どういうわけかDS〈男子小学生〉の俺は、高難易度青春ラブコメに挑んでいる。

黒虱十航

ここまで来るのに時間かけすぎじゃないですかね。②



『一年B組、文月 文矢。文芸部部長』


 丸っこい文字で書かれていたのに、女子っぽくないと感じたのはあまりにも簡素な文だったからだろう。いや、文だなんて言えるものじゃない。ただ単語が並んでいるだけだ。
 だがまあ、そんなものは俺とり小さな問題でしかなかった。それよりも、目の前の少女と、俺が知る文月 文矢との差の方が問題だった。どうして、先にそっちに気付かなかったのだろう、と自問しながら俺は思い出す。


 文月 文矢。俺が知る、その名を冠する女性は真っ黒な髪を持っていた。今の彼女の真っ白な髪とは対極のものだ。髪の長さは今と同じように肩につくかつかないか、くらいのものだった。が、今の彼女と俺の知る文月が少しでも似ているかといえば、否だ。
 理由は様々だ。俺の知る彼女は包帯など巻いていなかったし、眼帯だって付けてはいなかった。血色だってこんなに悪くはなかっただろう。


 でも、それよりももっと根本的なところが違った。
「えっと、どうして話さないんですか?」
 文月ではなく、言霊先生に尋ねたのは彼女が喋らないと確信したからだ。灰色の雪を被り、無言でイスに座ってお弁当を食べている彼女を意味ありげな目で見ながら、言霊先生は俺を手招きした。
 その瞳が寂しげな雨空のようだったので、俺は文句を言わずに駆け寄った。俺が近づくと、言霊先生はしゃがみ、俺の耳に口を近づけた。なんだかしゃがまれているのが癪ではあったが、ここで文句を言うのと面倒臭そうなのでやめておいた。


「彼女は言葉を話せないんだ。言葉を口に出来ない。先天的なものらしい」


 言われて、驚きもしなかった。むしろ納得してしまった。
 ああ、女神の言っていた〝歪み〟とはこの事だったのか、と納得してしまったのだ。そして恐ろしくなった。
 ここに来る前の恐怖よりも、ずっと大きな恐怖。或いは、この世界への畏怖とも呼べるようなものが生まれた。自分がデッドエンドを回避したことにより生み出した〝歪み〟が人を変えるほどのものだとは思っていなかったのだ。もっと言うならば、人の過去を変えてしまうのだとは思っていなかった。
 俺の一週間ほど前の行動によって、文月 文矢は〝先天的な唖人〟に変わってしまったのだ。あまり、唖人などという差別的表現は使いたくなかったが、この状況の深刻さを自らに刻み込むためには必要だった。
 彼女の周囲の人の記憶さえ歪ませる力が俺にはある。そういうことだ。


「思ったより驚かないのだな」
「いえ、驚いてますよこれでも。よく感情表現が下手だって言われるんで、そのせいじゃないですかね」
「そうか? ……まあ、それならいいが」
 言霊先生が疑いの視線を向けてくるが、俺は本当に驚いている。自分の行動がもたらした恐るべき結末に。
 振り返り、俺は文月の方を見た。どこからか取り出したお弁当を、舞う灰色の雪の中でどこか寂しげに食べている。蛍光灯の光が空しく彼女を照らし出し、彼女の髪に落ちた雪の穢れを教えてきた。
 彼女は俺の方を見ているはずなのに、俺を見て何かを思う素振りさえ見せず、ただ箸でご飯を取り、口に運び続けていた。その咀嚼音だけが室内に響いていた。それを見て、どこからともなく悲しみがこみ上げてきた。
 言葉。それは俺がなに不自由なく使ってきたものだ。使えない、なんて考えられないほどに当たり前のものだ。今も、使えないなんてこと考えられない。けれども、文月にとっては、言葉を使えないことの方が当たり前なのだ。何かを食べて、その感想を口にすることも出来ない、ということが当然なのだ。
 それがあまりにも悲しいことに思えるのはきっと、俺が文学研究をしてきて、言葉を愛おしく思っているからであろう。


「現状、文芸部は君達二人だけだ」
 一度、わざとらしい咳払いをしてから立ち上がり言霊先生は俺達に向けて言ってきた。お弁当を食べていた文月は、手を止め、言霊先生の方を向いた。それに倣って、俺も言霊先生の方を向く。
 真剣な顔に灰色の雪が触れそうになり、言霊先生はそれを払った。払われた灰色の雪はただの埃に戻り、無機質に床に落下する。
「それだと、部費が出ないんですよね?」
「ああ、それはさっき話したな」
「はい。それで、交渉があるとも言っていました」
 言うと、言霊先生は頷き、埃を払った手を俺達二人の方に向けた。手を差し伸べていると言うよりかは、指差していると言った方が表現としては適切だろう。どうして俺達が指差されたのか、そこまで疑問には思わなかった。
 言霊先生は、現状をマシにすると言っていた。そして、二人しかいない文化系部活。この世界が高難易度のラブコメであること。それらを加味すれば必然的に、言霊先生が何をしようとしているのか何となく理解できる。
「君達は、二人とも人と関わる能力が著しく欠如している。その自覚はあるよな?」
「…………」
 文月は、無言で首肯した。しかし、それが本心なのかは定かではない。瞳に大した力が込められているわけではないし、言葉が発せない分、表情が豊かなわけでもない。常にどこか寂しそうな顔しかしていないせいで、何を考えているのか全く分からないのだ。
 だが、別にそれはいい。何を考えていようとも、言わないのならば俺が察してやる道理はない。俺は思ったことを口にすることにした。
「ちょっと待ってください。別に俺達は、人と関わる能力が欠如してるわけじゃないですよ。俺だって、文月だって欠如してるわけじゃないです。やろうと思っていないだけですから」
「…………」
 無言ながら、「え?」という顔を文月はして……いなかった。何一つ表情は変わっていなかった。ただ、俺に少しの間視線を移しただけだった。それだって、俺が気付いたときには既に言霊先生の方に戻っているくらいのすごく短い時間だ。やっぱり何を考えているのか分からない。調子が狂う。
 まあ、表情が変わろうと変わるまいと俺が言っていることが真実だ、ということは揺るがない。事実、俺も文月も人と関わろうと思えば、関われるのだ。文月だって、さっき俺に紙を渡したようにすれば、人と関わることくらい出来る。俺だって猫さえ被れば人と関われる。リア充にだってなれるだろう。今の状況からでも、脱することくらい出来る。
 それでも今の状況に甘んじるのは、今の状況の方がいいからだ。キリギリスが歌い続けたのと同様、俺は将来よりも今のことを考えて生きる。将来のための貯蓄なら、学力だけで十分だ。


「真剣に言っているようだな。まあ、確かに君の言う通りかもしれない。君達は能力が欠如しているわけではない。それは認めよう。じゃあ、言い方を変えよう。君達はどこかズレている。致命的にな」
「……それなら認めます。確かに俺はズレているでしょうね」
「…………」
 文月も俺に倣って肯定をする。さっきから首肯しかしていない文月を見て、不快に感じるもののイライラしているわけにはいかず、俺はかぶりを振ることで不快感に蓋をした。
「そこで、だ。君達にはここでそのズレを修正してほしい。結局は普通に文芸部の活動をやるので構わないんだけどな。心構えとして、更正を意識していてほしいんだ。君達が少しでも更生したと見えたのならその、更生の度合いによって部費を増額しよう。どうだ、いい話だとは思わないかね?」
 言われて、俺は少しだけ考える。
 そもそもの問題として、俺は更正をする気などない。ズレていたとして、それが悪いことだとは思わないのだ。皆が量産品ばかりになっていたら、ずば抜けた伝説的なものなんて作れない。誰かの作品になるつもりはないが、それ以上に量産品になるつもりがない。
 だが、この世界はラブコメだ。高難易度だが、ラブコメだ。そして、ありがちな、部活に入部する展開。入部しないのは、正規ルートから離れることと等しい。そうなったときに女神でさえ予期できない事がある、と思うとぞっとする。
「……俺としては、更生する必要を一切感じないんですけど、でもそれって、何もしなくても部費を増額してくれるってことですよね?」
「いや、何もしなくてもってわけじゃないぞ。君達が僅かでも更生していることを私に示さなければ部費の増額は難しい」
「チッ」
「舌打ちをするんじゃない」
 頭を軽くぺしっと叩かれた。別に舌打ちくらいしたっていいだろ、と思ったがこれ以上言うとまた叩かれそうなのでやめておくことにした。口は災いの元、口は災いの元。俺達がそんな会話をしている最中、文月は紙切れに何かを書いていたようで、小さな紙切れをこちらに差し出してきた。
『私、賛成。やってみます』
「おお、そうかそうか。じゃあ、これで決定だな」
 紙切れを見た言霊先生は、嬉しそうに俺の頭をごしごしと撫でた。癖っ毛が更にぐしゃぐしゃになった。
「え? 俺の意思は? 別に俺はまだ、やるとは……」
「場合によっては、多額の部費を割こう。うちの学校は生徒全員から部活動費を徴収しているからな。部費に関しては余っているんだ。活動がさかんだ、と顧問が判断さえすれば多額の部費が割ける」
「マジですか?」
 なんだか、一瞬で理屈がどうでもよくなった。やるに決まっている。欲しかった資料や本が沢山購入できるなら、適当に誤魔化してやろうじゃないか。


 俺の目を見た言霊先生は、半ば呆れながらも笑った。頭に被っている灰色の雪が、あまりにも似合わないので、ついくすっと笑いそうになった。
「じゃあ、決定だな。活動自体は今日の放課後から。学校がある日は毎日だ。鍵は三つあるから、内、二つは二人に預けておこう。昼に使っても構わないからな」
「…………」
「分かりました」
 文月は二回縦に首を振っていた。俺もそれに倣って一度頷きながら言った。そんな俺達を見て、言霊先生が笑っていたのが少しばかり癪だったが、まあいいだろう。
 何はともあれ、ようやく俺はラブコメに挑み始めるわけだ。
 文月に歪みを作ってしまったし、九重にももしかしたら無意識の内に歪みを作ってしまったのかもしれない。だとすれば、このラブコメは俺が思ってるよりもずっと高難易度なのだろう。




 けれど、それでも俺に与えられた能力を使って、デッドエンドでもバッドエンドでもないエンドにたどり着いて見せる。それが今後の目標、だな。

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