キモオタの俺だけど

神依政樹

キモオタの俺だけど



オタク的なコンテンツに触れるのならば、誰もが一度は夢想することがある。


そう……異世界転移や異世界転生だ。


勇者としてモテモテ。英雄としてモテモテ。巻き込まれチートでモテモテ。チートで好き放題な生き方をする。 


くそったれな現実からの逃避先でもあり、現実はどうしようもないという。ある種の達観から来る夢想。


某ネット小説サイトの影響で、今やありふれたネタと言っても過言ではなく。犬も歩けば棒にあたる……ならぬ、人も歩けば異世界に飛ばされる(なろうでは)等と新たな諺が俺から生み出された今日この頃。


俺は……ついに待ち焦がれた異世界に転移した。


ーーー但し、無論の事だが勇者などではなく、モブとして巻き込まれて、である。


……ええ?自分が勇者として召喚とあり得ないと知ってましたとも。


……き、期待とかしてないんだからっ!


ちなみにお決まりのステータス閲覧ではユニークススキル、ジョブのいずれも持っていなかった。


強いて言えば職業『学生キモオタ笑』だった……。


この世界の神は死ねばいいと思う。


なので、巻き込まれ定番の「ふっ……魔王退治なんて御免だな。好きにさせて貰おう」とかはもちろん出来ない。と言うかそこまで考え無しでもない。


大して強くもなく、異世界の知識もゼロの状態で、異世界から人を拐う奴らに強気に出れる主人公とか意味が分からんわ……。


その途方もないご都合主義と、無鉄砲さに有る意味尊敬する。フィクションは面白いけどね。


まぁ……そもそもな話、如何にもな魔方陣が敷かれた神殿ぽい所に召喚されて、最初に目に入ったのは……美少女オーラ溢れる姫ぽい人を筆頭に平伏した身分の高そうな人々だったんですがね?


召喚された驚きも忘れて、その時は勇者リアルチートも、巻き込まれのモブも困惑するしかなかったもん。


思わず顔を見合わせたほどだ。あの時はリア充と心が繋がったね。


まぁとりあえず、真っ先に心配した奴隷扱いとかは無さそうなのでひと安心と言うのもあったのだけど……。そんな光景を見れば身構えるのも馬鹿らしく。事情を聞いてみることになった。


彼らが言うにはこの世界には数十年に一度、世界の澱みのようなものが溜まり、魔王と呼ばれる存在テンプレが現れるそうだ。


しかも厄介なことに違う世界の存在じゃないと倒せないと言う制約付きで。


そのため魔王が現れると、毎回神に頼んで異世界から勇者を呼ぶらしい。


万全なサポートと彼らが用意できる限りの報酬、それと召喚した神に一つだけなんでも願いを叶えて貰えるとか。


それと帰ることを可能だが、魔力をたくさん消費するので、一年程待って欲しいとの事。そして身勝手な事は百も承知だが、出来れば力を貸して欲しいと。


そんな懇願と話を聞いた勇者リアルチートは、考えるように少し目を閉じると……力強く頷いた。


さすがは音に聞こえし、リアルチート佐山義春さやまよしはる


容姿端麗でスポーツ万能、成績優秀で性格も良く、家も中々の金持ち。


友達がいない俺ですら、漫画のような奴が居ると、耳に入って来るチートだ。


で、魔王を倒すにもいくつかの地を渡り歩き、お決まりのゲームように七つの神殿で祝福受けないとダメらしい。


もちろん基礎的な鍛練と位階レベルを上げて強くなる事も不可欠らしいので、城で半年の鍛練を積んで勇者リアルチートは旅に出るそうだ。


ちなみに勇者の同行者は四人。


能力高さから聖女とか言われるらしい平伏していた美少女の第一王女ユーフェリア


国一番の剣の使い手という近衛騎士団副団長イケメン


魔女と呼ばれる称号を持つエロい美女魔術師。


古狼と評される軽薄チャラい感じの傭兵のおっさんだった。


いやいや、普通にもっと数つけろよ。とか思ったが、勇者には周りの人間にも魔王を倒せるようにする加護があるが、数人にしか効果が及ばないので数より質らしい。


なので、影から機動力と隠密性重視の無色騎士団とか言うのが護衛に付くし、決戦の時には総力を持って無傷で勇者を魔王の元まで送り届けると断言していた。


なんと言うか、神殿巡りとかゲーム的な要素が有るかと思えば、最初の言葉通りにサポートは十全にすると言う。随分とまともな世界と言うか国である。


そして、完全なイレギュラーな俺だが、扱いは賓客のようだった。国王直々に謝罪され、元の世界に返すまでの一年間は何不自由はさせないと確約された。


勇者よしはるが「良くして欲しい」と言ってくれたので、勇者の心証を良くしようと言う考えもあるんだろうがな!


……くそっ!良い奴めっ!嫉妬や劣等感が一周回って尊敬するわ!マジでありがとうっ!


あと、世話と言うのは様々な事を含むらしく、初日に美人でスタイルも良いメイドさんに耳元で「……よろしければ夜伽にお誘いください」と、甘く妖艶に言われたときは背筋に感じたこともない感覚が走り抜けた。


ああ……もちろん、ヘタレな俺は何もしませんでしたよ?


ええ、貶したければ貶すといい。童貞の俺にそんなチャンスを掴めるとでも?………掴めねぇよ。


と言うか、誘拐しょうかんされたとは言え、俺って完全な無駄飯ぐらいなのだ。調子に乗るのはアカン。義春さんが旅立った後がとてもとても怖いもの……。








そんなこんなて、召喚されて3日程ほど大人しく過ごした俺は………………完全に暇を持て余していた。


だって、やることが絶望的にないのだ。


食う、寝る、風呂、トイレくらいしかない。日本では学校だりーとか、ニートしてぇ……とか思ってましたよ?でもね。それって手軽な娯楽が溢れてるからなんですよ。


世界一の隠者として名高いマダオ・ホームロスの「休息は労働や勉学があるからこそ成り立つ」と言う言葉が身に染みる限りである。彼は年中夏休みで冬休みだ。


何もする事がないと言うのはある種の拷問なのだと、初めて実感をもって知った。


そりゃ不死身の怪物も退屈は不死すら殺すとか漫画で言いますよ。


なので俺は……色々と忙しい勇者よしはるさんにダメ元で頼んで異世界語を教えて貰うことにした。暇潰しに本を読みたい俺である。


善は急げと美人メイドさんに勇者よしはるの場所を聞き出し向かうと、勇者よしはるはおっさんと剣を打ち合っていた。


……なにあれ。剣道にしろ、ボクシングにしろ、実際に相対すれば全く何されたのか分からんが、端から見る分にはなんとなく~竹刀を振ったか、拳を打ち込んだかくらいは分かる。


中学の時に3日間、右手の疼きを鎮めるために、剣道部とボクシング部に体験入部した俺が言うのだから間違いないだろう。うん。


でもこいつらのは端から全体を俯瞰して見てるのに、剣がぶれて全く視認出来ないですけど……訓練してまだ3日ですよね?チートにも程があるだろ……。


呆然として見ていると、俺の存在に気づいたのか。二人は剣を打ち合うのも止め、俺の方に近づいて来た。


……おい、おっさん。汗くせぇよ。対して勇者よしはるは柑橘系の良い匂いがする。なに、そのイケメン補正。


「どうしたんだ?冬樹」


勇者よしはるが首を傾げてそう言うので、できる範囲で構わないから、文字を教えて欲しいと頼むと何故か嬉しそうに快諾してくれた。本当に良い奴だな……こいつ。


と言うか俺、名前を教えたっけ?まぁ良いけど。






義春は朝から夜まで大体予定が詰まっているので、義春がこの世界の文字を覚えるのに書いたノートと、児童向けらしい本で実習することになった。


このノートが文字も綺麗で分かりやすく、如何にも勉強できる奴のノートだったのは言うまでもないだろう。


しかして俺である。こちとら、これだけでこの世界の読み書きが出来るほど頭の出来は良くないのだ。勉強して平均点どうにか取れる程度なのだ。だから、独学は諦め、同じ異世界人の義春に頼んだと言うのもある。


なので、一緒に朝昼晩と飯を食べ、その時と夜寝る前の僅かな時間に分からない所を聞くことになった。






ノートの分かりやすさ。義春の教育能力の高さから三ヶ月も経つと、俺は読み書きを問題ないレベルで出来るようになった。


もしかしたらだが……言語チートだけは貰ってたのかもしれない。異世界なのに普通に話が通じてたからな。


そこで飯を一緒に食ったり、寝る前の時間を一緒に過ごすとか、互いの性別が違えばフラグを立てそうな事をする必要もなくなったのだが……止めることはなかった。


あらゆるスペックがかけ離れ、日本では接点らしい接点もないはずなのだが、不思議と義春とは気があった。


好みの漫画やアニメ、映画などの娯楽の嗜好。善悪の線引き等の価値観が掛け合っていたのだ。


……いや、俺が勝手にそう思ってるだけなのかも知れんが。


それでも、無愛想なキモオタの俺にとって恥ずかしながら友達と思われたい。思いたい存在に、義春はいつの間にかなっていた。


なんか気恥ずかしいし、端から聞いたら鼻で笑うかもしれないが。


……しかし色々世話になってるし、ちょっとでも恩返ししたいな。さて、俺に何が出来る?この世界の読み書きを覚えた程度の俺に。


                  



そして、考えて出た答えは単純明快。それはひたすら知識を得る事だった。  


必要な知識は義春は充分与えられるだろう。しかし、いくら義春の頭が良くても吸収しきれない知識もあるはずだ。


なので、浅知恵であるのは承知で役に立たなそうな知識も含めてこの世界の本を読みまくることにした。






本気で本を読み初めて一月、この世界に来た日から4ヶ月程の月日が経った。


最初こそ一日頑張っても四冊読むのが精一杯だったが、速読を心掛け、半ば飛ばし読みして、流れだけを掴むようにした。もちろん、必要と判断した箇所は読み返す。


すると完璧にではないが、一日二十冊は読めるようになった。難点は結構集中力を使うことだろうか。


それと……最近、何やら第二王女(十歳)正真正銘のロリッ娘に付きまとわれるようになった。


俺自身も何言ってるか分からないが、純然たる事実なので仕方ない。


きっかけは何なのかと問われれば……城の図書室で本を読んでいると、突然顔を覗き込まれたのだ。


こんなキモオタに何に興味を示したのかは分からんが、金髪、翠目の愛らしい美少女に覗き込まれる等、ロリコンじゃなくともドギマギしてしまう。


こちとらキモオタである。異性との接触など母ちゃんくらいだ。姉……?……妹?居ねぇよ。なんだそのご都合主義。


大体、異性の兄妹が居たところで、異性に都合良く耐性なんか出来ないんだよ。俺にはいなくとも断言するわ!


閑話休題。


さて、突然の美少女の存在と行動に戸惑い、冷や汗と脂汗を浮かべる俺に


「何で毎日、本を読んでるの?勉強や本なんてつまらないじゃない」


と心底不思議そうにこの時第二王女様のアーネ様は仰った。


この質問には困った。本当に困った。俺に最善とか最適な解答など出来そうにない。この質問に完璧に答えれるくらい賢かったら、一人くらい友達が居ただろう。


それでも何とか今まで怠けに怠けた脳細胞をフル活用して考えた。たぶん、五分くらい考えた。対人スキル零の俺では人と話すのすら時間が掛かるのだ。


……就職活動マジ怖い。


黙って考え込んだ俺になにも言わず待つのだから、アーネ様も変に忍耐強い。


何に緊張してるのか自分でも分からぬまま、緊張を飲み込むように唾を飲む。


……うん。端から見たら美少女に何かしようと俊順してる変質者だよね。通報待ったなし!


「……その、何て言うべきなのか。俺には上手く言えないけど、つまらなくはないよ。俺もちょっと前までは勉強とか好きじゃなかったけど……何か知ると、自分の中で世界が広がって行くんだ。それは楽しいよ。……得た知識が役に立つかは分からないけど、百冊読めばその中の一冊に書かれてる事が自分や、誰かを助けるかもしれない。……もちろん疲れるし、めんどくさいと思うこともあるけどね」


「……ふーん」


必死に、訥々に紡いだ言葉は……ふーんの一言で斬って捨てられた。わ、分かってたよ。そんな反応されるって。


アーネ様の質問に答えた俺に二の句を継げはずもなく沈黙。アーネ様も沈黙。


……………………………………。


誰か、お願いだからこの状況から助けてほしい。切実に。


そう思って居心地の悪さに震えていると、アーネ様は少し笑い


「またね」


と言って、去って行った。


美少女の気紛れとかよう分からんなー。と思い、飯の時に義春にその時の事を話すと大いに笑われた。


何でも俺らしくとっても良い言葉だと、なら、笑うな!と俺は強く抗議したい。




翌日、図書室で本を読んでいるとアーネ様がやって来て、軽く挨拶を交わすと……隣で本を読み始めた。


今、俺の横で美少女が本を読んでる件について……とか、某ちゃんねるにスレ立てしたい気分である。


いや、たぶん妄想乙か。面白おかしく囃し立てられるだけで役には立たんだろうが。


守備範囲外とは言え、美少女が隣にいる事に一時間ほど緊張して、本の内容がろくに頭に入って来なかった。と言っても黙って本を読んでるだけである。


さすがに慣れて本を読み始めた。そして、本を読み終わると、タイミングを見計らってか。


「ねぇ。これってどういうこと?」「これはどう思う?」「貴方の住んでた国はどんなのだったの?」


など質問してきた。名前と王女様だと知ったのはこの時である。


最初は我ながらぎこちなく答えていたが、数日もすればさすがに慣れる。


まぁ、むしろアーネ様は慣れっこ過ぎたのである。椅子が硬いと膝の上に乗ってきた時は内心悲鳴を上げました。何でかって?


察しろ。超察しろ。……部屋は美人のメイドさんが掃除するんだ。察しろ。


……日本では日課であった鎮魂の儀が出来ないのだ。


俺はロリコンではない。むしろ美人のメイドさんのようなお姉さんが大好きだ!


しかし異性に免疫ないのに、子供から少女に成りかけの柔らかさとか、高い体温とか、匂いとか……儀式を怠った状態ビーストモードで間近に感じてみろ!


しばらくはお経と脳内で母親を再生するのに苦労した。軽く悟りを開いた自信があるわっ!








「うーん、なぁ冬樹。ちょっとは体動かした方が良くないか?」


義春が何を思ったのか。いつものように一緒に飯を食ってると、そんな事を言ってきた。


「だが、断るっ!」


「潔いまでの否定だなぁ!?」


運動がめんどいとかではなく、運動に関する才能センスが零なのだ。俺は。中学生になって、右腕の疼きから格闘技を習おうと剣道、柔道、空手、ボクシングの門戸を叩き……深く絶望した俺が言うのだから間違いない。


「……あー、まぁでもちょっとくらいは運動した方が良いぞ。絶対。それに日本じゃまず触ることの無い武器に触れるしな。ほら?あのラノベに出てきた武器もあるぞ。後学の為に良いんじゃないか?」


……くっ!そんな事を言われてはリアルに封印された右腕ちゅうにが疼くじゃ無いですかぁ。






と言うわけで、ノコノコと口車に乗って、義春がいつも訓練してる場所へ向かうと、汗臭い傭兵のおっさんが居た。


地面にはたまに見かけるコスプレ用のレプリカ等とは違い、正しく敵対者の殺傷という目的の為に作られた武器が鈍く光を反射して置かれている。


「おぅ、義春。とりあえず、一通りの武器は揃えたぞ。大剣、長剣、小剣、短剣、槍、斧槍、短槍、果ては暗器とかの変わり種までな」


「ありがとう。ガレスさん」


「おぅ!で、後ろの丸っこい坊主が確か……冬樹だったか。俺らの世界の事情で迷惑かけてすまねぇな」


おっさんはそう言うと、がしがしと大型犬でも撫でるように人の頭を撫でてきた。抗議しようと思ったが……止めた。こういうおっさんには何を言っても無駄だ。


親戚に似たようなおっさんがいる俺が言うのだから、間違いない。それに、こういうおっさんに頭を撫でられるのは嫌だけど、嫌じゃない。


「まぁ、とりあえず武器を持って、振ったりしてみな」


言われた通り、武器を一通り持ったり、振ってみる。


……うん、こんなデカい剣は俺じゃ持ち上げることすら出来ないんですね。知ってた。


普通の長剣ですら数回振ると、腕がプルプル震えるし。これがモブの現実、明日は筋肉痛かぁ……。


二人の方に目をやると義春は苦笑し、おっさんは何とも表現しづらい顔をなっていた。


「……あー、なんて言うか。珍しい位に普通の武器に適性ないな。そもそも体力がねぇけどな」


……全然嬉しくない評価を貰った。くそ見てろよ!


短剣を手に取り息を吐く。体から根こそぎ余分な力を抜き。景色に溶け込むように気配を消す。


足音を消し、相手の気が抜けた瞬間を狙って距離を縮めて、


「……ほぅ」


おっさんの首に短剣の切っ先を向けるとニヤリと感心したように笑った。


「やるじゃねぇか。俺レベルならどうにでも出来るが、普通の奴なら今ので喉元掻き斬られてる」


「凄いな冬樹!居るはずなのに目の前から消えたように錯覚したよ」


ふっ……!小学生の頃から苛めの標的にならないように気配をなるべく消して、空気に徹して来たのだ。目の前に居ようが、まるで居ないように気配を消せるのだよ。そう。俺が英雄ならばアサシン適性特大なのだ!


そう言うと二人には哀れむような、同情するような残念なモノを見る目で見られた。何故だ?


「しかし……気配の消し方だけ上手いとか残念な才能だな」


余計なお世話だ!




……その後。魔法を教わる機会があったのだが、直接攻撃出来る手段が非常に少ない闇魔法と風魔法しか使えなかった。


この世界の神は死ねっ!


▽▲▽▲


そんなこんなで過ごしていると、いつの間にか準備期間を終えた義春は、仲間と共に旅立って行った。


連絡が取れなくなるなぁ……と思っていたら、護衛に付く騎士団の人が国に旅の経過を報告しに戻る際に手紙を届けてくれるそうなので、今時珍しい文通を人生で初めてする事になった。


……どうせなら古風な文学美少女と文通したかったな。


いや、キモオタの俺には仲良くなるのは無理だし、そんな絶滅危惧種が居るかも分からないが。






更に義春が旅立ってから半年の月日が経った。


当初は義春が旅立ったら、酷い扱いを受けるのでは……と、心配していたが、この世界の人々は気持ち悪いくらいに善良な人達が多く、全くの杞憂であった。


しかしこの世界の人達は以上だ。そう、まるで……負の感情を無・くしてしまったように……善良なのだ。この城や国だけかと思えば、そんな事もない。


本を読んでれば、人の悪行が書かれた本が地球ならば多かれ少なかれある。


圧政や虐殺をした史実。
人が行う殺人、強姦、窃盗等の事実。
子に対する童話や、物語を通しての戒め。
様々な思惑による善悪の印象操作。


それらがこの世界には綺麗過ぎるほどに欠けていた。神殿が7つあるのも妙なのだ。


この世界の魔法は六属性。ゲーム脳なのは承知だけど、普通は属性と同数の神殿巡りになるはずだ。


存在しない負の感情。七の大罪と7つの神殿。


……ま、そんなはずないか。


そんなくだらない事を考えながら、俺は何をやっているかと言うと……相も変わらず、ひたすら本から知識を吸収し、何かあった時の護身の為と、何よりも性欲の抑える為に身体を鍛えている。


……帰ったら絶対に良質な祭具として有名な天我を使うんだ。ちなみに『我は天に昇らん!』の略である。


日本に居たときには考えられないくらい健康的な生活だ。不摂生で弛んだ体が今や大分引き締まって来た。腹筋も多少割れてきたし。


しかし、あいつは無事だろうか?順調に神殿を巡って、そろそろ七つめの神殿に向かっているって手紙には書いてあったが……。


そんな事を本を捲る手を止め、つい考えていると……ざらりと、体の奥底を舐められたような嫌な感じがした。


同時に騒がしい気配が伝わって来る。


なんだ……?


疑問を浮かべて間もなく。息を切らしたレーネがやって来た。


端整な顔を焦燥と悲哀に歪めているのを見て、どこか胸の奥で浮かんでいた嫌な予感が確信に変わっていった。


「……冬樹。今、お姉様達、が帰って来た。……勇者様は」


歯を噛み締める。レーネに案内を頼むと俺は図書室を出て走った。心臓が張り裂けそうな程早鐘を打つ。


走って、途中でレーネを抱えた方が早いと抱えながら走って、たどり着い先に見えたのは……ぼろぼろ王女と、傭兵のおっさん。そして意識を失って一番酷い状態の魔女だった。


そして……良く見ると王女の手には義春が持っているはずの剣が、聖剣があった。


義春は居なかった。……分かっていた。この状況を見た時点で、普段は大して働かない癖に、こんな時だけ、出来の良くない頭は物分かり良く理解していた。でも……心は納得出来なかった


「…………義春は?」


絞り出すように、最後の希望にすがるような問いに返ってきたのは、悔恨と深い悲しみを抑え込んだ王女の小さな謝罪の言葉。


「……ごめんなさい。義春様は」


「……俺から話そう」


静かに、傭兵が語った。義春と共に旅に出たこの場に居ない近衛騎士団副団長もうひとりが突然裏切ったのだと。


義春を背後から襲い、深傷を負わせると回復出来ないように先ずは王女を吹き飛ばし、魔女を潰した。


傭兵が応戦しようとしたところで、義春が瀕死の状態で裏切者を足止めし、魔女が最後の力を振り絞ったのだろう転移魔法で気が付くと王城ここに戻っていたのだと。


「……なんでだよ。ふざけるなよ……!!!なんでっ!何でお前らの勝手な事情で拉致されてっ!それでもお前らの世界の為に戦うことを選んだようなお人好しをっ!何でこの世界の奴が殺すんだよ!!!」


「ごめ……なさい。ジューダスがあんな行動に出たのは、私が……」


八つ当たりだと、分かっていた。それでも叫ばずにはいられなかった。


……俺とおんなじか。それ以上の激情を王女の胸の中で荒れ狂っていると分かっても。


視界がボヤける。息が苦しい。……自分が泣きじゃくって、鼻水を垂らしているのに気がついた。


悔しくて、悲しくて、苛立っだしくて、何より子供のように泣きじゃくる事しか出来ない役立たずの自分が、情けなかった。


多少努力した。努力して少しは変われた気がした。でも、そんなのは都合の良い思い込みでしかなかったんだ。


「はははははははははっ!!!」


突然、この場の何もかもを嘲笑い、馬鹿にするような哄笑が響きわたった。


ぐにゃりと、蜃気楼のように空間を歪ませて現れたのは、何処までも黒く、全てを塗り潰す暗黒色に覆われた男だった。


底辺の僻みかもしれない。召喚されて半年間一切会話した事もなく、すれ違うと俺を塵か何かのような目で見ていたような気がして、いけ好かない奴だと思っていた。


それでも輝かしい白銀の甲冑と、眉目秀麗な容貌はまるで、古い物語に出てくる騎士のようで……格好いいと、どこかで憧れていた。


それが今は甲冑は赤黒く変色し、まるで生きているように血管のようなものに侵食され、禍々しく脈を打っている。


同姓から見ても整った顔立ちは醜く歪み、内面の醜悪さを際立てさせていた。


裏切者のその尋常ならざる様子に皆が息を飲む。


「ちっ!追ってきやがったかよ!」


突然の出来事に誰も反応が出来ない中で、傭兵だけは躊躇いなく、裏切者の露出した首元へ斬りかかる。


しかし、裏切者は応戦せ(・)ず(・)に笑みを浮かべるのみ。次の瞬間には鮮血と共に首と胴体が別れを告げるはず……なのに、白刃は裏切者の首元に当たる薄皮一枚を挟んで、不可視の壁に阻まれたように弾かれた。


「くそっ……!やっぱりそう言うことかよ!」


傭兵は悪態を付くと、裏切者から距離を取った。


「……何をやっているのです!もはやあれは人ではありえませんっ!魔法を、放ちなさいっ!」


凛としながらも感情を押し殺すような第一王女の声で、金縛りが解けたように魔法を使える者達から幾つもの魔法が放たれる。


地球の物理法則では理解しようもない魔法という事象が、炎、鉱物、氷、風と形状も性質も違う。しかし、目標を殺害すると言う目的に添った凶悪な殺傷能力で、異様な姿へと変わった裏切者に全て叩きつけられた。


圧倒的なまでの暴力は、如何に優れた防具を身に付けようと、凄惨な屍が残るはず……なのに、そこには傷一つなく立つ裏切者がいた。


「はははっ……!ああ!なんと素晴らしい!この力が、この力さえあれば何だって出来るっ!そうだ。これで、もう魔王の脅威に脅かされる事もない。ユーフィ!大丈夫!私が……僕が守るよ」


何をいってるんだ?こいつは……?


支離滅裂な事を言う裏切者の目を見ると、その目は焦点が定まらず、こいつは狂・っているのだと、狂ったのだと理解した。


……同時に、こいつには魔法も剣も如何なる理か。効かないのだと。


……怒りか。恐怖か。あるいは両方か。震えていた体から力が抜ける。


なぜ、なぜ、なぜ?


なぜ義春は死んだ?


なぜ男は狂った?


なぜ攻撃が効かない?


浮かぶのは幾つもの疑問。唯一分かるのは、この状況は詰んでいると言うことだろう。


この場の全員が殺されておしまい。いや、もしかしたら狂っても執着している第一王女は殺されないかもしれないが、そんなのはどうでも良いことだ。


終わりだ。みんなおしまい。不思議なものでそう思うと、何もかもがどうでも良くなってくる。


「……ジューダスッ!」


涙でボヤけた目に傭兵のおっさんが意味のない突撃をするのが見えた。何をしてるんだろう?無駄なのに……。


思考が粘性を帯びたかのように、鈍く、重くなっていく。何も考えられない。何も考えたくない。


「……冬樹っ!」


声がした。手を引かれて、顔を上げるとレーネがいた。


「……手が……」


手を引くレーネの反対側の手は真っ赤に染まっていた。見れば、額には汗が浮かび、痛みに耐えているからか。顔をひきつらせていた。


「今のうちに逃げてっ!私達が絶対に引き止めるからっ!」


「なに言って……っ!」


十歳の子供がなに言ってるんだとか、どこに逃げるんだとか、腕の手当てをしないとか、何かを言おうとしたけど……レーネの顔を見て、全て吹き飛んだ。


レーネは今まで見たことの無いほどに、綺麗な笑顔を浮かべていた。きっとそれは本当に覚悟を持つ人間だけが、浮かべられる顔なのだと、不思議と理解出来た。


「巻き込んでごめんなさい。でも……あなたと会えて嬉しかった。ありがとう。生きてね!」


そう言って……レーネは最後に手を強く握り、笑って裏切り者の方へ向かって行った。


ああ……と、声にならない声が漏れた。


視界がまた滲んだ。何よりも十歳の女の子に守られる自分が、どこまでも情けなくて、悔しくって、自分自身に憎らしいほど怒っていた。


……何してるんだよっ!くそっ!くそっ!くそっ!何も出来ないじゃない。何も出来なくてもやれよ!動けよ!本当は泣き叫んでもおかしくない怪我をして!それでも俺を、俺なんかを守ろうしてるんだぞ!


俺が守らないといけないような年下の女の子に庇われてどうするんだよ!動けよ!


奥底から荒れ狂う感情のままに、立ち上がろうとして……手に熱を感じた。


見ればそこに有ったのは義春が持っていた筈の聖剣。握れと、剣を手に取れと言わんばかりに、出来すぎた偶然・・。頭に浮かぶ疑問も、都合のいい考えも封殺して、聖剣を手に取ると理解した。神のくそ野郎・・に理解させられた。


自分ならば、不可思議な現象を超えて、あの裏切者ジューダスを殺せると。そして、自分は決・して手違いでこの世界に召喚された訳ではないのだと。だが、同時に理解する。


どう足掻いても、正面からでは一瞬で自分が殺されるだけだと。


だから、立ち上がる。立ち上がり、暴れる心臓を押さえて、まともに使える闇魔法と風魔法を使って、気配を消した。


そして、人の隙間を縫って近づくと、傭兵がなんとかまだ善戦していた。剣術は裏切者ジューダスが上でも、そのトリッキーな動きと経験の多さ、周囲の援護でどうにか……だ。


もってあと数分。しかし充分だ。後ろへ認識の隙間ついて、裏切者ジューダスの後ろへ回る。


体の中心を目指して聖剣を突き刺すと……今までの無敵ぶりが嘘のように、呆気ないほどに、聖剣は手応えらしい手応えもなく。裏切者ジューダスの体へと突き刺さった。


モブであろうと、単なるキモオタだろうと俺はこの世界・・の人間じゃない。なら、魔王の力を得た存在を殺せるのだ。


そう。俺は殺したのだ。人を。沸き上がる吐き気を抑えると、情けない程に体が震えて俺は剣を手放した。


「あっ……ははっ……頼む、せか……い、すく……って……」


すると吐血しながらも、裏切者ジューダスは懇願するように俺を見て、そう呟くと……息を引き取った。亡骸は何十年時を経て風化したように、砂になって崩れ落ちた。


あまりに重かった。その思いも、これからの事も、でもやるのだ。やるしかないのだ。


それがクソ神との取引。義春を生き返らせる条件なのだから……


俺に、キモオタに過ぎない俺に義春の代わりに勇者が務まるのだろうか?



コメント

  • ノベルバユーザー603642

    成長して行く姿もとても見応えあります!
    続きが気になってどんどん読み進める作品でした。

    0
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