どういうわけかDS〈男子小学生〉の俺は、高難易度青春ラブコメに挑んでいる。

黒虱十航

隻腕の差な、これ。

 花弁が散り、裸になった桜の木の横を通りすぎる。朝の光というのは不思議なもので、目を貫くような鋭さがないから木の隙間から漏れ出ているそれを直視することができるのだ。それが結構好きだ。
 僅かな光が眼球を撫でてくれるようで、とても心地がいい。そのことに気分をよくしながら歩き、やがて教室にたどり着くと俺の気分は一気に害された。真っ赤な机が教室に二つ。片方は俺、片方は……九重のものだ。うち、九重の机にはご丁寧に花瓶が置かれている。そんなのを用意されるとか、ある意味仲いいな、おい。
 俺の方に花瓶を置いてもらえなかったことへの憎悪を仕草早に向けてから、俺は持ってきておいた雑巾を濡らしにいった。多分、水で擦ればすぐ落ちるはずだ。
 水が冷たい。もう五月になろうとしているのにまだ冬がうだうだと残っているのだ。まあ分からなくもない。いかなきゃいけないって言われると、急に気力を失くしていきたくなくなるからな。ヤバイ何それ、冬はぼっちだったのか……不思議発見だな。
 水が雑巾に染み込んだのを確認して、雑巾を絞る。二週間前よりずっと力が増しているので、たくさんの水が出る。主人公としての仕事をしっかりこなすため、独学で戦闘訓練をしていたのが功を奏したのだ。
 御告が入部してから二週間、様々な準備をしてきた。パワー、スピードをつけるために謎の特訓をしてきたのはもちろん、情報収集をして作戦を考えてきた。というか、作戦上喧嘩をふっかけられる可能性があったので特訓をしたのだ。生徒会長と戦っても傷を受けないことを目標にしてきた。
 まあ、ぶっちゃけた話、収集できた情報はほとんどなかった。が、それはある意味、俺の件以外の悩みがないことを裏付けているとも考えられる。人間関係に関しても、特筆すべきことがない、つまり色んな奴と分け隔てなく関わっていたと考えられるわけだ。そうやって、情報が無いという情報を上手く活用した結果あみ出した作戦を、利用することにしたのだ。
 教室に戻り、自分の机を拭き終わってから一瞬迷い、九重の机も拭くことにした。
「あっ」
 という声を城山が漏らした。分かりやすい奴だ。そんなに心配に思っていたなら、仕草早なんかとは手を切ればいいのに。そう思うのはちょっと意地が悪いだろう。城山は既に男子のトップに君臨している。あいつが女子のトップと対立すればクラスは、或いは学年は険悪な空気になる。そんなことになれば、非常に面倒臭い。そこまで分かってるから、あいつは〝好きな奴〟のために動けない。
 そう、城山は九重のことが好きなのだ。それが、俺が唯一掴んだ、実のある情報だ。この情報がなければ、作戦は成り立たなかった。まあ、ぶっちゃけ俺じゃなくてもちょっと俯瞰で見れる奴なら当然、気付けるくらいに分かりやすかったんだけどな。
「フン」
 なんてわざとらしく鼻を鳴らして城山を挑発してみた。何せ城山は俺の敵。そりゃ、学年の均衡を保ってるかもしれないが、俺は自分を偽る奴は嫌いなのだ。それに今回の作戦じゃ、城山に媚を売る必要はない。軽く城山を睨んでから、汚れた雑巾を洗いにいった。
『今日決行するから、放課後、一旦部室で集合。よろしく』
 決行を伝えるため、文月にメッセージを送信した。御告には伝えない。御告のことはまだ信用できないのだ。だから、出来るだけ接近したくない。失敗できない作戦に連れてはいけない。
 この二週間、御告の情報も出来るだけ収集しようとした。
 優等生で、それなりにトップカースト。それでいて、わちゃわちゃしているかと言えばそうではない。はっきりとした意思を持っている、と先生の間でも評判。学力に関しては俺と同等。俺の素行の悪さと御告の素行の良さから、闇の天才、光の天才だなんていう不本意な通り名を先生達が呼んでいるという噂も聞いた。
 つまり、端的に言えば御告はあらゆる面に於いて優等生で、俺はその劣化版。そういう認識を持たれているわけだ。
 御告は確実に、周囲の人を皆、騙している。それは人を騙す狐のようだ。そして、人を騙す狐に裏があるのと同様、御告にも裏がある。それが何なのかは今は分からない。まあそんな不安要素のある奴を呼ぶわけにはいかないのだ。
『……了解』
 返ってきたメッセージを見て、今の文月はロボット文月なんだな、と理解する。しかしおそらく、放課後にはまた別の文月になっているだろう。今のところ、文月の真実の姿を見る術を俺は知らない。たまに見ることは出来る。しかし、そのトリガーが全く分からないのだ。


 放課後になり、俺は情報の整理をしていた。文月が掃除当番であることが発覚したので時間が余ったのだ。部室ではなく校門に待ち合わせ場所を変更したので、俺は校庭のベンチに腰掛けていた。裸になった桜の木をぼぅっと見つめながら、頭の中で今日の作戦に必要な情報を整理する。
 必要な情報は極々少ない。前準備の段階では、城山が九重を好いているという情報が役に立ったが、今となっては邪魔なだけだ。よって排除。必要なのは、〝誰とでも分け隔てなく仲良く出来る九重が俺のせいで不登校になった〟ということだけだ。
 風が吹き、桜の木の細枝が折れた。風に揺れられて宙をダンサーの如く舞っていた。風が吹き止んだ瞬間、それは天に落ちる槍のような勢いで落下していく。落下先には……御告がいた。
「危ないっ」
 反射的に叫んでいた。細枝と言ってもかなり大きい。それが高いところから落下すれば軽傷くらいは負うに決まっている。かといってあの落下スピードじゃ避けきれない。そう思ってい時、御告と目が合った。
「え」
 笑っていた。猟奇的なまでに整った笑顔で笑い、落下する枝には見向きもせずに俺に手を振っていた。その姿を見て再び叫ぼうとした瞬間には、枝は御告に当たりそうだった。もう無駄か。まあ、御告になんて思い入れはないしな。死ぬわけじゃないんだ。別にいいだろう。
 そう思い、目を瞑ろうとした瞬間、細枝が消失した。見失ったのではなく、消失したのだ。明らかに消失した。存在自体がかき消された、というのが一番適切だろう。目の錯覚を疑い、一度目を瞑ってから見てみるがやはり細枝はどこにもない。――ん? 今、一瞬視界に非常におかしなものが入ってきたような気がする。
「こんにちは、一幡山君。今日、行くんでしょ?」
「……行くんでしょ、じゃねぇよ。何だ、今の」
「今のって?」
 恍ける御告から目を逸らし、おかしなものの方に目を向けた。
 おかしなものがある、というのは変だろう。それよりも、あるべきものがない、と言った方がしっくり来る。結論を言ってしまうさっきまであった桜の木がないのだ。細枝と同時に世界から消え去ったように思える。
「木だよ、木。お前に枝が触れようとした瞬間、消えた」
「さあ、なんのことかな。僕は知らないけど」
「嘘吐くな。俺は分かる」
 言った瞬間、御告の顔が明らかに歪んだ。あえて歪ませている、という感じが伝わったのは、顔の筋肉を意図的に操作している気がしたからだろう。まだ仮面をつけていることに嫌悪を覚えながらも、自分に落ち着け、と言い聞かせる。冷静にならないと、こいつとまともに話せない。
「嘘じゃないよ」
「いや、嘘だ。っていうか、お前の言葉はほとんどが嘘だろ。一週間前からずっと、心からの言葉じゃない」
 俺の言葉に、御告の表情が更に歪む。今度も、意図的に操作しているのが分かるものだが、その表情は先ほどのものよりも自然だ。少しだけ仮面をはがせたということだろう。希望的観測の域は出ないが、可能性としてゼロではない。
「へぇ、やっぱり」
「やっぱりって何だよ。いいから言え。さっきのは何なんだ?」
 返答によっては、確実に危険な相手なので今、ここで戦う。二週間で得た付け焼刃の武術だが、ある程度は使える。文月さえ来れば、魔王眼でどうとでもなる。あれは異次元だから、御告にだって勝てるはずがない。
[エロスと同じだよね、君も。僕を腹立たせる」
「エロス……」
 彼の言葉に、心臓が反応した。ドクン、ドクンと鈍い血液が全身に回っていく。こいつはヤバイ。洒落にならないレベルでヤバイ。分かってたのに、なんでこれまでこいつから離れようとしなかったのだ。様子見で止めていたのだ。そう、自分を責めても責めきれなかった。
「洒落になんねぇな」
「そうかな? 僕はいいと思ったんだけどなぁ」
 蛇が全身に巻きついてきている気がした。その言葉が、全身をぎゅうぎゅうと締め付けてきているせいで、苦しい。喘いでしまいそうなほどに痛いのを我慢する。おかしい。ただの言葉のはずなのに、実際に痛みを感じている。
「大丈夫。今はまだ、君には危害を加えない。この世界を徹底的に歪ませて、やっと僕は復讐を終えるからね」
「復讐?」
 その言葉の意味が分かりかねて、訊き返した刹那――
「そうだよ、復讐」
 ――首元に、御告の人差し指がナイフのように突き立てられた。全身の細胞が悲鳴を上げている。今すぐそこから逃げろ、と叫んでいる。それでも足が動かない。震えているのだ。どうしようもない恐怖。御告の瞳に満ちる殺意が、俺をここまで恐怖させている。紅蓮の死神。それを彷彿とさせていた。
 違う、彷彿とさせているのではない。こいつこそが、真の紅蓮の死神だ。目がいつの間にか紅蓮に染まっているのが見えた。以前刺された箇所が、疼いている。痛い、痛い、痛い痛い痛い。心臓が、脳が、泣き喚いている。
「この世界を滅茶苦茶にしてやるんだ。僕の力を使って、ね」
「…………何するつもりだ?」
「さあ、なんだろうね」
 心臓を突き刺す笑顔が、容赦なく飛んできた。瞬間的な痛みに、崩れそうになるのを必死に我慢しながら、これまた必死に御告を睨み付けた。
 こいつはヤバイ。この状況に耐えられなくなった俺は、二週間鍛え続けたキックを放つことにした。ふぅ、という深呼吸をしてから全身の力を足先に込める。
「ぐっ」
「……あんまりやってると、消すよ?」
 確実に入ったはずだ。脇腹に、確実に蹴りが入ったはずだ。それなのに御告は一切顔を歪めなかった。瞳から溢れる殺意が増幅し、一層恐怖が増してきた。紅蓮の瞳が血液を沸騰させてきて、血管を溶かしそうになっている。
 御告の手が俺の右手に触れた。その瞬間、根拠があるわけでもないのに死んでしまうような気がした。なんとか、離脱したいと思い、後ろに下がるために両足を地面につけ、全力で後ろに下がろうとする。
 その瞬間、御告が掴んでいた俺の右手が消失した。肘まで丸ごと消失している。痛みはない。ただ、さっきまであったはずの右手が消えているのだ。切断されているわけでもない。まるで、元々無かったかのようになっている。元々無かったように? その言葉が旨に引っかかった。
 どういうことだ。どうしてこの一瞬で元々無かったようになっている? どうしてこんな風になっているんだ? 分からない、理解できない。
 ――いや違う。本当は理解できている。恐怖のあまり、理解せまいとしているだけなのだ。こいつが、世界を歪ませたんだってことくらい分かっている。
 エロスに復讐をする、と言っている時点でこいつが神かそれに近しい存在であることは確実なのだ。だったら、世界を歪ませることくらい容易いに決まっている。俺の右腕の存在自体を無かったことにするのなんて容易い。
「これが、代償だよ。さっきの蹴りの、ね。脚を失くしてもよかったけど、そんなことしたらこの後の計画に支障が出るからね。大丈夫。君以外の人は、君の腕は最初からないものだとして認識してる」
「……こんなことして、いいのかよ神様」
 消失した右腕の根元を撫でながら、俺が言う。どうしてエロスが創りあげた世界に神がいて、しかもそいつの勝手をエロスが許してしまっているのか分からない。この世界はエロスの思い通りになるって言ってたのだから、神でさえ自由を奪えるだろうに。というかこのことにキレたエロスが働かなくなれば、困る人は多いはずだ。それでもいいのだろうか、と思ったのだ。
「いいんだよ。エロスが働かなければ僕にもお鉢が回ってくるしね。それに、エロスの最高傑作を穢す。こんなに楽しいことはないじゃないか」
 言うその姿は完全に狂神だった。紅蓮の目をした彼から、今すぐ離れたい。全力でそう思う。こいつはヤバイ。その勘は間違ってはいなかったわけだ。
 こうして世界の主人公的に考えても滅茶苦茶ヤバイ敵が、唐突に出現した。俺には何一つ特殊能力を与えられないまま。
「じゃあね。楽しみにしてるよ、どうやって不登校児を学校に来させるのかな」
 ぽんぽん、と俺の肩を叩いてからそいつは消えていった。叩かれた肩が、ズキンと痛んでいるような気がする。恐怖で体が震えている。夏に近づいているというのに、とてつもなく寒い。

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