どうやら最強の少年は平穏に過ごせない。

神依政樹

(1)動き出す物語

僅かな月光すら雲に覆われ、闇夜に包まれた平原を1人の少女が走り、それを追うように数人の男達が走っていた。


「はっ……はっ…!」


少女は刃物で切り裂かれ、血が流れる右肩を抑えながら、荒い息を漏らし、必死に男達から逃げていた。


「ハハハッ…!殺されたくなかったら早く逃げろ!」


先頭で少女を追う茶髪の男が、獣性を帯びた残虐な笑みを浮かべる。


男達は少女に奇襲を仕掛けて襲い、魔術を一時的に使えなくする【ある】効果が込められた短剣で切り裂き、魔術主体で戦う少女の戦闘力を落として、わざと逃がして狩りを楽しんでいた。
男達は単なる夜盗などではなく、少女も所属するこの大陸の南に位置する国に存在する特殊部隊の一部である。本来の任務ならこんな遊びなど行わず、一撃で絶命させるのが、暗殺なども行う特殊部隊である男達の矜持でもあるのだが……今回は毛色が違う任務であった。


苦痛に端正な顔立ちを歪め、必死に逃げる少女を見ながら男達は顔に獣欲を浮かべる。


今回の任務は目の前で逃げる少女を殺す事。が、ただ殺すのではない。


命令は絶望を与えて殺す事。
だから男達はわざわざ少女に傷を与えて逃がした。


最初からどうしようもない状況なら、大抵の人間は諦め諦観を浮かべるかもしれない。


だが……最初に僅かでも希望があればそれに縋ってしまう。だからこそ……ワザと逃がして、逃げれるかも知れないという小さな希望を与えた。


少女は目の前に飛び込んできた森に逃げ込む。


普段ならば冒険者達を除き、魔獣や魔物が出る危険な森に好き好んで入る者はいない。だが、男達に追われている今は、少女にそんな事を気にしている余裕はなかった。


少女は男達に短剣で攻撃されてから、体内の魔力が暴れるように乱れ、魔術が発動出来ない。


少女は短剣に魔術封じの効果が込められているのだろう予想する。


魔術が使える状態ならば、全員を倒す事は難しくても…ただ逃げるだけなら問題はなかった。だけど今の少女は魔力が使えず、魔術以外の単純な戦闘能力に関して言えば、確実に少女を上回る男達は少女を逃した……。


確実に少女を殺せる機会があったのにも関わらずだ。


少女には同じ組織に所属する男達の意図が分からなかった。


ただ、体中を厭な予感のようなものが駆け巡っていた。


でも…そんな事を考えるより、少しでも逃げなければならないのだ。


再び母に会うまでは……。


そうでなければ……母から引き離され、再び母に会うことだけを希望に生きて来た少女にとって、これまで人生の意味がなくなってしまう。
……そうは思っても少女は分かっていた。自分を殺そうとすると言うことは、人質である母は殺されているのだろうと。
……それでも少女は木々をかいくぐり逃げ続ける。


枝などで手や顔に細かい切り傷がうっすら浮かぶ。それでも少女は構わずに僅かな希望に縋り森を走り抜ける。


……そして、必死に少女が森を抜けてたどり着いた先は一つの村だった。


「ウソ……」


少女は愕然と呟いた。


こんな街道を外れた森の奥に、村があるなど聞いた事がない。


少女は歯を噛みしめる。あの男達はこの村の事など一切気にしないだろう。


少女が向かうように命令を受けていた城塞都市エネルのように、国の要の一つになっているような都市なら、好き好んで騒ぎを起こさないだろう。しかし……こんな誰も立ち寄らず、存在すら知られていないような村ならば、なくなっても騒ぎ出す人間はいない。


あとは男達が村人を皆殺しにすれば、何をしようと問題ないのだ。


このままでは村人を巻き込みかねない……。


少女はそう思って、村から引き返そうとしたところで……ニヤニヤとした笑いを浮かべる茶髪男とそれを追うように男達に現れた。


「へっ…これはまたいい場所にたどり着いたな?ルナス」


「……っ!」


ルナスと呼ばれた少女は、殺意を込めて男を睨みつけた。


「おー。怖い怖い!そんなに睨まれたら恐怖のあまりに、村人達を人質にとるしかないなぁ?」


「外道…ッ!」


「はっ!外道で結構。裏の仕事をするのだから、道から外れてて当然だろ?」


ルナスを小馬鹿にするように笑い、自分の言葉が可笑しいかのよう男は笑う。


「さて、とりあえず脱げ」


「ッ!?…なにを」


少女は怯えるように自分でも意識しないまま、一歩後ずさった。それを見て茶髪の男はますます笑みを深める。


「何って?お前を女にしてやるに決まってるだろう。本来穢らわしい亜人…それも魔族と交わるなど、反吐が出るし、処罰の対象だが……マーズ様のご命令だ。死ぬ前に女の喜びを教えてやろうという慈悲に感謝しろ」


茶髪の男はどこまで傲慢に、己の言ってる事が正しい事だとも思うように言い切ると、ルナスの身体を獣欲を隠そうともせず、舐るよう見て舌なめずりする。


「……それに見た目だけはエルフと同じで、お前達魔族は良いみたいだからな。本来ならお前みたいな小娘に興味ないが、発育中々悪くない。そうだ!せっかく周りに人がいるのだからお前が女になるところ見物してもらうか」


茶髪の男はアゴで近くにあった一軒の建物を示す。
すると男の意を汲んだように、一人の男が建物に向かった。


(さてと…村人達にお楽しみを見せるのも、もちろんだが…直接手伝ってもらうのも面白いな。しかしあのガキが良く育ったものだ)


男はこれから起こる事を考えて、ルナスの体を改めて見た。身体を線を隠すような大きめのローブを着ているから、ぱっと見は分からないが、良く観察していた茶髪の男には165センチ程の身長と均整がとれた身体付きは、一見細身に見えるが、ちゃんと出るところは出ていると知っていた。


(くくっ…マーズ様の厳命があり、大した事は出来なかったが、これでルナスを好きに出来る訳だ……。俺やコイツらに犯されるだけじゃなく、村人達にも犯されたらこのガキはどうなるのかね?)


己でも気づかない内に、ルナスに対して欲情を抱いていた男は、これからの事を考えて、ゾクゾクとした快感が走るのを感じていた。


己の考えに没頭していた男は、布と地面が擦れるようなズルズルと引き摺る音を聞いて、そちらに目を向ける。


(ふん?抵抗したのか。まぁ、意識だけあれば構わないか)


「ごくろ……はっ?」


男の口から間の抜けた声が出る。


だが……男の反応も仕方ない事だろう。茶髪の男が引き連れているのは、特殊な薬と教育により自我を奥底に押し込め、部隊の中で戦闘人形と呼ばれる者達の1人だ。茶髪の男の命令に絶対服従の手足として働き、対人と対魔物の差があるものの、冒険者のランクに照らし合わせればB……それも対人に限定すれば限りなくAに近い実力を秘めた部下が引きずられていたのだから。


それもまだ引き摺っている存在が屈強な壮年の男なら……運が悪いことにドロップアウトした高ランク冒険者がたまたまこの村に住んでいた…で男はまだ納得したかも知れない。


……だがだ。目の前で部下を引き摺っているのは、茶髪の男が見る限り何の変哲もない十代半ばくらいの少年だった。
特徴があるとすれば、大陸では比較的珍しい黒髪だが……それも東国アリオンと同盟を結んでいる此処カルドニア公国では、そこまで珍しくはない。


顔を俯かせた少年がズルズルと、物でも引き摺るかのように部下を引きずり、近づいて来る。


茶髪の男は呆気にとられながら、少年を恐れるように自然と後退った。ルナスもただ呆然と少年を見つめていた。そして複数の視線を浴びる少年の第一声は……「はぁ…」という深いため息であった。






†††






「はぁ……」


少年、ヤマトは口からため息が無意識に出たのを自覚した。


今日はヤマトが異世界に来てから殆ど変わらない、いつも通りの日常であったのに……目の前に存在する血の匂いを染み着かせた男達が、見事な睡眠妨害してくれた。


知らぬ間にヤマトが異世界に放り出され、この村で暮らし始めて二度目の襲撃者だ。


寝起きでぼんやりとした意識が、懐かしいとすら思える嗅ぎ慣れた血の臭いと、場の空気により明確になっていく自分に苦笑しながら、ちらっとヤマトは肩から血を流した少女を見た。


怪我をした銀髪の少女は、年齢も背丈もヤマトが大切にしている少女と同じで、一瞬……ヤマトにはルナスと大切な少女が重なって見えた。


ヤマトは目を細める。


この村で過ごす内に感情豊かになったとは言え、普段ヤマトは感情をあまり出さない。


別に無感動と言うわけではないのだが、怒りなどの冷静な判断を鈍らせるようなモノは、特に幼い頃から心身共に鍛えられているため動かないのだ。


が、己が大事にしている少女……アリソンに事に対しては別だ。


(よし、殺すか。いや……事情も分からない以上、一応生かしておかないとまずいか?)


何でもないような気軽さで殺意を抱きながらも、あくまでも冷静に生かす事に決めたヤマトが一歩踏み出したこの時、いや、この村に入った時から……或いは異世界に放逐された少年【雑賀大和】現、ヤマト・ムラクモがこの世界に来た時から、彼らの結末は決まっていたのか知れない。


ただ呆然としていた茶髪の男は、我を取り戻すと同時に叫んだ。


「全力で殺せッ!」


茶髪の男の声に反応して、瞬時に部下の男達は【闘身術】を使い闘気を体に巡らすと、ヤマトに向かい必殺の一撃を放つ。


三人は三方向からの斬撃を放ち、二人は仮に避けた場合を想定して、避ける場所に魔術による風の刃を放った。


茶髪の男はそれで殺したと確信して笑みを浮かべた。背筋を這い上がる嫌な予感を無視するように……。


男は少年から感じていた。濃密な死の気配を、茶髪の男は何度も死線くぐり抜けている。そして……いつしか死の気配のようなモノが分かるようになっていた。


特殊部隊と言っても、茶髪の男の階級のは、末端の方であり…比べるのもおこがましいが、人智を越える力を持った12人(人と扱ったよいものか…)からなる使徒や人の強さの限界と言われ、ある種の壁であるAランクを超えた、Sランク冒険者達のような者達が存在するのは知っていた。


そのため己がそれなりの強さである事を茶髪の男は自負していたから、上には上がいるのを肝に命じ、これまで死の気配を感じたら即座に逃げて来た。実際にそのお陰で彼は何度も命拾いしている。


だが、男は死の気配を感じたのに何の変哲もない少年から、感じる訳がないと男はそれを気のせいだと思ってしまった。


男が我を取り戻した頃には、一般人ですら本能的に恐れる威圧感がヤマトから発せられていたのに……。


「ははっ……!何で俺は自分を信じなかった…?」


男が気づいた時には一瞬で必殺の斬撃を放ったはずの三人は地面に倒れ伏し、魔術は少年が何をしたのか消滅し、魔術を発動した2人は意識を失い倒れた。


「う…そ?」


ルナスは男と同じように目の前の光景が、信じられないように呟いた。


そして、ヤマトはまるで何事もなかったように自然な動作で男に近づいた。


「ねぇ…?」


「は、はい!」


何の気負いもなく近づいて来たヤマトに、力の差を思い知った茶髪の男は、少しでも生き残る為に、媚びるような返事をした。


「君たちが何者か、興味もないけど……」


そう言ってヤマトは男を冷たい目で見る。


男は心臓を握られるような恐怖を味わいながら、忙しなく目を動かし、ヤマトの表情をなんとか読み取ろうとする。
だが、その表情からは何を分からない。


ヤマトが無表情から、表情を浮かべた。それは笑みだった。


その笑顔を見た男がゴクッ!と唾を大きく鳴らした瞬間。


「ゲバッ…!?」


ヤマトの拳が顔に当たると、奇妙な呻き声をあげて石切の石のように、地面を何度かすりながら数メートル吹っ飛んだ。


「気に入らない。ギリギリ顔の原形は残ったか」


ヤマトは恐ろしい事を平然と呟くと、くるっと少女の方に目を向けた。


「大丈夫……じゃないか」


「あ、あの…」


ルナスは混乱していた。
体力も精神も消耗し、自分がこれから男達の玩具されようとしているときに突如現れ、男達を虫を払うように倒した少年。
ルナスは何を言うべきなのか迷った。


「助けてくれてありがとう」と言うのが正しいのだろうか?


でもルナスは訳も分からない内に現れた少年に、僅かに恐怖があった。


だから「あなたは何者?」「なぜ助けたの?」と聞きたくもあった。


そして、ルナスが何を言うべきか迷いながら、口をもがつかせてるとヤマトは不意に微笑み。


「とりあえず……安心していいよ」と優しい声で言うのだった。


それを聞いて、不思議と安心したルナスは、一気に緊張が解け、何とか耐えていた、疲労と痛みで意識を失った。


「よっと、危ない。……さて、どうするか?とりあえずレイダーさんか、エドさんに相談か」


ヤマトは倒れた少女を受け止めて呟いた。


空を覆っていた分厚い雲が晴れ、月明かりを浴びながらヤマトはなんとなく感じていた。
この世界に来てからこれまで過ごして来た日常はそろそろ終わりなのだろうと。




世界はこの時まだ知らない。


誰に知らないように結界と細工が施された村に住む異世界の少年が、間違いなく最強クラスの一角であり、少年次第で危うい均衡が保たれた大陸の情勢が一気に傾く事を……。
















昔々、地球のどこかにあった村に一人の男が生まれた。偶然か、因果か、神のイタズラか……見た目は同年代の男達と変わらないが、その男は非常に優れた身体能力を持っていた。


大の男が三人掛かりで持つ荷物を一人で持ち、動物のような五感を備え、走れば普通の人間の倍近い速度で走る身体能力。


男はその力を村のために使い、村に時折迷い込む獣を撃退し、盗賊達から村を守った。


そのため男は村人に慕われ、村一番の器量持ちである女と家庭を築き上げ、子を作り、慎ましくも幸せな人生を送った。


だが、話は終わらない……男の身体能力は、男だけで終わらずに遺伝子に刻まれ、着実に少しずつ強くなりながら、脈々と子孫に受け継がれて行った。


ある時は国の為に戦い、救国の英雄と呼ばれ、またある時は己が欲望の為に力を使い史上最悪の災禍と呼ばれ、またある時は人知れず平穏に人生を過ごす者もいた。


そして…現在。


遺伝子に刻まれた異常な身体能力を持って生まれ、歴代最高の才気を持ちながらも、力を使う目的も、意志も、理由も持たず【小さな災禍リトルロキ】と10歳にも満たない内から呼ばれ、傭兵などに恐れられる気まぐれな最強の少年がいた。そんな少年は、神も知らない全くの偶然で、異世界にたどり着いた。


異世界でも本人が知らぬ間に間違いなく、最強と言えるほどの力をその身に宿した少年が異世界で何をするのか?


それはまだ誰にも分からない。





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