どういうわけかDS〈男子小学生〉の俺は、高難易度青春ラブコメに挑んでいる。

黒虱十航

俺が悪い? ②

「どうしてあのとき、反論しなかったんだ?」


 回想が終わり少し歩いていると言霊先生はほんの僅かな時間立ち止まり、尋ねてきた。言い終わってからまた歩き出したので、ほとんど距離は縮まらない。ほんの少し、けれど確かにある俺と言霊先生の間の空間が、空々しいものに思えた。
「反論? どういうことですか?」
 あえて恍けてみせる。あの日、何も口にしなかった言霊先生への皮肉のつもりだったが言霊先生は動揺を全く見せてくれなかった。階段を下りていく。一段一段の端に溜まっている埃が振動によって舞い、窓から漏れる日光によって、キラキラと輝いていた。
「まあ、あの状況じゃ仕方が無かっただろうよ。でも、言ったよな? 心からの言葉ではないものを、ジョーク以外で吐いたらデットエンドだって」
 言葉を失った。状況が理解できない。どうして、この人がその言葉を知っている? その言葉は、俺に向かってニート風社畜女神エロスが言ってきたものだ。いわば、このラブコメのルール。それを、キャラクターとして生きているこの人が知っているのはおかしいではないか。
 ――まさか、この人はそうじゃないのか? キャラクターとして生きているのではないというのか?
「……エロスさん、なんですか?」
「ここでは言霊先生、だ。あんまり、そういうことを言うんじゃねぇ」
 躊躇なく、言霊先生は答えた。背筋が凍るような思いがこみ上げてくる。


 言霊先生はあの日、確かにあそこにいた。そして、俺があの日取った言動を見ている。あれはジョークだったけれど、面白いものじゃなかったからジョークじゃないと捉えられても仕方がない。
 そうなれば、俺は神の手によってデッドエンドに導かれてしまう可能性がある。端的に言えば、殺される可能性があるのだ。
 理解した瞬間、俺は足を止め身構える。神相手に勝てるとは思わないけれど、せめてアレがジョークだったということを認めさせるだけの時間は作る必要がある。
「ふっ、別に殺さないって。私としては面白いものが見れて満足なんだよ。それに神には人を殺す権限なんてないし、出来ても面倒臭いからやらない」
「そう、なんですか」
 驚きながらも、その言葉を聞いて確かにニート風社畜女神エロスなのだ、と思った。同時に、普段の言霊先生をわざわざ演じるような神では無い気がして、疑問に思う。そもそも毎日毎日、この世界に顔を出せるほど暇じゃないはずだ。
「たまに顔出してる感じですか?」
「よくわかったね。正解。具体的には、入学式の日と、この間の校長室でのお説教の日、そして今くらいしか来てないけどね。ふわぁぁ、これでも、睡眠時間を削ってきてるからね。眠い」
「大変ですね」
「うん、すごい大変だよ」
 大変、という単語をここまで重々しく言う人、いや神は初めて見た。ついつい、哀れみの目を向けてしまう。あれから10年以上経って少しは変わったかと思ったけど、劣悪な労働環境は変わっていないようだ。
 が、今の彼女はとても楽しそうな顔をしている。欠伸を連続でして、うとうとしているのを見るとこの世界に来たのはついさっきらしい。さっきまでは全然眠そうにしてなかったしな。
「でもまあ、その分面白いものが見れた。想定してなかったからね、あれは」
「あれ?」
 何のことだろうか、と考える。悲しい社畜エロスさんが面白いと感じられるようなことをした覚えが無い。あ、いやあのジョークが案外面白かったというのなら個人的には大満足だが、多分そういうわけではないだろう。


「あの切り抜け方は想定してなかった。分岐エラーだったよ」
「分岐エラー?」
「ああ。君はもしかしたら気付いていないかもしれないけれどね、この世界には分岐があるんだよ。私が作った、ノベルゲームみたいなものだからね、ここは。心からの言葉ではないものを吐いたら即デッドエンドっていう決まり以外にも色んな分岐があるんだよ。例えば」
 そこまで言って、ようやく彼女は立ち止まり、人差し指で宙に何かを描くような動作をした。目を凝らして見ると、それが枝分かれしていくストーリー分岐図のように見えないこともない。


「君が今ここにいること。それも分岐だ。飛び級試験、という分岐点で、君が合格という選択肢を選んだ結果、今ここにいる。一つ言っておくと、仮に君があそこで合格していなければ後々、デッドエンドに向かっていた」
「え、どうしてですか? 心からではない言葉、とは関係ないですよね」
「ああ、だがな……」
 彼女が言いよどんでいると、宙に描かれていた分岐図のようなものが青光りしだした。世にも奇妙な現象に、自分の目を疑いながらも目の前にいるのが神であることを考慮すればそこまで驚くことではないな、と思う。


 分岐図から出てくる青い光は日光と絡まり、空気中に舞う埃をより美しく照らした。さながらダイアモンドダストのようだ、なんてロマンチックな感想を抱くのは俺が文学少年だからであろう。
 分岐図の内、一つの点が赤く光りだすと、彼女は言葉を繋いだ。
「物語には正規ルートというものがあるんだ。その正規ルートから少しのズレが生じることは構わないけれど大きなズレは看過できない。だから私は大きなズレが生じた場合、デッドエンドに向かうように作った」
「……つまり平たく言うと、この世界は〝小学生の俺〟が〝女子高校生のヒロイン〟とラブコメをする世界だ、と?」
「その通りだ。飲み込みが早くて助かる」
 深く頷いているのを見ながら、納得したような顔を作っている俺だが、内心はすごいパニックを起こしていた。


 まず、忘れてた。この世界ってラブコメだったんだなって。このままだと、完全にアンチ青春を貫いていくことになりそうだったけど、分岐を間違えなければラブコメるんだなって思った。ラブコメるなんていうよく分からない動詞を作るくらいにはパニックを起こしていた。ちなみに、五段活用な、ラブコメる。
 パニックを起こしているのは、この世界がラブコメだって思い出したからじゃない。この世界のラブコメの形的なもののせいだ。
 ちょっと待てよ。小学生のラブコメは、まあ多くないにしてもゼロじゃねぇよ。俺だって前世で読んだ。もちろん、ラノベじゃなくて子供向けの文庫だったけどな。でも、だ。俺の経験だと、小学生と高校生がラブコメるなんて、聞いたこともないぞ。いや、ロリコン系のラノベにはあったな。でも、それだって主人公が高校生だったはずだ。主人公が小学生なんて、絶対ありえない。


「この世界、ぶっ飛びすぎじゃないですかね」
「そうか? 小学生と高校生のラブコメなんてよくあるでしょ。詳しくは知らないけど、女性向けの文庫とか薄い本とかに」
「…………」
 確かに言われてみればありそうだった。まあ、でもそういう場合って、ヒロインの方が主人公だと思うんだけど……いやもはや何も言うまい。言っても無駄だ。
「話を戻すけど、この世界は分岐の連続なんだ。それで、君が心からの言葉でないものをジョーク以外で吐いたら即デッドエンドだ、ということにしていたはずなんだよ。君はそのシステムを一度潜り抜け、一度利用した。それが面白いんだ。だから、あれっていうのはシステムのこと。システムの切り抜け方が面白かった」
「はぁ」
 一度潜り抜け、一度利用。そう言われてピンときたものがあった。
 潜り抜ける、というのは例の入学式の日の事件だろう。俺の自己紹介タイムでの発言によってデッドエンド直行だったはずなのに、俺の抵抗によってひとまずバッドエンドくらいに収まった。利用、というのはあの日、ジョークで謝罪したことだ。ジョークならOKというシステムを巧みに利用している。
「デッドエンドだったはずなのに、すごいよね。まあ、酷い状況にはなったけど、それによってストーリー進行が大きく早まった。所謂、ショートカットになったんだから。私の予測以上に君はすごいよ。ショートカットのせいで発生した歪みも潜り抜けて」
「そりゃどうも。まあ、どちらもそうするしかなかったってだけですけど」
 言うと、彼女の表情が険しくなった。何かまずいことを言っただろうか、と思うが別段思い当たるものはなかった。ただ、彼女の言葉を待った。
 彼女が俺の頭に触れた。が、それは決して仕草早がやったように撫でるための行為ではない。それは彼女の目を見ればすぐに分かった。


「こんなに小さくとも、君は主人公だ。この世界の住人だ」
「小さいのは否定したいところですけど、まあそうですね。俺は今、この世界に住んでます」
 何を今更、と思っていると彼女の口角が動いた。笑っている。面白かった、と思ったときのそれとは大きく異なる笑みだ。見たことがない種類の笑顔。一体どんな意味を持っているのか、探ろうとすれど分からない。
 ただ、どうしようもない恐怖を感じていた。
「だったらこの世界のルールは守ってもらう。君は住人で、私は神だ。同じような事が再び起こるとは思わないことだね。君の行動によって、この世界にバグが生じてしまったんだ。ただでさえ難易度が高かったけれど、きっと、更に難易度が上がるはずだ。いや、もしかしたら下がるかもしれない。正直な事を言うと分からないんだよ。この世界のシステムは磐石だったはずなんだ。それを君如きに潜り抜けられたのが納得できない」
 頭に触れていた手に力がこもっていた。頭蓋骨を握りつぶさんばかりの力だった。言霊先生の体に、そんなに力が無かったのが幸いだろう。力があったら、確実に俺の頭蓋骨は握りつぶされていた。痛みをこらえながら、右手で彼女の手を振り払うと同時に一歩、後退する。
「なんのつもりですか」
「なんのつもりでもないよ。ただ、力が入っちゃっただけだ。君がこの世界で生きることで面白いというのは確かだからね。殺そうなんて思うはずが無い。本当だよ」
 面白い。彼女はそればかりを動機として挙げている気がする。面倒臭さと面白さ。それだけがきっと、彼女の価値観なのだろう。そこに俺の感情なんてものは関係ない。こうして、この世界の神様と主人公の立場で会ってみると随分、神様の印象が変わるものだ。あの時は、可哀想に思えた神様が、今では完全な敵に思えてならない。
「面白い君にアドバイスだ。……この世界は高難易度のラブコメだ。難易度が高い理由は色々ある。心からの言葉ではないものをジョーク以外で吐けばデッドエンドだから。小学生主人公だから。それ以外にも理由はあるけど一つ、一番大きな理由がある」
「大きな理由、ですか。それは、何なんですか?」
 アドバイスを貰うのはあまり本意ではなかったが、前回のアドバイスが非常に有益だったこともあって、俺はアドバイスを素直に聞くことにした。あまり踊らされるのは好きじゃないが、下手をすれば命に関わってくるのでしょうがない。
「それはね……私の意思一つで、全てが変わるってことかな。仮に君が誰かと付き合う一歩手前まで進んでも、もし私が気に入らなければ相手の記憶を消せる。君を殺すことだって可能だ」
「なんですか、それ。ほとんどあなたの好き勝手ってことじゃないですか」
「そうだよ」
 真顔だった。清々しいほどに真顔で答えてきた。残虐にも程があることを言っている、という自覚がないのだろうか。意思一つで俺を殺せる、と言っているんだぞ? 理不尽にも程があるだろ。
「いやいや、流石にそれはおかしくないですか。じゃあ、仮に今あなたがムカついたら俺を殺せるってことですよね」
「うん、そうなるね。それに、ここで君が死ねば存在自体が消えるようになってる。というか私がそうしたんだ。まあ、だから普通の人は転生させてないんだけどね。でも、君は危険である、という承諾があった上で転生した。その分のボーナスも与えたからね」
「いや、そんな危険だなんて聞いてなかったですよ」


 言った瞬間、背中に激痛を感じた。全身に電流が走ったような感覚によって、今の俺の状況を理解した。首に彼女の掌が触れている。入学式の日のような力がこもっているわけではなかった。が、巧みなその動作は、入学式の日よりも確実に命を奪おうとするものだった。力さえ入れられてしまえば、すぐに死ぬだろう。
 おそらく彼女の言っていた、意思一つで全てが変わるということを証明したのだろう。先ほどまでそこまで力が無かった言霊先生の体に、異様なまでの力がこもっているのが手に触れただけで分かる。
「聞いてなかった? ふざけるなよ。リスクを何でもかんでも教えてもらえると思ったら大間違いだ。君には三つもボーナスを与えたんだ。高難易度のラブコメの世界に行くだけなら、多すぎるボーナスだ。それが君を調子に乗らせたんだろうね。いいかい? これでも私は怒っているんだよ」
「怒ってる、ですか」
「ああ、そうだ」
 足が床につかない。ブレザーが地面に落ち、命の危機をすぐ傍に感じる。何とか抵抗しようと思って足をばたつかせるが、全然力が入らなかった。


「それって……俺がデッドエンド、を脱したから、ですか?」
 途切れ途切れの言葉を何とか発すると、彼女の瞳がスッと冷たくなった。首に触れている掌が、氷のように冷たい。さっき青光りしていた分岐図が彼女の周囲で青く、いや蒼く光り、その怒りの強さを教えてくれた。
「分かっているじゃないか。そうだよ。その行動によってこの世界が歪んだ。私が少ない休暇を使って創りあげた最高傑作を、歪ませたんだよ。だから、大きなストーリー変動がないように力を使う。君が世界をこれ以上歪ませたら私は君を消す。いいね?」
「……分かりました」
 これ以上、下手なことを言う気が起きなかった。心の底から分かった、と意思表示をする。死ぬわけにはいかない。だから、どんなに理不尽だと思ったとしてもそこに文句を言う方法より、ここで生き抜く方法を考える。


「よろしい。じゃあ一つ忠告だ」
 その言葉と共に俺の首から手が離れた。手に紙切れが押し込められたのに気付いて確認しようとしている内に、彼女の目が優しいものに戻っていった。きっと、言霊先生に戻ったのだろう。あの神のことだから、「あれ? どうしてここに?」みたいなことにはならないはずだ。とりあえず、この紙切れを確認するのは後にして、ブレザーを拾い上げポケットにしまっておくことにした。

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