圧縮された6秒を逃した

お手つき

逃した6秒

 

「君との日々は最低最悪な人生のハッピーエンドだったよ」

 『Aさん』の遺書は彼女らしい一文でそう締めくくってあった。
 もう何度も読んだが、やはりこの文は脳を揺さぶり、感情を一方的に曲げられる。
 ひどく頭が痛い。眼の奥が熱くなる。

 僕は最後まで一人残った教室で何をしているのだろう。彼女との契約は完遂しなければいけないのに。僕は席から腰を上げ、教壇の前に立って教室をぐるりと見渡した。

 室内の隅に押し付けられるようにでまかせな運に左右された僕の席は陽の傾きを浴び、オレンジ色を反射している。そのことが彼女の髪色を連想させ、僕の脳裏にあの光景を呼び戻させた。決心が鈍る様な気がしたから目を閉じ、ふりかえった。
 
 黒板には薄れた字で、さようなら、なんて書かれでいた。僕は脆く汚い白線を汚すように真ん中に遺書を貼り付けた。


 自分の席に戻り、入学祝いに叔父から送られたスポーツバックから、この為に用意した、キャラクター物の巾着袋を取り出した。

 机の上に巾着を置き、解いて中から包丁を2本取り出した。革のホルダーを取り外し、刃に当たる夕焼けを反射したら、包丁はそこそこの値段がしたことを思い出した。『Aさん』と初めて出かけた時、安いのでいいと言っていた『Aさん』はなんだかんだで、2万円の包丁を僕に買わせた。その後、『Aさん』は持ち合わせが足りないなんて言って、僕の財布は寂しくなった。


 握りしめると、口から嗚咽が出そうになったのを必死で押さえつけた。

 二本を両手に持ち、肩にスポーツバッグをかけ、最後を踏みしめるように教室から出た。廊下には生徒はいなくて、一番近い窓を開けて乗り出して外を眺めても目につく人影は誰もいなかった。

 だけど校内では誰かが今も部活や勉強、恋愛に励み、何かを追いかけているのだろう。
 窓を閉じて、そっと周りを見渡した。

 廊下、教室、階段、ドアから手摺、どこを見渡したても、いつかの残像が目を引き、何が聴こえてもいつかの残響が耳元で囁く。
 こんな様子で君が完遂できるのかな。
 傍に居てくれたら、こんな軽口を息を吸うように吐くだろうに…
 丁度、廊下の真ん中辺りに立っていた僕は肩にかけたスポーツバッグを床に置き、家の車から拝借した発煙筒を取りだした。
 「君との契約を今、果たそう」
 自然と口からはその言葉が出た。
 いつの日か彼女が同じようなことを言っていたその言葉。
 下校時刻を知らせるチャイムが鳴った。
 僕は圧縮された6秒を取り返す。

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