ガチホモの俺がお嬢様学園に入学させられてしまった件について 

湊湊

30.「逃遁 」



 眠りの中で救いの兆しなど見つけられる筈もなく……無限にも広がる闇の中で俺は自分では対処不可能な心的状態に陥るだけだった。
 普段さほど夢を見ない俺だったが、今ばかりは悪夢の中で嫌悪感だけがじわじわと形成され心を蝕んでいく。
 夢の内容。それは在りし日の記憶の再現でしかなく、現実で起こった過去の追想体験が主軸だった。舞台となるのは卒業した中学校。場所は良く晴れた日の屋上。時刻は昼休み。俺と対面している相手は『鈴木瀬里奈』という一人の少女。お世辞にも容姿端麗と呼ぶことが難しい少女は、常人とは異なったような愛憎の念を俺に向けた。
 彼女の視線によって俺は意識が混濁としてしまい意識が途絶えてしまいそうになる。更に肺が潰れ心臓が破裂し胃が飛び出そうな強烈な感覚に支配される。俺にとっての『女性恐怖症』を引き起こした原因の彼女はあまりにも強大であったのだ。まだ見られただけであるのに……それでも既に限界だった。


「ぶはあああああっ!はぁ……はぁ……」


 俺は唸り声をあげながら夢を強制的にシャットダウンさせて身体を起こした。……危なかった。夢だと認識していなければ夢から抜け出すことも適わずに発狂していたかもしれない。
それだけ『彼女』に関する問題は、現在でも何ら解決しておらずに深層心理にまで深く根付いていた。
 じわじわと俺の心を擦り減らし削りとるような魔の手は決して消失などしてはいないのだ。普段は抑圧されている不安の情動もこうして精神的に追い詰められることによって簡単に甦ってしまう。本当に情けのない話だった。


「ひとまず……」


「ひとまず汗でも拭きなよ櫻井。汚くて見てらんないんですけど?」


「ああ……そうだな……ってお前っ!早乙女?」


「他にこんな美少女とかこの学園にいないから間違える筈なくない?ウチだよウチ」


「……」


 気が付けば早乙女は当然のように俺の隣に座っていた。それはさも、いつも部屋にいるかのように自然な態度だった。
 短く中が見えてしまいそうになるスカートの丈で胡坐をかき、胸元も大胆に開いた状態で髪をくるくると巻き上げながら俺に視線を向けていたのだ。


「早乙女……どうして俺の部屋にいるんだよ?」


「そりゃ鍵が閉まってなくて空きっぱなしだったからって感じ。櫻井ちょっと不用心過ぎない?幾ら襲われる心配が少ないからって鍵閉めないのはウチでもどうかと思うよ?櫻井に襲い掛かるような頭のおかしい人間がこの学園にいるとは思わないけどね」


「ああ……そうだな」


「……櫻井。あんた大丈夫?普段だったら今のところツッコミ入れてウチを喜ばせてくれるところじゃん?」


「……悪い。あんまり調子良くないんだよ。放置しておいてくれ」


「うん。そりゃ把握しているよ。櫻井昨日は途中で無断早退してたし、今日だって無断で休んだらしいじゃん?」


「ああ……報告するのも億劫な程度にきつかったんだよ。今もしんどいしな」


「ふーん。確かに顔色は悪くて寝汗半端無いし寝苦しそうだったから、しんどいってのは分かるわー」


 早乙女はじっくりと俺に視線を合わせて観察してきた。『鈴木』と重なるようなその反応に抵抗感を覚えようとも、抵抗する余力を発揮することが億劫だった。
 故に何もしない。彼女の観察に対して俺は身を委ねたのだ。俺を観察する早乙女を見ながら俺は微妙に怠さを感じつつも、一つの疑念を問い質すことにした。


「なあ……早乙女?」


「ん?どうしたん?」


「早乙女はさっき俺がどうして俺の部屋にいるんだよって尋ねた時に、部屋の鍵が開いてたからって言ったよな?」


「うん。それが?」


「よくよく考えて見れば答えになっていないんだよ。何故なら俺の部屋の鍵が不用心に開かれていると知ることが出来るのは鍵を実際に開けた瞬間だ。つまり……お前は俺の部屋……あるいは、俺に用があって訪問しにきたってことだろう?」


「……まあね」


 早乙女は否定する訳でもなく、そっけない口調で俺の発言を肯定した。


「そんで……本当はどうして俺の元に訪れたんだ?……三枝にでも言われてきたのか?」


 その可能性が一番高そうだと俺は予測していた。三枝のことだ。俺を貶し、ぼろぼろにしたものの、その後のアフターケアの要員として早乙女を送りこんできたんじゃないかと勘ぐってしまう。しかし彼女の反応は大よそそれを否定するものだった。


「三枝って……なんで薫の話が出てくるのか意味わかんないんですけど?櫻井頭大丈夫?」


「……」


「ウチが櫻井のところに来たのは薫なんて全く関係ないの。私が櫻井の元に来たのは―――――『これ』のため」


 俺は早乙女に束になっているプリントを手渡される。そして一番上の欄を見るとそこに書かれていたのは―――――


「再再補習者用。復習課題……」


「うん。マジ怠いんだよー。こんなの終わる筈ないじゃんって話だよねー。幾らウチが赤点とったからって酷くない?先生リアルにシバき倒しに行くかって前向きに検討しちゃうレベルだってのー」


 先生をシバくという発想はいかがなものかとは思ったが、確かにこの分厚いプリント集を終わらせるのは困難そうだ。
 見たところによれば課題の内容は、英語のテスト範囲として扱われていた内容を全訳することらしい。この学園の英語の進行速度は早く80ページ以上の範囲があるので、それなりのボリュームになっているようだ。


「で……早乙女。これはいつまでに提出なんだ?」


「今から6日後。それが最終期限だって。本来なら3日でやれとか終わるかっての」


「……それじゃああんまり時間は無さそうだな」


「だしょー。だから、櫻井に手伝って貰おうって思ってここに来たの」


「なるほど……だから俺の元にか」


 理由は至ってシンプルだった。だが―――――


「悪いな早乙女。今の俺はあんまり体調が良くないから、その課題を手伝う気力みたいなものがないんだよ。だから他の連中を頼ってくれないか。きっと三枝辺りなら快く手伝ってくれる―――――」


 俺の発言が終わっていない内に早乙女は、言葉を遮るようにして主張をした。


「まあそれもありっちゃありなんだけどさー。櫻井ウチと約束したじゃん?もし赤点とっても勉強教えてくれるって」


「それは……そうだけどよ……」


「ふーん。櫻井は一度約束したことを簡単に反故にするようなそんな男だったんだ。そんな奴だとは思わなかったわー。マジ最低だわー」


「……」


 流石に今のはイラッとさせられた。早乙女は俺とは異なり正規の試験を経てこの学園に入学しているのだ。だからこそ少なくとも必死に勉強すればついて行けない程の素質の持ち主ではないことは明白だ。そのことから赤点を取ったのはお前の怠慢が引き起こした結果だろうが、と言いたくて仕方なかった。
 仮に苦手な科目があって赤点を取りそうだったとしても……お前がもっと真剣に勉強と向き合っていれば結果は―――――


「君が本当に鈴木さんのために行動をしていて……彼女と向き合い、しっかりと対応していれば結果は変わったかもしれないのにね」


「くそ……ブーメランかよ」


 なんだよ。同じ穴の貉じゃねえかよ……三枝の発言がフラッシュバックしたことで、胃がむかむかとしてしまう。三枝に対しても憎しみの気持ちは湧いたし自分自身の劣悪さにも相当腹が立った。駄目だ仕切り直そう。仕切り直そう。仕切り直そう。落ち着けよ俺。落ち着くんだ。


「は?櫻井いきなり何わけのわかんないこと言い出してんの?」


 早乙女は俺を心配するような馬鹿にするような良く分からない調子で問うた。……何でもいい。早乙女の馬鹿なノリに付き合って……気分を変えよう。もうそれでいいだろう。それでいいんだ。それだけで構わない。とにかく……この暗雲と立ち込める感情を封印しよう。
 俺は明るい言葉を無理やりひねり出し、強引に柔和ではない笑みを形成しながら早乙女に言ったのだ。


「悪い何でもねえよ。……それじゃあ課題やろうぜ早乙女。手伝ってやるよ」


「おお!流石櫻井。潔く決断するところは好感高いわー。それじゃ、早速よろ~」


……どうせこのまま一人で眠りこんでいても埒が明かない。こうして、俺のことを何も知らない早乙女という存在が近くにいるだけでも……例え、喧嘩を売ってくるようなことがあったとしても、それでも早乙女の存在は欠かしたくなかった。
 早乙女がいて馬鹿なことを言ってくれるやりとりが何よりも心地よいものだった。それは俺の本質―――――本性と過去と向きあうことを遠ざけてくれるのだから。
 眠りの中では悪夢を見させられ安息を保つことなど出来ない。孤独でいようともネガティブな思考からは離散するのは不可能そうだ。
 それならば……早乙女という存在に身を委ねて全ての思考を放棄しよう。それが……最も冷静でいられる条件なのだろうから。


「ウチが5ページ分担当するから、櫻井は75ページ分くらい宜しくね」


「おいおい……俺の範囲おかしくありませんかねー!?バランスって言葉知っていますかねー?」


 ちょっとずつ普段の様子に戻していこう。何ら違和感を付与させることもないように。至って自然に冷静で。いつも通りの俺でいい。
 三枝との一件は全て忘れるようにして。どこまでも弄られ役として。相手がボケたら全力で返して周囲を盛り上げる。それこそが櫻井芳樹の何よりの役割だ。それだけでいい。それだけでいいんだ。他の考えなど必要ない。必要ないのだ。


「だってウチが訳していると時間掛かっちゃって仕方ないからさー。しようがないんじゃんー」


「いいか早乙女……お前がこの課題やんないと意味ねえんだぞ。勿論終わらないのってのは可哀想だから協力はしてやるけどよー。大部分は自分でやれよ?」


「はいはい。分かったから手を動かしましょうねー」


「一体何を分かったと言うのでしょうね?あと手伝って貰っている身分のわりに態度でかくね!?」


「態度でかいのは仕方なくない?だって櫻井ってスクールカースト最底辺の人間だから実際に身分が違うわけだし?」


「え?そうなの?俺のスクールカーストってそんな下の方だったの?わりと上手く適応していると思っていたんですけど?」


「クラス中じゃ弄られドMキャラって認識されているからね。そのうち、鞭持ったクラスメイトが櫻井叩きに行くかもよ?」


「一体俺を何だと思っているんだよ!というかまずその鞭どこで用意するんだよ?」


「ああ櫻井は知らないんだっけ?学園ポイントで注文すれば手に入るよ?ちなみに5000ポイントで」


「学園生活において何ら必要性もアイテムを売っている理事長ってやっぱ頭おかしくないですかねー!?あと、高いか安いかよく分かんねえな!」


「はいはい。櫻井お喋りはいいから手を動かして」


「理不尽過ぎんだろうおい!ってかだからお前も手を動かせや。何にも進んでねえじゃねえか。このままじゃ終わらねえぞマジで」


「終わらなかったら櫻井君が不正に課題を手伝おうとしましたって英語の先生にチクっとくから安心しといて」


「何を安心しとくってんだよっ!ってかいい加減俺を事故に巻き込もうとするのは是非とも辞めて貰えると助かりますよ」


「ねえ……櫻井。ウチは死ぬときは櫻井と一緒って心に誓っているんだからさ」


「そんな誓われ方されても一向に嬉しくねえぇええええええっ!」


 それからも俺と早乙女は下らない会話をしばらく続けていた。早乙女はほとんど手を動かさず、ツッコミ待ちの発言を何度となく繰り返す。それに対して俺は何度となくツッコミを繰り広げてやれやれって感じを出して笑ってやるのだ。
 そう……こんな風に……こんな風に下らない内容を語り合えばいいのだ。何も恐れることはない。どこまでもどこまでも堕落すればいいのだ。嫌な事から目を背け、辛い現実からは乖離して……そして認識を逸らせばいいのだ。
 徐々に徐々に俺は普段通りに近づいたんじゃないだろうか?この調子で早乙女との会話の中で『普通』の俺を取り戻そう。そう考え出した。


「ねえ櫻井。ひとつ言っておきたいことがあるんだけどさー?」


「ああ?どうしたよ?真面目な内容で頼むぞ?」


「うん。真面目な内容。櫻井が……何にそんな悩んで苦しんでいるかウチに話してみない?」


 俺のそんな必死な振る舞い―――――『誤魔化し』と『逃避』は……容赦なく早乙女夢という一人の少女によって追及されることになったのだった。



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