ガチホモの俺がお嬢様学園に入学させられてしまった件について 

湊湊

53.「帰還」



「……二宮……この部屋で……間違いないんだよな?」


「ええ……間違いないわ……私の記憶が誤っていなければ……」


「そうか。それだったら安心だな。二宮が言うんだから間違いない」


 俺と二宮は……計算的には大よそ十五㎞以上の距離を歩き続けてきた。幾ら俺たちが深い絆を得ようとも、流石にものには限界はあり……疲労は確実に蓄積していた。
 これまでは二宮とのお喋りで、騙し騙しやってきたが……朝焼けの光が入って来たタイミングから徐々に体力を持って行かれ少しは不安を募らせたが……
 現在の時刻六時過ぎ。大分時間を労してしまったが……二宮の会いたいとしていた人物の部屋に……いよいよ到着したのだ。
 その瞬間に俺の心は満たされていた。何とも言えない快感。俺たちは達成感の余りにお互いの手を取り合い笑い合うことが出来たのだ。良かった。……本当に良かった。


「二宮……時間がない。朝早くで迷惑だろうけれど……行こう」


「……ええ」


 早朝六時過ぎから家に来られたら俺の場合ブチ切れると思うが仕方あるまい。それに二宮の話だと……相当親切な人らしいからな。笑って許してくれると信じたい。


「……」


「……」


 俺と二宮は……少し真剣な面持ちで部屋の前まで近づいた。部屋の前には古ぼけたインターホンのボタンが設置されていた。


「それじゃあ……押すわ」


 彼女はゆっくりと震えた手のままで人差し指でインターホンに触れた。……緊張をしているのだろう。……俺だって緊張して顔から汗を拭き出してしまっている。
 それは緊張するさ。……たとえ、俺と二宮がどれだけお互いの過去を打ち明けて……思いを重ねたとしても、ここで布川さんに会うことが出来なければ……全てが水の泡だ。
 布川さんに会って……お礼を述べる。それが二宮の悲願なのだ。頼む。……神でも……仏でも……天上ヶ原雅でもいい。お願いだから……二宮に布川さんと会わせてやってくれ。俺は心の底から願った。だが―――――


「……」


「……」


 二宮は沈黙したまま再びインターホンに指を触れる。もしかしたら……二宮は……自分がインターホンをしっかりと押せていなかったのでは?と……疑うかのように力強くインターホンを押した。音の反響としてインターホンの軽やかな音が僅かに扉の向こう側から聞こえてくる。確かにインターホンは機能している筈だ。それでも――――――


「……」


「……」


 何分経とうとも、家の中からは生活音が一切しない。全くの沈黙。このアパートの周辺からは幾らかの声や音が聞こえる。だけど……肝心の布川さんの家の中からはレスポンスが一切……なかったのだ。


「二宮……どうする?」


「一旦……一旦退避しましょう。そして……それから……」


「二宮……大丈夫か?」


「ええ……こんなところで……こんなところで眠ってしまうわけにはいかないのよ」


 二宮の消耗もピークに達しているようだ。思わず倒れこんでしまいそうになる彼女を俺は反射的に支えていた。……無理もない。男の俺もかなりの疲労なのだ。元々、体力的に富んでいない二宮であればとっくに限界のはずなのだ。
 それに……今こうして……布川さんの部屋から全く反応がないことを考慮すれば……かなりショックで精神が摩耗してしまっていることだろう。


「……」


「……」


 いつまでも家の前にいても仕方がない。……どうにか少し場所を変えてこれからの方針を考えなければと――――――考えていた瞬間のことだった。


「ワンワンっ!」


 可愛らしい犬の吠えるような声が聞こえる。俺は猫より犬派だが、こんな時に犬の声を聞いても何の解決にも―――――


「ちょっと……チーズちゃん。駄目じゃない。そんなに慌てて……。全くしばらく預けていたからといってこんなに興奮しちゃって……」


 老婆らしき人物がそんなことを言いながら犬を宥めているようだ。……ん?


「ワンワンっ!」


 やがて、犬の声はだんだんと俺の方へと近づき―――――


「ワンワンっ!」


「……って噛みつかれたっ!痛ってぇえええっ!チーズちゃん、あご強っ!チーズちゃん、名前の可愛さに反して化け物かよっ!」


 犬っころは俺を敵とみなしているのか知らないが、思いきりよく噛みついて来たのだ。……まあ、可愛らしいから許すけどさ。それにしても……この犬の主人は一体何をしているんだが……主人らしき人物はこちらの方へと近づく。そして―――――


「ふ、布川さん?」


 全身を震わせながら二宮はそう言った。え?……ちょっと待て……もしかして……もしかして……老婆は、二宮の顔を見て……そして満面の笑みと驚愕を織り交ぜたような表情をしながら言ったのだ。


「あら……もしかして冬香ちゃん?冬香ちゃんじゃない?久しぶりねー。こんなに大きくなってー。元気にしてたの?」


「……っ!」


「……っ!」


 二宮は……二宮は今までにない程に……感情を露わにしていた。激情とも言える程に彼女は苛烈さを見せた。今この一瞬に数年の分の思いを込めるように。……おいおい。……俺まで泣きそうになっちまうよ。


「布川さんっ!」


「あらあら……大丈夫冬香ちゃん?」


「はい……布川さん……あなたにずっと会ってお話をしたかった。ずっとずっと……それだけを望んでいたんですっ!!」


 いつもは声を張らない二宮が……大声で自分の素直な意志を告げていた。……二宮は年相応の少女だった。悲しいことがあれば悲しむし……嬉しいことが嬉しさを表す。そんな年相応の姿を余すことなく表現したのだ。








「あまり大したおもてなしは出来ないけれど、どうぞあがって頂戴」


「はい。お邪魔します」


「お邪魔しますね」


 どうやらこの布川さんという人物は、予想通りに非常に丁寧で温厚且つ人を疑うことを知らない性格のようだ。初対面の俺に対しても親切に接して家の中に上げてくれていた。断る理由もないので俺はその思慮を承ることにしたのだ。


「ちょっとお茶を入れるので待っていてね」


「いえ……私も手伝います」


「いいのよ冬香ちゃん。お茶を入れるのは私の数少ない楽しみなんだから座っていて」


「……はい」


 少し強引に窘められるかのようにして、二宮は一度立ち上がったが座り直した。


「それにしても……随分と朝から訪れたのねー。もう少ししてから来ると思ったのに」


「……?」


 もう少ししてから来ると思った?……それは一体どういうことだ?と思い、俺はちらりと二宮の顔を覗き込む。すると二宮は俺にだけ聞こえるように呟いた。


「もしかしたら……少し認知症が入っているのかもしれない。それで勘違いをしている可能性があるわ」


「……なるほど……」


 見たところ、かなり布川さんはご高齢だ。年齢を外見からだけで判断するのは非常に困難だが、発声や皺の数から何となく推察するに、御年七十歳は確実であり下手をすれば八十歳に至っているかもしれない。
 俺には親戚がたくさんいる。そして、その中で八十を過ぎた祖父がいるのだが……日常生活はそれとなく送れているものの、記憶が混同したり飛んだりしている場面を見たことがある。実際に俺が祖父の家に訪れていないのに訪れたと言われたこともある。布川さんもその系列として、どこか記憶違いがあるのかもしれない。


「ふぅー、お待たせ。はいどうぞ」


 だが布川さんはそんなご高齢の苦労を微塵も見せることなく満面の笑みで俺たちにお茶を出してくれた。


「ありがとうございます」


「頂きますね」


 温かい茶ではなく冷茶を出してくれる布川さんの思慮深さに感嘆しながらも茶を嚥下する。……うん。麦茶だこれ!そして美味だった。


「それで……冬香ちゃんが私に会いに来てくれたことはとっても嬉しいんだけど……どうして急に私に会いに来てくれたの?」


「それは……」


 二宮はそれから、布川さんに全てを打ち明けていた。実は小学生時代には叔父から虐待に近い行為を受けていたこと。そして、叔父の起こした事件によって小学校時代にも友人をも失ったこと。
 叔父から逃げる為に白花咲女学園へと中学受験をしたこと。その際に、受験費用を持ち合わせていなかったために、布川さんから借りたこと。今まで御礼をいい別れの挨拶を述べたかったが、それだけの時間も無かったこと。
 そして……何よりも布川さんに感謝をしているということ。それらの全てを……時間を掛けて二宮は語ったのだ。


「そう……」


 布川さんは二宮を馬鹿にするわけでもなく、しっかりと二宮の言葉一つ一つに耳を傾けて傾聴をする。その様子は非常に美しく尊い行為であった。彼女の慈しみには嘘も欺瞞もない。まるで今は亡き母親の代わりと言わんばかりにありったけの思いを込めて二宮と対峙していた。……それが布川さんと言う人物であった。
 なんだか、二宮が布川さんに会いたくなっていた気持ちがわかった。この人は……この人は、俺とは違い、本当に善良な人なのだ。何一つ淀みない素晴らしい人だ。


「以上が……私の過去とここにやって来た理由です。布川さん……あの時は本当にお金を貸して頂きありがとうございました。あの時の御恩は忘れません」


「……」


 彼女は無言のまま首を横に振った。そして言うのだ。


「お金のことなんて別にいいんだよ。どうせ、大して先も長くない老人なんだから」


「いいえ。いつか学園を卒業した後には必ず返しに来ます」


「……そうさね。それじゃあ、お金は返さなくていいから……一つだけ冬香ちゃんに約束をして欲しいことがあるんだよ」


「約束……ですか?」


「そう約束だよ。私はね……冬香ちゃんに笑っていて欲しいの。もし……あなたが、私の貸したお金で今の学園に在籍をしているのなら……冬香ちゃんはしっかりと学園での生活を楽しむんだよ。だって……冬香ちゃんは笑顔の方がよっぽど似合うんだから。ちゃんと……幸せになるんだよ?」


「布川さん……はい。私は……絶対に幸せになります。これからは……学園生活だって全うしますっ!」


 二宮は再び泣きそうになっていた。……布川さんはどこまでも慈愛の女神のような存在だ。俺まで何だか泣きそうなんだから。……そして今この瞬間に悟った。俺が二宮を外に連れ出したことは美しくなかったかもしれない。二宮が俺の悪だくみに乗り、学園の規律を破ることは望ましいことでは無かったかもしれない。
 けれど……今この瞬間は……この瞬間を味わえたことは……何よりもかけがえのない瞬間だと思うんだ。だから後悔は無い。ここに至ることが出来て本当に良かった。


「……」


「……」


「……」


「布川さん。この度は本当にありがとうございました」


 二宮は疲労がピークに達したのだろう。既に午前七時を過ぎている。元々体力的に優れていない二宮の体力は限界を迎えてしまっていた。二宮は布川さんの膝の元ですやすやと気持ちよさそうに音を立てながら眠っていた。……何となくそれが微笑ましたかった。


「さて……」


 彼女はすやすやと穏やかな眠りにつく二宮から視線を逸らし、俺の方に向いた。


「あなたは……冬香ちゃんのお友達?それとも……恋人?」


「と、友達ですよ。恋人ではありません。俺に二宮は勿体なさ過ぎます」


「あらあら……そう。謙遜しなくていいのに。お似合いだと思うわよ」


「……っ!」


 俺はどこか恥ずかしさのあまり上手く返答することが出来なかった。


「ねえ……ところであなたのお名前は?」


「ああ、そうでしたね。これは失礼いたしました。俺の名前は櫻井芳樹。二宮と同じく白花咲女学園高等部の一年生です」


「あら……そうだったのね。これはこれは……それじゃあ、芳樹君。あなたに言っておきたいことがあるの」


「はい?」


「冬香ちゃんはね……しっかり者で実年齢とは全く異なるような大人びているような子に見えるかもしれないけれど……その内心はまだまだ子供なのよ。純粋で可愛らしい子。そして誰よりも優しい子。だけどそんな子だから世間の荒波に揉まれるようなことがあると彼女が歪んでしまうかもしれない」


「……はい。俺もそう思っていますよ。二宮は……いい奴なんです。本当に立派な奴で……だけど……だからこそ、脆く純粋な部分があるんだってことをわかっていますよ」


 この世界は美しいばかりではない。残酷で残虐なことをする人間だって幾らでもいる。だから生きていくことは困難だ。二宮のような少女は……それに染まってしまうことは十分に考えられる。


「だからね……芳樹君。あなたを見込んであなたにお願いがあるの」


「……」


「冬香ちゃんのことを宜しくね。あなたが冬香ちゃんのお友達と言うのなら……冬香ちゃんを手助けしてあげてね。私からのお願い」


「……はい。勿論です。俺は……俺はこれからも二宮の傍にいます」


 二宮という一人の少女を……俺の友人である二宮冬香の近くにいてやりたいと……俺はそう考えていた。そして……二宮にも俺の傍に居て欲しいと心の底から願っている。


「ふぅー」


 ひとまず……これで終わったのだ。長い長い戦いが。だけど……無事に終わったのだ。俺も疲労困憊の状態だ。


「あの……布川さん」


「うん?どうしたの?」


「ちょっとばかし、俺も疲れちゃって……このまま眠ってもいいですか?」


「あらあら……それじゃあ、お休みなさいな」


「ありがとうございます。それじゃあお休みなさい。……お疲れ様―――――二宮」


 そうして穏やかな気分のまま瞼をゆっくりと閉じた。全てが終わった今に厭うことなどない。徹底的に眠りにつこう。


「……」


「……」


 部屋の扉が開く音がした。もしかしたら布川さんがどこかへと行くのかもしれない。まあいいや。そして俺は達成感と共に眠りにつこうとした瞬間―――――


「あらあら。……櫻井君。まだ、フィナーレには達していないというのに……お休みの時間には少しばかり早くありませんか?」


「……」


 何だか、俺の嫌いな最低な女の声が聞こえた気がした。……何だよ。折角いい感じの雰囲気で終わろうとしているんだから、あの女のことを思い出す必要などないだろう。
 余韻が台無しになりそうだ。ってか……どれだけ疲れているんだよ俺は。まあ身体的だけではなく、精神的疲労が大きいだろうからな。もしも、あの校門で捕まっていれば、天上ヶ原雅からどれだけ残虐なことをされるかわかったもんでもないし。
 ひとまず、俺はそんな感じで緊張を強いられていたのだ。だから眠るのだ。悪しき雑音よ、人の睡眠を邪魔する―――――


「ぐぇえええええっ!」


「何ということでしょう?神である私の言葉を無視して眠りに着こうとするとは……今のは天罰ですよ。いえ……どちらかと言えば私は女神という呼称の方が適切でしょうか?どう思いますか櫻井君?」


「……」


 ま、まさかな。……ああ、まさかな。まさかだよ。この忌まわしき声はあくまで幻聴。幻想に過ぎない。些かはっきりと声が過ぎているような気もするが、あくまで幻聴なんだ。  
 だから、明らかに思いきりよく何かから蹴りつけられたような気も幻覚。俺が今奇声を発したことも幻覚。全ては妄想。だって考えてみろよ性欲多感な男子高校生なんだぜ?妄想くらいは沢山するぜ。そう……これは全部妄想―――――


「ぐおごおおおうぉっっ!いってえええええええ!」


「あらあら、芳樹君大丈夫?」


 俺を心配してくれるような布川さんの声が響いた。ああ、布川さんの声は癒しの効果があるなー。


「いいえ大丈夫ですよ布川さん。いつも私と櫻井君はこのようにコミュニケーションを取っているのですから。それに櫻井君はマゾの素質があるようなので、これはご褒美に過ぎません」


「俺はマゾの素質なんてねえってっ!……って!お、お、お、お前はっ!」


「あら……ようやくと、目を覚ましましたか?愚鈍な櫻井君。ここまで反応が遅いと脳機能に問題でも生じたのかとひやひやとしてしまいましたよ」


「……な、何でお前がここに?」


「さあ?何故でしょう?……それも含めて募る話があるでしょうから……そろそろ学園に帰還致しましょう。それでは布川さん。今回は誠にありがとうございました」


「いいえ。それよりも……雅ちゃんもまたいらっしゃいね」


「はい。時間があれば寄らせていただきたいと思います。それでは……」


 天上ヶ原雅は、慇懃に布川さんに頭を下げた後は、いつもの作り笑顔を見せながら俺の手を引いた。


「さあ、帰りましょう」


「……」


 既に目的は果たしたから学園に帰還すること自体に異存はない。だが、どうして彼女がここにいるのか?それと先ほどの会話から何故、布川さんと天上ヶ原雅は知己の関係にあるのか?……謎だらけだった。


「……っ!」


「二宮さんは丁重に運んでくださいね?」


「はっ!」


 ぞろぞろと黒服たちが部屋に上がりこんでくる。そして、黒服の一人は二宮の身体を抱き抱えて早々に二宮を運んでいった。……黒服まで準備済みかよ。……どれだけ用意周到なんだ。


「さて……櫻井君。あなたも行きますよ?」


「わけが分からんが……勝手にしろ……それじゃあ、布川さん、今日は本当にありがとうございました」


「ええ。芳樹君もまた、家においでね」


「はい!」


 別れの挨拶もそこそこに、俺は天上ヶ原雅に先導されながら、アパートの一室を後にした。


「うげぇ……」


 アパートの周辺には、リムジンカーが五台も並んでいることもあり、この辺り一帯の住民が何事かと様子を伺っているじゃねえか。外観ぶち壊しだぞおい。


「それでは櫻井君は……この車で私と学園に帰宅致します」


「……はいよ……」


 既に選択肢はないのだろう。だから素直に従うことにしたのだ。……まあ、今の俺は大変に気分がいい。
睡眠の邪魔をしたことは万死に値するが、幾ら天上ヶ原雅が俺に余裕綽々な態度で接していようとも、既に二宮が布川さんに会うという目的は果たしている。俺はこの女を出し抜いたのだ。だから何も悔恨の念は持ち合わせてなどいないのだ。
 俺は、車の後部座席のスライド式の扉を開けた。そこでは―――――


「お疲れ様でした櫻井君」


「え?……いやいやいや、何であなたが?」


「積もる話は後ほど。私もまたあなたに謝罪しなければならないことが沢山ありますから」


「……」


 運転席に座っていたのは……一人のメイドさんの姿だった。聡明であり理知的。優雅であり可憐なその女性。……そんな俺の知り合いは立花さんしかいない。


「それじゃあ……立花さん。出発してください。それでは櫻井君。出発しますよ。楽しい楽しい白花咲女学園へとっ!」


 段々と不安が募りながらも俺と二宮は学園まで運ばれることになったのだった。



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