彼女は、オレの人肉を食べて強くなる。
クレハの孤独
別室に行った。クレハの姿がなかった。神殿騎士に尋ねると、クレハは水を飲みに外へ出て行ったとのことだ。
井戸のある場所を教えてもらい、クレハを追いかけた。言われた場所に行く。井戸があった。井戸にクレハはもたれかかるようにして座っていた。
「どうしたんだ。こんなところで」
オレはそう声をかけた。
「……うむ」
とだけクレハは言った。
声に気力が感じられなかった。
井戸にもたれかかっている姿は、捨てられた人形のようだった。チョウド日影になっていて寂しげに見えた。
「修道女の癒術ってヤツで治してもらったおかげで、完治したぜ。どうしたんだ? 走ってきて疲れたのか?」
「まぁの」
と、クレハはつぶやいた。
しかし、ただ疲れただけには見えなかった。うつむいたままだ。こっちに目を合わせようともしないのだ。心配になってひたいに手を当ててみたが、熱はなさそうだった。
もしや……と思った。
クレハは聖肉守騎士団との戦闘を終えて、オレのもとまで来たのだ。戦闘のさいにケガをしていてもオカシクはない。
「ちょっと確認するぞ」
周囲に誰もいないことを確認して、クレハのブリオーをめくりあげた。このときばかりは、オレも照れ臭いという気持は忘れていた。
下には、シュミーズと言われる下着を着ているのだが、それが血で濡れていた。かなりの出血量だ。そのシュミーズをめくりあげてみると、大きく割かれた腹が見えた。腹がパックリと割れて、中の臓器が露出している。生きているのが不思議なぐらいだった。
「こんなケガをしてるのに、オレのことを負ぶって走ってきたのか」
「オヌシを失うのは、死ぬよりも辛いからのぉ。オヌシのその心臓を食うまでは、オヌシを死なせはせん」
「さっきの修道女を呼んでくるよ」
「待て」
と、クレハがオレの服の袖をつかんできた。
「どうした?」
「修道女はいかん」
「なんで?」
いっこくもはやくクレハの傷を治さなければならないという気持がはやり、どうして止めてきたのか考えが回らなかった。
「診察となったら、フードをかぶってるわけにはいかんじゃろう」
そう言われて、はじめてクレハが素性を隠さなければならないことを思い出したのだった。
「角を見られるとマズイからか」
「うむ」
「でも、放っておいたら、死ぬだろ、これは」
「安心せい。オークの生命力は人間の比ではない。ただ、チョット……傷が癒える時間が必要なだけじゃ。今は弱っておるが、そんなに心配することはない」
「でも、こんなところでグッタリしてたら、変に思われるぜ」
今は周囲に誰もいないが、いずれ誰かがやって来るだろう。神殿騎士が見回りに来ることもあるかもしれない。
「ここは修道院じゃ。自活できるように家畜をいろいろと育てておる。それに応じた納屋もあるはずじゃ。今日はそこで身をひそめるとしよう」
「わかった」
オレはクレハのことを背負って、修道院の敷地内を歩き回った。
優れた嗅覚によって、クレハには納屋の場所がわかるようだった。背中から飛んでくるクレハの指示に従って、納屋にたどりついた。そこは、納屋というには大きな木造の建物だった。
中に入ってみると、やたらと動物臭かった。
明かりがなく、窓もない。暗闇だった。
部屋の中を手探りで確認していくうちに、いろんなことがわかった。藁の束が部屋の隅に積み上げられていた。クワやら鎌やら、ほかにも名称のわからない農具があることが確認できた。
「藁がベッドになりそうだな」
藁の束のうえにクレハのことを寝転ばせた。
「すまぬ」
クレハは殊勝な態度でそう言った。今はあどけなさも老獪さもなく、ただただ弱っているようだった。
「しかし、すごい生命力だな。オークってのは」
自分のことを棚にあげてそう言った。
オレもオークに負けず劣らぬ回復能力を持っている。
「頭をやられぬ限りは、たとえ心臓がズタボロになっても肉体が再生すると言われておる。まぁ、我もここまでやられるのは、はじめてじゃがな」
オークの弱点は、脳みそということか。
ゾンビみたいなものだろう。
「でも、ケガすると弱りはするんだな」
「うむ。深いからなぁ。チョイと時間がかかりそうじゃ」
深いなんてもんじゃない。腹が割れて、臓器がこぼれ落ちてくるんじゃないかと思うぐらいだった。人間だったもっと出血してる。そもそも、生きてはいないだろう。
「聖肉守騎士団に、手ひどくやられたんだな」
「ヤツらはオーク殺しのプロじゃからな。さすがに囮役はキツかった。我が連れていた信用できるオークたちは、全滅させられた」
まんまとカムイの思惑通りじゃ、とクレハは言った。
「でも、何もオークの群れから抜けることはなかったんじゃないか? 囮役をして帰ってきたんだから、みんな受け入れてくれるだろう」
こんな傷を負っているのに、クレハ1人で生きて行くなんて難しいだろう。群れに戻って、みんなと仲直りしたほうがいいような気がした。それがクレハのためだろう。だが、オレにとってはオークの群れに戻るのはいい流れではない。
「我は、ササの娘じゃ」
「知ってるよ」
「父のようにはなれぬが、それでもオークたちをセイイッパイまとめてきたつもりじゃった。至らぬところはあったやもしれぬがな」
「うん」
中学生のとき、ジャンケンで負けてクラス委員長をやらされたことがある。強引に押し付けられた役だった。それでも自分なりにガンバろうと努力した。そのときのオレよりも、もっと重いものをクレハは背負っていたのだ。その重荷は、オレなんかでは理解できない。
「しかし、我は気づいておった」
とクレハは続けた。
「仲間たちは我ではなくて、カムイを頭首に据えようとしていた。そんなところに帰るつもりはない」
「そっか」
クレハがそう言うなら、ムリに帰れということもないだろう。
「オヌシを独り占めできるしな」
クレハはそう言うと、オレのツルツルになった頭に手を乗せてきた。
「オレは食われたくないんだけどな」
「なぁ。オヌシ」
「ん?」
「我を1人にせんでくれ」
はじめて聞くかもしれない。クレハの弱音だった。カラダが弱っているため、心も弱っているのだろう。
「うん」
「また置いてかれるのは厭じゃ。母も父も我を置いて行った。もう置いてかれたくはない」
クレハの母親は早死にだったようだ。父親のほうは異世界人と駆け落ちした。そして今回は、仲間にも見放された。寂しいのかもしれない。
その寂しさは、すこしわかった。
オレも父がいない。母子家庭なので母もずっと働いていた。1人は、寂しいのだ。寂しいと神経が痛むのだ。きっとあの痛みを、クレハも感じているのだろう。もしかするとオレとクレハは似た者同士なのかもしれない。
「大丈夫だって。オレはクレハのエサなんだからさ」
クレハはどういう意味で「1人にせんでくれ」と言ったのだろうか。その言葉は、矛盾でもあった。
クレハはオレのことを食べようとしているのだから。
それとも、オレを他人に食べられたくないという意味なのだろうか。
「心臓が欲しいのぉ」
「心臓ってオレの?」
「いんや。誰のでも良いのじゃが、傷を癒すためには肉が欲しい。以前にも言ったと思うが、肉を食うとオークは元気になる。特に心臓じゃ。傷も治りやすくなるしの」
「そっか」
クレハには助けてもらったので恩義がある。クレハになら食べられてもいいかもしれない、という思いも芽吹きはじめている。だが、実際に心臓を差しだすのは抵抗があった。葛藤はまだ続いているのだった。
「とりあえず日が昇るまでは眠るとしよう。ひと眠りすれば、傷もマシになるはずじゃからな」
「そうだな」
クレハはさっそく寝息をたてはじめた。ケガをしていたことで、気を抜いていたのだろう。今のオレにはなんの拘束もなかった。首輪もつけられていない。
逃げようと思えば、逃げられる。
ずっとオレが求めていたチャンスだった。今後二度と訪れるかわからない好機だ。
実際、オレは納屋を出てゆこうと立ち上がった。
けれど、足が進まなかった。
クレハのことを放っておけなかったのだ。
オレのことを食べようとしているとわかっていても。こんなにも弱っている少女を置き去りにすることなんて、オレには出来なかった。情の鎖によって、からめとられていたのだった。
井戸のある場所を教えてもらい、クレハを追いかけた。言われた場所に行く。井戸があった。井戸にクレハはもたれかかるようにして座っていた。
「どうしたんだ。こんなところで」
オレはそう声をかけた。
「……うむ」
とだけクレハは言った。
声に気力が感じられなかった。
井戸にもたれかかっている姿は、捨てられた人形のようだった。チョウド日影になっていて寂しげに見えた。
「修道女の癒術ってヤツで治してもらったおかげで、完治したぜ。どうしたんだ? 走ってきて疲れたのか?」
「まぁの」
と、クレハはつぶやいた。
しかし、ただ疲れただけには見えなかった。うつむいたままだ。こっちに目を合わせようともしないのだ。心配になってひたいに手を当ててみたが、熱はなさそうだった。
もしや……と思った。
クレハは聖肉守騎士団との戦闘を終えて、オレのもとまで来たのだ。戦闘のさいにケガをしていてもオカシクはない。
「ちょっと確認するぞ」
周囲に誰もいないことを確認して、クレハのブリオーをめくりあげた。このときばかりは、オレも照れ臭いという気持は忘れていた。
下には、シュミーズと言われる下着を着ているのだが、それが血で濡れていた。かなりの出血量だ。そのシュミーズをめくりあげてみると、大きく割かれた腹が見えた。腹がパックリと割れて、中の臓器が露出している。生きているのが不思議なぐらいだった。
「こんなケガをしてるのに、オレのことを負ぶって走ってきたのか」
「オヌシを失うのは、死ぬよりも辛いからのぉ。オヌシのその心臓を食うまでは、オヌシを死なせはせん」
「さっきの修道女を呼んでくるよ」
「待て」
と、クレハがオレの服の袖をつかんできた。
「どうした?」
「修道女はいかん」
「なんで?」
いっこくもはやくクレハの傷を治さなければならないという気持がはやり、どうして止めてきたのか考えが回らなかった。
「診察となったら、フードをかぶってるわけにはいかんじゃろう」
そう言われて、はじめてクレハが素性を隠さなければならないことを思い出したのだった。
「角を見られるとマズイからか」
「うむ」
「でも、放っておいたら、死ぬだろ、これは」
「安心せい。オークの生命力は人間の比ではない。ただ、チョット……傷が癒える時間が必要なだけじゃ。今は弱っておるが、そんなに心配することはない」
「でも、こんなところでグッタリしてたら、変に思われるぜ」
今は周囲に誰もいないが、いずれ誰かがやって来るだろう。神殿騎士が見回りに来ることもあるかもしれない。
「ここは修道院じゃ。自活できるように家畜をいろいろと育てておる。それに応じた納屋もあるはずじゃ。今日はそこで身をひそめるとしよう」
「わかった」
オレはクレハのことを背負って、修道院の敷地内を歩き回った。
優れた嗅覚によって、クレハには納屋の場所がわかるようだった。背中から飛んでくるクレハの指示に従って、納屋にたどりついた。そこは、納屋というには大きな木造の建物だった。
中に入ってみると、やたらと動物臭かった。
明かりがなく、窓もない。暗闇だった。
部屋の中を手探りで確認していくうちに、いろんなことがわかった。藁の束が部屋の隅に積み上げられていた。クワやら鎌やら、ほかにも名称のわからない農具があることが確認できた。
「藁がベッドになりそうだな」
藁の束のうえにクレハのことを寝転ばせた。
「すまぬ」
クレハは殊勝な態度でそう言った。今はあどけなさも老獪さもなく、ただただ弱っているようだった。
「しかし、すごい生命力だな。オークってのは」
自分のことを棚にあげてそう言った。
オレもオークに負けず劣らぬ回復能力を持っている。
「頭をやられぬ限りは、たとえ心臓がズタボロになっても肉体が再生すると言われておる。まぁ、我もここまでやられるのは、はじめてじゃがな」
オークの弱点は、脳みそということか。
ゾンビみたいなものだろう。
「でも、ケガすると弱りはするんだな」
「うむ。深いからなぁ。チョイと時間がかかりそうじゃ」
深いなんてもんじゃない。腹が割れて、臓器がこぼれ落ちてくるんじゃないかと思うぐらいだった。人間だったもっと出血してる。そもそも、生きてはいないだろう。
「聖肉守騎士団に、手ひどくやられたんだな」
「ヤツらはオーク殺しのプロじゃからな。さすがに囮役はキツかった。我が連れていた信用できるオークたちは、全滅させられた」
まんまとカムイの思惑通りじゃ、とクレハは言った。
「でも、何もオークの群れから抜けることはなかったんじゃないか? 囮役をして帰ってきたんだから、みんな受け入れてくれるだろう」
こんな傷を負っているのに、クレハ1人で生きて行くなんて難しいだろう。群れに戻って、みんなと仲直りしたほうがいいような気がした。それがクレハのためだろう。だが、オレにとってはオークの群れに戻るのはいい流れではない。
「我は、ササの娘じゃ」
「知ってるよ」
「父のようにはなれぬが、それでもオークたちをセイイッパイまとめてきたつもりじゃった。至らぬところはあったやもしれぬがな」
「うん」
中学生のとき、ジャンケンで負けてクラス委員長をやらされたことがある。強引に押し付けられた役だった。それでも自分なりにガンバろうと努力した。そのときのオレよりも、もっと重いものをクレハは背負っていたのだ。その重荷は、オレなんかでは理解できない。
「しかし、我は気づいておった」
とクレハは続けた。
「仲間たちは我ではなくて、カムイを頭首に据えようとしていた。そんなところに帰るつもりはない」
「そっか」
クレハがそう言うなら、ムリに帰れということもないだろう。
「オヌシを独り占めできるしな」
クレハはそう言うと、オレのツルツルになった頭に手を乗せてきた。
「オレは食われたくないんだけどな」
「なぁ。オヌシ」
「ん?」
「我を1人にせんでくれ」
はじめて聞くかもしれない。クレハの弱音だった。カラダが弱っているため、心も弱っているのだろう。
「うん」
「また置いてかれるのは厭じゃ。母も父も我を置いて行った。もう置いてかれたくはない」
クレハの母親は早死にだったようだ。父親のほうは異世界人と駆け落ちした。そして今回は、仲間にも見放された。寂しいのかもしれない。
その寂しさは、すこしわかった。
オレも父がいない。母子家庭なので母もずっと働いていた。1人は、寂しいのだ。寂しいと神経が痛むのだ。きっとあの痛みを、クレハも感じているのだろう。もしかするとオレとクレハは似た者同士なのかもしれない。
「大丈夫だって。オレはクレハのエサなんだからさ」
クレハはどういう意味で「1人にせんでくれ」と言ったのだろうか。その言葉は、矛盾でもあった。
クレハはオレのことを食べようとしているのだから。
それとも、オレを他人に食べられたくないという意味なのだろうか。
「心臓が欲しいのぉ」
「心臓ってオレの?」
「いんや。誰のでも良いのじゃが、傷を癒すためには肉が欲しい。以前にも言ったと思うが、肉を食うとオークは元気になる。特に心臓じゃ。傷も治りやすくなるしの」
「そっか」
クレハには助けてもらったので恩義がある。クレハになら食べられてもいいかもしれない、という思いも芽吹きはじめている。だが、実際に心臓を差しだすのは抵抗があった。葛藤はまだ続いているのだった。
「とりあえず日が昇るまでは眠るとしよう。ひと眠りすれば、傷もマシになるはずじゃからな」
「そうだな」
クレハはさっそく寝息をたてはじめた。ケガをしていたことで、気を抜いていたのだろう。今のオレにはなんの拘束もなかった。首輪もつけられていない。
逃げようと思えば、逃げられる。
ずっとオレが求めていたチャンスだった。今後二度と訪れるかわからない好機だ。
実際、オレは納屋を出てゆこうと立ち上がった。
けれど、足が進まなかった。
クレハのことを放っておけなかったのだ。
オレのことを食べようとしているとわかっていても。こんなにも弱っている少女を置き去りにすることなんて、オレには出来なかった。情の鎖によって、からめとられていたのだった。
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