせ兄弟喧嘩なんてくだらないことが原因だしなー」
「…そ、そうか……」

くだらないこと、なぁ…………くだらないことなのかあれは……?

「てかなに、真澄一人っ子じゃん」
「あー、親が再婚して義弟ができた。ちょー生意気な奴な」
「はーそーいうこと、そりゃ大変だな」

誠は笑って俺のことを見た。

ほんとだよ…………、神よ…俺にこれ以上の試練を与えないでください。

すると、テーブルの上にもうひとつのティーカップが置かれた。

「マスター、どもです」

誠はティーカップを置いたマスターに礼を言ってからコーヒーを一口飲んだ。その顔は満足そうな表情になる。

この店は俺みたいな常連客がほとんどだけど、マスターのコーヒーの一番のファンは誠だ。何せアルバイトにまで応募してしまうくらいだからな。

「誠くん、あとで新作飲んでもらいたいんだけど、いいかな」

高身長で、優しそうな眼鏡姿が印象的な人だ。もちろん、マスターの淹れるコーヒーは本当に美味い。

「新作!できたんすか?」

誠は珍しくテンションを上げたように、その話題に飛びつく。

「うん、この前言ってたやつがね」
「楽しみにしてたんすよ〜早く飲みたいです!」

そんな様子を見て、マスターは楽しそうに笑う。俺は、自分のコーヒーを一気に飲み干して席を立った。

「んじゃ、俺はもう帰ります。誠、レジ」
「ん、はーいはい」
「真澄くん、また来てね、新作も近々出ると思うしね」
「楽しみにしてますマスターの新作」

本当はできることならまだ長居をして家に帰りたくなかった。けど誠は早く新作を飲みたそうな顔してたし、仕方ないからここは空気を読んでやろう。

店を出てから腕時計に目をやった。針は昼の2時ごろを指している。

……仕方ない……家に帰るか……。

俺は少し憂鬱な足取りで家に帰った。




家に帰るとすぐ、玄関には母さんと巧さんの靴があった。どうやら仕事もなくみんな揃っているようだ。リビングのドアを開けると、なぜか母さんも巧さんも、零央もテーブルに座っていた。その空気はなんだか重い。

「おかえりなさい、真澄くん」
「ほら、真澄も座って」

ふたりは零央に向き合うようにイスに座ってこちらを見た。俺はとりあえず促されたまま零央の隣に座った。

「…な、なに?どうしたの」
「俺が夏期講習サボった」
「零央、それだけじゃないだろ?父さんが仕事でいないのをいいことに、最近夜遊びが酷すぎる」

巧さんは、無愛想にそっぽを向く零央に真剣な口調で問いかける。それでも零央は、何も言わずに俯くばかりだ。

「それに、酒飲んだらしいな?」

巧さんにそう投げかけられると、零央は真っ先に隣の俺の方を見た。俺は必死に首を横に振る。

いや、言ってない、俺は何も言ってないからな??

「お前の友達の保護者からお叱りの連絡が来たよ。コンビニでお酒買ったんだってな?」
「…もう高3だろ、子供じゃない」
まだ• •高3だろ、子供だ。それに受験生。まだろくに進路も決めてないだろ」

巧さんは容赦なく零央を捲し立てていく。

……怒っている巧さんは初めて見た…いつも優しくておおらかな印象だったからな…。

「…………」
「零央……とりあえず、サボった夏期講習の埋め合わせはしなさい」
「……は…?埋め合わせ?」
「今から真澄くんに勉強を教えてもらうのが条件だ。そうしたら夏期講習のことは見逃してやる」

その言葉には、俺も思わずドキリとした。

…………零央に……勉強を………!?

馬鹿言え、ただでさえ気まずいのに。

すると、巧さんは俺に向かって頭を下げた。

「真澄くん、頼む。こいつの勉強見てやってもらえないかな」
「えっ」
「真澄、いいじゃない。あなた暇でしょ?」

母さんも、都合がいいように俺に振ってくる。

「……お、俺でよければ、それくらいはやるけど……」

巧さんに頭まで下げさせて断れるはずがない。

「ありがとう!助かるよ」
「良かったわ〜真澄の頭が役に立って」

母さんめ…俺の扱いどうなってんだ……。
零央に至っては影で舌打ちしてやがる。

「じゃあ、零央のことは頼んだ真澄くん!」














「………………」
「………………」

俺の自室で、長くて痛い沈黙が刺さる。

………気まずすぎる、昨日俺…逃げたし……。

「…ねえ」
「は、はひっ」

俺は思わずテーブルの向かいに座る零央に構えの体勢をとる。もうこの際情けない声なんて気にしない。

「なんで引き受けたわけ、こんなめんどくさいこと」

零央は無愛想にこちらも見ずに聞いてくる。なので、俺も零央の顔は見ずに答えた。

「……な、なんでって…巧さんにあそこまで言われたら、断れないだろ」
「なんで、別に断りゃいいじゃん」
「あのなぁ、巧さんだっておまえのことを思って、」

俺はそこまで言って口を噤んだ。

…………説教じみたこと言ったら…またキレられる……。

俺は昨日のことを思い出して青ざめた。

「と、とにかく、巧さん勉強終わるまで家から出さないって言ってたし…さっさとやるぞ。夏期講習何回サボったんだよ?」
「はじめの1回だけ行ってそれっきり。あとは制服着て行くふりだけしてた」
「まじかよ…まぁいいや。とりあえず、なんの教科やればいい?俺理数はできるけど英語は自信な、」

下に置いてた教材を手に取ろうとすると、それはすっと出てきた零央の手に阻まれた。何事かと顔を上げると、零央はじっとこちらを見ていた。

「ちょっと、俺の話聞いて」
「…………は、なし…?なんのだよ…」

訝しげな目で見てやると、零央は少し面倒くさそうに短く溜息を吐いた。

話聞けって言っといてなんだその溜息は。

零央は、しばらく黙ってからゆっくり口を開いた。

「…フラれたんだよ、彼女に」

………………はぁ…?

俺は思わず呆気にとられてしまう。

すると零央はまだ言葉を続けた。俺は何も言えずにそれを聞く。

「それで酒飲んで、酔って、あぁなった」

あぁなった、というのはつまり、あの夜中の悲劇のことで。

……じゃあ、なんだ…?こいつは、わざわざあれに至るまでの経緯を?理由を、俺に話してきたというのか…?

「…………な、なんでそんなこと俺に…」
「一応、悪かったとは思ってるし。それも、しばらくは消えないと思うから」

零央が目線だけで俺の首元を示した。俺は衝動的にバッと手のひらで首を隠す。

「……あ、あぁ……悪いと思ってたんだ…」

真夏なので厚着をするわけにもいかず、今は簡易的に絆創膏を貼って隠しているキスマーク。

……俺がこんなのつけてるって親や友達にバレたら混乱するだろうな、何せ彼女なんてできたこともないただの根暗だ。

自分で言って悲しくなった。

「……まぁ…おまえどうせ彼女くらい何人もいるんだろ」
「はぁ?それマジで言ってんの、いるわけないじゃん。俺そのへんはちゃんとわきまえてる」

…………まじか……完全に女とっかえひっかえしてる印象しかなかった。

「…………ほら……どうせまたすぐ新しい彼女できるって、おまえなら…」
「なにそれ、励ましてんの?できるけど」

全く生意気な奴だ、数日前に出会った義弟とは思えないな。謙虚のケの字も無い。

俺が、いい加減勉強を始めようとテキストに手を伸ばすと、それはまた制された。

「お、おい、そろそろ勉強…」

睨みつけてやろうとテキストから目線をあげると、零央はじっとこちらを見つめていた。何らいつもと変わらないつまらなさそうな顔をしてる。すると、次にとんでもない言葉を投げかけてきた。


「おにーさんさ、キス好き?」


………………は…………?

俺は思わず口をポカンと開けたまま零央を見る。

「好きでしょ、しかも初めてのキス。癖になるでしょ」

零央は、いつもの含みのある嫌な笑顔で笑って、俺の顎をくいっと上げて自分の方に向かせる。いろいろな羞恥で俺の体温は急上昇する。

…嫌な空気、この流れはなんかやばい気がするぞ…………、てか顎クイとか、こんなの女子だったら一発 K.O.だ。

「…………お……おまえ、馬鹿にしてんのかよ…」
「まあ、否定はしない。でも…あんたも否定しないじゃん、それは、俺とのキスが気持ちよかったからでしょ」

余裕と自信に満ちた表情で零央がこちらに迫ってくるので、俺は思わず後ろに後ずさって逃げ腰になる。

……こ、こいつ、調子ノリやがって……、…零央とのキスが気持ちよかった…?なんだよ、なんでおまえとのキス限定なんだ、別に他の奴とのキスだって気持ちいいかもしれないだろ…。

そこでハッと我に返った。
俺は零央としかキスしたことがないという事実。それ以前に、あのキスが気持ちよかったと認めてしまっている。

………………か、完全にこいつのペースだ…。

「ほら、何も言えない」
「…お、おい、おまえ俺で遊んでるだろ…いい加減にしろよ」
「遊んでるっていうか…まあ、おにーさん面白いし」

零央はクスクスと笑った。

「はぁ?おま、んっ」

さすがにカチンときて反論しようとした瞬間、零央の顔が近づいてきて唇が触れた。すると、すかさず零央の舌が侵入してこようとする。

……俺も馬鹿じゃない、学習した……意地でもこの口は開かない!

すると、痺れを切らした零央は、突然俺のTシャツの下に手のひらを潜り込ませて、俺の腹あたりを指でするりとなぞってきた。

「ひっ、」

俺は予想外の行為に思わず情けない声を出してしまう。しまった、と思ったときには手遅れで、隙を見た零央の舌はいとも簡単に俺の口の中に侵入した。

「んう、…は……っ、」

またこれだ、背筋がゾクゾクする。
意識がだんだんとふわふわしてきて、頭の中が真っ白になる。今目の前にいる、零央のことを考えるので精一杯だ。

零央の冷たい指先が、Tシャツの下でいやらしく俺の腹や背筋を触って遊ぶ。その度に俺の身体はビクついてしまう。

「んっ、や…め、零央……やめろっ」

ようやく離れたので、キッと睨んでやる。もちろんそれで怯むはずもなく。

「…はは、説得力なさすぎ。顔真っ赤だし、勃ってるし」
「っ!!なっ、」

俺の下半身はたしかに反応していた。

恥ずかしすぎる、なぜ俺は義弟にこんな姿見せなきゃいけないんだ。てかこいつ、絶対反省してない。

こんな羞恥を晒して、俺の心はもう半泣きだ。

「…はぁ…なんかさ、おにーさん見てるとムラムラする」

そう言って、また顔を近づけてキスしようとする。俺は全力で顔を背けて拒否する。

何言ってんだよこいつは、男相手にムラムラする?ふざけてるだろ!完全に馬鹿にしてやがる。

なにか言い返してやろうと口を開きかけたとき、コンコン、と部屋のドアをノックする音が響いた。

「っ!」

俺の身体はビクッと跳ね上がる。

「真澄、零央くん?お茶持ってきたわよ、入るわねー?」

そう言って、母さんは俺たちの返事も待たずにガチャリとドアを開けて部屋に入ってくる。

「あら、ちゃんと教科書開いて、勉強がんばってるわね」
「う、うん、大丈夫だって、ほら、俺が教えてるし?」

何とか、俺も零央も咄嗟に体勢をテーブルの前に向き直して、平然を装った。母さんは持ってきたお茶をテーブルの上に置く。

「零央くん、真澄に至らないとこがあったらビシバシ言ってやってね?」
「…はい、まぁ、でも全然、わかりやすいんで」
「そお?仲良くやってくれてるみたいでお母さん安心したわ〜じゃあ邪魔者は退散するわね」

そう言って、母さんはそそくさと部屋を出て行った。安堵で俺の体は一気に脱力する。

「……はぁ……」

あっぶねぇぇぇ……それもどれもこいつのせいだ…。

零央を睨むと、本人は涼しい顔して、つまらなさそうにテキストを開き始めた。


こいっつ、まじで絶対に許さん。


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