嫌悪感マックスな青春~マジでお前ら近づくな~

黒虱十航

神のワインの匂いのする部屋で……

初手e4にポーンを動かした生谷さんは、グラスに鼻をつけて香りをかいだ。満足そうに笑顔を見せるとグラスを回した。まだ、口をつけることは無く深く香りをかぐ。その一連の動作は、目が見えない俺にだって明確に伝わるほどに手馴れていた。迷うこと無い動きだ。沈黙が今にもあふれてしまいそうに静かなこの部屋にただようのは、このワインの匂いだけだ。後手である俺は少々打つ手に迷った。昔から、チェスは好きだった記憶が今でもある。幼い頃から人に期待にだけ応えてきた俺は、唯一人に気を使わなくてすむ一種の逃げ場としてチェスを選んだ。もう少し大きくなるとゲームをやり始めるようになったのだが本当に幼い小学1年生より小さい頃。つまりは、まだ目が見えていた頃、1人でチェスの本を読んだり1人でチェスをしたりしていた。気を使わない逃げ場として2人以上でやることを主としたチェスを選んだのは、単にテレビの影響というのもあるが何となく懐かしい感じを受けたというのが大きい。プレイ暦が長い俺としてはオープニングに何をすればいいのかぐらい分かっている。だが、問題は目の前の生谷さんの存在だ。どんな手を使ってくるのか見当もつかない。やはりやるからには、テニスの借りを返しておきたいところだ。


悩んだ末にe5にポーンを動かし、先ほどの生谷さん同様にグラスに鼻をつけて香りをかぎ、次にグラスを回してから深く香りをかいだ。やはり、いい香りだ。グラスに鼻を近づけてかいだ香りは部屋に漂っている香りよりも濃く、芳醇な香りだ。今すぐにでもこの香りを喉に通してしまいたいという衝動に駆られるが生谷さんが駒を動かしたところでその衝動は断たれた。
「チェスは好きなの?」
Nf3に動かしたところで生谷さんは俺に聞いてきた。すごく真剣な顔で聞いてきたのは血流や心臓の動きから読み取れた。
「まあ、嫌いじゃないですね。昔からよくやってましたし。生谷さんは?」
Nc6に動かしてから俺は聞き返した。グラスに手をつける気にはなれず次の手と言葉を待つ。
「んー、好きというか私が好きな人が昔からチェスをやってたからね」
Bb5に動かしながら生谷さんは答えた。その声は遠い過去を思い出しているようなぼんやりとした声だったように思う。
「好きな人……ですか?」
Nf6に動かした俺は、気になった言葉を聞き返す。生谷さんが人を好きになったというのならその人は、どこまで魅力的な人なのだろうと思ったのだ。
「好きな人っていうよりかは、慕ってる人かな? まあ、私自身は好きだけれどそれも恋愛って言うより信頼って感じかな。その人のチェスの好きな理由が面白いんだよ」
生谷さんがこんなにも楽しそうに話すだなんて思ってもみなかったはずなのに不思議と懐かしい感じがしたのが腑に落ちなかった。そんなことを思っていると生谷さんはd3にポーンを動かした。
「チェスは、人生の縮図だ、とかいってね。”弱い奴でもこつこつ積み重ねれば強くなれるけれど強い奴に邪魔されたら死あるのみ”とかいってさ。ひねくれてるよねぇ……」
生谷さんがあまりにも楽しそうに話しているから今日一日の楽しそうな表情さえ偽物に見えた。否、それが事実なのだろう。本物であるはずがないのだ。
「そういう考え方もあるのかもしれないですね。まあ、俺にはちょっと分からないですけど」
Bc3に動かしながらそういうと、俺はグラスに手を伸ばし三度香りを楽しみながらほんの少量、黄金色の液体を口に含んだ。その少量を舌の上で転がしながら楽しみ、そして喉に通した。
「どう? 今言った人が好きだったワイン何だけど。結構いいワインでさ、折角手に入ったけどその人、今いないし1人で飲むのも味気なくてね」
「だからといって未成年にすすめるのもどうかと思いますけど」
文句を言いながらもこのワインに魅了されているのは確かだ。香りは勿論だがそのほかの点においてもこのワインは最高級なんじゃないかと思う。例えばこれを『酔えればいい』などと言う人に渡したいかといわれれば否だろう。ゴクゴクといっぺんに飲んでしまう人にも飲ませたくはない。このワインを造った側の気持ちを考えながらゆっくりと味わいながら飲むものだけに飲ませたい味だ。
「まぁね。でも、初アルコールでこのレベルのワインってすごい貴重だよ。この先これ以上のワインにはまず出会えないからね」
その言葉が嘘でないことぐらいすぐに分かった。例えば俺がこれを造る側だったら世界の半分でも絶世の美女でもどんなものとでも交換したくはないだろう。愛情込めて、ワインがその愛を受け止めてくれる究極の形であるからこそこのワインは美味いのだ。
「そうでしょうね。何か有難うございます」
「いやぁ、それはこっちの台詞だよ。今日1日しっかり暇つぶしに協力してくれたし今もこうして最高のワインを一緒に飲んでくれてるし」
そういいながら生谷さんはBc6に動かしこちらの駒をとった。こちらの駒をとりご機嫌になったのかワインを少量口に含み味わい深く喉に通した。


その後も何とか善戦をした。dc6に動かして生谷さんの駒をとりそこから6.Nbd2 O-O 7.Qe2Re8
8.Nc4 Nd7 9.Bd2 Bd6 10.O-O-O b5 11.Ne3 a5 12.Nf5 a4 13.Bg5 f6 14.Be3 Nc5 15.g4 Be6 16.Kb1 b4 17.g5 b3 18.Rhg1 bxa2+ 19.Ka1 Bxf5 20.exf5 a3 21.b3 Na6 22.c3 Bf8 23.Nd2 fxg5 24.Rxg5 Nc5 25.Rg3 e4 26.Bxc5 Bxc5 27.Nxe4 Bd6 28.Rh3 Be5 29.d4 Bf6 30.Rg1 Rb8 31.Kxa2 Bh4 32.Rg4 Qd5 33.c4と駆け引きが続きその間にグラス2杯ぶんのワインを飲んだ。そして最終的には俺が投了、ギブアップをしてゲームは終了した。
「んんっいい戦いだったね。うんうん。そろそろ夜も深いし私も眠いから」
そういって生谷さんは服のポケットからチェスの駒を出した。
「何ですか、それ」
「これは、さっき言ってた人に貰ったダイアより希少な宝石で作られたキングの駒。君に渡すように言われてるんだよ」
盤の中央にちょうど置かれたそれが希少なものである事は俺の能力を駆使することで分かった。
「今日は泊まらせて貰うよ? さっきの部屋で寝るから」
「ああ、別にそれは良いんですけどこれ、どうすればいいんですか?」
希少なキングの駒を指して俺が言うと生谷さんは、ほんの少しだけ口角を上げていった。
「あー、どうしてもいいよ。捨てても壊してもとっておいても。それに出来るのは、私と一緒に、満足してもらうまで歯車を回し続けることだけだからね」
「は?」
またしても、意味の分からないその言葉が鈍く、胸に残った。どういう意味なのか、という理解しがたい感情が湧いてきたのも確かなのだがそれ以上に別の感情が湧いていた。

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